第20話 少女が拳銃使いになるまで(その2)

座長の予感が的中したのか、それからアークエット一座は順調な道のりをたどった。リアスとロザリーの歌と踊りが評判を呼び、「うちの町にも来てくれ」と依頼が来る、という今までにないことまで起こった。モクジュ諸侯国連邦の北部を旅していた一行は首都ボイジアを目指して一躍南下することを決めた。その行く先々でも多くの客を集めていたが、思いがけない問題も起こっていた。

「どうにかなんねえのかなあ」

公演を終えて、夜の野外で食事をしているとトマがぼやいた。

「何をぶーたれてるんだ」

大男の割に敏捷で力業も軽業もこなすクリフが訊ねると、

「なんでか知らねえが、おれの出番になると、最近客がブーイングするようになっただろ? あれ、結構つらいんだわ」

言われてみると、確かに近頃そのような光景をよく目にするのにクリフも思い当たった。トマのナイフ投げは天下一品で、狙いを外したところなど見たこともないのに、どういうことなのだろうか、と首を捻っていると、

「それはきっと的のせいね」

ロザリーが笑った。

「的だって?」

「そうよ、クリフ。ナイフ投げの的がかわいすぎるのがいけないのよ」

と言って、すぐ横に座ったリアスの頭を撫でた。鶏のもも肉にかぶりつくのに夢中だった少女は顔を上げて目を丸くする。小男のナイフ投げの標的はリアスが担当していて、少女の身体すれすれにナイフがいくつも飛んでいき、最後は頭に乗ったリンゴに命中させる、という流れになっていた。

「ははは。なるほどな。トマがしくじってリアスが怪我するのをみんな心配している、というわけか」

座長が豪快に笑ったが、

「いや、おれが失敗なんかしないってのは、座長もわかってるじゃないですか。そんなのってないですよ」

「そうは言っても、お客はおまえの腕を知らんのだからな。どうしようもないじゃないか」

そんな、と抗議をあっさりと却下されたトマは落ち込んでしまう。

「じゃあ、わたしが代わろうか?」

ロザリーが立候補したが、

「あのなあ、小さい女の子が狙われるからみんなハラハラするんじゃないか。おまえみたいに鶏ガラよりもガリガリな女が的になったって、誰もハラハラしねえんだよ」

まあ、失礼ね、と踊り子が憤慨するより先に、クリフの大きな拳がトマの頭を殴りつけた。

「痛えな。なんでおまえが殴るんだよ、クリ」

言い切る前に、今度はペロがナイフ使いの頭を、ぽこっ、と殴っていた。ピエロの扮装でパントマイムをする物静かな男だが、時々こうやってふざけることもあった。

「おまえまで殴るんじゃねえよ」

どっと笑いが湧き起こる。その輪にリアスも加わっていた。

(みんなといると、たのしい)

いつ頃からか、そう思えるようになっていた。自然に笑えるようになっていた。そんな少女の変化をいつもそばにいるロザリーは心から嬉しく思っていたのだった。


「ねえねえ、ロザリー、寝てるの?」

リアスが同じ毛布にくるまった踊り子に小さな声で話しかける。もう既に火は消され、みんなは寝ているようだった。もう春なので屋外で寝ていてもさほど寒くはない。

「もう寝たわ」

ということは起きているのだ。おかしくなって笑うと、少女の身体にくっついている柔らかでほっそりした肢体も震えだした。ロザリーも笑っているのだ。

「だめでしょ、リアス。もう寝なさい。明日も早いのよ」

笑い声で注意されても少女に眠気は一向に訪れる様子はない。今夜生まれた好奇心は今夜のうちに解決しておきたかった。

「あのね、クリフってロザリーのこと、好きだよね?」

ぴた、と踊り子の動きが止まり、顔の向きを変えて少女の顔を見つめる。

「あら、あなた、意外とおませさんなのね。そういうことが気になるお年頃なのかしら?」

「だって、見てればわかるもの。ロザリーを見るクリフの目はすごく優しいから」

それはロザリーも気づいていることだった。大男が自分に寄せている好意は仲間としてのものを明らかに超えていた。

「ねえ、クリフと結婚するの?」

そう言ってはみたが、リアスは「結婚」の意味するところをよく知らない。ただ単に、愛し合っている男と女が結ばれることだと思っていて、なんとなく明るいものであるかのように思い込んでいるだけであった。少女の問いかけに踊り子は「ふふふ」と笑って、

「しない」

とだけ答えた。

「どうして? クリフのことが嫌いなの?」

「好きよ。クリフはとてもいい人よ。でも、結婚するつもりはないわ」

意味が分からなかった。好きなのに、いい人だと思っているのに、どうして結婚しないのか。不思議に思って何度も質問したが答えはなく、

「いい子だからもう寝ましょうね」

と抱きしめられて、甘い香りに包まれているうちに、いつのまにか寝てしまっていた。翌朝起きた時にはなんとなくごまかされた気分になっていたが、その件に関してロザリーに訊ねることは二度となかった。


アークエット一座に入って旅しているうちに、リアスは仲間がそれぞれ抱えている事情をいつしか知るようになっていた。かつて行商人をしていた座長が、戦争で妻と子に死に別れてから芸人に転向したこと、トマが昔ヤクザだったこと(座長に言わせればヤクザに憧れる一般人だったそうだが)、ペロが監獄に入っていたこと、クリフが軍隊を脱走して故郷に戻れなくなったこと、そういったことを知っていた。そして、ロザリーが芸人になった理由を知ったのは、ある日の旅の途中のことだった。

「ロザリーはおれらと違うからな」

馬車に揺られながらトマがつぶやいた。客車の中に座長とロザリーの姿はない。次の町まで先に行って用事を済ませているらしい。

「違うってどういうこと?」

リアスに訊かれてトマとクリフは顔を見合わせたが、意を決してナイフ使いは口を開く。

「おまえだってそうだが、おれたちはこうやって芸人として生きていくしかない人間だ。でも、あいつは本当だったらそんなことをしなくてもよかったはずなんだ」

「おい、トマ。相手は子供だぞ」

クリフが諫めたのは、リアスに配慮した、というよりも好きな相手の身の上話を聞きたくない気持ちの方が大きかったのかもしれない。

「いいだろ。おれらは仲間なんだ。リアスにだって聞く権利はある」

トマの言葉に少女は頷いた。

「うん。聞きたい」

それから語られたのは以下のような話だった。裕福な家庭に生まれ育ったロザリーは、幼少の時から習っていたバレエの才能を評価され、ヴィキン女王国の名門学校に入り、バレリーナとして将来を嘱望されていたのだが、妻子ある男性と恋に落ち、駆け落ち同然で学校を飛び出したのだという。

「それがどうして、こんな旅芸人の一座にいるのかは知らんが、上手く行かなかったのは間違いないんだろうな」

トマはそう言って苦い顔になる。まるで自分が失敗したかのようだ。話を聞いてもリアスには自分を可愛がってくれる踊り子のことがよくわからなかった。ただ、大人の世界の複雑さを垣間見た気分にはなっていた。


偶然とは重なるものらしく、その日の夜もロザリーの過去が話題に上ることとなった。

「リアスをちゃんとした劇団に入れてあげたいの」

ロザリーが食事の席で突然言い出したので、リアスは驚いてしまった。他のメンバーも同じだった。いや、座長だけは複雑な表情をしているので、事前に知っていたのだと見える。

「それはまたいきなりだね」

クリフが驚きを和らげるかのように笑ってみせたが、

「言ったのはいきなりだけど、ずっと考えてたの。この子の才能は本物よ。だから、もっと大きな場所で勝負させてあげたい、って」

「ロザリーからは前々から相談されてたんだ」

座長が話を引き取る。

「リアスはすっかりうちの人気者になってるし、抜けられるのは痛いが、だが、上手く成功してくれれば、わがアークエット一座からスターが生まれた、ってことになるから悪くない話なのではないかな、と思うのだが」

男の口ぶりには動揺が見られ、気持ちの整理がついていないように感じられた。それがトマの気持ちを余計に逆撫でる。

「ずいぶん身勝手な言い分じゃねえか」

「身勝手、ってどういうこと?」

聞き返したロザリーをナイフ使いは睨み返す。

「情けねえ話だが、リアスは今やうちの稼ぎ頭だ。それがいなくなって困らないわけがないし、あんたの言った『ちゃんとした劇団』というのも気に食わねえ。まるでうちがちゃんとしていないみたいじゃねえか」

確かに失言だと思ったのか、踊り子も反論できない。

「だいたい、それもこれもあんたのわがままじゃないのか? 本当だったら一流のダンサーとして成功していたはず、って夢を諦められなくて、それをリアスに押し付けてるんじゃないのか?」

「おい、トマ。いい加減にしろ」

クリフが激昂して立ち上がるが、

「いいのよ、クリフ」

ロザリーが静かな声で止める。息を整えてから、

「確かにトマの言う通りかもしれない。正直に言うと、学校に残ってバレリーナになりたかった、って今でも思うし、未練がない、って言えば嘘になっちゃう。でもね、あの時はああするしかなかったの。それが正しかったのかはわからないけどね。どっちを選んでも後悔したはずだから、神様も意地悪なことするなあ、ってたまに思うんだけど」

よく光る眼であたりを見渡すと、

「でも、わたしがそう考えたのはリアスのことを一番に思ったからなのよ。それは間違いないわ。だって、わたしはもうこの子には教えられるだけのことは全部教えちゃったから、これ以上上手くしようがないの。それにね、このままこの一座にいるよりは、もっと可能性のある場所に行った方がいいわ、絶対」

小男を見つめて、

「ねえ、トマ。これから大人になっていくリアスにあなたは何がしてあげられるの? トマだけじゃないわ。わたしにだって、この子にしてあげられることって、たぶんもうないのよ。この子のためを思えば、広い舞台に送り出すべきなのよ」

ほっそりした身体の何処にこんな熱い心が隠れていたのか、と男たちは呆然とするしかなかった。ロザリーがリアスを真剣に思っていることが痛いほど伝わってきて、言葉を返すことができない。だが、

「やだ、やだよ」

少女は泣きそうになって踊り子に抱き着いた。

「やだよ。ロザリーと離れるなんてやだ。みんなと別れるなんてやだよ」

ロザリーの胸に顔をうずめて涙を流すリアスを見て、芸人たちは胸が熱くなるのを感じた。自分たちを仲間だと、いや家族だと思ってくれているのが伝わってきたのだ。

「ごめんなさい。驚かせてしまったのね。でも、これもあなたのためなのよ。わかってちょうだい」

頭をなでられても少女の泣き声は止まらなかった。それを見た座長がとりなすように言う。

「まあ、今すぐ、という話じゃない。首都に着いてから、わしの心当たりに相談することになってるんだ。だから、まだ時間はある。それまでじっくり考えようじゃないか」

それでこの件はひとまず保留ということになった。この夜は珍しく揉めたにしても、その後の一座の旅路にはさしたる混乱もなく、すべては上手く行っているかのように見えた。だが、後になってリアスは思うようになる。あのときは、あまりに上手く行きすぎていたのだ、と。

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