第75話 雪解け(その3)

「よそもの」が娘を診る、と聞いてアンナの父ベルトランは難色を示したのだが、

「おねえちゃんを治してくれるなら悪魔だって構わない」

とモニカが怒ったのと、話を聞いてやってきたハニガンが、

「ナーガさんなら大丈夫ですよ」

と請け合ったので、納得いかないながらも受け入れることにした。彼も娘にしてやれることがなくて弱っていたのだ。

ベッドに横たわるアンナのそばに座って、脈をとり、舌の色を見て、いくつか質問した後で、

「話を聞いて、もしや、と思っていたが」

そう言いながらナーガは立ち上がって厨房へと向かう。

「どういうことだ、ナーガ?」

問いかけてきたセイに冷たい一瞥を投げてから、

「数年前にモクジュで流行った肺のやまいだ。それで多くの人が亡くなった。アステラにまで入り込んでいたのか」

「死んじゃうんですか?」

悲鳴を上げたモニカに、

「心配するな。そうならないために、わたしは来たんだ」

ナーガは笑いかける。「こいつも笑うんだな」と「蛇姫バジリスク」の笑顔を初めて見たセイは妙な感心をしてしまう。

「今では治療法が確立していて、わたしも一応は知っている。戦場で患者を治したこともある」

それを聞いて、「あっ」とセイは声を上げる。

「それじゃあ、来る途中で草を摘んだのは」

「そういうことだ」

ナーガはそう言って、セイに持たせていた何種類かの草を俎板の上に置くように命じた。

(薬を作るつもりか)

薬学に詳しくないセイでも、ここまで来ればナーガが何をしようとしているのかわかる。草を細かく切ろうとしたモクジュの女騎士に、

「わたしにやらせてください」

とモニカが言ってきた。姉を助けてあげたい、という思いから出た言葉を断ることは誰にもできるはずはなかった。

「大したものだな。病気を診て、薬まで作れるとは」

一心不乱に草を切り刻むモニカを見守りながらセイが褒めると、

「おじいさまが一時病まれたことがあって、それを治したい一心で教わったのだ。中途半端にしか学んでいないが、戦場で応急処置くらいならどうにかできるようにはなった」

ナーガはぽつりぽつりと答えた。村まで来る途中で金髪の騎士にしつこく話かけられているうちに、浅黒い肌の美貌の少女騎士はいつしか受け答えをするようになっていた。そっけない対応をし続けるのも精神的に負担がかかるらしく、憎い相手ではあったが普通に話をした方がマシだ、と考えていたのかもしれない。

「それはすごい。わたしも傷を縫ったり、脱臼を嵌め直すくらいならできるが、内科までは手が回らなかった」

外科ができるのも十分すごいだろう、と思いながらも、ナーガはそれを口には出さずに、

「そこからはわたしがやろう」

モニカに呼びかけて次の作業に移った。切り刻まれた草を石臼で挽いてさらに細かくしたうえで調合するのだ。ここからは専門的な知識と技術が必要になる。集中して作業に当たる「蛇姫」の様子をセイとモニカはハラハラする思いで見守ることしかできない。ベルトランとハニガンも時折のぞきこんできたが、彼らもまた何もすることができなかった。一時間ほどが過ぎ、ようやく出来上がった薬剤の入った小さな椀と木製のスプーンを手にしてナーガがアンナのベッドのわきに再び座った。

「薬を飲ませる前に一つだけ言っておきたいことがある」

モクジュの女騎士の言葉には冷たさと鋭さが含まれていて、アンナのみならず、室内にいた全員に緊張が走る。

「アンナ、と言ったな」

金色の瞳で見つめられた病気の娘は「ええ、そうです」と弱々しい声で答えたが、

「おまえ、本気で治りたいと思っているのか?」

狭い民家の空気が震えたように誰もが感じた。

「もちろんです。こんな苦しい思い、したくありません」

アンナはわずかに気色ばんで反論したが、

「本当にそうか? 自分なんかいなくなっても何も変わらないと、いや、むしろ、家族に迷惑をかけるくらいならいなくなった方がいい、とか思っているんじゃないのか?」

ナーガの言葉に横たわった娘は黙りこむ。もちろん、本気でそんな風に思っていたわけではないだろうが、それでも心のどこかにそのような思いがあった、というのを気づかされてアンナは愕然としていたのだ。何も言い返せなかったのが「蛇姫」の指摘の正しさを証明していて、彼女の父と妹も衝撃のあまり顔が真っ青になっている。「やはりそうか」とナーガは溜息をつき、

「セイジア・タリウスがいろいろとお節介を焼こうとしたのをおまえが断った、と聞いて心配していたが図星だったか。アンナ、おまえが慎み深く真面目な娘だというのは、初めて会ったわたしにでもわかる。普段ならばそれは間違いなく美点だが、しかし、今のおまえは命が失われる瀬戸際に立っている。そのようなときにまで遠慮するのは、はっきり言って愚かだ。いいか、アンナ? もっとわがままを言え。自分勝手になれ。それこそが、今のおまえが一番にすべきことだ」

「蛇姫」は少し黙り込んでから、

「わたしが作った薬も、おまえが本気で生きたいと願わなければ効き目はない。どんな医者も生きることを諦めた人間を治すことなどできはしないのだ」

そして、

「教えてくれ、アンナ。おまえは生きたいか? 死にたくない、と心の底から本気でそう思っているか?」

長い病のために痩せこけてしまった頬を幾筋もの涙が流れ落ちていく。

「生きたい、です。わたし、早く元気になりたいです」

いきたい! しにたくない! いつも我慢ばかりしていた大人しい少女は、生まれて初めて心の底から大きな声で叫んでいた。

「その言葉が聞きたかった」

ナーガ・リュウケイビッチは優しく微笑んで、椀からペースト状になった薬を掬ったスプーンをアンナの口許へと運ぶ。

「おまえはわたしが必ず治す。だから安心するといい」

泣きじゃくる姉を見たモニカも泣き崩れ、その肩をセイは抱き寄せた。

(わたしが言わなければならないことだった)

金髪の女騎士は大いに反省していた。病気の少女を気遣うあまり、注意できなかったのを悔やんでいた。相手の心に踏み込む強引さが必要なときもあるのだ。それをナーガに教えられた気がした。

(ありがとう、ナーガ。きみは本当に素晴らしい人だ)

縁もゆかりもない、それどころかほんの数年前まで敵として戦っていた国の娘を本気で心配し治そうとしている少女騎士の横顔を、セイは愛情をこめて見つめ続けた。

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