第122話 少年騎士、女騎士さんに挑む(後編)

「あああああああ!」

アリエル・フィッツシモンズの絶叫が深夜の森にこだまする。常に礼儀正しい少年の異変にセイジア・タリウスも動揺して、

「おい、どうした、アル?」

と声をかけるが、

「あああああああ!」

叫び声が止むことはない。全身を襲う苦痛に耐えかねた野獣の断末魔のごとく、耳にした者を畏怖させずにはおかない響きだったが、

「いいから落ち着け。あんまりわめくんじゃない」

人一倍の勇気を持つセイが怖気づくことなく少年を止めようと近づこうとしたその瞬間、

「うわああああああ!」

いきなりアルが女騎士の方を見たかと思うと、かなりの勢いで突っ込んできた。

「わっ?」

セイは若い騎士に体当たりされて倒れ込んでしまう。本来の彼女であれば避けるのも撃退するのもたやすいはずだったが、しかし可愛がっている少年の異変に当惑していたのに加えて、そんな彼をこのまま抛っておくことはできない、と思ったために何もしなかったのだ。

「アル、一体どういうつもりなんだ?」

自分の上に乗っかったかつての部下の顔を見たセイはそれ以上口を開く事が出来なくなる。見上げた少年が今にも泣きそうになっていたからだ。荒い息が整わないままに、喉の奥でくぐもった叫び声を吐き出すこともできずに苦しげな表情を浮かべていたアルが、

「いつもそうだ」

とようやく言葉を発する。若々しさのまるでない、しわがれた老人のような声だ。

「なに?」

わけがわからずにセイが訊き返すと、それが引き金になったのか、

「いつもあなたはそうだ。ぼくが必死で追いかけて、やっと追いついたかと思ったらまたずっと先に行ってしまっている。だから、ぼくは絶対にあなたには追い付けないんだ」

アルの心の一室に飾られた絶望と諦念が織り込まれたタペストリーを初めて見たかのような気分になった後で、セイは自分が誤解していたのに気づく。今の立ち合いに敗れたことで自棄になっているものだとばかり思っていたが、そうではない。この少年はずっと前から一つの鬱屈を抱えながら生きてきて、それが今夜たまたま浮上してきたのだ。

(追いつけないなんて、そんなことはない)

彼女は本当にそう思っていたし、この状況で年長者としてかけるべき言葉だと思ったので、そのまま口にしようとしたのだが、

「慰めなんて要りませんよ」

頭のいい少年に先回りされてしまう。そして、頭がいいだけに彼は、

(ぼくは大変なことをしてしまっている)

と気づいて慌ててもいた。敗北を受け入れられずに逆上しただけでも耐えがたい恥なのに、それどころか人気のない暗い場所で女性を押し倒してその上にまたがっているのだ。貴族として騎士として高貴に振る舞うことを自らの使命としてきた少年にはあるまじきことだったが、

(もうどうなったっていい)

愚行を止めるどころかさらに続けようとしていた。

「おい、アル。おまえ」

だんだんと少年の顔が近づきつつあるのに気づいてセイは驚く。このままでは互いの顔と顔とが重なり合ってしまう。

(ぼくは最低だ。最低な人間なんだから、もっと最低なことをしてやる)

たとえば、シーザー・レオンハルトであったなら、女騎士に負けたとしてもこういうことにはならず、カリー・コンプでも踏みとどまっていたことだろう。

「しゃーない。命があるだけありがたいと思うしかねえか」

「アステラの若獅子」はそう言って自らの力不足を笑って済ませただろうし、

「また一から修業のやり直しですね」

「楽神」もまた失敗を悔やみながらも前を向いたはずだった。下層階級に生まれ育ち、何度となく打ちのめされ自らの無力を思い知らされた男たちと比べて、貴族として生まれついた「王国の鳳雛」には逆境を乗り越える経験が不足していたのに加えて、ひとつ間違っただけでも全てが駄目になってしまったかのように錯覚する、完璧主義者の陥りやすい罠にこのときのアルも嵌まりこんでいた。だから、

(このままものにしてやる)

下になった女子に襲い掛かろうとしていた。もちろん、上手く行くとは思っていない。自分を負かした最強の女騎士なら簡単にはねのけられるはずだ。だが、それでもかまわなかった。手ひどく拒絶されることで長い間秘めていた恋を終わりにしてしまいたかった。それに加えて、間近で見る彼女があまりに美しすぎて、情欲を抑えかねた、というのも否定できない。自らの中に眠っていた野蛮な衝動に気付き驚きながらも、今のアルはそれを止める気が全くもって起きなかった。

「やめろ、アル。そういうことをしたらダメだ」

セイはそう言って少年を止めようとするが、まるで効果がなく、彼の顔はますます接近してさらに大きく見えるようになる。乱暴にはねのけて怪我をさせてしまうのを躊躇う気持ちがあった一方で、

「わたしにとってアルは一体何なのか?」

という未解決の疑問が心の片隅にひっかかっていたおかげで、身体を上手く動かせなくなっているのも事実だった。だが、もちろんこのまま唇を許すつもりはなく、やむを得ず少年を突き飛ばそうとしたそのとき、ざざざざざ! と何者かが近づいてくる音が聞こえた。

「一体何事だ?」

走ってきたのはナーガ・リュウケイビッチだ。モクジュから逃亡してきた人々の暮らすテントの近くの森で、夜中に轟音が鳴り響いたかと思うと、それからすぐ後に狼とも熊ともつかない大きな叫び声が聞こえ、

「あねうえーっ!」

一緒に寝ていたジャロ少年が飛び起きて泣き出してしまったので、騒音の原因を探るべく一人やってきたのだ。

「こんな夜中に騒ぐとはけしからん。一体誰がこのような真似を」

と怒る「蛇姫バジリスク」が、

「あ」

と思わず声を上げてしまったのは、すぐ間近で男が女を押し倒しているのが目に入ったからだ。「こんな野外で?」とあまりにも意外な光景に、まだ男を知らない少女騎士は顔を真っ赤にしてうろたえてしまうが、さらに、

(アリエル・フィッツシモンズがセイジア・タリウスを?)

その人物が2人とも顔見知りだったので完全にパニックになってしまう。

「まさか、おまえたち2人がそんな関係だったとは」

いや、知らなかった。邪魔をしてしまったかな。などと勘違いをしてあたふたするナーガに、

「いや、違う。これは誤解だ」

セイも混乱して弁解しようとする。

「誤解なものか。わたしの住まいの近くでこんな破廉恥な行為に堂々と及ぼうとするとは、セイジア・タリウス、貴様はよくよく見下げ果てたやつだ」

「だから、そうじゃないんだって」

モクジュの少女騎士の勘違いをアステラの女騎士が懸命になって解こうとしていると、

「うわああああああああ!」

アルが突然叫び出し、馬乗りになっていたセイの身体から離れると、そのまま走り去っていった。第三者の登場で、自分がどれだけ馬鹿なことをしでかしたのか、ようやく理解できたのかもしれないが、その場に取り残された美女2人は、そんな彼の行動を理解できずに、ぽかーん、とするしかない。夜風が木々の間を音を立てて吹き抜けていった後で、

「どうしてあいつは逃げたんだ?」

ナーガが呆気にとられた表情のまま訊ねるが、

「わたしにわかるわけないだろ」

セイは溜息まじりに応える。地面に寝そべって、枝と枝の間に開けた夜空を見上げる彼女の身体には、自分に覆いかぶさっていた少年の重みがまだ残っていて、それが消え去ってくれるまでは立ち上がれない気がしていた。そして、何処かへ行ってしまった少年の身を案じながらも、

(わたしにとってアルは一体何なのか?)

ともう一度考えていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る