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「……本当に大きくなったわね」
小さく雪菜はそう呟いた。
息子の和人が大きく成長していることは常々実感していることだ。優しく、強く、大凡人として大切なモノをしっかりと育んで和人は育った。
これから行われる人形劇の舞台に柚希と共に向かう後ろ姿を雪菜は心に刻みつけるのだった。
「柚希もそうだわ。和人君と出会ってから本当に変わったもの」
「それは和人にも言えることね」
好きな人が出来れば人は変わる、それを体現しているのが正に和人と柚希に言えるかもしれない。
雪菜は藍華と共に最前列に向かい、一番近い場所で二人が主人公とヒロインを務める劇を眺めることにした。
『お待たせしました。それでは始めたいと思います。題名は“繋がらなかった心”、それではお楽しみください』
凛々しい女の子のアナウンスが流れ、訪れていた客はみんな一切の私語を止めて静かになった。特設されたステージの上、作り込まれた風景の中に幼い姿をした人形が現れた。
「ねえリツキ君! 将来結婚しよ!!」
「うん! 絶対に約束だキッカ!!」
本当に幼い子供の様に声を高くした二人の様子、それを見ていた母二人は自然と微笑んでいた。可愛らしい声が面白かったのではなく、昔はこんな風に元気だったなと思い出したのだ。
いくら劇といえど時間は限られているため、簡単な幼少期が語られたらすぐに現代へと時間は映る。
「本日よりみなさんのクラスメイトとして過ごすことになりました。よろしくお願いします」
主人公のリツキの元へ転校してきたキッカ、その美しい容姿にクラス中が息を吞み見惚れるというよくある光景だ。
『転校してきたキッカと名乗った少女、その美しさに見惚れた者の中にはリツキもその例に漏れませんでした。しかし、彼女に見つめられてもリツキは過去を思い出すことはありません。その様子にキッカはガッカリとしてしまいますが、必ず思い出させてみせると意気込みます』
ナレーションが入り、それからリツキとキッカのやり取りが始まった。
演じるのが物語の彼らと同年代の和人と柚希だからこそ、リツキとキッカの心情と言うべきものが聴いている人たちにも伝わる。甘酸っぱい青春、それを眩しく見つめる者も居れば少し悔しそうに見つめる者も居る。
「甘酸っぱいわね」
「えぇ。かつて出会っていて運命とも言える再会は流石物語……あ」
っと、そこで雪菜は和人と柚希のとある奇跡を思い出した。
かつて昔、それこそ記憶が一切残っていない時に二人は出会っていた。二人もその時は覚えていなかったが、それは写真という形としてちゃんと残っている。そんな二人が再会し恋人として幸せに過ごしている、あまりにも出来過ぎた奇跡のような物語が現実にあるではないか。
さて、そんな風に息子の幸せを自分のことのように嬉しく考える雪菜とは裏腹に物語は少しずつ暗い雰囲気を纏わせてきた。
「なあ、お前はキッカちゃんのことどう思ってるんだよ?」
「なんだよいきなり……どうとも思ってないよ」
「マジかよ。あんなに仲が良さそうなのに?」
誰しもが経験するであろう恥ずかしさに本心を隠す行為、心では分かっているのにそれを打ち明けることが出来ない思春期の困った病気みたいなものだ。そして、そんなリツキの言葉は偶然居合わせたキッカに聞こえていた。
「……っ。リツキ君は……」
「……全くもうあいつは!」
リツキの友人、キッカの友人も本格的に物語に加わり人間模様を形成していく。しかしこの時のやり取りが尾を引いてしまい、二人の中に小さな亀裂が出来てしまったのだ。
絶対に思い出させてみせる、そんなキッカの想いに影が生まれた瞬間だった。
「リツキ君は……私のことをどう思っていますか?」
柚希が演じるキッカとしての言葉、その言葉に込められた想いは凄まじかった。つい見ている側の雪菜が胸に手を当てて切なく感じてしまったほどなのだから。
「どうとも思ってないってば。ただの友達だよ……」
ここに至っても恥ずかしさが先行してしまいリツキはそう言ってしまった。
この言葉が最後のやり取りだった。
「……そっか。分かった」
そう言って去ってしまったキッカの姿に観客たちの間で溜息が零れる。雪菜も藍華も心が非常にモヤモヤしていた。結局、二人は本当の想いを伝えることなくこれで別れてしまった。
それから数年が経ち、もしもまたキッカに出会えたら本当の想いを伝えよう。そうリツキが決心をしたその時、テレビにキッカが出ているのを見てしまった。
『自分の夢の為に日本を発ったキッカは新しい恋を歩み始めました。外国で有名な歌手に見初められ、同じ音楽を愛する者として彼と共に生きることを決めたのです』
その頃になると相手が有名歌手というのはもちろん、キッカも有名なヴァイオリニストとして有名だった。だからこそ記者会見をするくらいにはキッカは有名人になっていた。
今のお気持ちを教えてください、その言葉にキッカはこう答えた。
「こうして彼と出会い結婚をすることになりました。本当に幸せです!」
その迷いのないキッカの言葉にリツキは茫然と空を見上げ、そしてあの時ちゃんと恥ずかしがることなく気持ちを伝えればと後悔する。
「……キッカ……いや、全部俺が悪いんだ」
何も伝えられなかった自分が悪い、そんな後悔と共にこの物語は終わりを迎えた。
結局、前に踏み出していればいくらでも未来は変化する物語だ。それは現実でも同じことが言えるだろう。
好きな人を前にして目を見ることが出来ずに下を向いてしまう人、話しかけてくれたのに聞こえないフリをして無視をしてしまう人、少なからずそういう人たちは居るはずだ。
そんな恥ずかしさが相手に嫌な方向で伝わり、せっかくのチャンスが無残に消えてしまった経験がきっとあるはずだ。
「……ふふ、物語としてはバッドエンドだけど和人と柚希ちゃんとは真逆ね」
「そうねぇ。バッドエンドとか悲恋とか無縁そうだもの二人には」
普段の二人のイチャイチャを少しでも知っているならそんな答えに行き着く。笑顔の二人とは裏腹に会場はかなり暗い雰囲気だが、この結末に文句を口にする人は全くいなかった。むしろ、過去に自分もそうやって一歩を踏み出すことが出来なかったなと思い出している人が多い印象だ。
さて、こうして物語は終わりを迎えたがまだまだ時間は残っている。
「……え!?」
「あはは、いいじゃん」
「面白そうだけど」
「やろうよ三城君」
おや、何やら裏から話し声が聞こえてきたぞ。
一体何が始まるのか、クスクスとナレーションをしている女の子の声が聞こえたと思ったらこんな言葉が聞こえてきた。
『さて、このように物語はバッドエンドを迎えましたが。何を隠そうこの二人を演じた二人は我がクラスにおいてもっともバカップルと呼ばれている二人です』
「……ぷふっ!」
「違いないわね!」
暗かった空気に少しばかり光りが当たったように温かくなった。
和人と思わしき声と柚希の笑い声、そしてその友人たちの楽しそうな声も聞こえてきた。裏方や照明を担当している生徒からもクスクスと楽し気な笑い声が漏れる。
『もしもこの二人なら物語がどんな変化を起こすのか、見たくはありませんか? というよりも、キッカを演じた子がすぐに初恋を諦めたキッカに対して爆発しそうなんですよね』
ついに客席からも笑い声が漏れた。
ということで、おそらくは予定に一切なかったもう一つの物語が演じられることになった。この暗い空気を吹き飛ばすような物語を期待する客席の反応、さて一体この空気に対し和人と柚希はどう答えるのか。
再び始まるのはキッカがリツキにどう思っているのかと聞く場面だ。
『キッカはリツキにただの友達だと言われてしまいました。しかし、たったそれだけの言葉で今まで抱いていた気持ちを捨て去ることは出来ません。なのでキッカは決心をしました。この想いを隠すことなく、真正面から伝えることを♪』
ナレーションの子も大変楽しそうだ。
下を向いていたキッカは前を見据え、元気な声で新たな生まれる言葉を放つ。
「私、あなたのことが好きです。隠したくない、こんなことで終わらせたくない。私はあなたのことがどうしようもないくらい大好きなんです! カズのことが……じゃなくて、リツキ君のことが好きなんです!」
カズ、その言葉が聞こえて母二人は吹き出してしまった。
まあ今一番大変というか、恥ずかしい気持ちなのは誰よりも和人だろう。
「さあさあ和人見せてちょうだい!」
「和人君~! 頑張って~!」
勘弁してくれ、そんな和人の声が聞こえた気がした。
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