第12話 女騎士さん、青年騎士の部屋を訪れる(後編)

「何をぼーっとしてるんだ?」

そう声をかけられて、シーザー・レオンハルトが顔を上げると、目の前に思いがけない光景が広がっていた。

「珍しいな、おまえが考え事だなんて」

セイジア・タリウスがベッドの上に腹ばいになって、両手で頬杖をついて微笑みながら自分のことを見つめていたのだ。時折振り子のように大きく振られる長い両脚も含めて、それは何とも魅力的な眺めだった。その日の彼女は栗色の厚手のシャツと黒いコーデュロイのスラックスを身に着けていたのだが、寝そべったことでスタイルの良さがいつもより引き立てられていた。とりわけ、くびれた腰と盛り上がった尻がよく目立ち、さらには上下の服の隙間からちらちらのぞく白い肌からシーザーは目を離せなくなってしまった。

(夜中に男の部屋まで一人で来て、いくらなんでもくつろぎすぎだろ)

金髪の女騎士は7年前に初めて会った時とはまるで別人のような容貌と身体になっていた(実は初見から「かわいい」と思っていたのは永遠に秘密にするつもりだが)。まるで自分のために美しくなってくれたみたいだ、と錯覚してしまいそうになり、それが本当であってほしい、と願いたくもあった。

(っていうか、おれ、今からあのベッドで寝なきゃいけないんだぞ)

そう思うと、青年騎士は泣きそうな気持ちになる。彼女の残像と残り香に夜通し苦しまなければならないのか、と思いかけて、

(いや、そうじゃねえよ。今から仕掛けちまえばいいんだ)

と考え直した。何も我慢することはないではないか。気持ちを下手に抑えていたから、ぽっと出のカリー・コンプに先に告白されそうになったのだ。今は攻勢あるのみだ、と頭をもたげた獣欲のやり場を見つけ出した気になっていると、

「なんか変なことを考えてないか?」

セイの青い瞳の輝きが鋭いものになっていた。

「いや、何も変なことなんか考えてないぞ? おまえの思い過ごしじゃないか?」

「そうか? なんか、いやーな目つきになっていたけどな。まあ、おまえはもともとチンピラみたいな目つきをしているが、今は変質者みたいだったぞ」

「言い方!」と突っ込みたかったが、ろくなことを考えていなかったのは本当なので、笑ってごまかすしかなかった。

「それより、マフィアの話を聞きたいんだろう?」

「ああ、そうだった、そうだった」

そう言うとセイはベッドの上で起き上がった。それを少し残念に思いながらも、シーザーはどうにかして次の機会を待つことにする。少なくとも、何もしないまま彼女を部屋から出すつもりはなくなっていた。

「さっきの話だと、連中は何か揉めているようだが」

「なに、大したことじゃない。若いやり手の幹部が組織から独立しようとして、トラブっている、っていうよくある話だ」

青年の話を聞いて、ふーん、とセイは少し考えてから、

「どの程度のトラブルなんだ? 怪我人は出ているのか?」

「まあ、それなりにはいるようだ。市警にいる知り合いから聞いた話だと、死人は出ていないそうだ。誰かが死んだら、さすがに市警も動かなければならないそうだが、今のところは様子見、ということらしい」

「様子見って、それは少し無責任じゃないか?」

「もともと市警はマフィアをそこまで厳しく取り締まってないからな。締め付けすぎると暴発する、という理屈らしい。それをおまえみたいに無責任と感じる人もいるんだろうが、おれには市警の言い分もわかる気がするんだ。裏社会にもそれなりのルールというか道理があって、表から踏み込むよりはそれに任せた方がいい、という考えもある気がするのさ」

そう言われて、セイはまだ騎士団長だった頃にシーザーとアルと3人でお茶を飲んでいたときのことを思い出した。どういう流れでその話題になったのかはわからないが、裏社会の話になって、「あんなものは全部打ち壊してしまったらいい」とアルが主張したのに彼女も共感していたのだが、「そんな簡単なものでもない」と煮え切らないシーザーをアルが一方的に責め立てたまま、その日はお開きになったのだ。

(あれはあまりよくなかった)

今になってセイはそう思っていた。マフィアやヤクザを否定する気持ちに変わりはないが、しかし、シーザーがかつて裏社会にきわめて近い場所で生きていたことを、そのときは忘れてしまっていたのだ。自分の生まれ育った場所を否定されるのはつらいはずなのに、そんな彼の心情を思いやることができなかったのを若い騎士は反省していた。別の角度から見れば、反省できるだけ彼女は成長した、とも言えた。リアス・アークエットや少女たちと接しているうちに、貧しい境遇で生きていかざるを得ない人々への共感が女騎士の中に確実に根付きつつあるのだろう。

「おい、今度はおまえがぼーっとする番か?」

悪友にからかわれてセイは我に返る。

「ああ、すまない。おまえに悪いことをした、って思ってたのさ」

「はあ?」と青年騎士が変な声を出したのを聞いて笑っているうちに、女騎士はユリ・エドガーから聞いた話を思い出した。

「あ、そうだ。なあ、シーザー、拳銃使いの話は聞いてないか?」

「なんだそれ?」

少女記者から得た情報をかいつまんで説明すると、

「ああ、そういえばその話も聞いた気がする。銃を使う人間はこの辺では珍しいからな。確か、新興勢力の人間が何人も撃たれた、とか、そんな話だったはずだ」

「じゃあ、古い組織が拳銃使いを雇っている、ということか?」

「だろうな。使う武器も変わっているし、あえて殺さない、というのも、なんだか妙な話だが」

シーザーが溜息をつく一方で、セイはしばらく考え込んでいた。やがて、

「ありがとう。参考になった」

と言って、ベッドから立ち上がった。

「なんだ? もう帰るのか?」

「『もう』と言ったって、だいぶ遅い時間だ。おまえだって早く寝なければならないから、邪魔しちゃ悪い」

そう言いながら入り口に向かっていく女騎士の背中を見てシーザーは焦燥に駆られる。

(今行かなけりゃ、いつまでも行けねえ)

恋については何処か後ろ向きだった青年の中に、戦場を征くときと同じ闘志が目覚めようとしていた。自分よりも先に向こうから愛を告げてきてほしい、と今までは思っていたが、そうではなく、自分から好きにさせてやるのだ、彼女の心を我が物にするのだ、という気になっていた。

「じゃあな」

と言ってセイがドアノブに手をかけたそのとき、シーザー・レオンハルトは椅子から立ち上がって大股で扉の方へと向かった。

「シーザー?」

気配が迫るのを感じて振り返ったセイの顔のすぐそばをシーザーの右腕が通り抜け、手のひらが扉に強く当たって、どん、と大きな音がした。金髪の騎士は扉と青年の大きな身体に挟まれる格好になり、逃げ場がなくなってしまう。そして、セイの顔にシーザーの顔が徐々に近づいていき、遂に触れ合いそうになったそのとき、

「うええええええええ」

と苦悶の声を漏らしながら、シーザーがうずくまった。

「あ、いや、すまない、シーザー。急に来られたから何事かと思って」

右手で胸を押さえている男友達を見てセイがおろおろしている。どういうわけなのか説明すると、シーザーがセイに「壁ドン」(この場合は「扉ドン」と呼ぶべきだろうか?)を仕掛けたまさにそのとき、女騎士は反射的に左肘を青年騎士のみぞおちに突き立てていたのだ。無防備な急所に一撃を食らったのだから、「アステラの若獅子」といえどもひとたまりもなかった。

(ざまあねえ)

シーザーはおのれの醜態を笑い飛ばす気になっていた。女の子を力ずくでどうにかしようとした結果がこのザマだ。当然の報いとしか言いようがない。しかも、相手はただの女子ではない。セイジア・タリウスなのだ。強引に行ってどうにかなるわけがないではないか。

「そうか、わかったぞ、シーザー」

セイが一人で何かを納得している。

「わたしの腕が鈍っていないかが気になって仕掛けてきたんだな?」

全然ちげえよ、と言いたいところだったが、

「ああ、そうだ。だが、その必要はなかったようだな」

同意しておいた。襲い掛かろうとして撃退された事実が消えてなくなるのであれば、なんだってよかった。

「やはりそうだったか。騎士を辞めたわたしを心配してくれるとは、実にいい友人を持ったものだ」

一言一言がいちいちハートに刺さるので早く帰ってほしかったが、

「なあ、セイ」

ただで帰すのも嫌なので一応訊いておくことにする。

「なんだ、シーザー?」

「また、この部屋に遊びに来てくれるか?」

そう訊かれたセイがポニーテールを揺らしながら、

「いいとも!」

と笑って答えてくれたのが、この夜の唯一の収穫だったかもしれない。結局、それから5日ほど、シーザーの胸の痛みが引くことはなく、心の痛みが消えるまでには、それ以上の時間を必要としたのであった。



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