第72話 想われ人

 許嫁同士のリキとアキラが好きな相手は、主人であるリキの元を去って行き今は許嫁の所にいる神使の蓮という同じ人物だったのだ。


 はたして蓮はそれを知っていたのだろうか。


「は……?」


 アキラの横で仁王立ちしていた蓮は、明らかに理解していない様子だった。まあ、クソ真面目でそういった色恋沙汰には鈍そうではある。


「やっぱり気付かないか、そりゃそうよね」


 リキが悲しそうに蓮に笑いかけた。アキラは顔を真っ赤にして目を逸している。こちらはキャパオーバーの様だった。


「リ、リキ様が私のことを? いや、男性がお好きのだろうとは薄々と感じておりましたが」


 薄々ときた。鈍いにも程があるだろう。


「だからってそれがレンだとは思わなかったのね。レンらしいわ」


 ふふ、とリキが笑った。困惑の表情で蓮が答える。


「リキ様は私には随分と厳しかった記憶がありますので」

「私もね、この恋心を断ち切ろうと頑張ったのよ。だから貴方には冷たくした。する理由もあったしね」

「アキラ様へと鞍替えしたことですか」

「よく分かってるじゃない。周りの人間は、私が許嫁の元に貴方を送り込んで面倒を見てやる様に頼んだって思ってたみたいだけど、あれこれ理由をつけて、まるで私から逃げるみたいに去っていったなとあの時は思ったわ」

「リキ様……」

「でもね」


 ポン、と正座する両膝をリキが叩いた。


「私、もう貴方を想うのはやめたの。こっちに来て、色んな人と会って、こうやって椿くんとも仲良くなれて、私は随分と狭い世界に生きていたんだなと思った」


 具体的にどの辺りに住んでいたかは分からないし聞いてもきっと亮太はさっぱりだが、確実にこの東京よりは狭い世間だろう。特に旧家の出で許嫁まで決まっており更にこの臆病な性格では、積極的に外の世界に出て交流などこれまでしてこなかったに違いない。


 飛び出すきっかけもなく、逃げ場もなく、パニックになって全てを捨てて逃げて初めて外には別の世界が広がっているのを知ったのだ。


 亮太の様に、一人で世間にぽんと置き去りにされたと時折感じるこの孤独感はなかったかもしれない。閉ざされて守られて規律がピシッと決められた世界に居たリキは、亮太が居る様な世界がこの世にあることを知らなかったのかもしれない。いや、知ってはいても始めから諦めていたのかもしれない。アキラの様に。


 亮太は急に目の前のこの泣き虫でアキラを酷い目に合わせたコウの兄貴が、小さなか弱い子供の様に思えてしまった。亮太の悪い癖だ、分かっている。アキラ達からただ話を聞いていた時は「酷い奴だ」としか思っていなかった。だが実際にこうして話をしてみて本人の気持ちを語られたら、もう亮太はただ「酷い奴だ」とリキを切り捨てることは出来なくなってしまった。


 それできっとまたアキラや蓮にお人好しだの騙されやすいだの何だの言われるのだ。


 でもそれでもよかった。それが亮太なのだから。


「アキラ」

「な、なに」


 まだ動揺していたアキラが照れくさそうに亮太を見た。そういえば、蓮はリキが自分のことを好きだということに驚いていたが、アキラもそう思っていることについては何も触れていない。もしかしたら驚きの余り気付いていない可能性もあった。後でこっそり教えてやろう、亮太はそう思った。


「リキさんを許してやれないか?」


 首を絞めたこと。八岐大蛇退治から逃げたこと。その所為でアキラが将来を諦めようとしていたこと。その全ての原因はこの泣き虫な男にある。許せと言われても簡単に許せないだろう、とも思う。でも、それでもこの男の告白を聞いて、アキラなら何か感じ取ることが出来ると亮太は信じていた。


 アキラが真面目な表情に戻り、おもむろに答えた。


「……条件がある」

「条件? 何? 私のことを許してくれるのなら、何だって呑むわ」


 リキが身体を乗り出した。アキラがリキを真っ直ぐに見た。リキも目を逸らさなかった。


「まず、私との婚約を解消すること」

「異論はないわ。絶対周りを説得する」


 これは即答だった。当然だろう、お互い望んでいない。


「次に、草薙剣は引き続き亮太が取り扱うことを許可すること」

「私には扱えないもの、当然ね」


 こちらも素直に頷いた。


「次に、八岐大蛇退治に協力すること。亮太のサポートをしてほしい」


 これにはリキは即座に返答しなかった。当然だ、怖いから逃げ出したのだから。


「草薙剣は亮太さんが使うのよね、ということは私はあくまでサポート、メインじゃない……やる、やるわ!」


 何とか納得してもらった。これで今日のノルマは達成したことになる。亮太は内心ほっとした。


「まだある」

「……はい」


 リキが居ずまいを正した。


「もう逃げないで、家のことも、コウ様のことも、ちゃんと守ってあげて」

「……!」

「リキ様の好きな人を見つけて、自分の好きな人とちゃっちゃと一緒になっちゃってよ。ちゃんと周りにこれが自分だって見せつけて、私を解放してよ。私の前ではそんな言葉遣いしてなかったじゃない、ずっと僕って言ってたからてっきり私、リキ様は最後は私をお嫁に迎えるつもりだと思ってた。でもレンを見る目が、好きな人を見る目だったから、私の頭の中はぐしゃぐしゃでどうしていいか分からなかった」


 そうか、周りには男らしいリキを見せていたのだ。コウは驚いていなかった様なので、今の姿はちかしい人間にしか見せていないものだったのかもしれない。


「だ、だって、次期当主が女言葉使うなって皆が」

「うるさい! おうちもちゃんと継いで、コウ様を自由にしてあげてよ! 私を八岐大蛇から解放してくれようとしてくれてる、このお人好しのおっさんと一緒にさせてあげてよ!」


 アキラは泣いていた。アキラが大きな声を出すなど珍しい。しかも、こんなに人を想うことを口にするなど。亮太のことまで言うとは。


 亮太は驚きのあまりただ口を開けてアキラを見るしか出来なかった。


「亮太はおっさんだけどね! いきなり転がり込んだ私の面倒を見てくれて、喋る犬の狗神のことだって受け入れて、みずちとだって滅茶苦茶仲良くなって、コウ様のことを大好きになって結婚するってちゃんと言ってね、神様でもない神使でもないただのおっさんが私の背中から全部首を出して自由にしてくれるって約束してくれたの! あんたが逃げてる間に亮太は頑張ったの! 関係のない私達の為に一所懸命戦ってんの! 分かったか!」


 アキラが立ち上がってビシッと人差し指でリキを差した。勿論もう片方の手は腰にある。ボロボロ泣きながら、今までずっと言うのを我慢していたことを叫んだのだ。


 いかん、つられて涙が出てきた。


 すると、聖母の様に微笑んだコウがソファーに座ったまま亮太の顔を周りから隠す様にそっとその胸に抱き寄せてくれた。喉が苦しい、嗚咽が漏れそうだがさすがにそれは恥ずかしかった。だからコウの体温に意識を集中することにした。温かく優しく海原の様に広く深い、亮太だけの女神様に。


「……分かった、約束します」


 リキの声が聞こえた。顔を上げようと思ったが、コウが押さえたので上げられなかった。そして頭を撫でられた。こんな時なのにぞくぞくしてしまった。ずっとこうしていたかった。世界で一人じゃないと思える場所がここ、コウの腕の中だった。


「当主の座は私が必ず継ぎます。私が全力でコウちゃんの亮太さんとの結婚を認めさせる。あの男との許嫁の関係は解消してみせる」


 きっぱりと言い切った。腐っても兄貴なのだろう。妹は大事なのだ。そして首を捻った。


「ただ、好きな人って言われてもねえ」

「アキラ様とは別の人間を仮で立てるしかありませんね」


 蓮が助け舟を出した。こういうことは蓮が一番向いているのだろう。亮太はようやく顔を上げて一同を見渡した。亮太の頭の上のコウの口は小さく微笑んでいた。


「仮って言われても、私女の人はやっぱりどうしてもそのねえ」

「あ、俺付き合ってやろうか? そのお芝居」


 椿が楽しそうに挙手した。目が輝いている。


「要はお前んちに行って俺と婚約したって宣言して家継いじゃえばあとはこっちのもんなんだろ? それからお前の権力で妹ちゃんの婚約を解消させて、亮太さんとの結婚を認めさせる。うおお、楽しそう!」

「椿くん? あの、でも、いいの?」

「身体は一応女だしな! ちょっと位はばれねえんじゃね?」


 どうみてもわくわくしている。そしてそれを見るアキラの目は冷めていた。うん、まあいつものアキラだ。


「俺さ、島根って行ったことないんだよ! 出雲大社とかさ、しじみ汁とかさ、あとなんだっけ、水木しげるロード? あれも行ってみたいなあ」


 すっかり観光気分である。リキもそれにつられたのか、明るい顔になった。


「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな。私も椿くんといれば心強いし。あ、でも水木しげるロードは鳥取よ」

「鳥取って右だっけ? 左だっけ? で、いつ行く?」


 亮太が口を挟んだ。


「椿さん、それよりもまずは八岐大蛇退治が先なんだ」

「俺、それもそれ見たい!」


 わくわくわく。明らかに楽しんでいる椿が目を輝かせながら言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る