第15話 拳銃使い、強敵と対峙する

夜の街の裏通りを男たちが逃げ惑っている。集団からは徐々に人が減っていた。最初は10数人いたのが今はもう5人しかいない。

ぱん、ぱん。

あの乾いた音が響くたびに誰かがいなくなるのだ。

(奴が来やがった)

先頭を走るでかい男は気づいていた。自分たちを狙っている刺客がついにやってきたのだと。アステラ王国の首都チキの裏社会を支配するマフィア―名前はなく、ただ単に「組織」と呼ばれている―から独立を目論んだ一派のメンバーが最近になって襲われるようになり、その手はとうとう彼にまで伸びてきた、ということらしい。

ぱん。

また音がして、続いて大きなものが地面に落ちる音がした。足を止めないまま、ちらりと振り返るとまた1人減って4人になっていた。「ひい」と後ろを走る誰かが小さく悲鳴を上げたのが聞こえた。任侠を名乗る人間が情けない声を出すな、と叱りたかったが、男自身も恐慌状態に足を突っ込んでいるので注意することもできない。今はとにかく表通りに出たかった。人目のある場所に出れば、刺客もおいそれと手を出すことはできない、と考えたのだ。だが、相手もそれは当然考えているようで、表通りに向かおうとするたびに妨害されていた。敵には腕力だけでなく知能もある、という事実が一同の恐怖をさらに煽り立てていた。

(見えた)

だが、長い逃走もようやく終わろうとしていた。何度目かの角を曲がると、その先が明るくなっていた。表通りに立ち並ぶ店舗の明かりだ。あそこまで行き着けばいい。安堵感が男の足を速めたが、その前にほっそりした人影が立ち塞がり、手元で光が閃く。

ぱん。

「ぎゃっ」という苦鳴とともに、男の右後方にいた部下が吹き飛ぶ。もちろん、そのまま前に進むことなどできず、左へと向きを変えて全速力で走る。

(拳銃使いめ!)

ぎり、と男は歯噛みする。自分たちの仲間を一人一人始末している仕事人は、正体不明なうえに銃というこの辺りでは武器を使っていることもあって、より恐怖心をかき立てる存在になっていた。

ぱん。

また銃声が鳴り響いたが、もはや後ろを見ている余裕はなかった。後ろから足音が聞こえるので、1人だけはまだ無事なのだろう。あの拳銃使いが、自分たちが元々いた「組織」の意向で動いているのはわかりきったことで、それにびくびくしているのが嫌になったので、今夜は部下を大勢引き連れて酒を飲むことにしたのだが、今となってはその判断は誤っていた、と言わざるを得なかった。とはいえ、どんな状況でも意地を張ることで、かつて「組織」でのしあがり、今では脱退したグループの幹部となった男に、いつまでも逃げ続けることなどはできるはずもなく、いずれは拳銃使いの標的にされる運命であった、とも言えた。

ぱん。

振り返ると、唯一残っていた部下が路地の汚れた壁に叩きつけられてから、地面へと倒れ伏すのが見えた。とうとう残るは男一人になり、そして、遠くからゆっくりと音もなく黒いシルエットが近づいてくるのが見えた。顔は真っ黒な覆面で隠されていて、暴力を生業にしているわりには、優雅にも思える歩き方だった。そこで男の脳が白熱した。

「てめえ!」

からし色のスーツからカミソリを抜き出すと、それを振りかざして拳銃使いへ向かって走り出した。男はそれを扱うのを得意にしていて、何人もの敵の顔面を切り裂き、時には鼻を削いだこともあった。これさえあれば、相手が飛び道具を持っていようと関係ない。男らしく1対1の勝負に持ち込んでやる、と闘志を剥き出しにして駆けていく。

しかし、対する拳銃使いは、はあ、と息を大きくつくと、慌てず騒がず、

ぱん、ぱん。

男の分厚い両肩を撃ち抜き、さらに、

ぱん、ぱん。

両方の膝を砕き、仰向けに転倒させた。わずか3秒足らず、勝負にも何もならない一方的な展開であった。

ぐおお、と苦痛にうめく幹部に拳銃使いが近づく。

「リーダーはどこにいる?」

マスクをかぶっているうえに、マフラーをしているせいか声がくぐもっている。相手が自分よりずっと背が低いことにここで初めて気づく。誰が言うものか、と虚勢を張ろうとするが、左肩の傷口に尖った靴先を差しこまれ、ぐりぐりと抉られて、があっ、と叫び声をあげてしまう。

「リーダーはどこにいる?」

拳銃使いの声に感情は含まれていない。あくまで事務的に自分を痛めつけようとしている、というのがわかった瞬間に、男の精神は崩壊していた。痛みではなく恐怖が巨躯を誇っていた幹部を敗北させたのだ。

「知らん。おれは何も知らん。ボスはずっと雲隠れしたまま姿を見せてない。本当なんだ。信じ」

答えを最後まで聞くことなく、刺客は右足で男の左のこめかみを蹴り飛ばし、失神させた。4つの傷口から血を流しながらも虚偽を言うほどの意地はこの男にはない、と見抜いていたのだ。

(手掛かりなしか)

拳銃使いは溜息をついた。この仕事人の標的は「組織」から独立したリーダーの男なのだが、その行方は杳として知れなかった。そこで部下を襲って情報を聞き出そうとしたのだが、幹部連中でも知らないとなれば、別の手段で探し当てるよりほかになさそうだ。

(もう時間は残されてない)

覆面でも隠しきれない黒い瞳に光が揺らめいたのは、焦りのあらわれなのだろうか。と、そのとき、拳銃使いの背中に悪寒が走った。路地の奥に不吉な気配を感じたのだ。

「最近暴れ回っているというのはおまえか」

黒い声が聞こえた。拳銃使いも全身黒ずくめだが、それは外見上のことにすぎない。だが、その声の主は内面までも黒く染まりきっているのが瞬間的に理解していた。

ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。

既に弾丸を装填してあったリボルバーを闇の向こうへと連射する。相手が何者なのかはわからない。だが、自分にとって凶運をもたらす者だというのだけは感じていて、それだけで標的とするには十分だった。

「悪くない判断だが、いい判断ではない」

頭上から声が聞こえたのに拳銃使いは驚愕する。弾丸よりも早く移動したというのか。そして、声が意味するところも理解していた。本来であれば、気配を感じたのと同時に撃つべきだったのだ。声を聞いてから撃ったのはあまりに遅かった。しゅっ、と夜気を割いて何かが降下してくる。大烏が天空より舞い降りて獲物を捕らえるように、拳銃使いの頭を砕くつもりなのだ。がつ、と固いものが割れた音がした。

「む?」

蹴りで刺客の脳髄をぶちまけるはずが、そうはならなかったことに驚く声がした。その代わりに足元の石畳が砕け散っている。恐るべき脚力だと言わざるを得ない。拳銃使いに逃げられた、と知って路地裏に闇夜よりも黒い笑みが浮かぶ。

「今度はいい判断だと褒めなければなるまい」

拳銃使いは、自分の力量が相手よりも劣る、と考えて直ちに逃走したのだ。短い時間で実力差を見て取ったのもさることながら、戦うことなく逃げに転じたのも見事なものであった。プロの仕事人でも、意地やプライドが邪魔をして逃げるのを嫌うことがあるのは珍しくないのに、そういった精神的なものにとらわれることなく自らの安全を優先させたのは、二流の人間にはできることではなかった。

「やはりこの街はいい。面白いものに出会える」

そう言って顔を上げたのは「影」だった。以前、「フーミン」の手先として暗躍し、セイジア・タリウスに完膚なきまでに敗れ去った黒い男が再び現れたのだ。その顔はますますどす黒くなり、凄愴さを感じさせた。金髪の女騎士に復讐すべく、「影」は都を離れ、地方で「仕事」をこなしていたのだ。敗れてもなお、自分の力量は「金色の戦乙女」に比肩しうるものだ、と男は自負していた。敗北の理由は、おのれの中の甘さにある、と考えた「影」は「仕事」の中で通常以上に残酷に振る舞った。余計に人を傷つけ、余計に血を流した。そうすることで、自分の人間性を否定してしまいたかったのだ。「おまえはいいやつだ」と呼んだセイの言葉を消してしまいたかったのだ。「仕事」の目的は達成したが、「影」の所業に雇い主も恐れをなし、「まともな人間のやることではない」と依頼した自分自身を棚に上げて、黒い男に軽蔑のまなざしを送った。だが、それは「影」にとって望むところだった。卑小な人間だと汚い奴だと思われたかった。普通の人間にとって必要不可欠なものを捨て去ることで強さを得られる、という妄信が彼の中には根強くあるのだ。

(もはや、今までのおれとは違う。セイジア・タリウスに後れを取ることもない)

鋭く尖った歯が三日月のように光る。「影」の選んだ道が正しかったか否かは、最強の女騎士との再戦がいずれ証明するはずだが、そのとき右手の指先がぬるりと濡れるのを男は感じた。

(なんだ?)

見ると黒い液体がぽたぽたと路上へと滴り落ちている。他ならぬ彼自身の血だ。いつの間に傷など、と思ってから、右の上腕部にひりひりした感触を覚えた。弾丸がかすめたのだろう。

(あのときか)

拳銃使いに一矢報いられたのを「影」は悟った。全弾避け切ったつもりだったが、そうではなかったようだ。相手をあまりに見くびりすぎていた、と認めざるを得ない。

(次に会う時は必ず仕留めてやる。やつはまだ未熟だ。もっと強くなるはずだが、それでもおれの敵ではない)

傷を負いながらも「影」は傲岸さを崩さなかった。そして、あくまでも第一の目標がセイジア・タリウスであることにも変わりはない。あの生意気な女騎士を叩きのめし、泣き顔で許しを請わせてやるのだ。その様を想像するだけで高ぶるものがあった。

「待っていろ、セイジア・タリウス! 次に会う時が貴様の最後だ!」

暗黒街に黒い哄笑が響き渡ったが、それは誰にも聞かれないまま、都会の夜の中へと溶けて消えていった。

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