第11話 女騎士さん、吟遊詩人を助ける

「セシル、酒を持ってきておくれ」

「はーい」

ノーザ・ベアラーに頼まれたセシル・ジンバは「くまさん亭」の裏口を出て、すぐそばにある店の在庫が収められた小屋へと行こうとした。夜も更けつつあった。

酒の入った箱を抱えて店に戻ろうとした彼女の目に飛び込んできたのは、路上にわだかまったぼろきれのかたまりだった。もとは白かったはずだが、今はかなり汚れているのが、店内の明かりに照らされているおかげで見て取れる。夕方に掃除した時にはこんなものはなかった。疑問を覚えながら近づこうとすると、もぞ、とそのかたまりが動いた。それだけでなく、

「ううう」

と苦しげな呻き声まで聞こえてきた。ぼろきれではなく人間だ。

「おい、どうした?」

スイッチが切り替わり、セシルの中からセイジア・タリウスが浮上する。ぼろきれに触ると、人の顔が見えた。頭巾をかぶった銀髪の若い男だ。

「おい、大丈夫か?」

セイが身体を揺さぶると男を顔を上げた。顔立ちは整っている。鼻が高い。薄く開かれた目の中に見える瞳には色がなく輪郭だけがぼんやり見える。目を病んでいるようだ。しかも、顔中傷だらけだ。誰かに、しかも複数の人間にやられたものだと、戦士としての経験からセイは知った。目の見えない人間を大勢で痛めつけるとは、正義感の強い少女には許しがたいことだった。

「ひどいな」

思わずそう口走ると、男はかすかに笑った。

「いえ、平気ですよ。大事なものは守れましたから」

そう言われてよく見ると、外見はかなりぼろぼろだが、そこまで大した怪我でもなさそうで、セイは少し安心する。

「大事なもの?」

「これと」

男は両手をセイに向けて差し出すと、白く細長い10本の指を広げ、

「これです」

胸に抱え込んでいたものを取り出した。木製の胴体に6本の弦がついている。楽器だ。男の言う通り、傷ひとつついていない。

(吟遊詩人か)

それでセイにも事情がなんとなくわかった。この男がこの街の一角で歌声を披露していたところを、やくざ者に見つかり制裁を受けたのだろう。この街で芸事で金を稼ぐためには「ショバ代」というのを裏社会の人間に払わなければいけないらしい、というのをセイは昔シーザー・レオンハルトから聞いて知っていた。シーザーは騎士になる前はそれなりのワルだったらしく、本人はそのことに触れられるのを嫌がっていたものだった、と少女は過ぎた昔をしばし懐かしむ。

「わたしがよくなかったのですよ。この都に来て最初の演奏だったのですが、思いがけず人が集まってしまいましてね。よそ者がいきなりやってきて大きな顔をしたら気に障るのは当たり前です」

「でも、だからと言って、殴るのはひどい」

「ひどい、と言ったところで、誰かのせいにしたところで、この怪我が治るわけではありませんから。自分の身は自分で守る。それができなかったわたしの責任です」

男の潔さにセイは好感を持った。

「よく我慢したな」

暖かい言葉が男の鋭敏な耳まで届くと、立ち上がる気配を感じた。

「ちょっと待ってろ」

遠ざかる足音がして、路上が再び暗黒に戻ったのを感じた。男には視力が全くないわけではなく、明暗や物の形状くらいは判別できた。再び扉が開く音がした。

「ほら、食べろ」

少女が男の両手に何かを押し付けてきた。食べ物の乗った皿と酒の入ったコップだと触感と嗅覚でわかる。

「わたしも仕事中で手当てはしてやれないが、せめてこれを食べて元気を出してくれ」

「そんな、悪いですよ」

「気にしなくてもいい。それはお客の食べ残しと飲み残しなんだ。どうせ捨てるのだったら、おまえに食べてもらった方がいい」

少女のぶっきらぼうな言葉に自分への配慮を感じた男の顔に笑みがかすかに浮かぶ。ちゃんとした食べ物を出されると、それは完全に施しになってしまい、相手のプライドを傷つけることになりかねない。吟遊詩人は物乞いではない、というのが男の信念だった。だから、この場合、残り物を押し付けられたかたちにした方が、男の矜持に救いの余地は残されるのだ。

(言葉遣いは荒いが、他人をしっかりと見ている人らしい)

男の胸に少女への興味が湧く。

「そういうことならいただくことにします」

頭を軽く下げた男を見たセイが微笑む。

「ああ。食べ終わったら食器はそこに置いておいてくれ」

「厚かましいようですが、もうひとつお願いがあるのですが」

「なんだ?」

「商売道具は無事なのですが、杖はだめだったのですよ。だから、代わりになりそうなものをいただけないでしょうか?」

そのせいで、リンチに遭った街角からこの裏道まで壁伝いに這うようにしてやってこなければならなかった。

「それは困るだろうな。えーと」

娘が立ち上がって自分から離れた気配がしたかと思うと、

「よいしょ」

掛け声とともに、ばき、と何かが壊れる音がした。

「ほら、これを使ったらいい」

長い棒を手渡された。

「あの、すみません。これはいったい」

「ああ、店で掃除に使っているほうきの柄だよ。それなら杖の代わりになるだろ?」

「もしかして、今、これを壊したんですか?」

「だって、ほうきのままだと歩きづらいだろ? 街中掃除しながら歩くわけにもいかないし」

それは確かにそうだ。しかし、見ず知らずの人間のためにここまでするとは。男の胸に感謝だけでなく驚きとも呆れともつかない感情が起こる。

「店の備品を壊して、あなたも怒られるんじゃないですか?」

「怒られるのが嫌だから人を助けない、というのはわたしの人生にはありえないことだ」

少女は明らかにむっとしていた。人を助けるのは当たり前のことだ、という確固たる信念が感じられた。

(なんと気高い)

吟遊詩人は猛烈に感動していた。まさか繁華街のごみごみした裏通りで出会った少女に高貴な精神の輝きを感じるとは思わなかった。食堂の店員ではなく、まるで女騎士のようではないか。

「ちょっと、何をぼやぼやしてるんだい?」

女主人の大きな声が店内から聞こえた。「ははは」と少女がいくらか気まずそうに笑う。

「早くしないと怒られそうだ。じゃあ、気をつけてな」

置きっぱなしにしていた箱を持って立ち去ろうとする少女に、

「お待ちください。あなたのお名前をお聞かせ願えませんか?」

暗がりから男が問いかけたが、

「名乗るほどの者じゃない」

という微笑みとともに店の裏口の扉は閉ざされた。

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