第16話 歌姫、気まぐれを起こす
ステージの上では大勢の少年たちが踊っていた。一糸乱れぬ見事なもので、相当なレッスンをこなしてきたものとうかがえた。そして、彼らをバックにして金ぴかの衣装を身に着けた3人の青年が歌っている。マズカ帝国で人気を博しているヴォーカルユニット「グウィドラ」のトニー、チャド、カネロだ。彫りの深い濃い顔立ちの彼らが声を張って歌い上げているのに、観客席最前列の貴婦人たちはうっとりしてしまう。
(すごい)
後方で立ち見をしていたユリ・エドガーも彼らのパフォーマンスに圧倒されていた。今、彼女がいるのはある男爵が所有している私設の劇場である。多くの芸能人のパトロンとなっている男爵は、とうとう自らの邸宅の中にまで劇場を作ってしまったのだ。この男爵と「デイリーアステラ」の社主が懇意にしていたことから、ユリと彼女の上司のチェ・リベラは今夜公演にもぐりこめたのである。「グウィドラ」はアステラ王国にやってくるなり、たちまち人気者となって、早くも「追っかけ」まで登場しているというが、こうして生で観れば、追いかけたくなるのも納得できる、とさほど美少年に興味のないユリでも思わざるを得なかった。どちらかと言えば、男らしい武骨なタイプの方が彼女の好みだった。一方、美少年に目のないリベラは当然「グウィドラ」に目を奪われているようで、この劇場に来る前に、
「10年に1人の人材が3人揃っている」
と彼が話していたのを耳にした少女記者は「チェさんもお気に入りみたいだ」と思っていたが、そのわりには上司が何処か浮かない顔をしているのを気にしていると、ぽんぽん、と肩を叩かれた。「え?」と思いながら振り返ると、頭からフードをかぶった小柄な人影が見えた。貴族の屋敷で知り合いに出くわすとも思えないので、誰なのか、と思っていると、
「ばあ」
と言いながら、フードが外された。灰色の髪を巻いた赤い目をした美少女の顔があらわになる。マズカからやってきた歌姫アゲハだ。いや、「美少女」ではないのを先日の取材で知っていたユリは「ひい」と叫ぶのを必死でこらえ、その様子を見たアゲハも笑いそうになるのをこらえた。歌姫はもういちどちびっこ記者の肩に手を置くと、「またね」と甘く蠱惑的な声を耳元で囁いて、それこそ蝶が舞い飛ぶかのように出口から姿を消した。
「どうかした?」
アゲハの後ろ姿を見送ったまま固まっている部下をリベラが心配したが、妙なものを握らされた衝撃からいまだに立ち直れていないユリは「あわわわわ」と震えるのをしばらく止められなかった。
「うろちょろするんじゃない」
廊下に戻ってきたアゲハを薄いサングラスを付けたオールバックのいかつい男が叱るが、
「はーい」
と「少女」はどこ吹く風で、まるでこたえた様子は見えない。
「だってさー、あいさつばっかりでつまんないんだもん」
ぶー、と不平を漏らす歌姫を、
「それもおまえの仕事のうちだ」
男は突き放す。甘い顔を見せるとアゲハはどこまでもつけあがるのを、ダキラ・ケッダーは熟知していた。
「それはわかってるけど、それにしても、この国ってろくなやつがいなくない?」
頭上で腕を組み、壁に背をもたれさせる歌姫。
「さっきのやつなんか、もろにヤーさんじゃない。ぺこぺこ頭を下げてたけど、あいつ、絶対うちらを舐めてるよ。気を付けた方がいいって」
「まあな」
それにはダキラも気が付いていた。アステラ王国の芸人ギルドを仕切るサンシュという男にさっき挨拶したのだが、いかにも人当たりのいい小太りの男、のように見えながらも、小さくくぼんだ目の中に陰惨な影があるのを隠しきれていなかった。この男がアステラの裏社会に関係しているのは、事前に調べがついている。油断のならない相手であるのは間違いない。
「とはいえ、あいつを無視してこの国で事を運ぶわけにもいかないんでな。年末のビッグイベントもあの男が仕切ると聞いている」
「なんだっけ、あ、そうそう。『ブランルージュ』とか言わなかった?」
「ブランルージュ」の目玉となるゲストとしてアゲハにもオファーがあった。
「そうだ。おまえにもしっかりやってもらわないと困る」
そう言われた歌姫の紅い瞳に冷たい光が宿った。
「今までにわたしがしっかりやらなかったことがあった?」
男はアゲハを見下ろしてから、
「いや、ない」
と言い切る。
「でしょ? あなたは大船に乗ったつもりでどーんと構えていればいいの」
けらけら、と年頃の少女のように笑うが、姿こそ美しい娘ではあっても、この歌姫の中に恐ろしいものが潜んでいるのを、ダキラはよく知っている。だから、怒りを買うのは極力避けるべきであった。
「ねえ、ちょっと休みたいんだけど」
部屋が用意されているので、そこへ行くことにした。男は何も言わずに歩き出したが、アゲハは黙って後をついていく。
「はー」
部屋に入るなり歌姫は大きく息をついた。かなり豪華な内装であったが、同じような部屋がこの屋敷にはいくつもある。
「社長、来てたね」
コートを脱いで、ソファーに座りながらアゲハが呟くと、
「ああ」
とダキラが頷く。青年の父は帝国で最大の芸能プロダクションの社長を務めていて、ダキラは名目上は副社長、ということになっていた。とはいえ、彼自身はそんな地位に就いている自覚はなく、会社の人間も彼を副社長と認めているのか怪しいものだった。
「じゃあ、やっぱり、うちの会社、本気でこの国に進出するつもりなんだ」
「まあな」
ダキラもその話は父から聞かされていた。トップスターを王国へと送り込み、専用の劇場を建設し、ゆくゆくはタレント養成所も作りたいのだという。
「社長、商売熱心よねえ。別に外国まで行かなくていいじゃん、ってわたしなんかは思うけど」
そこまで単純な話でもない、というのは男にはわかっていたが、アゲハに教えるつもりはなかった。どうせ向こうも興味はない。
「これは国是でもある」
社長室に呼び出され、アステラへの進出を告げた後で、父である社長はそうも言っていた。国是、ということは皇帝がそのように考えている、というわけで否定できるはずもなかった。つまり、王国の芸能
(まあ、正直おれにもどうでもいい話なんだが)
ダキラは広い肩をすくめた。今こうしてアゲハと共に行動しているのも仕事のつもりはなく、好きで一緒にいるにすぎなかった。
「にしてもさあ」
歌姫が足を組むと、黒と赤が入り交じったワンピースの裾がふくらんだ。
「社長も見る目がないよね。なんだって、あいつらを推すんだか」
「あいつら」というのが「グウィドラ」を指しているのは男にもわかった。父はもともと少年のタレントに力を入れる傾向があって、目下のお気に入りがあの3人組というわけだった。
「今うちで一番人気があるのはあいつらだ。力を入れるのは当然だろう」
「でも、あいつら、全然センスないよ? 3人ともわたしを口説こうとしてさあ。馬鹿すぎだって。男だってバラしてやろうか、って思ったけど、あんなやつらにその価値もないしね」
「ああ、やめて正解だ」
ダキラは無感情を装ってそう言ったが、「グウィドラ」の少年たちがアゲハに色目を使ったという話が神経に障ったのは事実だった。んー、としばらく考えてから、
「よし、決めた」
と歌姫は、ぴょん、と立ち上がる。この美しい蝶が何かを思いつくと、きまってろくでもないことが起こるので、ダキラが苦い表情を浮かべていると、
「今から、わたし、歌うから」
「は?」
男は呆然となる。本来であればアゲハも今夜ステージに上がるはずだったのが、コンディションが不調だと言って断っていたのに、今になってやっぱり歌うと言い出すとは、気まぐれにも程があった。そもそも、今の様子を見る限り、本当に具合が悪かったかも怪しいところだ。
「だって、歌いたくなったんだもん。それに」
白い指を口元に添えてから、
「アステラのみなさんに本当の歌を聴かせてあげたい、って思ったから。あんなまがいものしか出さないのはマズカの恥だもの」
そういうことか、とダキラは理解する。つまり、アゲハは「グウィドラ」に嫌がらせをするつもりなのだ。圧倒的な才能を見せつけてやろうとしているのだろう。この歌姫には冷酷で容赦の無いところがあって、同じ舞台に立ったアーティストが自信を失うことも珍しくなく、中には業界を去った者もいるほどだ。
(この気分屋め)
事情は理解したものの、男の腹立ちはおさまらなかった。舞台に上がるのであれば、最初からそう言っておけばいいのだ。準備にも時間が掛かり、多くの人に頭を下げなければならない。人の苦労もわからぬガキが、と憤るダキラの懐に、ふわりと柔らかなものが飛び込んできた。アゲハが分厚い胸に抱きついているのを感じた。
「そんなに怒らないで」
14歳とは思えない妖しい微笑みに怒りが消えていくのを感じた。いつもそうだ。どんなわがままもどんな理不尽も、赤く輝く瞳に見つめられると何処かへ飛び去ってしまう。
気がつくと唇を奪われていた。初々しさのまるでない生々しいキスで、この歌姫の口が美しい歌声を生み出すためにあるわけではない、というのを男は思い知らされ、口の中を蹂躙されるのに任せていると、
「何かご用がおありですか、あっ」
部屋に入ってきた若いメイドが固まっていた。ノックはしたのだろうが、口づけに気をとられて気づかなかったのだろう。慌てて身体を離そうとするが、小柄なディーヴァは意外に力が強く、引きはがせない。
「これは大変失礼しました!」
顔を真っ赤にしたメイドが出て行くと、あはははは、と笑いながらアゲハはダキラから離れた。
「おまえなあ」
「いいじゃん、別に。見られて困ることもないでしょ?」
暗色のルージュが引かれた唇を舐める舌が際立って赤く見える。
「わたしみたいなかわいい男の子にキスされて怒るなんて罰が当たるよ?」
と言ってから、
「後でたくさんかわいがってあげるから、今はそれで我慢して」
「ね?」と笑いかけてから、手をひらひらと振った。白い手袋に包まれているおかげで、モンシロチョウのように見える、とぼんやり思っているうちに、小悪魔じみた歌い手は部屋を出て行ってしまう。一足先に舞台へと向かったのだろう。
(どうかしている)
ダキラ・ケッダーは舌打ちしたが、それはアゲハに対してなのか、自分も含まれているのかは定かではなかった。ただひとつ確かなのは、自分が拾い上げた少年が、今や制御不能な怪物に変貌している、ということだった。もはや主導権を奪い返すことも難しく、完全に支配されるのを免れるのが精一杯ではないか、という気がしてきた。「アゲハ」という名前をつけたのも彼であるにもかかわらず、だ。だが、それを不快にばかり思っていないのを男は奇妙だと思ってもいた。10歳以上も年齢の離れた、体躯もずっと小さい少年に、今夜もベッドで組み敷かれるかと思うと、ダキラは怪しい胸騒ぎを止めることが出来なくなっていた。
はわわ、と言いながら、ユリ・エドガーがぼろぼろ涙を流しているのを横目で見て、チェ・リベラは苦笑いを浮かべる。だが、それも無理もない話だった。アゲハの歌を聴いて心を揺さぶられない方がどうかしているのだ。今日の出来映えは王宮で歌ったときよりもさらに上回るもので、ライトを背負った歌姫は神々しくすら見え、観客はみな呼吸するのを忘れて聴き入ることしか出来ずにいた。
(まさに稀代の才能と呼ぶにふさわしい)
「デイリーアステラ」文化部部長はアゲハの才能を賞賛したが、それと同時に「グウィドラ」に物足りなさを感じた理由も分かった気がしていた。彼らも間違いなく一流のスターであるが(加えて3人ともリベラ好みの美少年だ)、そうは言っても「10年に一人」程度の才能でしかない。あの歌姫に比べれば遙かに見劣りすると言わざるを得なかった。一度本物を知ってしまうと、それ以外の存在はどうでもよくなってしまうのかもしれない。
(これからわたしは音楽を楽しめるのかしらね)
何を聴こうとあの天才歌手と比較してしまうのではないか、とリベラは今後に言いしれぬ不安を覚えていたが、とりあえず今はアゲハの歌声に耳を傾けた方がいい、と思い直して素直に身をゆだねることにした。
結局、その夜、男爵の屋敷で音楽を楽しんだ者の脳裏にはアゲハひとりの歌声だけが刻まれ、「グウィドラ」についてはかすかな記憶しか残らなかったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます