最終章 それから
第97話 涙が止まらない
その日、亮太はひたすら泣いた。泣いて泣いて、もう目玉が溶け出すんじゃないかという位泣いた。
コウも泣きたいだろうに、温かいおしぼりを持ってきては亮太の目に当ててくれて、それがまた温かくて涙が止まらなくなった。
灯油ストーブの前でコウに膝枕をされ、その揺らぐ小さな炎を見ている間に落ち着き、コウを見上げようとするとまた涙が溢れる、その繰り返しだった。
いつの間にか寝てしまったらしく、ふと目を覚ました時にコウが「これ」と言って開いているチー鱈の袋を亮太に見せてくれた。アキラから、元気を出せという激励の品物らしかった。アキラが人に食べ物をあげるなどあり得ないと驚き、次いでそうか、八岐大蛇が全部いなくなったからもう阿呆みたいには食べないのかと思い、八岐大蛇と共に散った
今日は蓮が作るから、と晩飯は蓮に完全にお願いすることにすると、なんとアキラが手伝いをすると言い始めた。始め蓮は食材の心配をしていたが、バリバリ食べられることがもうないことに気付き、二人で台所へと向かっていった。
リキと椿は何をどう話し合った結果そうなったのかは分からないが、いつの間にか手を恋人繋ぎで繋いでいた。
ようやく、やっと涙を堪えられる様になった亮太の手を引いて、コウが表に出た。
夕焼けもほぼ消えかけ、一番星が瞬いていた。
「亮太」
「……ん」
コウが亮太の手を握ったまま、優しく手の甲を親指で撫でている。くすぐったいが暖かくて、離したくなかった。
「私のコウの魂は、今私と共にある」
「……え?」
コウを振り返ると、あの不思議な黄銅色の瞳で亮太に微笑みかけていた。
「あの時、亮太が戻ってくるよりも前に、私の所に飛んできたんだ」
「コウが? コウが今そこにいるのか?」
「うん、寝てるけどね」
「寝て……?」
コウはコウの斜め後ろにそっと手を差し伸べた。勿論亮太には何も見えない。
「この辺にふわふわしながら寝てる。待ってるんだ」
「待っている……」
「亮太の話は何となく分かったよ。半分くらい何言ってるか分からなかったけど、さっき亮太が寝ている時にレンが説明してくれた」
泣きながら何があったかコウに説明したが、我ながら支離滅裂だったと思う。それでもそれをただうんうんと聞いていてくれたコウのその気持ちが嬉しかった。
「私のコウは、私と亮太の子供になる為に頑張ったんだろう? だったら、今日はいい。だけど明日には立ち直って」
「……うん」
コウの唇が頬に触れ、それが温かくてまた涙が出てきた。
コウが続ける。
「正直私はまだお母さんになる想像すら出来ないけど」
ズビ、と鼻を啜るとコウが小さく笑った。
「でも亮太のお父さんの姿は簡単に思い浮かべることが出来るから、だから亮太」
「……ゔん」
コウが空を指さした。
「また三人でこの星空を必ず見よう」
亮太は、ただ何度も頷くしかもう出来なかった。
◇
リキから入れた連絡で、リキとコウの両親がこちらにやってくることになった。
東京駅の新幹線乗り場で到着を待つ間、亮太は緊張しまくっていた。職業柄大したスーツも持っておらず右往左往していた亮太を見て、コウも蓮もアキラも「不要」とのひと言で済ませてしまったが、本当にそれでいいのか。それでも不安で、シャツにチノパンという無難な格好を選んだ。
近くにリキと待つ椿を見ると、いつものキャップにパーカーにブラックジーンズにスニーカーという何ともラフな格好である。
「亮太さんって顔の割に真面目だよなー」
椿がほざいた。
「顔の割にってどういうことだよ」
「だってしょっちゅう眉間に皺寄ってるしさー」
「えっ」
慌てて眉間の皺を伸ばそうとすると、椿が手を叩いて笑った。こいつと親戚になるのか。不安になってきた。
そう。なんと、リキと椿も婚約してしまったのだ。どっちが男役でどっちが女役なんだかもう訳が分からないが、椿曰く「まあ何とかなった」とのことなので亮太にはよく分からない何か奥深いものがあるに違いない。
「戸籍謄本も持ってきてくれるっつーしさ、これでとりあえず籍入れちゃえばこっちのもんだって、そう不安そうな顔するなって。カカカッ」
カカカッと笑う兄嫁が一番不安だが、亮太は何も言えなかった。何故なら新幹線がホームに滑り込んで来たからだ。
結婚相手の親と初顔合わせだ。緊張するなという方が無理な話だろう。横にいる椿を見る。ぽけっと笑っていた。どうしたらこんなに強メンタルになれるのか、是非とも教えを乞いたいものだ。
亮太がソワソワしていると、くすりと笑ったコウが亮太の手を握ってきた。
「落ち着いてくれ」
「あ、うん」
手を繋ぐだけで不安が半減する。人との繋がりがこんなにも心を強くするものだなんて、少し前の亮太は知らなかった。知ろうともしていなかった。
亮太もコウに微笑み返した。
やがて新幹線がホームに入って来た。いよいよだ。やはり緊張してしまう亮太を見て、コウが呆れた様にまた笑った。
今日この後はここから割と近い椿のマンションに一旦荷物を置き、夜に有楽町のあの回るレストランに行く予定になっている。昔からある有名なレストランだが、長年都内に住んでいるが一度も訪れたことがない店だったが、これはどうもコウの両親のリクエストらしい。その昔デートをした思い出の場所なんだとか。
店の客に「後ろ向きは酔う」と聞いたことがあったので、いくら緊張しているからといって今日は飲み過ぎない様にしようと思った。
新幹線が停止し、プシューッと音を立ててドアが開いた。そこから真っ先に顔を覗かせたのは、作務衣姿のリキをタレ目にして年取らせた様な、顎髭を伸ばして長髪を後ろにピシッと一つにまとめている男性。どう考えてもこの人が二人の父親だろう。トランクを二つ軽々と持ち上げて降りて来て、リキとコウを見るとぱっと笑顔になった。
「リッキー! コウちゃん!」
「嫌だお父さん、リッキーはやめてよ」
リキが照れた様に慌てて言うと、亮太と椿に気が付いた男性の笑顔が固まった。
「あっえっあのっ僕っ」
真っ赤になってワタワタし始めた。亮太がどう反応すべきか分からず止まっていると、新幹線から別の人物が降りてきた。
「お父さん落ち着いて」
男性に声を掛けたのは、シンプルなロングワンピースを着た、すらっとした背の高い女性だった。ベリーショートの髪は色素が薄く、瞳の色はコウと同じ黄銅色をしている。目元がコウそっくりだ。そして、どう見ても白人か少なくともその血が入っている様に見えた。
物凄い組み合わせだった。これがコウ達の両親か。
「だっ! だってこの間まで彼氏も彼女もいなかったうちらの子達がいきなり結婚相手出来たってそんなの聞いたら僕もうどう接したらいいか、勿論嬉しいんだけどさ、ほらっ心構えってもんが」
「落ち着け」
コウの母親がピシャリと言い放った。そのひと言でこの二人の関係性が何となく掴めた気がした。とりあえずリキは気質も父親似なのも分かった。
「ほら、挨拶」
背中をボン、と叩かれて、コウの父親がようやくシャキッとしてこちらを向いた。
「はっ初めまして、僕リッキーとコウちゃんのお父さんをやってる吉永ユウキです!」
「母のユウリです」
ユウキとユウリは二人並ぶと何とも見目麗しい夫婦だ。神の現身を二人も生み育てた親だ、やはり只者ではなさそうだった。
ユウキが亮太の背後を見てぺこりと挨拶した。
「あれー? 確か柏木さんとこの?」
ほらな。
「いえいえこちらこそ」
亮太の背後に向かって挨拶をしている。亮太が助けを求めてコウを探すと、コウが通訳してくれた。
「ヤエコさんが挨拶をして、父がそれに応えている。ちなみに父は見えるけど母には見えない」
「ヤエコさん? あれ? そういやちょっと顔が違うかも?」
「もしかして祖母のハナエと間違えてませんか」
「そうそうハナエさんハナエさん」
「祖母はまだ存命です」
「えっじゃあえーと」
「後ろにいるのは曾祖母です」
多分。いるのを見たことはないが。
ユウキが頭を押さえて笑った。
「いやー失敬失敬! そっくりだからつい」
「というか、祖母をご存知なんですね」
「たまに陶芸体験来てくれてたからねー」
成程。世間は狭いものである。
「まあ立ち話も何ですから」
こういう時はどうしたって四人の中では年長者の亮太が仕切る羽目になる。多分これは今後も続くのだろうから、早く慣れよう。
亮太はそう思いながらユウキの持つトランクを一つ受け取ると、在来線ホームへと移動すべく道案内を始めた。
すると、ユウキの作務衣の胸ポケットに入っていた携帯が鳴り始めた。
「あ、ちょっと待ってねー。あーはいもしもし、岩倉さん? どうしたの? 今? あ、ほらこの間話したじゃない、そうそうリッキーとコウちゃんの結婚相手のさ。岩倉さんとこだってアキラちゃん喜んでるってほら。え? 園田さんとこの猿が向かってる? 何で? え? ええ? 喋っちゃった? つい? つい喋っちゃったの? 入籍? まだだと思うけど……急げ? え、うん、言っとく、うんまたね」
プー、プー、と通話が切れた音が聞こえる。ユウキが眉を八の字にしてこちらを見た。
「コウちゃん、あいつが向かってるって」
すると、コウの表情が強張った。
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