第433話 最良の開戦

 アールクヴィスト大公国からキヴィレフト伯爵領までの旅路は、何事もなく穏やかなものだった。


 大公国を出てからは第三陣もまた二隊に分け、数十人での移動。身分を隠しながらということもあり、普段のような大公家の旗を掲げて注目を集めながらの旅よりも、むしろ気楽だった。


 ノエインが王国南東部へと赴くのは実に七年ぶり。それも、今までとは違う道を通っての移動。知らない景色を眺め、知らない街並みを通り、現地の料理を食べ、まるで単なる旅行のような、これから大戦に臨む自分へのご褒美のような旅となった。


 それを経て、一か月後には無事にキヴィレフト伯爵領の領都ラーデンへと入った。


「……さて、ここからは気合いを入れなきゃね」


「はい、ノエイン様」


 復興が進み、ベトゥミア戦争以前の活気が概ね取り戻されたラーデンの街並みを馬車の窓越しに眺めながら、ノエインは呟く。それにマチルダが頷く。


 時期は既に七月の頭。ベトゥミア共和国を行き来したロードベルク王家の臣下によると、ベトゥミア共和国軍の侵攻部隊が上陸してくるのは七月の後半。海の状況によって多少時期が前後することを考えると、今から二週間もすれば、いつ敵が攻めてきてもおかしくはない。


 これからノエインたちは、王国東部軍を構成する主要貴族たちと連絡を取り合い、迅速な集結とその後の作戦行動の準備を進めなければならない。今日からは戦時だ。


 馬車はキヴィレフト伯爵家の屋敷へと入り、そこでノエインはマチルダを伴って下車する。

 先発の隊から出迎えに来ていたのは、ユーリとラドレー、リック、ダント、アレインなどの士官級の者たちだけだ。


 何百人ものよそ者が群れながら行動していたり、ましてやキヴィレフト伯爵家の屋敷に入ったりしていてはひどく目立つ。なので、先にキヴィレフト伯爵領へと入っていた大公国軍兵士たちは、目立たぬよう商人や旅行者、傭兵に扮して少人数ずつでラーデンとその近郊に滞在している。


「アールクヴィスト大公閣下、長期間の移動、お疲れさまでした」


 臣下たちが敬礼する中で、ユーリが代表してそう述べる。


「出迎えありがとう。君たちもご苦労だったね……第一陣と第二陣の移動は問題なかったかな?」


「はっ。特に目立つこともなく、大きな問題もなく移動を終えました。機密についても……なにぶん数十人単位の移動なので多少は目立ったでしょうが、市井の噂になるほどではなかったかと」


「そうか、それならよかった……さて」


 ノエインはそう言って、視線をユーリからこの屋敷の主――異母弟であるジュリアン・キヴィレフト伯爵へと移す。


「キヴィレフト伯爵。此度は感謝する。今日からしばらく世話になるよ」


「これもロードベルク王国貴族として当然の務め。アールクヴィスト大公閣下のご一行を心より歓迎いたします」


「ありがとう……久しぶりだね、ジュリアン」


 貴族としての挨拶を終え、私人としてノエインが話しかけると、ジュリアンは照れた笑みを見せる。


「はい、兄上。お元気そうで何よりです」


 ある程度の関係回復を果たしてからも、ノエインとジュリアンは何度か会っている。およそ二年ごとにリヒトハーゲンで開催されるロードベルク王家主催の晩餐会。そこへ出席する際に、ついでに二人でお茶話をする程度の交流は保ってきた。


 今では、兄弟らしい空気で話をするくらいのことはできるようになっている。


「長旅を終えたばかりですし、お疲れではありませんか?」


「そうだね……まあ、道中は気楽なものだったけど。馬車に揺られっぱなしで疲れたといえば疲れたかな」


「では、ひとまずご休憩ください。戦争に向けた話はその後に」


 ジュリアンはそう言って、自らノエインを客室まで案内する。


・・・・・


 キヴィレフト伯爵領に到着して一段落してから、ノエインは戦争準備を始めた。


『遠話』通信網を用いてビッテンフェルト侯爵をはじめとした貴族たちと連絡を取り、ベトゥミア共和国の侵攻部隊が上陸してきてからの集結手順を確認。


 そして、アールクヴィスト大公国軍がいつでも動けるよう、装備の点検や輸送・展開準備を済ませる。


 バリスタやゴーレムを擁する大公国軍は、ただ点検や陣形訓練をするだけでも場所をとる。必要なスペースは、ジュリアンがラーデン近郊にある、今はほとんど使われていない砦を貸してくれた。


 ノエインが到着しておよそ一週間後。敵の侵攻部隊の到着に先駆けて、ロードベルク王国海軍がラーデンの港から出航した。彼らは訓練航海の名目で東に向けて移動し、遠回りで戻ってきて、ベトゥミア共和国軍の海上輸送網の横腹を突く予定だ。


 この海軍には、ジュリアンもキヴィレフト伯爵領軍の一部を連れて同行する。


 ジュリアンはエルンスト・アレッサンドリ士爵をはじめとした補佐役たちの助言を受けながら、キヴィレフト伯爵領が王国の沿岸部防衛の要となることを鑑みて、海上戦闘に特化した部隊を数年かけて組織したのだという。今回の作戦行動で、その部隊の真価も試されることとなる。


 それからさらに二週間ほどが経過した頃――ベトゥミア共和国軍の侵攻部隊、その第一陣の船影がオストライヒの沿岸に見えたと報告が入った。


 それを受けて、中央、西部、東部の各軍は集結のための行動を開始。アールクヴィスト大公国軍も、キヴィレフト伯爵領の西にいくつか貴族領を越えた先、オストライヒにより近い側に設定された集結地点へと移動する準備を始めた。


 ラーデン近郊、あまり人目につかない森の陰の平原におかれた集合場所に、分散して待機していた兵士と傀儡魔法使いたち、総勢五百人弱が集まってくるのを、ノエインは眺めていた。


「結局、敵は予定通りオストライヒに上陸か……最良の結果だね」


「敵の上陸地点が密使の情報通りかが、一番の懸念事項だったからな。後は作戦通り、ロードベルク王国の領土深くに侵攻した敵を三方向から叩くだけだ」


 ノエインの呟きに、ユーリが首肯する。


 もし敵がオストライヒではなく他の港湾都市に上陸を試みた場合、こちらの防衛計画は大きく狂っていた。敵がこのラーデンに来ようものなら、アールクヴィスト大公国軍はキヴィレフト伯爵領軍と共に、死に物狂いの市街地戦闘に突入する羽目になっていた。


 敵がオストライヒに上陸してくれる。この最も重要な段階を予定通りに越えた事実は、とても大きい。


「……そろそろ集合が完了するな。ではアールクヴィスト大公閣下、彼らにお言葉を」


「分かったよ。マチルダ、拡声の魔道具を」


「はい、ノエイン様」


 ノエインはマチルダから拡声の魔道具を受け取ると、木箱を束ねた簡易の壇上に立った。ノエインの背後に、ペンスたち親衛隊がアールクヴィスト大公家の旗を掲げる。


「全員傾注! アールクヴィスト大公閣下のお言葉である!」


 ユーリが声を張り、兵士と傀儡魔法使いたちがノエインに注目する。ノエインは彼らの精悍な表情を見回す。


 これから大きな戦いに、アールクヴィスト大公国とその周辺地域の長い平和を勝ち取るための戦いに臨む者たちへの訓示だ。


「……我が国が誇る精強な兵士と魔法使い諸君。これから僕たちが臨む戦いは、アールクヴィスト大公国の、いや、アドレオン大陸南部の未来を決める、かつてない大戦だ」


 静まり返った空気を、拡声の魔道具に乗ったノエインの言葉が揺らした。


「だけど、恐れることはない。今まで僕たちが経験してきた戦いと、この戦いは状況が違う。敵の奇襲を受けて戦うんじゃない。敵が来ることを分かっていて、万全の体制を整えた上で戦うんだ。奇襲を受けるのは敵の方だ。数の上でも負けていない。互角以上の戦力で敵と対峙することができる」


 盗賊団との戦い。南西部大戦での砦防衛の戦い。ベゼルの戦い。ベトゥミア戦争。大陸北部でのヴィルゴア王国との戦い。どの戦いでも、ノエインたちは常に劣勢からの逆転劇を求められ、なんとかそれを成してきた。


 しかし、今回は考え得る限り最良の状況で迎えた戦いだ。目指すのはただ「負けないこと」でも、多大な損耗の末の辛勝でもない。味方の損害はごく軽微、敵は壊滅状態。そんな完全勝利だ。それだけの勝利を本当に狙える戦いだ。


「神に勝利を約束された戦い。僕たちの故郷を守るための戦い。僕たちの家族に、子供たちに、幸福な未来をもたらすための戦いだ。この戦いを乗り越えて、皆で故郷へ帰ろう。平和を戦利品に、幸福な未来を勲章に。それらを手にして家族のもとへ帰るんだ……そのために、僕たちはこれから戦う。さあ、出発のときだ」


 ノエインが話し終えると、大公国軍兵士と傀儡魔法使いたちは一斉に敬礼する。漆黒鋼の胴当てを拳が叩く硬質な音が、ひとつの塊となって響く。


「隊列を組め! 出発の準備を整えろ! これより我らアールクヴィスト大公国軍は、東部軍全体の集結地点に向けて進軍する!」


 軍務長官ユーリの指示に従って、一斉に軍が動く。

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