第30話 拳銃使い、囲まれる

「ご苦労だったな」

矢が飛んできた方向から身体の大きな男が歩いてきた。下卑た顔をしていて手が長いせいで南方に生息している類人猿に似ているように思える。その後ろでは、10人を下らないやくざ者が控えていて、いかにも狡猾そうな小男が、けけけ、と笑いながらボウガンを手にしている。それでサッカを射殺したのだろう。

リアスが振り返ると、そこにも大勢のチンピラがいて、にやついて彼女を見ていた。完全に包囲されていた。

「この男は『ブランルージュ』について何も知らないって言ってたけど」

「だろうな。あれはうちの親分が仕切っている。裏切り者なんぞに手は出せない」

いけしゃあしゃあとオランウータンは言ってのける。やはり、サッカたちを倒すために自分は利用されたのだ。腹立たしかったが、それ以上に問題なのは、今自分が囲まれていることだった。感情的になっている場合ではない。

「それで、こんな遅くに大勢集まって何のご用かしら?」

「せっかくあんたひとりで頑張ってくれたんでね。親分が2人きりで逢いたいと仰せだ。もちろん、嫌とは言わないだろ?」

子分たちの笑い声で工廠の跡地がどよもす。美しい拳銃使いを捕まえるために数十人ものやくざ者を揃えた、というわけらしかった。いつもの少女なら立ち向かうことも可能だが、今は傷つき疲れ果てていて、何より手持ちの武器がない。

「わかった。そちらにお伺いすることにするわ」

「ほう。意外と素直だな」

「無駄な抵抗はしない主義なのよ」

リアスの言ったことは本心から出たものだった。

「かなわない、と思ったらすぐに逃げろ。逃げるのが無理ならとりあえず降参してチャンスを待て」

というのがノジオ・Aの教えだ。決して諦めたわけではない。チャンスが来た時のために体力と精神力を温存するのが得策だと考えていた。

(まあ、チャンスが来るまでに無事で済めばいいんだけど)

リアスが危惧していたのは、マフィアのボスであるサンシュのことだ。あの小太りの男と事務所で向かい合ったときに、小さくくぼんだ目に彼女への劣情が燃えていたのを感じ取っていた。イーオ郊外の診療所で若い医者に襲われて以来、少女は男の欲望に敏感にならざるを得なかった。今もやくざ者たちが自分をいやらしい目つきで見ているのはしっかりわかっている。ただし、リアスの意図しないことだったが、今身に着けている黒いスーツはボディラインを浮きだたせていて、悪党どもの色欲を否が応にもかき立てる効果を持ってしまっていた。

「女は聞き分けがいいのが一番だ」

と言いながら大猿がリアスに近づいてきた。

「とりあえず、そのふざけたお面を取ってもらおう」

そう言うなり分厚い右手が少女の黒い覆面を剥ぎ取る。まっすぐで長い黒髪が夜風になびき、美貌がさらされると、男は口笛を吹き、やくざ者たちはどよめいた。想像以上の上玉を親分に献上することになりそうだ。

(今に見てらっしゃい)

リアスの中で反発心が渦巻く。サンシュにどのような目に遭わされるかわからない。貞操を散らされる恐れも大いにある。だが、たとえどうなろうと、自分を陥れた連中に相応の報いを受けさせることに決めていた。生きてさえいれば必ず機会はめぐってくる。そう信じる美しい拳銃使いの左頬を、ゴリラによく似た男がいきなり張り飛ばした。目の前に星が飛び散り、口の中に血の味が広がる。

「ちょっと、兄貴、親分のところに連れてくるまでに傷物にしたらまずいですよ」

ボウガンを持った小男が慌てて注意するが、

「この女、まだ諦めてないようだからな。心を折っておかないと、親分に迷惑がかかる」

大義名分らしきことを口にしてはいるが、猿人の目が暗い喜びで満ちているのを少女は見逃さない。

(サディストめ)

上目遣いで睨みつけながら、ぺっ、と血の混じった唾を石ころだらけの地面に吐いたのが、男の機嫌を損ねたようだ。

「こっちもやっておくか」

バランス感覚を働かせたつもりなのか、今度は右の頬を殴りつけようと手を振り上げ、衝撃に備えるべく身を固くしたリアスの後方から突然何者かがやってくる気配があった。

「あん?」

猿に似た男が顔を上げると、何かが猛烈な勢いで自分の方へ飛んでくるのが見えた。見えた、と思った次の瞬間、頭部に強烈な打撃を見舞われ、男は後方へと吹っ飛ばされる。何人かの子分が巻き添えになり、巨体もろとも団子のようになって遠方へと転がっていく。

「悪いな。手加減できなかった」

その声には、静かでありながら熱く燃える炎のような熱さが秘められていた。

「だが、わたしのリアスを殴りつけたのは万死に値する所業だ。命があるだけありがたいと思え」

セイジア・タリウスがリアス・アークエットの横に立っていた。青い瞳が強く輝くのを男たちが、そしてすぐ隣の拳銃使いも呆然として見つめるしかない。ちなみに、女騎士の飛び蹴りを食らった男は頭部と首の骨に深刻なダメージを受け、この夜を最後に日常生活も満足に送れなくなるのだが、差し当たってこの物語においては些末な出来事である。

「あなた、どうして」

ようやく口を開いたリアスに、

「文句はおやじさんに言うんだな」

「え?」

「あの人がわたしに知らせてくれたんだ」

少女は「テイク・ファイブ」の店長に、サッカのアジトへ行くとは一言も言ってなかったが、ベックは娘のただならぬ様子に何かを感じて、リブ・テンヴィーの家まで知らせに来たのだ。

「探すのは骨が折れたが、どうにか間に合った、ってところかな」

セイはそう言って年下の少女ガンマンに微笑みかけたが、自分たちを囲むやくざ者たちから殺気が立ち上っていくのを感じていた。リーダーがやられたショックから立ち直った連中は、

「あれは、セイジア・タリウスじゃないか」

「金色の戦乙女だ」

と口々に言って、そして邪悪な思いを共有する。拳銃使いと女騎士を共にとりこにしてサンシュのもとに連れていくのだ。そうすればかなりのお手柄になるに違いなかった。アステラ王国を救った英雄とはいえ、数十人もの暴力のプロに囲まれては多勢に無勢だ、という見込みが男たちを強気にさせていた。

「なんか嫌な感じだ」

セイはヤクザ者たちの邪念に悪寒が走るのを感じる。自分一人ならどうとでもなるが、今はとにかくリアスを救わなければならない。疲労の極みにあるお気に入りの少女をここから脱出させるのが何よりの優先事項だ。

「走れるか、リアス?」

「ええ」

青い瞳と黒い瞳が一瞬だけ見つめ合うと、2人は駆け出した。一気に包囲の輪から抜け出すつもりだったが、

「あっ」

リアスが転んでしまう。急に左足に力が入らなくなったのだ。昔の傷に文字通り足を引っ張られてしまう格好になる。

「大丈夫か」

助け起こそうとするセイは、倒れた少女めがけて何かが飛来するのを感じ、咄嗟に右手で受け止めた。

「うっ」

痛みはなかった。というよりも、何も感じなかった。細い針が突き立った掌の中央から感覚が失われていき、指先もしびれてきた。

(毒か)

思わず舌打ちするが、また針が飛んで切るのを感じて、リアスの身体に覆いかぶさり、背中で受けとめる。4、5本刺さった、と感じた直後に、今度は体全体の感覚が失われていくのを覚えた。

(そんな。わたしをかばって)

セイの身体の下になったリアスは悲鳴を上げそうになるが、その代わりに、ぎゃはははは、と男たちが爆笑した。

「ざまあねえな、英雄さんよ」

「今、あんたが食らったのは南方渡来の眠り薬だ。どんな猛獣だってイチコロなのに、あんた、何発食らったよ?」

勝ち誇った馬鹿笑いを聞いて、リアスは涙がこぼれそうになる。こんなことは望んでいない。自分の代わりに誰かに犠牲になってほしいなどと望んだことはない。それなのに、よりによって、ひどいことばかりを言ってきた人が身を呈して自分を守ってくれている。

「もう終わりだ」

勝利を確信した男たちが輪を狭め、女騎士の身体に手を伸ばした瞬間、突如として荒れ狂う疾風が悪党どもの顔面をとらえた。ある者は顎を砕かれ、ある者は鼻をめりこませ、ある者は眼窩をえぐられる。無造作に振られたセイの裏拳が最前列にいたやくざ者たちの顔を破壊したのだ。それまでの態度は何処へやら、男たちは悲鳴を上げて立ちすくむ。

「確かにわたしは終わりかもしれない」

弱々しいが、それでも威厳のある声が夜の郊外に響く。

「だが、それならば、おまえたちにも終わってもらおう」

凄愴さを漂わせる青ざめた顔で、女騎士は衆を恃んだ卑劣な輩を睨みつけた。その瞳は煉獄の炎のように冷たく激しく燃え盛る。「ひいい」と、たったひとりの騎士に脅えた連中は、負け犬のごとく吠えて遠くへと後退った。

「今だ」

と言うなり、セイはリアスを横抱きにして駆け出した。包囲をあっさりと突破すると、闇の中をただひたすらに進んでいく。だいぶ遅れてから、「追えーっ!」と後ろから声が響いた。サンシュの子分どもは2人を諦めてはいないようだ。

「ねえ、大丈夫?」

そう問いかけながら、セイを見上げたリアスの表情が固まる。女騎士の顔にはいつものような力強さがまるでない。猛毒が彼女を確実に蝕んでいる、とわかって、拳銃使いの目から涙がこぼれる。自分はとんでもないことをしてしまったのだ。

「なんだ、リアス、泣くなよ。きみのことは必ず助けるから」

逆境にありながらも、セイは自分よりも少女を思いやっていた。そして、

「こうしなければいけない気がしていた」

と小さな声でつぶやいた。

「えっ?」

「リアスの代わりにわたしが傷つくしかない、という気がしてたんだ。たぶん、きみはこれまでたくさんつらい思いをして、たくさん傷ついてきたんだと思う。だから、わたしはこれ以上きみに傷ついてほしくない、と思ったんだ。もちろん、わたしも好き好んで傷つきたいわけじゃないが、リアスのためなら傷ついてもいい。リアスになら傷つけられてもいい。そんな気がしたんだ」

女騎士の腕の中で少女は泣きじゃくっていた。

(わたし、なんて馬鹿なんだろう)

どうしてこの人の好意を素直に受け取れなかったのだろう。こんなことになるまで気づかなかった、意固地になっていた自分がどうしようもなく愚かだとようやくわかったのだ。

「ごめんなさい。ごめんなさい、セイ」

首に回された腕に力がこもるのを感じて、女騎士の心は喜びに満ちる。

「やっと名前を呼んでくれたね。リアス」

しかし、そこで彼女の足はもつれ、2人は一緒に転んでしまう。毒が足にまで及んできたのだ。だが、セイはそれでも不敵に笑ってみせる。

「どうにか間に合った」

身体の下にある道は舗装されている。表通りに出たのだ。そして、馬車が前方から近づくのが見えた。ふらふらしながらも立ち上がると、手を挙げて馬車を止める。

「夜分遅くすまない。ちょっと助けてほしいんだが」

と呼びかけると、

「タリウス団長?」

と精悍な顔立ちの御者が驚くのが見えた。

「なんだ、わたしと前に会ったことがあるか?」

「いえ」

御者は座ったまま敬礼すると、

「わたしはニンバスと申す者です。以前黒獅子騎士団に所属してましたが、現在は辞めて人を運ぶ仕事をしています。所属は異なりますが、タリウス団長の戦いぶりを何度か目にして、大いに励まされました。違う仕事をしている今でも心の支えにしています」

「そうか」

セイは満足げに頷いた。

(アルはちゃんと言った通りにやってくれてるみたいだ)

騎士団の再編に伴い、多くの騎士がリストラされたが、その再就職の世話をアリエル・フィッツシモンズに頼んでいたのだ。

「ニンバス、突然で悪いのだが、この人を騎士団の本部に連れて行ってくれないか。悪党に追われているんだ。全速力で頼む」

「えっ?」

女騎士のすぐ隣にいたリアスは驚くが、

「あなたはどうするんですか?」

ニンバスも驚きを隠さずに訊ねた。尊敬する女騎士はいつになく弱々しく、明らかに異常だったのだ。

「まだ野暮用があるのでな」

にっ、と笑ってみせる。いつも戦場で敗勢が色濃くあるときに見せた笑顔だ。敗北を目の前にしても、彼女はいつだって勝利を信じて戦ってきたのだ。

「さあ、リアス、早く乗るんだ」

「だめよ。あなたも一緒でないと」

「わたしは行けない」

そう言った女騎士の耳に、何頭もの馬が近づいてくるのが聞こえた。ヤクザどもが準備していたのだろう。本気で拳銃使いを捕えようとする用意周到さは褒めてやるべきかもしれなかった。一緒に馬車に乗ってしまうと、あいつらを止めることはできない、と女騎士は即座に覚悟を決めていた。自分はどうなろうと、少女を守るつもりだった。嫌がるリアスの細い身体を無理矢理荷台へと押し込む。いつもならどうということもない作業が、弱った身体にはひどくこたえる。

「リアス、いい子だから早く行ってくれ」

「いや。いやよ、セイ。だめよ、そんなの」

「いいから行くんだ。行け!」

女騎士が叫ぶのと同時に馬車は勢いよく走り出した。荷台の後方から身を乗り出したリアスの目に、迫り来る馬群へと一人立ち向かうセイの姿が映り、すぐに見えなくなった。

「そんな」

少女は涙をこらえることができない。薬で弱らされたセイにあの状況から逃れる術などありそうもなかった。気丈な娘の心が深い絶望へと沈んでいく。

「しっかりつかまってください」

御者は力強い声で呼びかける。他ならぬ「金色の戦乙女」の頼みだ。元騎士としてはどうしてもやりとげなくてはならない。

市街を死に物狂いで疾走する馬車に、横道から突如現れた2頭の馬が追いすがる。マフィアの別動隊だ。ヒャッハー、と叫びながら、ニンバスに剣で切りかかるが、ぴしゃり、と乗馬鞭で顔を一撃されて、あえなく落馬する。もう一頭の馬に乗った男にリアスは荷台に転がっていた物干し竿で応戦する。やたらに振り回すのではなく、銃剣術の要領で立ち向かう。

「やあっ!」

鋭い突きが男の喉笛に命中し、悪漢は高々と宙を舞い、路面に叩きつけられる。

「嘘」

安心したのも束の間、さらに何頭もの馬が追跡してくるのが見えてリアスは愕然とする。自分を捕えるために何人投入しようというのか。あの男、サンシュの執念を思い身震いするが、すぐに気持ちを立て直す。ここでへこたれてはセイに合わせる顔がない。

(ちくしょう、まだか)

騎士団の本部まではまだ距離がある。御者は焦るがこれ以上馬に無理をさせることもできない。すぐ横にやくざ者がまたがった馬が近づいてきた。器用にも手を離したまま騎乗し、その手にはボウガンが構えられている。鞭の届かない距離から攻撃するつもりだ、とわかった元騎士が諦めかけたそのとき、どお、と轟音と共に長大な物が悪党の顔面を直撃し、馬上からその姿を消失させる。

「えっ?」

リアスの目の前で白い稲妻が閃いた。馬から荷台に取り付こうとしていたヤクザの掌が腕から切り離され、血しぶきを上げて男は地へと落ちる。荷台をつかんだままぴくぴく震える掌を少女は「きも」といいながら竿で剥がして落とす。

「は?」

槍を持った騎士とレイピアを手にした騎士が突っ込んでくるのを見た賊は呆然自失となる。絶対的な優勢にあったはずの集団が、たった2人に瞬く間に蹂躙されていく。逃走を図ろうにも、これまでの悪行を反省しようにも、強敵を前にして絶望しようにも、そんな余裕は一切与えられないまま、高揚した気分のままで肉体を粉々に砕かれ、外道がたどりつくべき永遠の虚無へと転落していった。騎士たちの出現から1分もかからないうちに、サンシュの子分たちは物言わぬ肉塊に成り果てていた。

「そんな。まさか、あなたは」

御者は馬車を止めると路上に降り立ち、2人の騎士を見上げた。

「久しぶりだな、ニンバス」

シーザー・レオンハルトが兜を脱ぎながら馬上から笑いかける。

「わたしをお覚えでしたか、レオンハルト団長」

「共に戦った同志の顔を忘れるものか」

かつて騎士だった御者の胸は感動で満たされる。上官が自分を覚えてくれていたこと、そしてセイジア・タリウスの頼みをどうにか成し遂げた喜びがとめどなく湧いてくる。

「お怪我はありませんか?」

荷台のリアスに呼びかけたのはアリエル・フィッツシモンズだ。ついさっき、レイピアで何人ものやくざ者を地獄送りにしたとは思えないまぶしい笑顔に少女は戸惑う。

少女と御者の2人を救ったのは、この場にいないセイジア・タリウスのはたらきによるものだった。

(わたし一人で大丈夫だと思うが、念のためだ)

以前、「一人で何でもしようとするな」とシーザーとアルに注意されたのを思い出して、ベックに騎士団の本部にも連絡に行ってもらったのだ。

「おい、セイはどうしたんだ?」

シーザーが元部下に訊ねる。セイジア・タリウスからの使いだ、と本部にやってきた老人から聞いて、彼とアルは急いで駆け付けたのだ。「あっ」とニンバスは大きな声を上げて、

「そうです。大変なんです。レオンハルト団長。タリウス団長が危ないんです」

「なんだと?」

「どういうことなんです?」

驚いてニンバスを問い質そうとしたシーザーとアルの目の前に少女が割り込んできた。美しい娘がぼろぼろ涙をこぼしながら騎士たちに懇願する。

「お願い。セイを助けて」

打ち萎れた少女の姿に3人の男は声を失う。そして、リアスは叫んだ。

「セイを助けて!」





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