第19話 女騎士さんの料理、予期せぬ展開を呼ぶ

シチューを作っているセシル・ジンバの背中に何かがぶつかってきた。振り返るとチコがこっちを睨みつけて、

「どけよ」

と言って厨房の裏口から出ていった。

「なんだあいつ。セシルちゃん、大丈夫か?」

「ええ、コムさん、平気です」

腹を立てた大柄な料理人を少女はなだめた。最近チコの自分への当たりがきつくなってきたのには気づいていた。

(こういうことは何処の世界でもあるんだな)

セイジア・タリウスはこの手の嫌がらせには慣れていた。天馬騎士団でも駆け足で出世していった彼女へのやっかみは相当なものがあったのだ。

「おかみさんが見ていたら、チコのやつ、ただでは済まなかっただろうがな」

オーマがつぶやく。確かにノーザ・ベアラーが一番嫌いそうな行為ではあった。

「あいつ、自分がどんなにみっともないのかわかってんのかな? いくらセシルちゃんに先を越されたからってさあ」

「わかってはいてもやめられないんだろうよ。ただ、おれとしてもああいうことは見過ごしてはおけないな。なあ、セシル。おれからチコに言っておくか?」

「オーマさん、ありがとうございます。でも、気を使ってもらわなくても大丈夫ですよ」

「でもなあ、セシルちゃん」

「コムさん、チコさんはわたしに喧嘩を売ってきたんです。売られた喧嘩を買うのは騎士の務め、じゃなくて、わたしの信条です」

2人の男を見てにっこり笑う。

「と言っても、わたしの喧嘩は料理を作ることですけどね。口や手を出すよりおいしい料理を作るのが、この場合、一番いい勝ち方ですから」

そう言って再びシチュー作りに戻った少女を2人の先輩料理人は唖然として見つめていた。

(なるほどな、おかみさんがこの娘を気に入るわけだ)

(チコ、初めておまえに同情するぜ。相手が悪すぎる)

後で戻ってきた女主人にオーマとコムがその話をしたところ、

「最高だね」

と大笑いされたのだが、それはさておき。セイが担当することとなった「くまさん亭」の新メニュー「シェフのきまぐれシチュー騎士団風」は、店で出すようになってからしばらく経ってもそこそこの売り上げ、メニュー全体でも真ん中より下の位置にとどまっていて、それは少女も気にするところであった。

「新米にはやっぱり無理だったんじゃないの?」

とチコに通りすがりに嫌味を言われても仕方がない、と三つ編みのバイト女子は思っていた。

「わたしにはまだ早かったのかもしれません」

ある日の夕方、ノーザに詫びるつもりもあって、そう言ったところ、経験豊かな女料理人は溜息をもらしてから、ちょうど手にしていたおたまでセイの頭を軽く叩いた。かーん、と厨房に快音が鳴り響く。

「あいたっ」

「あんた、何処を見て料理を作ってるんだい? 新入りが売り上げを気にするなんて百万年早いよ」

ふんっ、と少女の頭を叩いたおたまで麺をゆでている鍋をかき回し出してから

「今度注文があったら、お客の顔をよく見てみるといいよ」

とノーザはぼそっとつぶやいた。今ひとつわけはわからなかったが、それからしばらくして、シチューの注文があったので、厨房からこっそり観察してみることにした。幼い子供を連れた若い夫婦がセイの作ったシチューを食べていた。

「熱いから気を付けてね」

ふーふー、と息で冷ましてから、母親が子供の口許にスプーンを運ぶ。ぱくっ、と食べて、もごもご口を動かしてから、

「おいしい」

と子供が口の周りをべたべた汚しながら笑い、

「そう。よかったわね」

と母親も、そして2人を見ていた父親も笑った。

(うれしい! うれしい! うれしい!)

そのようすを陰から伺っていたセイの胸も喜びにあふれる。初陣で戦果を挙げた時よりもずっとうれしかった。小さな子供が自分の作ったものを食べて喜んでくれるのが、こんなにうれしいとは思いもしなかった。

(ああ、でも、そういえば、騎士団のみんなもわたしのシチューを食べて喜んでくれてたっけ)

今も騎士団にいる仲間、そしてスバル団長をはじめとした遠い世界に旅立ってしまった人たちのことを思い出した。彼らの笑顔を見るのもまた、料理を作る喜びであったのだ。自分が一番に気にすべきなのは料理を食べてもらう人たちであって、それ以外はつまらないことなのだ、と気づかされていた。

(よし、やるぞ)

気持ちも新たに鍋へと向かったセイは、彼女の様子を微笑みとともに女主人が見守っていたのに気づかなかった。

ノーザの教えもあって、女騎士はそれからシチューを頼まれると、客の様子を注意して見てみるようになった。男と女、子供から老人、と実に様々な人たちから注文があり、その都度気を付けなければならない、と少女は考えるようになっていた。彼女が昔相手にしていた騎士たちはさほど味にうるさいわけではなかったが、普通の人はそういうわけにはいかなかったし、何よりお金を出して食事を摂っているため、評価は厳しくなるのも当然だった。幸い文句を付けられたことはなかったが、シチューが残ったままの皿が戻ってくると、女騎士の闘志は否応なく燃え上がった。

(これもまた戦いだな)

客が出してくれた金銭に見合うだけの食事を提供する、という勝負だと少女は心得出していた。どうせなら、金銭を上回る価値のあるものを客に出すのだ。そう思うと、気合がより一層入り、料理に熱が入り出した。もはや、先輩見習いの嫌がらせなどさっぱり気にならなくなっていた。

そんなある日、奇妙なことに気づいた。

(またあの人だ)

この前、セイのシチューを頼んだ客がまた同じものを注文してきたのだ。気に入ってくれたのだろうか、と思っていると、それ以外にもシチューを繰り返し頼んできた客が何人かいるのがわかった。

「お、セシルちゃん、やるねえ。リピーターがついたんだよ」

コムに訊ねてみると、大柄な先輩料理人はにやにや笑いながらそう答えた。

「リピーター、ってなんですか?」

「繰り返し来てくれる人のことだ」

2人の会話を聞いていたらしいオーマが大根の皮を剥きながら答えた。

「つまり、セシル、おまえの料理を気に入ってくれている人がいる、ということだ。そういう人は大事にしないといかんぞ。見捨てられないように気を付けるんだな」

小柄な料理人の注意に、はい、と少女は元気よく答えた。

(一番いいパターンだ)

その夜、閉店後の店内で帳簿を付けながらノーザ・ベアラーは一人考えた。「シェフのきまぐれシチュー騎士団風」は徐々に売り上げを伸ばしていた。新商品は発売直後に爆発的に売れてもその後低迷して結局メニューから消えていく、という流れをたどるのも珍しくはないが、少女のシチューはそうではなく、固定客をしっかりつかむ根強さが感じられた。

(まあ、それはセシルには黙っておくけどね)

一度注意してから、三つ編みの少女は売り上げを気にすることはなくなっていたし、そんな余計なことを気にするのは店長である自分だけで十分だ、とノーザは考えた。あのシチューはこの店の新たな定番にもなり得る、という見込みも、もちろん言うつもりはなかった。

しかし、その考えが悠長に過ぎたものであった、というのはすぐにわかった。そのきっかけは、ノーザが帳簿を付けていた翌日の夕方にやってきた一人の客だった。

(あれ?)

注文を取っていたセイは、入り口に近いテーブル席に一人の男が座っていたのに気が付いた。鎧をまとった騎士だ。胸にはアステラ王国の紋章がある。彼女がかつてよく見知った姿だった。といっても、その人物自体は見たことがないから、黒獅子騎士団にいたのか、あるいはセイが辞めた後で新生王立騎士団に入ったのだろう。ともあれ、興味を引かれた少女は、その騎士からも注文を取ることにした。

「ご注文を承ります」

おひやをテーブルに置くと、

「ああ、ありがとう」

と騎士はにっこりと笑った。額の広い赤茶けた髪の中年の男だ。温厚そうに見えた。

「ここに騎士の方が来られるなんて珍しいですね」

「くまさん亭」のある繁華街と王宮近くにある騎士団の本部との間にはかなりの距離がある。セイがこの店で騎士を見たのもこれが初めてだった。

「ああ、たまには街の様子も見ておきたくてね。自分が守っている国を知らなければ、何のために働いているのかわからなくなってしまうからね」

(いい心がけだ)

戦いが終わっても、アステラの騎士に油断はないらしい。かつての騎士団長は喜びをひそかに噛み締めた。

「そうだな。では、この『シェフのきまぐれシチュー騎士団風』というのを頼もうか。わたしも一応騎士なのでな」

「かしこまりました」

贔屓をしていけないのはわかってはいたが、その騎士に出すシチューには特に気合いを入れた。

「おまたせしました」

「うん。ありがとう」

運ばれてきたシチューを騎士は表情を変えぬまま無言で食べだした。連れもいないので何も話すはずはなかったが、それでも男の顔にかすかに満足げな表情が浮かぶのを、客の観察を続けてきたセイは見逃がさなかった。

「ごちそうさま」

と静かに呟いて店を去る騎士に「ありがとうございました!」と少女は深々と頭を下げた。大きな達成感が彼女の胸にあった。

次の日、また騎士がひとり来た。昨日とは違う男だったが、やはりセイのシチューを頼んできた。その次の日も、また別の騎士が来て、その男もシチューを頼んだ。さらにその次の日は、騎士が二人来て、どちらもシチューを頼んだ。

そして、5日後の夜には「くまさん亭」の店内は騎士で満杯になっていた。

「こりゃどうなってるんだい、セシルちゃん?」

コムが驚いて訊いてきたが、

(そんなのこっちが聞きたい)

とセイもまた困惑していた。店に来た騎士の中には、顔見知りの人間もいたので嬉しくもあったが、この現象の理由がわからなかったのは女騎士も同様だった。

「注文を取りに行きますか?」

とチコが女店長に訊いたが、

「その必要はないだろうね」

とノーザは首を振った。そう、彼らはみんな「シェフのきまぐれシチュー騎士団風」がお目当てなのだ。

(まあ、「騎士団風」と名前にあるのは伊達じゃない、ってことなんだろうけど)

それにしても客層がいきなり変わりすぎだ、とさすがの女料理人も呆れてしまう。

「とにかく、セシル。必死で手を動かしな。みんながあんたの料理を待ってるんだ」

「はい!」

セイにもそれはよくわかっていた。全速で食材を処理し、全力で鍋を煮ていく。自分の全てをこの料理にかけるのだ。

「兄貴、セシルちゃんがこの店に来てから、おれ、毎日楽しくて仕方ないんですよ」

「なんだ、コム。あの娘に惚れたのか?」

「おれは熟女オンリーだからそれはないですって。だって、店に来るたびにすごいことが起こるんだから、退屈してる暇なんてないじゃないですか」

「まあな。おれも長いこと料理人をやっているが、店が騎士だらけになるなんて初めて見る。あの子といると、確かに面白いことが起こる」

あからさまな態度とひそやかな態度。違いはあったが、オーマとコムは2人とも楽しげな顔をしていた。今この店で不満を抱えているのはただ一人、見習いのチコだけだった。自分の後から店に入ってきた少女が目に見える結果を出していることにたまらなくみじめな気分になり、そんな彼女に嫌がらせをしていた自分自身を省みてさらにみじめになっていた。

「ふう」

1時間半後。店内の混雑が一段落し、セイもようやく一息つくことができた。右腕に痛みを感じた。剣と槍を使いこなしていても料理とはまた使う筋肉が違うらしい。

(今夜の戦いをなんとか乗り越えることができたようだ)

顔から滴る汗を手で拭いながら、三つ編みの少女は凛々しく前を見据えた。だが、今夜の本当の戦いがこれから始まることに彼女はまだ気づいていなかった。

「おい、セシル」

オーマが店内から厨房に戻ってきた。

「はい、なんですか?」

「お客がお前を呼んでいる」

「え?」

今までになかったことなのでセイは驚いてしまう。

「もしかして、『このシチューを作ったのは誰だ!』って美食家が抗議しに来たんですか?」

「馬鹿だね、コム。あのシチューに文句をつける奴がいたらわたしが叩き出してやるよ」

「いえ、じゃあ、わたし行ってきますから」

ノーザと客を喧嘩させるわけにもいかないのでセイは店内へと飛び出した。

「あのテーブルに座っている二人組だ」

オーマに言われた席に近づいて客に声をかける。

「あの、お客様」

少女の声に振り返った2人の男の顔を見て、セイジア・タリウスは言葉を失う。

「あのシチューを作ったのはあんたか?」

シーザー・レオンハルトが口を開いたその隣では、アリエル・フィッツシモンズが真剣な表情を浮かべていた。

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