第22話 女記者、特ダネをかぎつける

時間を少しだけ戻して、「くまさん亭」の怪文書がばらまかれた日の午後の話をする。

「ねー、なんかいいニュースありませんかー?」

そう言いながら、ユリ・エドガーは市警本部の受付のカウンターを両手でぺちぺちと叩いた。

「ユリちゃん、そうは言ってもね、事件なんかそうそう起こるもんじゃないよ」

すっかり顔なじみになった定年間近の老警官に諭されるが、

「いつもいつも迷い猫や落とし物の話じゃ記事にならないんですー」

「いいことじゃないか。われわれが暇だということは、市民の皆さんが平和だということだよ」

もっともすぎる意見にユリは頬を膨らませた。

(でも、それだと、わたしは困るんです!)

ユリ・エドガーは「デイリーアステラ」の社会部の記者である。いまだに男社会である新聞社に使い走りとして潜り込み、持ち前のガッツで正式採用までこぎつけた18歳―つまりセイジア・タリウスのひとつ年下―の少女だ。とはいえ、駆け出しの彼女はいまだに大きな記事を書かせてはもらえず、職場でも半人前の扱いを受けていた。

(なんとかスクープをつかんで認めてもらうんだ)

そう意気込んで事件現場に急行してもライバル社だけでなく先輩記者からも邪魔者扱いされて割って入ることができない。それならば、と王宮近くにある首都警察、通称「市警」の本部で何かニュースが飛び込むのを待つことにした。そうしていれば、何か起こった時に真っ先に駆けつけられるはずだった。しかし、暴力事件や窃盗事件などは既に新聞社が各自でホットラインを設けていたので、ユリのもとに来るのは、重大事件のおこぼれ、とでも呼ぶしかないB級ニュースばかりで、少女記者にはそれがどうしようもなく不満だった。

「埋め草があってこそトップの記事が生きる。あいつはまあまあ頑張ってるんじゃないか?」

「デイリーアステラ」社会部長として業界でも一目置かれているウッディ・ワードは、決して面と向かって褒めはしなかったが、小さな話題を毎日こつこつ拾ってくるユリの根性を認めていた。そして、そんな努力が報われる時がついにやってきたのであった。

「すみません」

女性のやや低めの声が聞こえて、ユリはそちらを見た。彼女と同じくらいの年恰好の三つ編みの娘がいたが、駆け出しの記者が最初に思ったのは、

(このおねーさん、だ!)

ということだった。くすんだ黄色の髪を三つ編みにして目立たない顔立ちだったが、胸元はかなり主張が激しく、黒のTシャツは大きく盛り上がっていて、そこに書かれた白い文字が歪んで読み取れない。20歳を目前にしても、いまだに変化が訪れない自分の肉体と比較してユリの気分は暗くなる。

(えーと、「くまさん亭」って書いてあるのかな? あれ、それってもしかして)

何かに気づいた新米ジャーナリストをよそに、

「どうかされましたか?」

さっきまでユリと世間話をしていた老警官が自らの務めを果たすべく、やってきた少女に話しかける。

「はい。実は今朝ばらまかれた怪文書のことでお話が」

「かいぶんしょ?」

自分のすぐ横で大声が上がったので、セシル・ジンバことセイジア・タリウスはそちらを見た。キャラメル色のジャケットとやはりキャラメル色の七分丈のズボンを身につけた小柄な人影だ。ハンチング帽をかぶり髪は短い。頑丈そうな黒いフレームの眼鏡の奥にくりくりした大きな目があるのを見て、少年ではなく少女だと気づく。

「ああ、その話なら聞いてますのでどうか話を続けてください」

老警官に促されて、セイは大声の主から目を離す。近所の子供が遊びにでも来ているのだろうと思ったのだ。

(ちょっと、そんな話聞いてないんですけど!)

ユリ・エドガーはまた頬を膨らませた。どうしてそんな面白そうなニュースを教えてくれなかったのか。

「何軒かの店から苦情があって、こちらからも人を行かせたんだが、その時はもう何もなかった、という話を聞いてるんだが」

「はい。それはわたしたちが全部すぐに片づけましたので。うちの店の悪い噂をそのままにはできませんから」

それなら大した話ではない、と老警官は考える。飲食店同士のトラブルなどよくあることで、そもそも本来であればギルドに話を持ち込んで解決すべき事柄だ。だから、ユリにも教えなかったわけなのだが、

「ただ、悪ふざけにしては度が過ぎているような気もしますので、一応ご報告に上がりました」

「どういうことです?」

興味津々な様子で話に割り込んできたユリを無視して、セイは店から持ってきたものをカウンターの上に、どさ、と音を立てて置いた。大量の紙だ。見たところ1000枚は下らない。

「え? これ、全部その怪文書なんですか?」

言葉を失っている警官に代わって少女記者が質問する。

「ええ。全部うちの店を誹謗中傷するものです」

ユリはビラを1枚手に取って読んでみた。胸が悪くなる文章が一面に書き連ねてある。こんなものを目にすると、新聞記者としての能力に悪い影響が出はしないか、心配になるほどのひどさだ。

「いや、これは確かにただごとじゃないね」

老警官も弱り切った顔で頭を掻いた。考えていた以上に深刻な事態のようだ。

「はい。これは大事件です」

眼鏡のレンズを光らせてユリがつぶやく。

「大掛かりな組織ぐるみの陰謀に間違いありません」

「いや、ユリちゃん、何もそんな大袈裟な」

「大袈裟じゃありません。この怪文書をよく見てください」

「そりゃまあ、確かにひどいことが書かれてはいるが」

「チュウさん、違いますよ。わたしは『見て』と言ったのであって『読んで』とは言ってません」

ちびっこ記者の言っていることが分からずに老記者は首を捻る。

「だって、これ、印刷されたものじゃないですか。しかもこんなに大量ですよ。そして、短時間で街中にばらまいたとなると、間違いなく単独犯ではありません」

いつも明るく元気な娘が突然鋭い推理を展開しだしたので警官は面食らったが、相談の主である少女も少なからず驚いていた。

「この人も警察の方ですか?」

「ああ、いや。いつもうちに遊びに来ている新聞記者のお嬢ちゃんだよ」

「遊びじゃありません! 仕事で来てるんです!」

むきー、と怒るユリを見ながら、

(なるほど、ジャーナリストか)

と女騎士は納得する。セイにとってマスメディアとは宣伝に利用するためのシステムでしかなかった。彼女自身は根掘り葉掘り話を聞かれるのは好まなかったが、国民を勇気づけ、敵国を不安に陥れるために、戦争中は何度も会見を行っていた。

(この娘、頭は切れるようだ。間諜スパイに向いてるかもしれんが、それにしてはやかましすぎる)

そんな風に戦争の専門家らしいことを考えていたが、

「おねーさん、お名前は何と言われるんですか?」

「あ、セシル・ジンバと言います」

全く物怖じしない態度で訊いてきたユリにセイもつい呑まれてしまう。

「セシルさん、ですね。どちらのお店で働かれてるんですか?」

「『くまさん亭』という繁華街にある食堂です」

小さな記者が目を輝かせた。

「あ、やっぱりそうなんだ! わたしも行ったことがあります。シチューがとても美味しかったです」

「それはどうもありがとうございます」

自分の料理を褒められて喜ぶバイト女子だったが、

「あんまり美味しかったので、うちの新聞でおすすめさせてもらいました。『デイリーアステラ』という会社なんですけど」

その言葉に笑いがひきつってしまう。

(こいつの仕業か!)

「デイリーアステラ」が載せたおすすめの記事が原因で、「くまさん亭」に客が押しかけ一日中シチューを作り続けたのはセイのトラウマになっていた。ちなみに、その記事は宮中晩餐会の一件を取り上げたもので、何人かの記者が合同で完成させたのだが、ユリも会議でいくつかネタを出したうち、唯一採用されたのがシチューの話だった、というのが真相である。

「いやいや、ユリちゃん。きみが質問しちゃダメだろう。この人はうちに話に来てるんだから」

老警官が話の主導権を取り戻そうとする。身体は小さいが無尽蔵の馬力を持つ少女ライターの好きにさせるわけにはいかなかった。

「今思い出したんだが、あなたの店は前から嫌がらせを受けていたそうだね? そういう報告が上がってたよ」

えーっ? とユリがまた大声を上げたが、警官もセイもそれをスルーする。

「はい。店を汚されたり落書きされるのが続いていて、もうすぐ10日になります」

「そんなひどいことをされてるのに、警察は何もしないんですか?」

孫のような娘に責められて退職間近の男は苦い顔をする。

「ユリちゃん、そんなわけないだろ。ちゃんと地域を担当している人間が見回りをしているに決まってるじゃないか」

「でも、防げてないじゃないですか」

それはその、と警官は口ごもる。確かにその通りで、反論のしようがなかった。

「いえ、警察の方に気を付けてもらっているのはわかってますから、そこは感謝してます」

嫌がらせをされている側の少女はそう呟いてから、

「ただ、今日のようなことがあると不安になってしまいます。ですから、お願いがあって来たんです」

「お願いって何ですか?」

(いや、きみに頼むわけじゃないんだから)

口を挟んできたユリに閉口しながらセイは話を続ける。

「うちの店、『くまさん亭』はおかみさんが切り盛りしてるんです。先代のご主人が亡くなった後もずっと一人で頑張ってきたんですが、こんなことになってとても疲れ切ってしまってるんです。それだけでも心配なのに、こんな変なビラまで撒かれると、もっとひどいことをされるんじゃないか、って思ってしまうんです」

「まさか、誰かに襲われたりするんですか?」

血相を変えて叫ぶ新米記者に、

「そうなるかもしれない、って思うんです。だから、心配で心配で」

俯いた三つ編みの娘を警官も記者も同情の目で見る。

「それは心配だろうね。よし、わかった。こうなったら地域の担当者だけに任せておくわけにもいかないから、本部からもそちらの店に警備を出せないか、わしから申し出てみよう」

「ありがとうございます!」

頭を下げたバイト女子に、

「うちも人員が足りているとは言えないが、これがあればお偉方だって反対はしないはずだ」

と人情味のある警官は束になった怪文書を掌で軽く叩いた。それこそが「くまさん亭」に襲い掛かっている悪意の証であり、警察の人間を行動させる引き金となるものでもあった。

それから、夜間だけでなく営業中も警官が巡回して店の様子を見ること、ノーザ・ベアラーの外出にも警官が付き添うこと、といった要望を実現させる運びとなったのだが、

「セシルさんはいいんですか?」

とユリが訊ねてきた。

「わたしがどうかしましたか?」

「いえ、セシルさんも女の人じゃないですか。襲われたら危ないから、おまわりさんについてもらった方がいいと思うんですけど」

三つ編みの娘は、ふっ、と息をついてから、

「わたしはいいんです。自分の身は自分で守りますから」

控えめな笑顔だったが、ユリ・エドガーは心を奪われていた。

(この人、なんて素敵なんだろう。なんというか、オーラを感じる)

もちろん、セイとしては当然のことを言ったまでなのだが、それでも記者は深く感動していた。そして、

(セシルさんには何かある。この人のこと、もっと知りたい)

新聞記者としての職業的本能がそう思わせたのだろうか。かくして、少女記者ユリ・エドガーもこの物語に登場することとなった。


「それで、被害届も出さずに帰った、というわけか。その店員さんは」

夕方、翌日の紙面の制作が進む「デイリーアステラ」社会部で、ウッディ・ワードはユリ・エドガーの報告を受けていた。

「はい。『犯人を捕まえてほしいわけではなく、店を守ってほしいだけだから』と言って帰っていったんです。もうすぐ夕食の仕込みもしなければならないから、って、とても仕事熱心な人でしたけどね」

新米記者の顔に「納得いかない」と書いてあるのを見た社会部長は思わず笑みを浮かべる。

「別に不思議だとは思わんが。本格的な捜査となれば営業にも差支えが出るかも知れんからな」

15年以上のキャリアを持つ記者の見立ては、図らずもセイジア・タリウスの考えを言い当てていた。女騎士は食堂の営業を続けるのを第一に考えていたのだ。

「でも、犯人を捕まえられるのに、そうしないなんておかしいです。捕まえれば嫌がらせだって終わるのに」

「どうして『犯人を捕まえられる』と思うんだ?」

四角い顔の男に睨まれてもユリは全く動じなかった。

「あの怪文書です。あれは印刷されていて、活字が打たれてました。部長もご存じでしょうが、活字には独特な癖がありますから、どこで印刷されたのかすぐにわかるはずです。しかも、あれだけ大量に印刷されたとなれば」

「そこまでにしておけ、

ワードがストップをかける。髪が短く目が大きく利口ですばしっこい部下を「子猿のようだ」と思っていた男は、お猿のもんきち、と少女を本名でなくあだ名で呼んでいた。

「犯人探しがやりたいなら、警察に転職しろ。おれたちはそういう仕事をしているんじゃない」

「でも」

「なあ、もんきち。悪い奴を捕まえるのと、困った人を助けるのとでは、どっちが大事だ?」

上司にそう言われたユリは少しだけ考えてから、

「助けたいです。困った人を助けたいです」

少女が正義感や功名心に取り憑かれて暴走してはいないことに安心した社会部長は表情を緩めて、

「そういうことなら、嫌がらせに遭ってもくじけずに頑張っている食堂を取材に行ったらどうだ? まあ、おれの好みではないが、そういうのは読者の受けもいいから、もしかすると編集会議でトップの記事に選ばれたりするかもしれん」

ぱーっ、と夕暮れの薄暗い職場で少女の顔がひときわ輝いた。

「部長、言いましたからね! 約束ですよ! 明日、は今からだと無理だから、明後日のトップ空けておいてくださいよ!」

そう言うと、ユリ・エドガーは、どどどどど、と室内でも土煙があがりそうな勢いで外へと飛び出していった。

「約束なんかしてねえ、っつーの」

そう苦笑いをしてから、ウッディ・ワードは腕を組んでやや値段の張る椅子にその身体を沈めた。

(もんきちのやつ、厄介な話に関わっちまったな)

ベテランジャーナリストにはきなくさい臭いしか感じない事案だった。確かに部下の少女の言う通りなのだ。大衆食堂の嫌がらせに少なからぬ人間と金が動いているのに間違いはなかった。

(そして、そんなことができる連中となれば)

この時点でもほぼ想像がついたし、おそらくユリならすぐに真相にたどりつくはずだった。そして、そうなるとどんな危険が待ち受けているかもわからない。少女が有能だからこそ、ワードは不安なのだ。

(とはいうものの、おれも興味が大ありだ)

ジャーナリストというのはつくづく面倒に出来ているらしい、とワードもまたこの件を調べるつもりになっていた。

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