#13 愛する人に それぞれの真実
病院に駆けつけると、茉莉の母親が俺にお辞儀をしてくれた。違う、頭を下げなくちゃいけないのは、俺の方なのに。
「俺、とんでもないことを……俺が………あの時」
「春彩くん。あなたのせいじゃない。運が悪かったのよ」
「違うんです。あの時、インパクトドライバーを……俺が」
「違わないわ。それに、茉莉だって、春彩くんのせいにしたいなんて思っていないでしょう。あの子がどんな気持ちであなたのお世話をしたいって言ったのか。母親ですから、分かります」
何も言えなくなってしまった。茉莉のお母さんは気丈にも涙を流すことはなかった。なのに、涙を流して
救急外来の扉が開いて白衣の医師が出てきた。焦る気持ちで、俺は医師に「どうですかッ!? 茉莉はどうなったんですかッ!?」と掴みかかる勢いだった。
「今の所、背中の打撲と額が少し切れた程度ですので、命に別状はないでしょう。傷も残りません。不幸中の幸いでしたね」
へなへなと力が抜けてしまった。良かった。本当に良かった。茉莉が無事だったら、俺はそれ以上なにも望まない。
「おばさん、俺、茉莉におばさんに、本当に申し訳なくて。ごめんなさい、本当にごめんなさい」
「大したことなかったみたいだから、顔を上げて」
医師の話だと、念の為に一日入院してほしいということだった。だが、恐らく意識レベルが低下しているわけでもないので、明日には帰れるのではないかと言っていた。
病室が決まり、俺とおばさんで向かう。すると、おばさんは「春彩くん会ってあげて。二人で話したいことあるんでしょ」と見透かされていた。
個室だった。ドアをノックして病室に入る。頭に包帯を巻いて、横たわる茉莉がぱっちり目を開いた。良かった。本当に俺、茉莉になんて言えばいいんだろう。
「茉莉……ごめんな。俺のせいで」
「…………」
俺をじっと見たまま、なにも話そうとしない。やっぱり怒っているのかな。怒られても当然だ。怒って気が晴れるなら、いくらでも怒ってほしい。
「茉莉が怒るのも無理はないよな。本当に俺が悪かった。ごめんッ!」
「…………」
「なあ、なにか言ってくれよ。
————あなた……誰?
頭の中が真っ白になった。いや、冗談だよな。茉莉がそんな…………そんなはずない。
「う、嘘だろ。俺だよ。春彩だ。なあ、なんとか言ってよ」
「………ハルヤ? どこかで……だめ思い出せない」
「嘘だ。記憶喪失なんて………嘘だ」
俺が記憶喪失になったとき、茉莉はどんな気持ちだったのだろう。茉莉は声高々に、俺を守ると宣言したと聞く。心が折れそうな、こんな状況でいったい………なにができるっていうんだ。
「ハルヤ? プリン食べたい」
「わ、分かった。買ってくる。茉莉。俺、茉莉のためにできる限りのことはする。だから、頼むから、記憶を————」
記憶を戻して欲しい。茉莉が俺にずっと言っていたことだ。心底願ったに違いない。それなのに、俺は茉莉の気持ちもなにも知らないで…………。
プリンを買いに走った。病院の売店は閉まっていたから、近くのコンビニまで走った。コンビニのプリンは種類が多い。どれを買えばいいんだ。
『春彩の好みは全部知ってるよ。だから、わたしの料理おいしいでしょっ! えへ』
茉莉………俺………茉莉のこと…………茉莉は俺のために。茉莉………。
茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉茉莉。
心が茉莉で満たされていく。茉莉のことしか考えられない。茉莉のためならなんでもする。茉莉が北海道の鮭が食べたいっていうなら、北海道まで行って手に入れてきてやる。沖縄のシークヮーサーを欲すれば、今すぐにでも行ってくる。
「だから、茉莉………俺を忘れないで………」
店頭に売っていた全種類のプリンを買って、病室前に戻ると紅音ちゃんと翼がベンチに座っていた。駆けてきた俺を見るなり、立ち上がって憂いを抱く表情に。
「茉莉は………記憶喪失だ」
「————っ!?」
「な、んだって? 茉莉ちゃんが?」
事情を話すと、煮え切らない表情に。翼はきっと俺を怒るのかな。すべて俺の責任だから。殴ってほしい。気が済むまで殴ればいい。
「お前のせいなわけあるか。インパクトドライバーよりも手回しのほうがトルクが掛かる。むしろ、ビスで留めていたほうが問題だ。普通、ボルト使うだろ」
「そうですよ。春彩さまの責任なはずないです」
翼………紅音ちゃん。俺、そんなこと言われても、救われないよ。
「茉莉〜〜〜〜プリン買ってきた。どれが食べたいか分からなかったから、全種類買ってきたんだけど」
「……あ、ありがと。でも、もう食べたくなくなっちゃった」
「茉莉……春彩さまは、あなたのために必死に———」
「紅音ちゃん、やめて。茉莉は俺が記憶喪失になったとき、同じようにイライラしてモヤモヤして、いっぱい泣いてくれたんだと思う。それに、記憶を失うと性格まで………だから、何も言わないで」
「茉莉。おばさん来てるから、そろそろ俺……帰るな。明日また来るから」
「………あなた、わたしのなんだったの? 恋人?」
「幼馴染。ただそれだけ」
思い出すのは、記憶を失った直後の俺の言葉。
『茉莉……っていうの? 俺のなんだったの? 恋人?』
『………ううん。大事な、大事な………幼馴染』
宝物のように、俺を抱きしめてくれたんだった。だから、俺も茉莉をそっと抱きしめた。そして————。
「俺の宝物だったんだ」
「…………」
泣いちゃいけないのに泣いてしまった。そんな俺を茉莉はただ不思議そうに眺めるだけ。いつもの茉莉なら、イイコイイコしてあげるっ、なんて言って笑ってくれるのに。失ったものが大きすぎる。
「また来るからな」
「………うん。ハルヤ。ありがと」
言いたい言葉を丸めて喉奥に押し込んだ。これ以上、ここにいることなんてできない。背中に感じる冷たさを無視して病室を後にした。
★
翌日、文化祭の振替休日で学校は休みだった。だけど、ステージの事故で今日は実況見分が行われるらしい。とにかく大変な騒ぎになっていた。
紅音ちゃんを連れて病院に来た。紅音ちゃんには、俺から伝えなくてはならない。紅音ちゃんに訊いたら、きっと会いたいって言うと思うんだ。
偶然にも茉莉と同じ病院だった。俺も知らなかったんだ。親父に電話をして確認した。親父——
「春彩さま………茉莉の病室は三階では?」
「うん。その前に行きたいところがあるんだ」
向かったのは最上階。特別室があるところ。ここは、病棟に入る前にセキュリティチェックと身分証の提示が義務付けられている。もちろん、誰でも入れるわけではない。家族や知人——知人の場合は本人もしくは家族の同意書が必要——であれば、面会は可能。
「待って。春彩さまいったい?」
「………見れば分かるよ」
看護ステーションに会釈をして、病室を探すとすぐに見つかった。
ノックをして病室に入る。そこには…………。
————
酸素マスクをつけて瞳を閉じている。当然、死んでいない。
「え。こ、この方は? え?」
紅音ちゃんは俺と目の前の心夜を見比べる。俺と瓜二つの心夜の表情は窺い知れない。ただ眠っているだけのように見える。感情が残っているのかどうかも分からない。
「心夜。俺の双子の兄だ」
「…………え?」
しばらく呆然と立ち尽くした後、紅音ちゃんは彼に突っ伏して泣き崩れた。わんわん泣いて、涙と声が枯れるくらい泣いた。仕方ないよ。
ようやく落ち着きを取り戻した紅音ちゃんに真実を伝える。
「俺は
「で、でも、双子なら……そう発表しちゃえば………」
「おそらく、記憶喪失の俺にマスコミが押し寄せることは、俺のためにならないって判断されたんだろうね。それに、兄さんは双子の弟がいるってことを隠していたでしょ。それは理由がある」
「……たしかに、聞いたことないですね」
「うん。双子の弟は、ブレディスの心夜の陰に隠れて生きることを望んだから。表舞台には出たくないって、兄さんに懇願したんだ。だって、そっくりの弟がいたら、みんな興味わくでしょ?」
紅音ちゃんは大きく頷いた。俺を初恋の人と見間違うくらいなんだから、世間からしたらとんでもないスクープだったと思う。心夜という名前は、社会現象を起こすほど人気だったから。
「……じゃあ、どうして……春彩さまは記憶喪失に…………あっ!」
「そう。俺はどうしても兄さんに勝たなきゃいけなかったんだ。そこでダンスバトルを申し込んだ。で、ステージの不備で、二人して五メートル下に落下。俺は記憶喪失。兄さんは……このとおり。いつか目が覚めるかもって言われているらしいけど————」
「………なんで、勝たないといけなかったのですか?」
そうだよね。紅音ちゃんからしてみれば、俺がダンスバトルをしたいなんて言わなければ、こうなることもなかったはず。
「茉莉だ。茉莉が……好きだった。でも、茉莉は兄さんのことが好きだと思い違いをしていたんだ。だから、兄さんにダンスで勝ったら、告白しようと」
「………そうだったんですね」
「うん。でも、この前、茉莉のスマホの待受を思い出して、俺の早とちりだったって分かったんだ」
「…………覆面ですね」
「うん。あれ、俺だし。顔バレしたくないから、覆面でダンス。マジでイカれてると思う」
「……………」
「ごめん。俺、紅音ちゃんに謝らないといけない。全部俺のせいだ。俺がダンスバトルなんてしたいって言わなければ…………」
「それは違います。春彩さまが気に病むことでは………だた、心夜さまは……運が悪かったんです。でも、きっと、いつか目を覚まして………」
なにも答えられなかった。正直、分からない。記憶を失っている間、兄さんはきっと茉莉が……おばさんが………秋奈が。俺はまったく何も知らずに呑気にしてて。
「春彩さま………少し彼と二人きりにしてくれませんか?」
紅音ちゃんは、ネックレスを指で転がしながら寂しそうに俯いた。椅子を心夜の枕元近くにおいて、優しく囁きかけた。
「紅音ちゃんに教えなかったのは………」
「…………はい」
「紅音ちゃんの気持ちをみんな知っていたからだと思う。だから、みんなを許し——」
きっとそうに違いない。だって、これじゃあ、あんまりだ。
「分かっています。でも、正直、今も心の中がぐちゃぐちゃで」
俺は小さく頷いて病室を後にした。
うめき声が叫び声に変わるのを背中で聞いて、俺は頭を振った。
茉莉の病室に————行かなきゃ。
——————
次回、茉莉の行動が明らかに。
抜けがあるかも知れません。お手柔らかに。
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