第32話 2人の騎士、救出に向かう

郊外に向かって馬を走らせるシーザー・レオンハルトとアリエル・フィッツシモンズは共に人生で最大の焦燥に駆られていた。2人が愛するセイジア・タリウスが毒に侵された上にマフィアに捕らわれたと聞いて冷静でいられるわけがなかった。リアス・アークエットを追いかけていた悪党のうち、かろうじて生きていた一人から聞き出したところでは、マフィアを支配するサンシュは無類の女好きで、少女ガンマンを捕え次第、首都チキの郊外にある別宅まで連れてくるよう言われていたのだという。

(セイさんもそこへ運ばれたに違いない)

アルはそう推理したが、ボスが痴戯に耽るために建てたその別宅が部下の間で「ヤリ屋敷」と呼ばれている、と聞いた瞬間、その男の喉笛を躊躇なくレイピアで切り裂いて絶命させた。これが無用な殺人などとは誰にも言わせない、と少年騎士は冷酷に考える。

青ざめた顔の部下から話を聞いた騎士団長も顔を青く染めると、元部下のニンバスにリアスを騎士団本部まで送り届けた後で、セイの同居人であるリブ・テンヴィーにも連絡を取るよう命じてから、アルとともに馬に飛び乗り、サンシュの屋敷へとまっしぐらに駆け出した。

(くそっ。あいつが危ない目に遭うかもしれない、とわかっていたのに、なんてザマだ)

何かあれば飛び出せる用意はしていたし、実際に今夜セイから知らせが来るとすぐに飛び出した。しかし、それでも彼女を守れなかったのだ。シーザーはおのれを責めずにはいられなかった。

(殺してやる。みんな殺してやるからな)

少年の全身から溢れた殺意が疾走する馬上から夜の闇に溶けていく。さっきの男はほんの手始めだ。マフィアを皆殺しにつもりだった。あの人を汚そうとするやつらがこの世にいていいはずがない。だが、それが何の解決にもなっていない、というのも彼にはわかっていた。愛する女性に何かがあれば取り返しがつかないのだ。薄汚い罪人どもの命をいくら奪おうとも何の救いにはなりはしない。1秒の経過をこれほど苦痛に思ったことはなかった。

2人の優れた技量で王国内でトップレベルの駿馬を操っても、郊外までたどりつくのは時間がかかった。あたりに建物が少なくなり、田畑が多くなってきた。昼間に訪れたなら、田園地帯ののどかな風景に心を和ませることもできたかもしれないが、深夜で視界が悪くなっているうえに、愛する人のことしか頭にない騎士たちに自然を愛でる思いなど持てるはずもない。

「あそこだ」

シーザーの目に広壮な邸宅が映った。屋敷からかすかに明かりが漏れているのが見える。けしからぬ目的のための建築物なので、にぎやかにするわけにもいかないのだろうか。

「突っ込むぞ」

「はい」

2人は速度を上げ、姿勢を低くした。屋敷には当然警備の人間がいるはずだが、それには構わず、女騎士の救出を最優先で行うつもりだった。勢いよく放たれた矢のように、2頭の馬が真っ暗な田舎道を疾駆していく。

「うお」

その足が止まったのは行く手に何者かがいたからだ。シーザーの目の前に血まみれになった男がいた。頭から血を噴いて、おおおおおお、と呻き声を上げながら、蹌踉たる足取りで2人の騎士のそばを通り過ぎていく。地獄からさまよい出した亡者にしか見えない姿に豪胆な2人も呆然としてしまう。

「なんだあれ?」

「さあ」

驚く2人だったが、そんなものに気を取られている場合ではない、と再び馬を走らせようとするが、その後も立て続けに奇妙な連中が行く手に現れる。地べたを這いつくばる者、両手をだらりと下げて泣きわめく者、ああああああ、と白目を剥いて叫ぶ者、まさしく百鬼夜行としか言いようのない光景だ。

「おいおい」

「これってつまり」

シーザーとアルはなんとなく事情を察した。今2人の目の前に現れた連中はセイジア・タリウスにやられたやくざ者たちなのではないか。最強の女騎士にけしからぬ振る舞いをしようとして返り討ちに遭い、この世の地獄を見たのだろう。

「でも、セイさんは薬を打たれて動けないはずなのでは」

「事情はわからんが、とにかく行って確かめよう」

部下の疑問に答えてから、シーザーは「ん?」と首を捻って、

「おまえ、あいつの呼び方、いつから変えたんだ?」

と訊ねた。

「ああ、いや。ご本人から『団長と呼ぶな』と言われたので変えたんです」

顔を赤くしてもじもじしながら答えるアルを見て「女子か」と思いながらも、屋敷の門をくぐる。警備の人間も逃げてしまったのか、たやすく入ることができた。

「おいおい」

「うわあ」

馬から降りて眺めると、この屋敷で恐ろしいことが起きているのはすぐにわかった。ずずん、ずずん、と地響きがするうえに絶え間なく悲鳴が聞こえてくる。中で怪獣だか殺人鬼だか暴れ回っているのではないか。

「中に入りたくねえな」

「何を言ってるんですか。セイさんがいるんですよ」

そう言うアルも逃げ腰なのだから世話はなかった。そこへ突然、どん、と頭上で大きな音がした。見上げると、屋敷の2階の白い壁を突き破って誰かが落ちてくる。しかも、ちょうど2人が立っているところへ落ちてくるではないか。

「うおっ」

「危なっ」

慌てて避けたシーザーとアルの中間付近に男が頭から墜落した。どうやら壁を突き破った時に既に気を失っていたようだが、どうにか生きてはいるらしい。

「あっ」

少年騎士が驚いたのは、その男に見覚えがあったからだ。以前、セイジア・タリウスに挑戦した「影」という刺客だ。一流といっていい強さの持ち主だが、完全に伸びてしまっている。

「こいつ、まだ生きていたのか」

シーザーが呆れる。

「というより、この男もセイさんの拉致に一枚噛んでいた、ってことじゃないですか?」

もし「影」に意識があったらアルの指摘を聞いて「誤解だ」と全力で弁解しただろうが、

「どうしようもねえ悪党だな。いい機会だから始末しておくか?」

「んー、でも、セイさんがわざわざ助けたやつですからねえ」

しばらく思案してから、シーザーは槍の石突で「影」を余分に叩きのめし、アルはレイピアで「影」を余分に切り裂き、気が済んだところで、2人で一緒に屋敷の外へと蹴り飛ばした。

「まあ、殺してないからあれでいいだろ」

「そうですね。殺してはいませんから」

ははははは、と笑い合う2人の騎士。こうして「影」の怪我の全治は大幅に延びることになってしまったのだった。と、そのとき、どかーん、と頭上で大音響が響くと、またもや2階の壁に穴が開いて、今度は太った男が飛び出したのが見えた。夜空の向こうへと高々と打ち上げられた男の姿はあっという間に小さくなり、そして消えた。

「うひゃあ」

悪人とはいえ悲惨だな、とシーザーは飛んでいった人間の身を少しだけ案じた。その正体がマフィアの首領サンシュであるとはもちろん知らない。があああああああ、と屋敷の中から聞こえてくる叫び声にアルが「どうしてこんな場所に狼が?」と困惑しているところへ、突然屋根が崩れ落ちてきた。モダンなデザインで金をふんだんにかけて築かれた屋敷もセイジア・タリウスの暴走には耐えきれなかったのだ。ごごごごご、と地鳴りがして、壁は縦横にひび割れしている。じきに全壊するものと予想された。

「おい、まずいぞ、これは」

「セイさんを助けないと」

中にはまだ女騎士がいるはずなのだ。慌てた2人の騎士が屋敷に突入しようとしたそのとき、さっき壁に2つの大きな穴が開いた2階の部屋がまるごと崩れ落ちた。

「あっ」

落下する無数の破片の中にセイの姿があるのをアルは見つけていた。気を失っているのか、まるで力が感じられない。このままでは建物の崩壊に巻き込まれてしまう。

「セイさん!」

助けなければ、という思いが少年騎士にいつも以上の力を出させていた。120%の速さで駆け寄り、120%の力で跳躍し、金髪の女騎士の身体を抱きかかえようとすると、

「セイ!」

ほぼ同時に青年も彼女の身体を抱いていた。アルもそうであったように、セイの危機を見過ごすシーザーではない。そして、容赦なく降り注ぐ瓦礫の雨から3人で脱出する。庭に着地したのと同時に、屋敷全体が潰れ去り、土煙がもうもうと上がった。まさしく間一髪だ。

「ふうっ」

「危なかったー」

セイの身体の右半身をアルが抱き、左半身をシーザーが抱く格好になっていた。

「すやぁ」

さっきまで生命の危機にあったとも知らず、女騎士はぐっすり眠りこけていた。

「こいつ、人の気も知らないで」

「でも、よかった。何事もなさそうで」

恋する女子の無事を2人の騎士は心から喜んでいた。

「しかし、毒を盛られたなら、早く医者に診せた方がいい。帰るぞ」

「そうですね。すぐに戻りましょう」

と答えたアルをシーザーが睨みつける。

「なんですか。メンチ切らないでくださいよ」

「わかってねえなあ、おまえも。今すぐセイを連れてかなきゃいけねえんだぞ」

「そうですよ。だから、戻りましょう、って言ってるじゃないですか」

「だったら、セイから手を離せ、っつーんだよ。おれが運んでいくから」

「何を言ってるんですか。セイさんはぼくが運びます。あなたのような乱暴な人間には任せられません」

「とか言って、どさくさにまぎれて、やらしいことでもするつもりなんだろ? おまえはムッツリだからな」

「馬鹿なことを言わないでください! ぼくがムッツリなら、あなたはハッキリとしたスケベじゃないですか」

「誰がハッキリスケベだ!」

美しい騎士を間に挟んだまま不毛な言い争いを続ける2人だったが、そこへ、

「ひえーっ。これは一体どうなってるんですか?」

ニンバスが現れた。全壊したばかりの豪邸を見てあんぐりと口を開けている。

「おお、どうした。ニンバス」

「これはレオンハルト団長。ご命令通りにリアスさんを本部に送り届けてから、リブ・テンヴィーさんにもお知らせした、とお伝えに上がりました。リブさんも大変心配されたご様子だったので、本部にお連れしておきましたが、大丈夫だったでしょうか?」

「ああ、いや。それはよくやってくれた。姐御もいてくれた方がいいだろうからな」

騎士団長は少し考えて、

「ニンバス、お前、馬車でここまで来たんだよな?」

と訊ねる。

「ええ。夜通し駆けまわって大変ですが」

「大変ついでにもう一つ頼みたいんだが、こいつも本部まで乗せていってくれないか?」

と言いながら、腕の中の女騎士を見せると生真面目な元騎士は大いに驚く。

「タリウス団長? ご無事なのですか?」

「一応大丈夫だとは思うが、それでも医者に診てもらいたいんだ」

「わかりました。わたしの命に代えてもタリウス団長を本部までお送りいたします」

礼をしてからニンバスは引き返していく。馬車をここまで走らせてくるつもりなのだろう。シーザーがアルに向かって苦笑いを浮かべる。

「こういうことならお前も納得だろ?」

「はあ、そうですね。仕方ありません」

渋々、と言った様子で少年は頷く。どちらが女騎士を運ぶか、という争いは、どちらも運ばない、という痛み分けで決着がついたわけである。かくして、セイジア・タリウスは大ピンチから逃れることに成功したのであった。

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