第66話 お節介とでも何とでも呼べばいい

 アキラの背中の封印の状態を、コウが確認することになった。


 亮太と蓮、ついでにみずちも台所側に追いやられ、建て付けの悪い硝子戸はぴちっと閉じられた。昔ながらの模様入り硝子戸は最近では逆に希少らしく人気があると聞いたが、本当かどうか。


 部屋の電気は赤々と点けられて、人影らしき物がぼんやりと確認出来た。


「亮太、手伝って下さい」

「あ、ああ」


 確かにただぼーっとしていても仕方がない。亮太は袖をまくり蛇口を捻り、冷たい水で綺麗に手を洗った。アパートの水はマンションとは違い直接水道管から配水されるのか、まだ十月も半ば過ぎだというのに冷たい。以前マンションに住んでいた時は水の生温さにうへえとなったものだが、これはこれであかぎれコース真っしぐらなのでそこそこきついのだ。


 今年もそろそろハンドクリームを購入しなければならない、もうそんな時期になったのだと亮太はしみじみと思った。


 先程心臓が凍るかと思った程感じた恐怖は、もう嘘の様に消えていた。コウに触れていたら、一瞬にして霧散した。


「なあ蓮、俺は勾玉を付けたままで寝てたのに」


 玉ねぎの皮を剥いている蓮が手元を見たまま答えた。


「寝ている時はどうしても無防備になりますからね、そこに付け込まれたのかもしれません」


 成程、無意識に働きかけるというやつだろうか。


「この勾玉をアキラに返そうか?」

「亮太、アキラ様もコウ様もそれぞれ名のある神のお一人。元々お持ちの神力がございますので、お二人は八岐大蛇の影響は非常に受けにくいのです」

「え? そうだったのか?」


 蓮が頷く。玉ねぎを洗い、まな板へと並べていく。今日の献立は何だろうか。


 コウに触れて治まったのならば、あれはコウの神気に癒されたということなのかもしれない。亮太は今更ながら、自分が手に入れたのが正真正銘の女神なことに慄きそうになり、でもそんなのとは関係なく手放したくなくて、その思いを今後はねじ伏せていこうと静かに決意した。


「この家で一番影響を受ける可能性が高かったのは亮太なのです。但し私もある程度影響を受けますので、その為いつも寝る際は勾玉を持つ亮太に触れて寝る様にしておりました」


 そういう意味があったのだ。本当にこいつはいつもいつも説明が足りなさすぎる。


 だが蓮は自分にくっついているから亮太が元気になるとか言っていた様な。あれもあれか、余計なことを分からせない為の詭弁だったのか。


 そういえば前に言っていたのを思い出した。狗神も神様と崇められてはいた、と。がしかし、アキラやコウの様に生まれながらにして神と定められた者とは違うのかもしれなかった。


「コウは大丈夫なのか?」


 ポケットの中のみずちに尋ねると、みずちは可愛らしく首を傾げた。


「分かんなーい」


 代わりに蓮が答えてくれた。


みずちは神器を体内に保管している様なものですので、影響はないのでしょう」

「成程な」


 蓮は塩胡椒を済ませた鶏肉を取り出し、油を敷かずに皮面をフライパンでジューッと焼き出した。


「ティッシュで油をちょいちょい取ると皮面がパリッとなるぞ」

「成程、やってみます」


 何を作ってるのかは分からないが、皮面を焼くならパリッとした方が旨いに決まっている。


 亮太が手持ち無沙汰でただ突っ立っていると、硝子戸がガラガラと音を立てて開いた。コウだった。


「確認した」

「どうなっておりましたか!?」


 蓮が菜箸をフライパンの上に置いたままコウに詰め寄った。バランスを崩し落ちそうになった菜箸をキャッチした亮太は、蓮の代わりに皮から出てくる油を取り始めた。アキラのことになるとさすがの蓮も取り乱すらしい。蓮とアキラの心理的距離がいまいち掴めない亮太だった。


「封印自体の濃さは変わっていない」

「そう……ですか」


 あからさまにホッとして蓮が肩の力を抜いた。


「だが、首がまだ納められているぎょくの絵が大きくなっていた。アキラの神力がこれまで八体に振り分けられていたのが半数に振り分けられた所為だろう」

「それでは!」

「のんびりとはしていられないだろう。禊でもしなければ本体は簡単には出てこないだろうが、瘴気はもれ続ける。私は平気だが、蓮や亮太にはキツいと思う」

「私は離れません!」


 蓮の声が響いた。あの蓮が泣きそうな声を出している。それまで黙って見守っていた亮太は、皮面を上にして弱火にして蓋をすると蓮の元へ行った。頭をぐしゃ、と撫でる。そんな顔するな。そう言いたかったが、代わりに別のことを言った。


「俺も離れねえよ」

「亮太、助けて下さい……!」


 蓮が亮太にしがみつく。先程の亮太の様だった。もしかしたらこいつも八岐大蛇の気に影響されている可能性はあった。物は試しだ。


「レン、犬になってアキラに抱いてもらえ」


 人間の姿のままでもいいだろうが、それだとアキラがひっくり返るかもしれない。


「え? いや、しかし」

「コウに抱きついたら一瞬で恐怖が消えたぞ。だけどコウに抱き付かせるのは俺が嫌だからな、アキラに抱きついとけ」


 コウが照れた様な笑顔を見せた。


「りょ」

「アキラ! 聞こえただろ!」


 部屋の窓際で静かに聞き耳を立てていたであろうアキラに亮太は遠慮なく声を掛けた。


「聞こえた、けど」


 戸惑うアキラの声がした。


「お前も神様だろ! ちゃんと自分の神使を癒してやれよ」


 それがこの二人の間の今の関係なのかどうかは分からなかったが、蓮のこの恐怖を振り払えるのは今ここではアキラだけだ。


「後は適当に作っておくから、ほら行け」


 亮太はまだ動こうとしない蓮の背中を強めに押す。すると、蓮がふらふらと部屋の中に入って行く。


「コウ、服を畳んでおいてやってくれ」

「分かった。パ、パンツもか?」

「……パンツは俺がやるから、絶対触んなよ」


 いくら蓮のだと言っても脱いだばかりの他の男のパンツをコウに畳ませたくはない。嫌なものは嫌だった。亮太は改めて自分の独占欲の強さに驚いていた。


 転々と落ちている蓮の服を二人で拾っていると、狗神はアキラの前でまだ突っ立ったままだ。あのアキラの追い詰められた様な顔。


 亮太は蓮のパンツをさっと畳んでコウが畳んだシャツの上にポンと置くと、つかつかと狗神の元に行き狗神の脇を持ちひょいとアキラの膝の上に置いた。アキラの手を持ってきて、狗神の首に回させた。全く世話が焼ける奴らだ。


「りょ、亮太、やはり私は」

「アキラ、離すな」

「わ、分かった」

「イヌガミ、恥ずかしいなら飯が出来るまで戸を閉めといてやるから、逃げるな」


 亮太は待っていたコウの肩を抱いて台所へ行くと、ガタガタと音を立てて硝子戸を閉めた。


「あ、コウを忘れた」


 みずちをテーブルの上に置いたままにして閉めてしまった。亮太がみずちを連れて来ようと戸に手を伸ばそうとすると、コウが亮太の腕をそっと掴んで止めた。


「今戸を開けたら無粋というやつだろう?」

「それもそうか」


 恐らくカチカチになって狗神を腕に抱くアキラは、今ちょっとでもきっかけを与えればそれを解いてしまうかもしれない。亮太は頷くと再び腕まくりをし、流しで手を洗い始めた。横にいたコウを呼ぶ。


「じゃあコウも飯作るの手伝ってくれ」

「うん。あ、その前に折角だから」

「うん?」


 コウの腕が亮太の首に巻き付いてきた。コウの唇が亮太のそれに触れる。折角だからというのは、折角誰も見ていないからということか。しかしこんなにしょっちゅういちゃついていていいのだろうか? そんなことを思いながら、断る理由もないしむしろ折角なので亮太もコウの細い腰に手を回して抱き締めた。こんなに華奢なのにその身体の中に不思議な力を宿している亮太の女神にこうして触れていると、自然と亮太に勇気が湧いてくる。



 必ず全ての首を退治するのだ。亮太の大切な物を守る為にも。

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