第51話 少女たち、がんばる(前編)

「いらっしゃいませー!」

銀の鈴が鳴るような明るい声に迎えられて、少し遅めの昼飯を摂りに来たバルバロ医師は驚く。「くまさん亭」は行きつけの食堂だが、セイジア・タリウスが去ってから、若い女子はもういないとばかり思っていたのだ。

「空いてる席へどうぞ」

空色のワンピースの上に紺の前掛けをつけた薄い金髪の少女に案内されて、テーブル席に腰掛ける。

「ご注文をお伺いします」

「じゃあ、ニバレラ定食を頼むよ」

「かしこまりました」

にこ、と微笑まれて、医師はどきり、としてしまう。彼にとっては孫にあたる年齢の娘だが、もう2、3年もすれば男が放っておかなくなるだろう、と想像がつくほどの美しさで、気の早い愚か者はもう声をかけていてもおかしくない、と思われた。店内の客から「ヒルダちゃん」「ヒルダちゃん」と声をかけられているところを見ると、この食堂の人気者になっているらしい。

「どうぞー」

ヒルダよりは背の低い赤っぽい髪の少女がお冷やを持ってきて、バルバロのテーブルに置いた。

「シュナおねえちゃん、お片付けまだだよ」

と声をかけてきたのは「くまさん亭」の女主人ノーザ・ベアラーの一人娘ポーラだ。まだ6歳だが、感心なことに店の手伝いをしているらしい。

「うん、じゃあ一緒にやろうか」

というとシュナはポーラと手をつないで厨房へと向かった。スラムで暮らす5人の少女たちの中で一番年下のシュナにとって、自分よりも小さな女の子と接するのは初めてなので、ポーラに頼られるのをとても嬉しく思っていた。

「おや、先生。久しぶり」

そこへノーザがやってきた。黒いTシャツとデニム、白いタオルを頭に巻いて、清潔感とともにさばさばした様子があるのは相変わらずだった。

「しばらく顔を見なかったね」

「年の瀬だからな。つまらんことで怪我をしてかつぎこまれる酔っぱらいが毎晩のようにやってくる。ひどいやつは昼間から運ばれてくる」

あちゃあ、と女主人は苦笑いをする。以前、この食堂の店員が大怪我した際に治療してもらったこともあって、街の名医はこの店で無料で食事できることになっていた。

「おまたせしました」

ヒルダが注文した食事を運んできた。「ごゆっくりどうぞ」と頭を下げると、店の奥へとパタパタ駆けていき、空いているテーブルの上を拭き出した。

「わしが来なかった間に、なんだか様変わりしたようだが」

なんとはなしに少女を眺めながら、赤毛の医師がそう言うと、

「もともとはおにぎりを作らせてたんですけど、接客をやりたい、って言い出してきて、試しにやらせてみたらなかなかの評判なのでやらせているところです」

ノーザはそう言って眩しそうに目を細めた。

「ほう。いいんじゃないか。この店の常連はセイジアさんがいなくなって、みんな寂しい思いをしていたみたいだからな。いや、この店ではセシルさん、だったか」

バルバロの言葉に女主人は黙って頷いたが、それとこれとは別の問題だ、という気もしていた。セシル・ジンバも少女たちも大事な存在ではあるが、だからといって替えがきくわけでもない、と思っていたからだ。

「たっだいまー」

そこへ戻ってきたのは、セラ、シーリン、イクの3人だ。

「おや、随分と早いね」

「へへーん、もう全部売っちゃったもんねー」

「へえ、あんたたち、大したもんだよ」

自慢気なセラにノーザは微笑みかける。3人は自分たちが握ったオニギリを街に出て売ってきたところだった。

「みんなおかえり」

「おかえりー、おねえちゃん」

ヒルダとシュナに出迎えられ、イクはやってきた妹の頭を撫でた。

「どうだった?」

「こっちはぼちぼちってところ。そっちは?」

「わたしもシュナもしっかりやってたつもり」

シーリンとヒルダは笑顔で語り合う。彼女たちはアルバイトの最中であったが、それだけでなく「ブランルージュ」に向けての練習もしていたのだ。


予選会が終わったその夜のことである。少女たちは貧民街の一角にある長屋に集まっていた。隙間風が吹き込むうえにとても狭く、5人が中に入るだけで身動きが取れなくなってしまうほどだ(そのおかげで寒さをさほど感じずに済んだのだが)。寝たきりの祖父と暮らすシーリンを除いた4人がここで寝起きをしているのだが、その夜は黒く長い髪のシーリンもそこに来ていた。「テイク・ファイブ」での反省会を終えた後に、子供たちだけで集まって話し合うことにしたのだ。

「やっぱりどう考えても時間が足りないよ」

セラがそう言って俯く。「ブランルージュ」本大会まで15日しかないのだ。それまでに一体何が出来るのか、まだ幼い彼女たちにはわからずにいた。

「それを言っても始まらないじゃん。わたしらは魔法使いじゃないんだから、時間を止めたりなんか出来ない。限られた日にちでできることをやらないと。リアスやハリーだって考えてくれてるんだから」

イクがそう言うと、彼女の意見が正しいと認めながらも、他の娘たちの顔色は明らかに曇った。現実を突きつけられたところで、どうしたらいいのか、打開策が見えたわけではないからだ。

「思ったんだけどさ」

シーリンが口を開く。

「大晦日までバイトを休めないかな? そうしたら少しは時間が出来ると思うんだけど」

5人は歌と踊りの練習と並行してオニギリを握るアルバイトも続けていた。決して多くはないが、スラムで暮らす人間にとっては実に有難い収入になっていた。

「いや、それはダメだって」

セラがそう言うと、ヒルダもイクも頷いて同意を示した。

「バイトを休んだら練習はできるかも知れないけど、ご飯も食べられないし、生活できないじゃん。えーと、こういうのなんて言ったっけ。細かいことを気にして、大事なことが台無しになるっていう、あれ」

「本末転倒ね」

「そうそう。それそれ」

ヒルダに四字熟語を教えられたセラが笑顔になる。ボキャブラリーは不足していても、ショートカットのセラの言っていることは正しかった。アルバイトではお金だけでなく失敗したオニギリも無料でもらうことができて、それで必要最低限の食事は確保できていたのだ。それがなくなれば、また以前のように食べ物を得るために駆けずり回らなければならないのは目に見えていた。

「でも、おかみさんなら話せばわかってくれると思う。わたしたちのこと、ちゃんと見ていてくれてるから」

「だから、わたしは休みたくないんだ」

シーリンの反論にイクが強い口調で言い返す。

「あそこのおかみさんは本当に優しい人だよ。シュナをとてもかわいがってくれてる。ポーラと全然差をつけないで、自分の子供と同じように思ってくれてる。だからこそ、そんな人に迷惑をかけたくない。それに、食堂だって年末で忙しいんだ。わたしらがいなくなったら、困るに決まってる」

時刻が遅いので壁にもたれて居眠りしているシュナの頭を姉は優しく撫でた。

「それに、わたしたちの中でシーリンが一番お金が要るんじゃないの? おじいちゃんの薬代が必要なんだから」

ヒルダに諭されてシーリンは切れ長の目を伏せる。高い音を立ててぼろい平屋の中を風が吹き抜け、子供達は身を縮める。

「わたし、今日は本当に悔しかったんだけどね」

ぽつり、とヒルダが話し始める。

「2回目で多少取り返せはしたけど、それでもまだ悔しい。悔しいことはたくさんあるんだけど、一番何が悔しかったか、っていうと、自分のことしか考えられなかったのが一番悔しい」

「自分のこと?」

セラに向かってプラチナブロンドの少女は頷いてから、

「一緒に踊ってるみんなのことも、リアスのことも、お客さんのことも、全部頭から消えてなくなったまま舞台に立っちゃった。それがすごく悔しい。みんなと一緒にやれるから、リアスが笑ってくれるから、そしてお客さんが喜んでくれるから、そういうことのために今まで踊ってきたのに、一番大事なところでそれを忘れちゃってたのが、とても腹立たしいの。振り付けを飛ばしちゃった、とか、声がよく出なかった、っていうのは、それに比べればどうでもいい、って思っちゃう」

いつもおとなしく、おしゃべりでもないヒルダが熱を帯びた口調で話し込むのに、眠っているシュナを除く3人は驚くとともに、彼女の言葉が心に染み渡るのを感じていた。その思いは自分たちも同じだ、と深く共感していたのだ。

「じゃあ、今度は絶対に忘れなければいい。それができれば、わたしたちの勝ちだ」

イクがきっぱり言い切ると、

「わたしはリアスに喜んでもらいたい。リアスを悲しませるのは、もう絶対に嫌だ」

シーリンの言葉はみんなの思いを代弁したものだった。自分たちのために尽くしてくれた人を裏切りたくない、と強く思っていた。

「だから、考えたんだけどね」

ヒルダが小さな掌を合わせてから仲間の顔を見渡す。

「練習もバイトもしなくちゃいけないのなら、バイトしている間も練習すればいいんじゃないか、って」

思いも寄らぬことを言われた他の3人は目を丸くする。

「えーと、つまり、オニギリを握っている間に歌ったり、ステップを踏んだりする、ってことか?」

「いや、それはちょっとどうかな」

セラとイクが首をかしげていると、

「うん、そういうこともできるかもしれないけど、でも、わたしが言いたいのはちょっと違うんだ。わたしたち、最近は自分たちでオニギリを売りに行くじゃない?」

少し前に、セラがノーザに「何か違うことをやらせてくれ」と頼んだところ、「じゃあ、自分らで売ってきな」と言われたので、最近は5人で売り歩くようになっていた。

「それで、わたし、ちょっと思ったことがあってね」

「どういうこと?」

ヒルダの言葉に興味を引かれたシーリンが身を乗り出す。

「考えてみたら当たり前の話なんだけど、街に出ても、みんながみんな買ってくれるわけじゃないよね? 『この人は買ってくれそうだ』というのをちゃんと見なきゃいけないし、どういう風に言ったら買ってくれるのか、というのも考えないといけない、ってわかったんだ。わたし、最初のうちは全然買ってもらえなかったから、そういうことを考えてみたんだ」

「ああ、そういえば、最近じゃヒルダが一番たくさん売ってたっけ」

セラが頭を搔きながら感心する。仲間が自分よりもよく考えているのに焦る気持ちもあった。

「そうしたら、踊っているときでも少し違って見えたんだ。お客さんの顔がよく見えるようになって、『こうしたら盛り上がってくれるんじゃないか?』っていうのがわかる気がしたの。まあ、予選会でそれが出来なかったのは悔しいんだけど、でも、このやりかたで間違っていないと思うし、本番では絶対にやってみるつもり」

灯りもない暗い建物の中でもヒルダの青い瞳は輝いているように見えた。話を聞き終えたイクは息をついてから、

「なるほどな。やりようはある、ってことなんだろうな」

と腕を組んだ。考えてみれば、自分たちは生まれてずっと逆境に置かれてきた身だった。ベストコンディションなど望むべくもない状況でも何とかここまで来たのだ。それならば、弱音を吐く前にまだできることを探すべきだ、と少女たちは気づいていた。

「わかった。じゃあ、バイトも練習もどっちもやる、ってことにしよう。そこから何かを見つけてもっと上手くなろう。ヒルダがやれたんだ。わたしだってやってやる」

「うん」

「わたしもやってみる」

イクの言葉にセラとシーリンが頷くのと同時に、

「うーん、ごはん」

とシュナが寝言を言ったのでみんなして笑ってしまった。

話し合って心を決めたところで、すぐに目に見えてわかりやすい変化が訪れるはずもない、と少女たちは思っていたが、

(この子たち、変わった)

と、その翌日に練習を見守っていたリアス・アークエットはすぐに気づいた。意識が変われば動きにも現れるものなのだ。そして、

(これならやれそうね)

と、一度の失敗にもめげずにたくましく前を向こうとする教え子たちを誇らしく思っていた。


「よっ、待ってました」

「くまさん亭」の前にできた人だかりの中から誰かが声をかけると、5人の少女はゆっくりと踊り出した。このところ、毎日こうやって食堂の前の路上でライブをやっているのだ。

「ありがとうございます。本当に助かります」

許可を出してくれたノーザに向かって子供たちの様子を見に来たリアスが頭を下げる。

「なーに。うちの宣伝にもなるからね。ウィンウィン、ってやつだよ」

女主人は事も無げに言ったが、彼女が芸人ギルドにかけあって苦労したのもリアスは知っていた。そこまで深い付き合いでもない人間のために親切で動いてくれる人が世の中にいることにリアスは心を動かされていたが、それで言えば他ならぬリアス自身が利益を度外視して子供たちのために動いていた。この世界は案外、損得以外の要素で大きく動いているのかもしれなかった。

「ほう。初めて見るが、大したものだな」

バルバロ医師が髭の間から嘆声を漏らす。

「まあ、そりゃあ『ブランルージュ』に出られるくらいですから」

いくらか自慢げな女主人を街の名医は見やると、

「おかみさんは、大晦日にあの子たちを応援しに行ったりしないのかね? それに、セイジアさんも出ると聞いているが」

「わたしがいなくたって大丈夫ですよ。それにわたしには仕事がありますから。大晦日も正月もお腹を減らした人の相手をしなくちゃいけない」

自分と同じだな、とバルバロは考える。怪我や病気は年末年始などお構いなしに人間に襲い来るのだ。彼も当然休むつもりなどなかった。

「いいよ、ヒルダちゃん。シュナちゃんもいいよ」

「くまさん亭」の料理人のコムが少女たちに大きな声をあげている。ライブの時間になると他の料理人に厨房をまかせて応援に駆けつけていた。

「コム、あんた、すっかりハマってるみたいだね」

ノーザがいくらか呆れ気味に言うと、

「いやあ、おれ、熟女専門だったんですけど、若い子もいいもんだな、って目覚めちゃいました」

この男のストライクゾーンには問題があるようだが、自分の手では治せない、とバルバロ医師はぼんやり考える。

「あ、そうだ。おかみさん、あの子たち、あんなに人気なんだから、ライブだけじゃなくて握手会もやったらどうですか?」

「握手会?」

「そうです。うちのオニギリを買った人だけが握手できる、ってわけです。お米も握って手も握る、っていいアイディアじゃありません?」

答えるのも億劫なのでノーザは大柄な料理人を無視することにした。そうこうしているうちに、少女たちの歌と踊りは佳境に差し掛かっていた。

(とてもよくなった)

リアスの目にも教え子たちの成長は目覚ましく映っていた。何よりのびのびとやれている。テクニックなど小手先の問題ではなく、少女たちの踊りは本質的に人の心を打つ力がある、とコーチである少女は感じていた。そして、本大会ではそれを多くの観客に知らしめるつもりだった。

「なあ、おかみさん」

「なんです?」

バルバロに声をかけられたノーザが訊ねる。

「よくわからんが、この子たちを見ていると、わしはこの先に希望が持てる気がしてきたよ」

それを聞いた女主人も微笑んで、

「そうですね。わたしもそう思います。そう思いたいですね」

そして、少女たちが見事にフィニッシュを決めると、集まった人々が惜しみなく送った拍手と歓声が、年末にしては暖かな陽気の中に響き渡った。






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