#17
シスター・ハンナが亡くなった。
享年五十九歳。大往生である。
死因はただの
▽
自分の死期を悟ったハンナは、孤児院運営の引き継ぎをグレアムに依頼した。
本来であれば教会から新しい指導者が派遣されてくるだろうが、ハンナはそれを嫌った。
良い指導者が来れば良いが、そうでない場合も多いからだ。
ならば娘のマーガレットを頼るのが筋だが、ハンナはグレアムを選んだ。
理由は、彼が一番孤児院のことを思ってくれていること、そしてなんだかんだ周りを巻き込んでいくその性質のせいである。
果たして、ハンナの目論みはその通りとなった。
▽
「この罰当たりがぁーっ!」
ウィンスター村の村長――まだ三十代の若い男だ――はグレアムを怒鳴りつけた。
理由は、グレアムが教会の備品、それも聖堂の精霊像やらレリーフやらをオークションに売りに出そうとしたからだ。
幸いと言っていいのかどうなのか――その事実はあっというまにウィンスター村の住民たちの耳に入るところとなり、競売への出品は止められ、こうして村長が怒り狂っているというわけだ。
「グレンっ! シスター・ハンナがいなくなった途端好き放題するとは、この……この……!!」
村長はごく一般的な感性を持つ、常識的な善人だ。
少なくとも聖堂にある金目のものを換金しようなどというのは、彼にとって埒外の発想だ。
故にグレアムのやろうとしたことが許せない。
立派な教会は村の誇りであるし、彼にも相応の信仰心もある。
だからこうして村長は自らの良心に従い、他の村人も連れてグレアムを囲んでいると言うわけだ。
しかしグレアムは一応申し訳そうにペコペコしているものの、どこか飄々としている。
むしろ、怒鳴られながらちょっと面白いことになったと思っている節がある。
「なぜシスター・ハンナこんな罰当たりを後継者になどしたのか……」
「精霊像がなくなれば、俺たちは何に祈りを捧げればいいんだ?」
「まさか、その金を懐にいれようというつもりでは……」
村人は口々にそんなふうにグレアムを責めたが、村長は少し違う。
腹は立ててはいたが、しかしこれまでグレアムが教会のためにやってきたことを思えば、それが我がの利益を得るためでないことくらいはわかる。
単純に常識のなさと、村の教会の威信を損ねかねなかった事実に怒っているだけだ。
「なぁグレアム……お前なんでこんなことをしたんだ?」
村長はなんとかかんとか気を落ち着けると、グレアムの口から説明を求めた。
というのも、村人が集まった際、グレアムはパーティの連中を遠ざけて、わざわざ一人で矢面に立とうとしたからだ。
この真っ直ぐさ――村長はきっとグレアムには理由があったのだろうと考えたのだ。
もちろんこんな罰当たりは許されることではない。
許されることではないが――彼にはどうしてもグレアムが自分勝手にそんなことをしたとも思えなかったのだ。
ずっと何も言い訳もせずにペコペコしていたグレアムは、ちょっと困った顔をして答える。
「もしハンナが
皆はぽかんとした。
▽
村の住人たちは皆、シスター・ハンナを尊敬していた。
ハンナは元貴族の孤児である。
柄が悪く、口も悪いハンナは、子供の頃から破天荒で、年寄りたちにとっては「村一番の悪ガキ」という認識だったが、反面ハンナほど村に貢献した人物もいなかった。
村を飛び出し冒険者になったかと思うと、あれよあれよのうちにのし上がり、あっという間に二つ名持ちの有名冒険者となった。
稼いだ金の半分は生まれ育った村や孤児院に寄附し、お陰で飢饉を乗り越えたこともある。
引退直後、恋人とパーティメンバーを失い茫然自失になっていたハンナは、いきなり神聖属性に目覚めると、そのまま聖職者になった。
そして通常なら最低でも三年の修行期間が必要な聖職者資格を、ハンナは数ヶ月で取得した。
ハンナは数千ページもある聖典を、鼻から全て暗記していたのだ。
その上難解な聖句ひとつひとつにしっかりと解釈を持ち、なんなら教会の神学者たちと対等に議論までしてのけた。
もし望めば中央の教会で出世も思いのままだっただろう。
しかし、彼女が求めたのはウィンスター村の教会孤児院の院長の座だった。
それまでの院長は善良なだけの無能だったため、孤児たちはいつもお腹を空かせていたからだ。
それをハンナが無理やり横から奪った形となる。
それからと言うもの、孤児院の経営はうまく回るようになった。
自身の貯金もつぎ込み、孤児たちが独り立ちするまでに独自の教育を施し、ハンナが育てた孤児はみなそれなりに有能な大人となって巣立って行った。
村人もそんなハンナの姿を見て心を打たれた。
寄付金も増え、ますます子供たちはすくすくと育った。
そんな折、中央から贈られてきたのが、件の精霊像やレリーフだ。
村人は喜んだ。
ウィンスター教会が中央に認められた。
貧しく見窄らしかった聖堂が立派になった。
こんな素晴らしいことはない、と。
▽
だが、シスターはいつもグレアムに愚痴っていた。
信仰に大袈裟な装置など必要ないのにと。
精霊像ひとつとってもいい値段がする――そんな金がありゃ、増える一方の孤児たちの腹を満たすために使うべきだろ、だと。
しかし、シスター・ハンナは立場上それができなかった。
グレアムは決心した。
ならば俺がやろう、と。
将来に備えておこう、と。
今はまだいい。
冒険者パーティ「ウィンスター教会」の稼ぎは少しずつ大きくなっており、それが存続する限りは子供たちが飢えることはない。
しかし、冒険者とは死と隣り合わせだ。
いつかパーティ全滅の目にでも遭えば、それから教会はどうなるのだろう。
そう考えたグレアムは、一切の躊躇なく聖堂にある金になりそうなものを売りに出した。
▽
「精霊像が送られてきた日のことは俺も覚えてるよ。ハンナは言ってたよ。何度申請しても補助金はびた一文も増額されなかったのに、代わりに何百倍もするような精霊像が送られてきやがった、これじゃ腹も膨れねぇ、って」
グレアムの言葉に、村人は絶句した。
そして思った。
言いそうー!
――と。
「あと、前の手作りの聖印のほうが好きだってさ。あれ、村長の親父さんが作ったんだって?」
「!!」
村長は重ねて絶句した。
もちろんその話は知っていた。
知っていながら、ちょっと恥ずかしく思っていた。
今はこんなに立派なウィンスター教会だが、それまでは手作り感満載の聖堂だったのだ。
それを作ったのは何を隠そう先代の村長――現村長の父親だ。
それをハンナは好きだったという。
グレアムの口から聞かされるハンナの言葉は、村人の思うハンナよりも、少しばかり現実的だった。
「精霊像が来た途端に聖堂に来る人が増えたのも気に入らないみたいだった。祈りなんて迷宮の奥でも捧げられるのに、高価な精霊像が来た途端拝みにくるようになったって」
「「「…………」」」
「でもアレ、おっちゃんらにとっては大切なもんだったんだな。ごめん」
グレアムは手を合わせて頭を下げた。
しかし村人たちには「あんたらにとっては」と言う言葉はなかなか鋭く刺さったようだ。
――教会じゃなくて、村の見栄のために必要なんだろ?
と、そう言われたような気になったからだ。
もちろんグレアムにはそんなつりはない。
グレアムは単純で正直な、一直線なバカだ。
迷宮では頭が切れるが、嫌味や皮肉とは無縁なタイプのバカだ。
故に、ハンナが「立場上売り飛ばすこともできん」と常々言っていたから、聖職者でもない自分が経営者になった今、遺志を継いで売り飛ばそうとしただけだ。
それが村人の逆鱗に触れるという発想がなかったあたりグレアムも大概世間知らずだが、まぁ未遂に終わったことだし、自分が叱られて頭を下げるだけでいいならいいだろうと考えている。
「……事情はわかった。でもグレアム、やっぱ精霊像を売り飛ばすのはやり過ぎだろ」
「ごめん、俺バカだから、精霊像がないと祈れないなんて思わなかったんだ」
「それはっ! ……いや、よそう。シスターとお前の言う通り、像なんてなくても聖堂は聖堂だ。でも……やっぱり俺らは形も欲しいんだよ」
「……そっか」
まぁ、兎にも角にも精霊像は売り飛ばされずに済んだ。
事情を聞いてみれば、どうもハンナの遺志でもあったようだし、これ以上グレアムを攻めるのも筋が違うような気もする。
グレアムは頭を掻いて言った。
「でも「この罰当たりがー!」ってのはなんかいいな。久しぶりにシスターに叱られたような気になったぜ」
「なら、これからは「罰当たりのグレン」とでも名乗ればいい」
「ええ?! やだよ! そんなカッコ悪い二つ名!」
「なぁグレン。「罰当たりのグレン」。教会のことなら心配しなくていい。もしお前たちが迷宮で死んでも、俺たちがちゃんと維持してやるから」
「そう? 助かる」
頼む、といってグレアムは頭を下げる。
「ところで、おっちゃんたちにもう一つ頼みがあるんだけど」
「……なんだ?」
グレアムのことだから、また突飛なことを頼まれるのではないかと、村人たちは警戒する。
「倉庫から、昔の手作りの聖印を引っ張り出してきたんだ。その……像の代わりになると思って」
「!!」
「シスターが大事に取ってたみたいでさ。俺、センスないから、精霊像が帰ってくるんだったら、これをうまいこと並べて飾ってやってよ」
▽
こうしてグレンの二つ名「罰当たり」が誕生した。
本人としてはもっとかっこいい二つ名が良かったようだが、おっちゃんたちを怒らせた罰としてグレアムは渋々それを受け入れている。
同時に、ウィンスター村の教会にも奇妙な特徴が誕生した。
中央教会から贈られてきた立派な精霊像と並んで、子供が作ったようないかにも見窄らしい、細い木で組まれただけの聖印が飾られているのだ。
それは「ハンナの聖印」と呼ばれ、信仰深いことで知られるウィンスター村の住民たちは今でもそれに熱心に祈りを捧げている。
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