第9話 女記者、歌姫を取材する
「デイリーアステラ」文化部に異動したユリ・エドガーは順調な日々を送っていた。社会部から移ってきた記者は「都落ち」したように思えて、不貞腐れた態度をとることも珍しくないそうなのだが、眼鏡をかけた小柄な少女記者にはそういったところはまるでなく、新しい分野を積極的に学ぼうとする姿勢は他の記者からも好意的に受け止められ、3日も経たないうちに文化部に馴染んでいた。社会部で先輩にいびられていた彼女には、新しいセクションの暖かな雰囲気にかえって戸惑うほどだったのだが。
「ユリちゃん、あなたに取材を頼みたいんだけど」
そんなある日のこと、少女は文化部長のチェ・リベラに呼び出された。ラメの入った白いスーツを着たかなりの洒落者で、物腰もかなり柔らかく、声を荒げたのを見た人間は社内にいないそうだ。
「どういうことですか、部長?」
「だめだめ。『チェ』って呼んでくれなきゃ、だめ」
新人の自分を可愛がってくれる上司はユリにとって実にありがたい存在で、前の上司であるウッディ・ワードに比べるとずっと親しみやすくはあったが、親しみやすすぎるのも考えものだ、とまだ18歳の記者は思っていた。
「じゃあ、チェさん、取材というのは?」
「あなた、アゲハにインタビューしてきてくれない?」
リベラ部長は実にあっさりと告げたが、ユリ・エドガーは一瞬頭が真っ白になった後で、「えーっ?」と大きな声で叫んでしまった。文化部中の視線が集まるのを背中に感じた。
「なーに? 嫌なの?」
「いえいえ、嫌ではありませんけど、アゲハ、って、あのアゲハですよね?」
「そうよ。あのアゲハよ。といっても蝶々じゃないわよ」
ばっちりメイクをした細面の中年男にあまり上手でないウインクをされても、ユリの心臓の動きは収まらなかった。アゲハはマズカ帝国で現在絶大な人気を誇る女性シンガーだ。昨年彗星のごとく現れると、たちまち業界を席巻し、リサイタルを開くとチケットはすぐに売り切れ、彼女の歓心を得たいあまり貴族同士が決闘にまで至ったという噂もあるほどのカリスマ性があった。そんな歌姫は現在アステラ王国で長期にわたるツアーの真っ最中で、先日王宮で歌声を披露したばかりだった。
「あの子は間違いなく本物ね」
そのイベントに招待されたリベラが感に堪えたかのように目を閉じる。まだ10代の少女が歌い出した途端に宮殿の空気が変わったのをまざまざと思い出していた。国王の権威をも超える圧倒的な歌唱力で、あの瞬間だけはアゲハこそが王宮を支配していたのかもしれなかった。
「でも、それだったら、部長、じゃなくて、チェさんがご自分で取材されたらいいのではないでしょうか?」
正直な話、ユリは尻込みしていた。文化部にやって来たばかりの自分が担当するには、アゲハはあまりに大物すぎるような気がしたのだ。
「そうしたいところなんだけど、そうもいかないのよねえ」
リベラが溜息をつくと、ミントの香りが部屋中に漂った。口臭予防が行き過ぎている。
「何か問題があるんですか?」
「わたしたちより先に、『アステラ時報』さんと『
それで自分に白羽の矢が立ったのか、と少女は理解したものの、リベラも一応おじさんではあるがかなりフェミニンなので、大丈夫そうな気もしたのだが、
「ノンノンノン。どうあがいてもおじさんはおじさんよ。あーあ、生まれ変わったら美少女になりたいものね」
冗談でなく本気でそう思っているらしい上司にはさすがに突っ込むことができず、「なれるといいですね」としか言えなかった。
そんなわけで、アゲハの取材に行く羽目になったユリは、記者になって以来の、いや人生で最高の緊張を味わっていた。今まで逢ったこともないスターと会うのに加えて、アステラ王国で一番の高級ホテルの最上階を占領しているスイートルームで話を聞く、とあっては平気でいられる方がおかしい、というものだった。しかも、スター歌手の背後にはスタッフが大勢居並んでいて、それにも威圧感を覚えてしまう。
「あなた、記者なんだ? へーえ? こんな女の子がねえ」
帝国からはるばるやってきた歌姫は、ビクビクした少女を一目見るなり気に入ったようで、意外にも終始フレンドリーに話をしてくれた。彼女はかなりのわがままで、王国にやってきてからも公演を何度もすっぽかしそうになった、と聞いていたちびっこ記者は拍子抜けしたものの、取材が上手く行くのに越したことはなかった。
(それにしても、きれいな子だな)
14歳の女子にしては大柄な身体を袖のふくらんだ紫がかったドレスで覆い隠し、濃い灰色の髪はきれいに巻かれている。目が時々赤く光るのは特殊な目薬でも入れているからだろうか。美しさだけでなく妖しさを感じさせる少女歌手に心を奪われかけながらも、ユリはなんとか話を聞いていく。そんなとき、突然アゲハが眉をひそめて、
「あなた、妙に落ち着いてるわね?」
と向かい合って座るインタビュアーに向かって訊ねてきた。
「え? いや、そんなことないです。アゲハさんがおきれいなので、緊張しっぱなしです」
本当に思っていたことを答えたのだが、
「それはそうなんだろうけど、前に来たオヤジたちはもっとひどかったから。顔からダラダラ汗を流して、何度も言い間違えてさあ。あんまりキモいから追い出しちゃった」
そう言うと、アゲハはふかふかした椅子の上で、ぴょん、と跳ねて、
「ユリさん、だったっけ? あなた、気に入ったわ。度胸のある人って、男でも女でも好きなの」
十代の少女とは思えない嫣然たる笑みにユリ・エドガーの動悸は速まる一方だったが、
(もしかすると、セイジアさんのおかげかもしれない)
と、アゲハに「落ち着いている」と思われた理由に思い当たっていた。考えてみれば、セイジア・タリウスのカリスマ性も相当なものがあり、ある意味「スター」と呼べる人間だった。この国だけでなく大陸全土から「金色の戦乙女」と呼ばれている女騎士と何度か話をしたことで、歌姫のオーラにも耐えられているのかもしれない。妙な言い方をするなら、「カリスマ慣れ」しているのかもしれなかった。
「それからもうひとつ。ユリさん、あなた、結構突っ込んだ質問をしてくるよね」
「ああ、すみません。アゲハさんがお話しづらいことを聞いてるのはわかってたんですけど」
おろおろするユリを見て、蝶を名乗る少女は、ふふふ、と笑う。
「それでいいじゃない。相手が話しづらい質問をするのがあなたの仕事でしょ? なら、そうすべきよ。もちろん、そんなことを聞かれて楽しくはないんだけど、お互いプロなんだから、仕事に徹するべきだわ。手ぬるいことばかり聞かれると、逆に腹が立ってくる」
それが『時報』と『王国』の記者が彼女の怒りを買ったもうひとつの理由かもしれない、と思いながらも、少女記者はディーヴァへのインタビューを再開する。灰色の髪の少女が如才なく応答し続けているうちに、予定の時間が過ぎようとしていた。
「もう終わりだ」
豪華な一室の片隅にある仔牛ほどもある大きなソファーで、足を組んで座っていた薄い色のサングラスをかけたオールバックの男がアゲハに告げる。仕立てのいい背広を着ているが、身体はかなりがっしりしていて、どこか危険な香りをさせているようにユリには思われた。マネージャーだろうか、と思ったが、それにしては貫禄がありすぎる気もする。
「えーっ? いいじゃない、もうちょっとお話しても」
「スケジュールが詰まってるんだ。これから表敬訪問に行かねばならん」
ちぇーっ、と唇を尖らせた歌姫は年相応に見えて、記者は思わず微笑んでしまう。
「アゲハさん、こちらはもう大丈夫ですよ。十分にお話は伺いましたから」
うーん、とアゲハは少しだけ考えてから、
「あ、そうだ」
またしても、ぴょん、と椅子の上で跳ねてから、いたずらっぽくユリを見つめた。2つの瞳が赤く光る。
「せっかくだから、ユリさんにわたしの秘密を教えてあげようかな」
「え?」
「おい、アゲハ。おまえ」
記者は目を丸くし、男は立ち上がるが、歌姫は2人の反応に気を留める様子はない。
「さあ、こっちに来て」
ややハスキーな声でささやかれて、ユリはふらふらと立ち上がってしまう。まるで催眠術にかけられたかのように、少女の方に1歩だけ近づいたところで、右手を取られた。その手はドレスの裾の中に導かれ、股間にある何かを握らされた。
(は?)
奇妙な触感に女記者は困惑し、一瞬の後にその正体に気づく。これは、少女にはなくて少年にはあるものだ。つまり。
「いやーっ!」
悲鳴を上げて一目散に部屋から逃げ去るユリ・エドガーの姿を見てアゲハは笑い転げる。
「見た見た? とってもいい反応じゃない? あの子、絶対に処女だよね?」
かわいいなあ、と何処かうっとりした表情になった14歳の歌姫に男がずかずかと近づいてくる。
「おまえ、何を考えてるんだ? 新聞記者にあんなことをして、記事に書かれたらどうするんだ?」
高級な仕立てのスーツを着た男の顔には明らかに怒気があったが、アゲハの妖しい微笑みを見るなり、怒りはみるみるうちにしぼんでいく。
「大丈夫でしょ? もし記事に書かれても、誰も信じるわけないって」
「まあ、それはそうかもしれんが」
もう怒られることはない、と判断した少女は椅子から立ち上がると、くるくるとターンをしながら、楽しげに笑ってみせた。
「だって、こんなにかわいい男の子がいるわけないもんねえ」
マズカ帝国の歌姫、アゲハは実は「男の娘」だったのだ。
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