110.修羅と化す③

 王都での戦いが始まった直後、エクトスは戦場から姿を消した。戦況が動くまでの様子見ではなく、戦いの場を魔神たちに任せて、自身は別の場所へ移動していた。

 王都から遠く離れた名もなき山脈の頂上。突風が吹き抜け、日の光を遮るものがないから影もより色濃く見える。

 こんな場所には誰もいない。何もないこの地を目的にすることはない。本来ならば、ここで誰かがばったり出会うなんて偶然は、起こらない。


「こんな場所に隠れていたのか。風の魔術師」

「やぁ、こんなところで会うなんて奇遇だねぇ」


 だが、彼らは出会った。セトは穏やかに微笑みながら偶然と口にしたが、この邂逅は偶然などではない。

 セトもそれを理解している。さきほどのセリフは皮肉であり、エクトスに対しての挨拶でしかなかった。彼はこうなることを予見していた。

 若き魔術師たちを欺き、古き遺産の心臓を手にしてしまった時から。


「一応聞いてもいいかな? 君は確か、王都へ攻め込んでいるはずじゃなかったのかな?」

「へぇ、知っているのか。こんな何もない場所に引きこもっていたのに」

「風の噂ってやつだよ。大抵のことは風が教えてくれる」

「……そのセリフ、懐かしい奴を思い出す」


 懐かしい……そう口にしながらエクトスは笑っていない。むしろ苛立ちを表情に見せる。大してセトは変わらず平然とした態度で返す。


「そうかい。で、さっきの質問の答えを聞いていいかな?」

「言う必要があるか? 聞かなくてもわかっているだろう? お前の手にはなにが握られている?」

「ああ、やっぱりこれを回収しにきたんだね」


 セトは懐からそれを取り出し、エクトスにもわかるように見せる。雷の魔神の心臓。フレイたちと共に回収に挑み、彼らから奪い去った古の遺物である。


「ってことは、王都への襲撃は囮だったのかな? 最初から狙いは、俺の持っているこの心臓にあったってことか。けどだったらおかしいよね? 君は王都の襲撃に心臓を二つ消費しているはずだ。二つを捨てて一つを回収するなんてわりに合わないと思うけど?」

「捨てたつもりはない。あとで回収すればいい」

「嘘だね。君はもう知っているはずだ。王都には魔神を倒せる者たちがいることを」


 一度目の王都襲撃で、フレイが炎の魔神プロメテアを追い詰めた。彼はさらに力をつけてきている。彼の師であるアルセリアも徐々に力を取り戻している。加えて彼女には、過去に魔神たちと戦った経験が備わっている。

 二人を主軸にして戦えば、二体の魔神を相手にするだけの戦力は十分になる。これまでの戦闘を経て、エクトス自身も彼らの強さを目の当たりにしてきた。


「君が直接介入するなら話は別だけど、ここに顔を見せた時点でそれもしないんだろう? 君ほどの実力者が、相手の戦力を見誤るなんてありえない。だとしたら、わざとそうんだと思うところだよね」

「……だとすればなんだ? 俺に真の目的があると?」

「さぁね。俺にはそこまでわからないよ。ただ一つ言えるのは……君の目的は、ただ魔神の心臓を集めることじゃないってことだ」


 二人の視線が交錯する。エクトスは静かに睨み、セトは不敵な笑みを浮かべる。セトの予想は間違っていなかった。その証拠に、エクトスの雰囲気が変わった。

 セトが攻撃の気配を察知する。


「……まったく腹立たしいな。勘のよさもそっくりだ」


 エクトスは自身の影を広げる。太陽に近く、遮るものが何一つないため通常よりも影は濃くハッキリと見えている。その影を地面全体に広げることで、彼は自らの支配領域を拡大させる。

 対するセトは宙に浮かぶ。風を操る彼の術式によって、周囲の大気は完全に支配下に置かれていた。戦いが始まる前、すでに準備は終わっていたのだ。


「はっは! 凄いな真っ黒だ!」

「余裕を見せている暇はないぞ? 悪いが手早く済ませたいんだ。最初から全力で行かせてもらうぞ」


 大地を覆う黒い影が蠢く。エクトスを中心に影に魔力が流れ、無数の鋭い刃となって空中にいるセトに襲い掛かる。


「【影縫い】」


 影を媒介にした刃を無数に操り、セトの四方八方を影の刃で覆うように攻撃する。攻撃によって逃げ場をなくしたセトだが、彼は慌てることも動くこともなかった。

 エクトスの攻撃はセトに当たることはなく、全てが彼を避けるようにして曲がっていた。


「駄目だよそんなにせっかちじゃ。せっかくの魔術戦なんだし楽しまないとね」

「躱した? いや、逸らしたのか」

「ご名答! さすがに理解が早いな」

「その術式の使い手に心当たりがあるからね」


 セトの術式【全ての大気を統べる者エンペラー】。周囲の大気を支配下に置くことで、あらゆる物理攻撃の軌道をずらすことができる。そして回避性能だけではなく、攻撃面でも大きな力を発揮する。


「今度はこっちの番だよ」

「後ろか!」

「いいや、君の真似だ」


 攻撃は全方位、加えてエクトスの周囲に突然風の刃が生成され、一斉に襲い掛かる。エクトスは足元の影を操り壁を作り防御した。


「この程度の攻撃が俺に届くとでも思ったのか?」

「思ってないさ!」


 セトは高々と声をあげ、右手を天にかざす。いつの間にか集まっていた灰色の雲に太陽が半分隠れる。

 大気を支配できる彼にとって、全ての天は支配することは難しくない。強い上昇気流に寄って生成された積乱雲が、その力の全てを大地に振り下ろす。


「ダウンバーストか!」

「正解だよ!」


 セトが右手を振り下ろす。積乱雲から放たれる爆発的な下降気流は大地を抉り大穴を作り出す。ダウンバースト、自然現象の天災すら、セト・ブレイセスは自らの意思で起こすことができてしまう。

 これが特級魔術師、現代における最強の一角に座する魔術師の力である。ただし、彼が相手にしているのは古の大魔術師。かつて世界を救った賢者と袂を分かったもう一人の賢者。


「……やっぱり、これでも届かないかな」


 自らの影をドーム状に変形させ、ダウンバーストから身を守った。影の中から無傷のエクトスが姿を見せる。

 影の賢者エクトス。彼が操る影の密度は魔神にも匹敵する。大地を抉る一撃ですら彼の影をはがすことはできなかった。

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