第12話 女騎士さん、村に馴染もうとする(中編)
「進むな、と言うのならそのようにするが」
身体の向きを変えて斜面を降りると、
「そんなことを言う理由をぜひ知りたいものだ」
セイは青年に向かい合いながら訊ねた。
「外部の人に言う必要はありません」
自分より頭一つ背の低い女性から顔を背けながら若者はぶっきらぼうに言った。はっきり言って失礼な態度であったが、
「そうか」
女騎士がにっこり笑って、
「ありがとう。いいことを教えてもらった」
と告げたので、「は?」と真面目そうな青年は声に出して驚いてしまう。
「ぼくは何も言ってませんよ?」
慌てているのは、彼女の得になるようなことは何もしてはいけない、という思い込みがあるせいなのかもしれなかった。
「何も言わないことがヒントになることだってあるのさ」
セイはやや得意げに言ってから、
「貴殿の名前をまだ聞いていなかったが」
態度を改めて訊ねようとして、
「それとも、それもよそものには教える必要はないのかな?」
にやにや笑ってみせると、青年の顔はみるみるうちに赤くなった。彼女に無礼を働いている自覚があったのだろう。そして、それを恥ずかしく思うくらいには倫理観もしっかりしているようでもあった。
「申し遅れました。ぼくはハニガンといいます。この村の村長をしています」
ほう、あなたが、とセイは感心したが、
「昨年父が他界したもので、それで突然引き受けることになったのです」
若者が付け加えたのは、向かい合った騎士の顔に「まだ若いのに」という思いを見たせいなのかもしれない。セイより2、3歳年上のようだから、まだ20代前半だろう。
「いや、それはご苦労なことだ」
セイが素直にハニガン青年をねぎらうと、
「実はぼくもあなたに用があったんです」
と言われた。
「というと?」
「ええ。この前、あなたは言ってましたよね? 『この村がタリウス家の領地ではない証拠が見たい』と」
「おお。それでは」
身を乗り出した女騎士に、「はい」とハニガン青年は自信ありげに頷いた。
集会場に持ち込まれた大きなテーブルの上には、書類がどっさりと積み上げられていて、その前に座ったセイジア・タリウスが目を通している。かれこれ1時間近い作業になるが、休むことなく確認を続けていた。
その横ではハニガンと村の男たちがむっつりした顔で彼女を睨みつけていた。女騎士を村に入れまいとする、いわば強硬派の面々だった。
(これで納得して出て行ってくれればいいが)
若い村長は祈るような思いでいた。彼自身はセイに対して悪感情を抱いてはいなかったが、集落の平穏を乱されるのは御免蒙りたかった。ジンバ村は現在他にも難題を抱えているのだ。これ以上面倒事は避けたい、というのが偽らざる本音だった。
ふう、と女騎士が顔を上げて額に浮かんだ汗をシャツの袖で拭った。やむを得ずやったことだが、やはり机に向かうのは好きではない、と思っていると、
「終わりましたか?」
ハニガンが前のめりになって訊ねてきた。早く答えを聞きたい、というのがあまりにもあからさまなので笑いそうになる。
「ああ、これだけの書類をよく保存しておいたものだ」
「父もそうでしたが、うちは代々なんでも残しておく家なんです」
ハニガン家の物置に眠っていた村の過去の記録を掘り起こしてみたところ、思っていた以上に大量に残っているのがわかり、家に運び入れると溢れかえってしまうので、集会場まで搬入した、というわけだった。
「それで、どうでしたか?」
「いや、どれもちゃんとした記録だった。これなら公式にも十分に通用するだろう。ただ、これだけ大量だと保管も大変だろうから、ある程度整理した方がいいかもしれないな。もしよければわたしが手伝ってもいいが」
いえ、それはお構いなく、と青年は丁寧に断ってから、
「そういうことではなく、この村があなたの家の領地ではない、と理解していただけたか、と訊きたいのですが」
そうだ、そうだ、と後ろの強硬派が声を上げる。
「わかったんならさっさと出て行くんだな」
「おまえさんにはみんな迷惑してるんだ」
そこまで言わなくても、と青年は思わず眉をひそめたが、
「ああ、それなんだが」
金髪の騎士は気まずそうに笑うと、
「残念だがそれはできない。この書類はその証拠にはならないからな」
と答えたので、「はあ?」と男たちは叫んだ。
「なに言ってやがる。これだけたくさん書かれてるじゃねえか」
「往生際が悪いぞ、てめえ」
殴りかからんばかりに身を乗り出してくる連中をハニガンは懸命に抑えようとするが、
「じゃあ、ひとつ聞くが」
セイジア・タリウスは落ち着き払った態度で問い訊ねた。
「おまえたちはこの書類に目を通したのか?」
そう言うと、ぴたり、と荒くれどもの動きが止まる。村人たちは無学で字を読めない者も多くいた。まさしく急所を突かれたわけだ。
「村長殿はもちろん読んでいると思うが」
「ええ」
青年は頷いて、
「この村から毎年領主様に税を納めている記録です」
その通りだ、と女騎士は頷き返す。
「細かいことまで実に丁寧に書き留められていてわからないことは何一つない。わが王立騎士団の経理にスカウトしたいところだ」
「では、どうして証拠にならない、と言うんですか?」
困惑するハニガンに向かって、
「いや、この前のわたしの言い方が悪かったのかも知れないな。村長殿に手間をかけさせて申し訳ないのだが」
女騎士は居住まいを正してから、あらためて説明しようとする。
「わたしが見たかったのは、このジンバ村が王によって何者かに与えられた証明なのだ。それはこの中にはない」
積み上げられている帳簿の表紙をぽんぽん叩きながら、
「要するに、この記録は、村が領主に税金をちゃんと納めている証明にはなる。だが、その領主が王によってこの土地に封じられた証明にはならない、ということだ」
セイはなるべくわかりやすく話したつもりだったが、
「なにわけわかんねえことを言ってやがる」
「ごまかそうったってそうはいかねえぞ」
頭が沸騰した反対派は聞く耳を持っていなかったうえに、理解できる脳味噌も持っていないようだった。しかし、ハニガン青年だけは顔面蒼白になって手を震わせていた。
「あなたの言い分だと、われわれが間違ったところに税を納めていた、ということになってしまいませんか?」
「いや、そういうわけでもないんだろうな。そんなことをしていれば、正式な領主が対応するはずだし、都の役人だって無視はしないだろう。だから、わたしもわけがわからなくて困ってるんだが」
そう言うと、セイは立ち上がって、んー、と言いながら背を思い切り延ばした。ずっと座って作業をしていたおかげで固まった筋肉がほぐれていくのが心地いい。
「ところで」
女騎士の青い瞳に見つめられた青年はどきっとしてしまう。正体不明の怪しい人物にしては彼女は美しすぎた。
「その領主というのは何処にいるんだ?」
そう訊ねると、いきりたっていた男たちの動きが止まった。はあ、それが、とハニガンは口をもごもごさせながら、
「よくわからないんです」
「は?」
「毎年決まった時期に向こうから取り立てに来るので、われわれが納めに行くわけではないんです」
「近くに屋敷はないのか?」
「さあ。かなり遠くから来ているようなので」
ふうむ、とセイは考え込む。どうやら容易ならぬ事態が起こっているらしい、と感じていた。
(わたしがこの村の役に立てるかもしれない)
そう思うと胸が躍った。子供と老人の相手をするためだけに辺境まで来たつもりはない。
「ありがとう、村長殿。それにみんなも」
そう言って金髪の騎士は集会場を出て行こうとする。思いがけず感謝の言葉を告げられてハニガンも男たちも目を丸くする。
「あの、どちらに行くんです?」
村長に訊かれたセイジア・タリウスは扉の前で振り返って、
「他をあたることにする」
「他?」
「ああ。ここにはもう手掛かりはないだろうからな」
金髪の騎士はにっこりと笑い、
「安心してくれ。この村がわがタリウス家の領地でない、とわかったら、すぐに出て行くつもりだ。その考えに変わりはない」
と言って、そのまま姿を消し、後にはむさくるしい村人だけが残された。
「ちくしょう。適当なことばかり言いやがって。おれは騙されねえからな」
髭を生やしたダルマみたいに太った男が怒鳴るが、
「あの人、そんなに悪い人じゃない気がしてきちまった」
痩せこけた中年の男が自信なさげに言うと、周囲からも同意するかのような呟きが起こった。
「おまえら、何を弱気になってるんだ。しっかりしろ」
ヒゲダルマが逆上するが、
「でも、うちの婆さんの話し相手になってくれてるし」
「この前雪かきを手伝ってくれたもんな」
「それにやっぱりきれいだから。美人に悪い人はいねえ」
うんうん、と頷き合う素朴な村人たちにヒゲダルマが憤慨する一方で、
(これからどうなってしまうんだ?)
切り札が不発に終わって、若く経験の浅い村長は不安で足元が頼りなくなるのを感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます