第4話 女騎士さん、BARに行く(前編)
アステラ王国は比較的貧富の差が小さい国だが、「比較的」ということは貧しい人々はやはりいて、首都チキにも貧民街が存在する。「BAR テイク・ファイブ」は、貧民街の近くにあって、付近の治安もあまりよくなく、一般庶民もあまり立ち寄らない場所だった。ただ、店内は広めで、奥にはステージが設けられていて、今は風采の上がらない男が物悲しい歌を弾き語りしているところだ。入口近くのカウンターの中では店長のベックがコップを拭いている。長い間酒場で働いてきて、ついに自分の店を持って楽ができる、と思っていたのだが、雇ったバーテンダーの仕事ぶりに納得がいかず、結局毎晩自ら店に立ち続けていた。カウンター席の端には少女が一人座っている。黒いワンピースを身にまとった背の高い整った顔立ちの持ち主だ。端正な表情を崩さないまま、手にした文庫本に目を落としている。
ぎい、と立て付けのよくない扉が開き、入ってきた客が少女の隣に座った。
「いらっしゃい。お客さん、初めて見る顔だね」
「ああ、そうだな」
ベックの言葉に返事をした客は、
「何を読んでるんだ?」
とすぐ横の少女に話しかけた。だが、彼女は眉をぴくりとも動かさずに本を読み続ける。その美貌ゆえに、酔っ払いからナンパされるのには慣れっこになっていた。
「この前、初めて見たときから、一度きみと話してみたくてね」
それでもまだ少女は無視し続けた。よくあるくだらない口説き文句だ。相手にしない方がいいに決まっていた。
「お客さん、何か頼んでくれないかね?」
黒い服の娘がからまれているのを助けようと思ったのか、店長が声をかける。
「ああ、すまない」
しばしの沈黙の後、
「じゃあ、ミルクをもらおうか」
その言葉にベックは驚き、無視しようとしていた少女も思わず顔を上げてしまう。
(こんな夜に酒場まで来て何を頼んでいるんだか)
思わず呆れてしまうが、そう考える少女の目の前に置かれたグラスにはアイスティーが注がれていて、実は人のことは言えなかった。
「そんなのを頼まれたのは、この店始まって以来だよ」
「それはいい。なんでも一番最初、というのはいいものだからな」
ははは、と笑う客が、少女の視線に気づいて笑い返した。
「やっとこっちを見てくれたな」
きらきら光る青い瞳がまぶしくて、少女はつい目をそらしてしまう。
「確か、きみはリアスという名前だったと思うが」
そこで何かに気づいたかのように「おっと」と言って、
「まずはこちらから自己紹介するのが礼儀だな。わたしの名は」
「セイジア・タリウス」
少女の口から抑揚のない声が発せられる。
「あれ? わたしを知ってるのか」
ぱたん、と文庫本を閉じると、少女は流し目でセイを見つめながら皮肉をたっぷり込めて微笑む。
「あなたほどの有名人ですもの、知らないわけないわ。アステラ王国を救った最強の女騎士ともあろうお方が、こんな場末の店に一体何のご用なのかしらね?」
そう言ってから少女は美しい顔をゆがめた。
「っていうか、なんなの、その格好? 目も当てられないダサさなんだけど」
「ああ、これか」
その夜のセイの服装はいつもとは違っていた。黒い野球帽をかぶり、伊達眼鏡をかけ、青と銀のスタッフジャンパーを着ている。背中には「Asterra Royal Knights」と角張った文字で書かれてあった。
「きみがさっき言ったように、どうもわたしは有名人のようなのでな。正体がバレないように自己流でコーディネートしてみたのだが、何かまずかったか?」
悪目立ちしていて完全に逆効果なのだが、無視しようとしていた女騎士の相手をしていたのに気づいた少女は突っ込みを入れること無く、黙ってカウンターに頬杖をついた。
「はい、お待ち」
ベックが牛乳の入ったコップを持ってきた。
「おお、すまないな」
セイは早速手に取ると、ごくごく、と一気に飲み干し、ぷはー、と息をついた。
「いや、これは美味いな。実に素晴らしい。ご主人、これからは酒だけでなく、これも売り物にするといい」
飲み残しを唇の上に白い髭のように付けながら無邪気に褒め称える女騎士を見て、バーテンダーは困ったように笑い、少女は心の底から呆れていた。
「さて、と」
口の周りをジャンパーの袖で拭くと、
「この人の名前を教えてくれないか?」
と少女を指さしながら、セイはベックに向かって訊ねた。
「は?」
思わず声を上げてしまったのに気づいてから、少女は慌てて横を向く。
「お客さん、どうしてわたしに尋ねるんだい? 本人に直接訊けばいいじゃないか」
「そうは言うがな、ご主人。このかわいこちゃんの顔を見れば、脈があるかどうか、わたしにだってさすがにわかる。わたしの得になるようなことは何一つだってしてやるもんか、って全力で拒否ってるのがビシビシ伝わってくる。そんな敵に真っ向から勝負を挑むのは愚の骨頂だ。だったら他の人から話を聞いた方が早い、というものだ。急がば回れ、というやつさ」
ずい、と金髪を帽子で隠した女騎士がカウンターに身を乗り出す。
「というわけで、ご主人。名前を教えてくれ。決して悪いようにはしない」
歴戦の勇士に圧をかけられては、ベテランのバーテンダーも耐えられるものでは無かった。ううう、とうめく老人を見かねて、
「リアス」
黒い服を身につけた少女が名乗るのを聞いて、女騎士が顔の向きを変える。
「リアス・アークエット。それがわたしの名前。どう? これで満足?」
「ああ、大変満足だ。よろしく、リアス」
セイはにこやかに頷いた。ふん、とリアスは鼻を鳴らしてそっぽを向く。激しい苛立ちをエネルギーにして「早く帰れ」と念を送ったが、その対象である女騎士はどこ吹く風、といった風情で、ますます腹立たしくなる。
「わたしがここに来たのはこれのおかげだ、仔猫ちゃん」
セイがリアスに紙を手渡してきた。誰が「仔猫ちゃん」だ、と思いながら一応見てみると、「テイク・ファイブ」を宣伝するビラだった。
「なんだい、こりゃ?」
ベックが目を丸くする。
「昨日の夕方に表通りで女の子が配ってたのをもらったんだ。その様子を見ると、おやじさんがやらせたわけでもないらしいが」
「いやあ」
主人はグラスを磨きながら苦笑いを浮かべる。
「子供に宣伝させるほど営業に熱心だったら、もうちょっとマシな人生だったかもしれんがね。残念ながら、わしにそこまでの向上心はないよ」
そう言いながら、カウンター越しに少女に目をやるが、彼女も小さく首を横に振った。
「ふーん、じゃあ、あの子が自分からやった、ということか。この前会った5人のうちで一番小さい子だったが」
セイが首をひねると、
「シュナね」
とリアスが思わず呟く。
「あの子は、シュナ、というのか。いい名前だな」
うんうん、と満足げに頷く女騎士を見て、少女は舌打ちしたい気分になる。さっさと追い払ってしまいたいのに、ちっとも思い通りに行かない。
「しかし、そういうことなら話はわかった。シュナはこの店でなく、自分たちの宣伝をしていたんだろう。もちろん、シュナだけにやらせたわけでもないんだろうが」
「そういうことね」
店長の言葉に黒服の少女が頷いたが、セイにはどういうことかさっぱりわからないので、詳しい話を聞こうとすると、ステージでまばらな拍手がわき、それまで弾き語りをしていた男が頭を下げていた。
「やっと出番ね」
そう言いながらリアスが舞台の方に身体の向きを変える。これから何が始まるのか、セイがベックを探るように見ると、
「見ればわかるよ」
と言われてしまったので、事情を呑み込めないまま少女と同じく舞台を見ることにした。
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