第82話 女騎士さん、天然だった(今更)
「本当に申し訳ない!」
主催者の元を訪れてぺこぺこと頭を下げて平謝りするセイジア・タリウスに、
「いえいえ、乱入してきた連中をあなたが退治してくれなかったら、もっと大変なことになってましたから」
ジャンニ・ケッダーは笑って答える。舞台上では、セイが倒した数十人のごろつきが劇場の警備を担当していた警察官たちによって運ばれていく一方で、女騎士が飯綱落としによってステージに開けた穴を美術を担当する職人たちが塞ごうとしていた。応急措置ではあるが、さほど時間をかけずに直せそうだ、ということで、大急ぎで作業に当たっているわけだが、当然のことながらプログラムを進めるわけにもいかないので、場内は急遽休憩時間に入っていた。
「それにしても、実に見事な腕前でしたな。たった一人であれだけの大人数をバッタバッタと倒していくのには、胸がすく思いがしました」
ジャンニは大いに感心してみせた。考えてみれば来賓の彼が主催者を代表して応対しているのも妙な話ではあったが、それを誰も疑問に感じていないのは、マズカ帝国の芸能界に君臨する大物の貫禄ならでは、と言うべきだったろうか。
「いやあ、それほどでも」
お褒めの言葉に照れるセイを、
「調子に乗らないの」
リアス・アークエットがたしなめる。謝罪に向かった友人を心配して一緒についてきてくれたのだ。
「では、またよからぬ輩が現れたら遠慮なく言ってきてくれ。わたしが相手をしよう」
女騎士は胸を張ったが、
「いえいえ、それには及びません。市警のみなさんが警戒を厳重にされるということですから」
そう言いながらも、襲撃があってから気を付けても仕方がないだろう、という思いがジャンニの頭にないこともなかったが、
「それなら安心だ。そういうことなら、わたしも観客として楽しませてもらおう」
セイはあまり深く考えることなく、劇場の最前列に陣取った主催者たちに一礼すると、その場を離れた。
「よかったわね。ちゃんと許してもらえて」
リアスが微笑みかけると、セイは少し考えてから、
「なあ、あのケッダーさんという人はリアスの知り合いか?」
と訊いてきた。
「ううん。全然知らないけど。どうしてそう思ったの?」
「いや、わたしが話しかけてるのに、リアスの方をずっとチラチラ見て気にしている様子だったから」
「そんなことないでしょ。考えすぎなんじゃない?」
黒髪の美少女は軽くいなしたが、セイの勘の鋭さに改めて感心もしていた。彼女自身も男の視線に気づいていたのだ。といっても、目の前にいる少女が彼の宿泊する部屋に深夜忍び込んだ闖入者だとあの老人がわかったわけでもない、とリアスは感じていた。もちろん正体がばれないのに越したことはないが、その反面全く気付かれないのも物足りない気がするので、ジャンニの反応に少女は合格点を与えたい気持ちになっていた。
「じゃあ、ケッダーさんはリアスに一目惚れしたのかな。今日のきみはとびきりきれいで、わたしも惚れ直したくらいだから、そうなっても何も不思議じゃない」
「もう、馬鹿なことばかり言って」
楽しく語らいながら2人が子供たちの待つ控室に戻ろうとしていると、
「セイジア・タリウス!」
上の方から大きな声が聞こえた。場内がどよめいたのは、2階の貴賓席で国王スコットが立ち上がっているのが見えたからだ。アステラ王国を統治する君主の玉音を拝聴した臣民たちは驚きながらも大いに恐縮する。
「タリウスよ。実に見事であった。歌と踊り、そして戦いにおいても、見事な技量を示したことを、余は誇りに思うぞ。誠に天晴れである」
かつての騎士団長、元家来に朗々たる賛辞を送る主君に、宰相ジムニー・ファンタンゴ、侍従長をはじめとした側近たちの表情は固まったままピクリとも動かなかった。王の行動が予定にないもので、彼らの予想を超えるものだったからだ。実直な君主は常に段取りを違えることなく動くのを常としていたというのに、一体どうしたというのか。それほどまでにセイの演技と戦いぶりに心を動かされたのだろうか。
「陛下があんなことをなさるなんて」
「だな」
1階席にいたアリエル・フィッツシモンズが驚き、シーザー・レオンハルトも短く同意する。それだけ家臣にとってアステラ国王の行動は予想外のものだったのだが、しかし、それに対するセイの反応もまた予想を超えるものであった。
「へいかーっ!」
セイジア・タリウスは真夏の太陽を思わせる眩しい笑顔で、王に向かって両手を大きく振ってみせたのだ。何故そうしたのかは彼女自身にもわからなかったが、かつてのセイであったならば、一礼して「ありがたき幸せでございます」とでも答えて、いかにも騎士らしくふるまってみせたことだろう。しかし、そうしなかったのは、暇を出されて1年半以上が経過し、王に仕える騎士としての自覚が薄れ、20歳の若い女性らしい素直さが表に現れたから、なのかもしれなかったし、あるいは演技を無事に終え、国民にとって大切な催しを悪人から守り切ったことで、心境に一時的な変化があったから、なのかもしれなかった。いずれにせよ、王の言葉に対してセイは天真爛漫に返事をすると、そのまま野原を駆ける兎のような軽快な足取りで場外へと姿を消し、その姿を見守った国王スコットは無言で小さく頷いて、再び席に着いた。
(なんたる無礼な)
王の側近たちは女騎士の行動に一様に不快感を覚えていた。主君に対してあまりにもなれなれしすぎる、と思っていたのだ。そもそも今夜の彼女の身なり自体、騎士としてふさわしくないものであったのに、それに加えて只今の礼を失した振る舞いが駄目を押す格好となっていた。
(陛下もさぞご不満であろう)
おつきの者たちが若き王の顔色を窺うと、その表情は硬く、何やら物思いに耽っているように見えた。かつての家臣に裏切られた思いでいるのだろう、と家来は主君の心中を慮る。
「いかがなものかと思いますな」
侍従長が重々しく口を開く。眉間に深くしわが刻まれているところを見ると、彼にとってもセイの振る舞いは許しがたいものであったと思われた。
「タリウスがわが国に大いに貢献したことは事実ではありますが、公衆の面前で陛下に対してあのような口を利くとあっては、他の者には示しがつかないと」
「ほう。じいよ、では何か?」
侍従長の話を国王スコットが遮ったのに、側近たちは全員言葉を失う。寛大な彼は常日頃家臣の意見を尊重して、耳の痛い話でも素直に聞き入れていたからで、そのような態度を取ったことは稀だったのだ。
「余に無礼を働いたタリウスを罰するとでもいうのか?」
「ああ、いえ、そんなことは」
思いがけない強い口調に老人はしどろもどろになる。それを見た若い王は表情をやわらげ、
「それには及ばない。余はなんとも思ってはおらん」
とだけ言って、椅子に深く座り直した。セイの非礼を受け流す度量を見せた国王に、家臣たちは「いつもの陛下だ」と安堵し、わずかな瞬間感じられた異変も、何らかの間違いとだけ受け止め、深く考えようとはしなかった。その中でただひとり、宰相ファンタンゴだけは、何かを考えている様子の国王スコットの横顔をひそかに窺い続け、そんな冷徹な男の整った容貌にはかすかに憂鬱な気配が漂っていた。
「おい、セイ」
控室へと向かう廊下の途中でリアスと歩いていたセイはシーザーに呼び止められた。その後ろからアルとリブ・テンヴィーもついてきた。
「おお、みんな。観に来てくれたんだな」
喜ぶ女騎士の顔を見た青年騎士は少し呆れて、
「おまえ、陛下に手を振っていたが」
と言うと、
「ああ。振ったが、それがどうかしたか?」
セイはきょとんとした表情で答えただけで、それを見たシーザーとアルは思わず顔を見合わせる。彼らは別にセイの態度を咎めるつもりはなく、彼女が今までにない行動をとったのに驚いて、その真意を知りたかっただけなのだが、真意も何もあったものではなく、ただ単純に無意識でなんとなくやってしまったのだ、と察していた。
(それなら、注意したってしょうがないじゃねえか)
シーザーは苦笑いを浮かべるしかない。
(セイさんは変わりつつある)
アルにはそう感じられた。騎士を辞めてそれほど時間が経ったわけでもないが、それでも彼女が多くの経験を積んできた、というのはわかっていた。まだ若いセイが変わっても何ら不思議ではなく、その変化が悪いものだとは少年には思えなかった。
(それにしても、近くで見ると余計にすごいな)
アルには今夜のセイは特に眩しく感じられた。腕も腹も脚も露わになっていて、白い肌が光り輝いているように見える。いつもの髪型とは違うツインテールは可愛らしさの度合いを引き上げているようで、少年騎士は大いに満足していた。
「あのね、セイ」
リブが口を開いたが、いつもはっきり物を言う彼女にしては珍しく話しづらそうにしている。
「どうした、リブ。言いたいことがあるなら遠慮せずに言ってくれ」
セイに先を促された女占い師は、
「言いにくい話なんだけど、一応言っておかないといけないから」
そこで少し躊躇って、
「その、なんというか。あなた、かなり大暴れしてたじゃない?」
「ああ、自分で言うのもなんだが暴れたな。そうしないと、連中を倒せなかったから仕方ないんだが、大勢の人の前で暴れるのはやっぱりまずかったか?」
ああ、いえ、それはいいんだけど、とリブは断ると、
「暴れたことは問題じゃないのよ。ただ、その過程で問題があった、っていう話で」
「なんだかよくわからないから、さっさと結論を言ってくれないか」
まわりくどい話にたまりかねたセイが声を大きくする。
「じゃあ、はっきり言うけど、あなた、見えちゃってたのよ」
「だから、なにが?」
「つまり、あなたのスカートがめくれちゃって、だいぶ見えちゃってた、ってことなのよ」
リブにそう告げられて、事情を察したセイの全身が硬直し、
(確かにそうだった)
リアスも思わず顔を赤らめていた。激しい格闘の最中、セイのミニスカートが何度もめくれあがって、下穿きがはっきりと見えてしまっていたのだ。
「うわあ。それはしくじった」
顔を覆ってうずくまるセイに、
「必死だったから、気づかなかったんだろうし、気にしている場合じゃなかった、というのはわかるわよ。でも、あなたも年頃なんだから一応気を付けた方がいいと思って」
リブが一生懸命にフォローする。若い娘が大勢の人に下着を見られるのはかなりきつい、というのはリブもリアスも当然理解していた。恥ずかしくてとてもやりきれないだろう、と同情していたのだが、
「みんなに不快な思いをさせてしまって、申し訳ない」
セイが妙なことを言い出したので、首を捻ってしまう。
「セイ、『不快な思い』ってどういうこと?」
「いや、だって、リアス。わたしの下着なんか見ても不愉快になるだけじゃないか。もちろん毎日履き替えているから不潔ではないが、特に可愛くもないし、女の子らしくもないから、そんなのを見せつけられて、みんなに嫌な思いをさせただろうな、と思ったんだ」
(いや、そういうことじゃなくって)
リブとリアスは心の中で同じ突っ込みを入れる。女子としてまず恥ずかしいと思えよ、と2人とも思っていた。
「あまり気にすることもないと思うぞ?」
「そうですよ。セイさんの頑張りにはお客さんはみんな感謝してますって」
ははははは、と2人の騎士は笑顔を浮かべるが、両方ともぎこちなくなっているのは、シーザーもアルもセイの下着をばっちり目撃していたからにほかならない。いくらか表情がいやらしくなっている男たちにリブとリアスは冷たい視線を送る。
「でも、2人とも見たんだろ?」
女騎士が立ち上がりながら訊ねると、
「いや、見た、っつーか、なんというか」
シーザーが顔を背けるが、
「見たんだな?」
セイの追及は止まらない。
「見えた、というか、見えてしまった、と言いますか。でも、ぼくらは別に気にしていないというか」
「そう! その通り! アル先生の言う通り! 見えたことは見えた。だが、俺らは特に気にしていない。何とも思っていない。そういうことだ」
はははははは、と王立騎士団のツートップは明らかにごまかしにかかる。その一方で、
(『何とも思っていない』というのはあまり上手い言い訳じゃない気がするわね)
女占い師は冷静に批評していて、後で青年騎士にアドヴァイスしようか、と考えていた。
「ふうん。そういうことなのか?」
不信感を顔に出す女騎士に、
「ああ、そういうことだ」
「はい。そういうことです」
シーザーとアルは答える。
ふうん、とセイはもう一度鼻を鳴らしてから突然、ぴらっ、とスカートをめくり上げた。グレーの下穿きがはっきりと見えて、
「ぐはぁ」
王立騎士団の団長と副長は衝撃のあまり身体を大きくのけぞらせた。
「ほら。やっぱり不愉快なんじゃないか。それならそうとはっきり言ってくれればいいんだ。わたしの下着なんか見たくなかった、って」
女騎士はしょんぼりした表情になったが、
「いや、そういうことじゃなくって」
リブとリアスは同じ突っ込みを今度ははっきりと口に出していた。そして、
(天然って怖い)
と2人とも思わざるを得なかった。真の天然の破壊力は養殖ものには及びもつかないものなのだ、と同じ女子として理解させられていた。もっとも、
(なんだこれ。すごく恥ずかしい)
自分からやっておきながら、セイが顔を真っ赤にして涙ぐんでいたところを見ると、彼女も変わりつつあるのは確かなようであった。
セイジア・タリウスの天然ぶりは、これまでもこの物語を大きく動かしてきて、これからも大きく動かしていくことになるはずだが、この先しばらくは本筋を離れて、ある天才をめぐる物語の結末を見ていくことにしたい。
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