八話 日々

「おはよう、マチルダ」


「おはようございます、ノエイン様」


 朝。マチルダから優しく揺り起こされて目覚めたノエインは、彼女と微笑み合い、柔らかいキスを交わした。


 ノエインがベッドから起き上がると、マチルダが着替えを差し出してくれる。まだ眠くぼんやりとしている中で、彼女に手伝ってもらいながら着替えると、ノエインは顔を洗う。


 ノエインが裏庭に出て伸びをし、朝陽を浴びて新鮮な外の空気で目を覚ましている間に、マチルダは二人分の朝食を受け取るために本館に向かう。


 マチルダが運んでくれた朝食を二人でゆっくりと食べ、食後はマチルダが淹れてくれたお茶を飲む。以前にも増してお茶淹れが上手くなった彼女のお茶は、温度も濃さもノエインの好みにぴったりと合う。


「それじゃあ、今日も頑張るよ」


「どうかご無理はなされないでください」


「ありがとう、マチルダ……大好きだよ」


「……私もお慕いしています、ノエイン様」


 またキスをして、ノエインは裏庭に出るとゴーレムにかけられた雨除けの革布を取り払った。


 そして、両手をゴーレムに向け、魔力を注いで起動し、今日の鍛錬に臨む。


 互いへの愛を自覚してからのマチルダとの日々は、以前にも増して満ち足りた温かいものになっていた。二人の距離はより近くなり、抱き締め合うだけでなく、唇を重ねて愛の言葉を伝え合うようになった。


 ノエインがまだ未成熟なので肉体的な結びつき(ノエインもマチルダも書物からその手の知識は得ている)はあくまで肌の触れ合いのみだが、精神的な結びつきはこれ以上ないほどに強く深くなり、マチルダが本館や市街地へ出向く際に離れるだけでも、互いに寂しさを感じるほどだ。


 もはや、この愛なしでは生きられない。愛のある日々はなんと幸福なのだろう。そんな思いが、ノエインの中で日に日に深まっている。


 ノエインは魔力切れで倒れない程度に鍛錬を続け、合間には休憩がてら書物を読む。その間マチルダは掃除や洗濯、風呂の準備などの仕事をこなし、余暇時間では読書をしたり、より高度な読み書き算術の勉強をする。ノエインの手が空いているときは、彼の指導も受けながら。


 穏やかな一日を過ごし、夕食を終えると、ノエインはマチルダと共に浴室に向かう。


「ふう~、天国だね、マチルダ」


「はい、ノエイン様」


 今では入浴のときも二人一緒だ。湯船に浸かったノエインが後ろに寄りかかると、マチルダがそれを優しく受け止める。ノエインはマチルダの豊かで柔らかな胸を枕に、至福の時間を過ごす。


 入浴を終えたら、後は眠るだけだ。


「……ねえ、マチルダ」


 甘えた声でそう呼びかけてノエインが縋りつくと、マチルダはやはり優しく抱き留めてくれる。彼女の胸に顔を埋め、彼女に全身で包まれながら、ノエインは微睡みの中に意識を溶かしていく。


 マチルダはまだ眠りについていないのか、少しごそごそと動いていて、ノエインの軽く折り曲げた足が彼女の両腿に挟まれている。


 マチルダが身体をすり寄せて自分を見守っていることにこの上ない安心感を覚えながら、ノエインは眠りにつく。


・・・・・


「うーん……」


 ゴーレムを操作して単純な動作をひたすら反復しながら、ノエインは渋い顔をしていた。


 小国乱立時代の書物に記されていたような凄腕の傀儡魔法使いを目指して鍛錬を始め、早二か月以上が経っている。


 単純な動作をくり返してゴーレム操作の感覚を自らの体に叩き込めば、ほとんど無意識に、自在にゴーレムを動かせるようになるはず。そんな考えのもとでノエインが行っている鍛錬は、実を結んでいない。目に見える成果は表れていない。


「……はあ、駄目だ」


 集中力が持たなくなったノエインは、ゴーレムへの魔力供給を一旦止め、ため息をつく。


 ここまで成果が出ないとなると、そろそろ別の鍛錬方法を考えなければならないかもしれない。裏庭の木柵に切り取られた空を眺めながらそんなことを考えていると、屋内からマチルダが顔を出した。


「ノエイン様、ご休憩なさいますか? よろしければお茶をお淹れしましょうか?」


「……そうだね、お願いするよ。ありがとうマチルダ」


 気遣ってくれる献身的な彼女に、ノエインは微笑んで答える。


 その後、マチルダの淹れてくれたお茶で気持ちを安らげて休息をとったノエインは、またゴーレム操作の鍛錬に臨む。


 くり返しくり返し、気が遠くなるほど何度もゴーレムに単純な動作を行わせ、集中力が落ちてきたら少し休んでまた単純な動作を行わせ、夕刻が近づいてきたそのとき。


「あれっ?」


 ノエインは自身のゴーレム操作に変化があったのを感じた。


 今までは意識を集中させ、緻密に操作しなければならなかったゴーレムの右腕が、まるで自身の右腕の如く簡単に動くのだ。


 ノエインがゴーレムの右腕を前に突き出そうと思うと、意識的に操作するまでもなく、ゴーレムは拳を出す。腕を上に突き上げ、次に下ろし、ぐるりと回す。右腕に限るが、どんな動作も自由自在だ。


「マチルダ! マチルダっ!」


 ノエインが名前を呼ぶと、マチルダはすぐさま裏庭に飛んできた。ノエインが右腕をゴーレムに向けながら左手で手招きし、ゴーレムの方を指差すと、そちらを見たマチルダはゴーレムがスムーズに右腕を動かしているのを見て驚いた表情になる。


「やったよ! 感覚を掴めたよ!」


「……おめでとうございます、ノエイン様」


 ノエインが満面の笑みで言うと、マチルダは表情をほころばせながらそう答えた。


「やっと成果が出た……二か月以上も頑張り続けた甲斐があったよ」


「壮絶な努力の末にこれほどの技巧を身につけられたのは、本当に素晴らしいことだと思います」


「そうかな? 僕、凄いかな?」


「もちろんです。心から敬服します、ノエイン様」


「あははっ、ありがとうマチルダ」


 マチルダの賛辞にくすぐったそうな笑みを見せながら、ノエインはゴーレムの右腕を動かし続ける。


・・・・・


 一度ゴーレムを無意識に操作する感覚を掴んでしまえば、後の成長は早かった。


 右腕の次は左腕。その次は両足。その後は全身を動かす際のバランス感覚。ノエインは次々に操作の感覚を掴んでいき、数か月でゴーレムの全身をほとんど直感的に動かせるようになった。


 ノエインはその後も操作の習熟に努め、能力向上のための訓練を始めて一年後には人間が動くのとほぼ変わらない速さでゴーレムを操れるように。それを以て、ノエインは訓練に一区切りをつけた。


 そして、十二歳の年に入った頃から、ノエインは二体のゴーレムを同時に操作する鍛錬を始めている。


 自身の魔法の才ならまだ余裕があると思い、より強い力を身につけたいと思い、追加のゴーレムを購入して始めたこの鍛錬は、しかし難航していた。


 魔法の才や魔力量に関しては問題がないが、とにかく操作が複雑なのだ。まるで両手両足で筆をとり、それをばらばらに動かして同時に四つの文字を書こうとしているかのようだ。


 二体を自在に動かせるようになるには、一体目の操作について習熟するときとはまた違ったかたちで、一体目のとき以上に苦労しそうだった。


「…………はあ、これは……頭が煮詰まるな」


 王暦二〇八年の秋。二体のゴーレムへの魔力供給を断ったノエインは、見慣れた裏庭の空を仰いで独り言ち、額の汗を拭う。


 上半身だけであれば二体のゴーレムを同時に動かせるようになったものの、動きの滑らかさも速さも、一体のみを操作するときには到底及ばない。おまけにまだまだ慣れが足りないので、一体を操作するときよりも遥かに緻密な集中力が必要になる。


 この調子だと、あと一年以上はかかるだろうか。そんなことを考えながら精神を休ませていると、見上げていた空に、何か黒い影が差した。


 木柵の向こう側から飛び込んできたその影は、そのままどさりとノエインの目の前に落ちる。それは、大きなカラスの死体だった。


「げっ」


「ぎゃははははっ! ざまあみろっ! げれつな妾の子!」


 ノエインが思わず声を出すと、木柵の向こうから幼稚な煽り文句を喚く声と、ドタドタと走り去っていく音が聞こえた。


 音の正体は、ノエインの異母弟であるジュリアン・キヴィレフトだ。


 ノエインがこの離れに閉じ込められた当初はまだ七歳の幼児に過ぎなかったジュリアンは、十歳の現在はそれなりに知恵と知識がついているらしい。悪知恵と、偏った知識が。


 マクシミリアンと彼の正妻は、伯爵家の嫡子として生まれたジュリアンは生まれつき特別で高貴な存在だと、そして離れに暮らすノエインとその世話係の奴隷は唾棄すべき下劣な存在だと教えているらしい。両親の影響を受けたジュリアンは、すくすくと悪い成長を遂げている。


 そして、時おりこうしてノエインとマチルダに嫌がらせをしてくる。木柵の向こうからごみや動物の死体、水を投げ込んだり、外の林の中から大声でノエインとマチルダを侮辱する言葉を叫んだり。幼稚な手ではあるが、される側としては良い気はしない。


 ものを投げ込んでくる嫌がらせに関しては、気配に聡いマチルダが傍にいるときは事前に気づけるが、彼女が買い出しなどで不在のときは、こうしてまんまと驚かされてしまう。


「……まったく」


 ノエインはため息をつきながらゴーレムを一体だけ起動させ、カラスの死体を掴ませて木柵の外に捨てさせる。


 こうして偶に嫌なこともあるが、離れでの生活は基本的には穏やかなものだった。


 そんな生活を重ねて、さらに一年と少し経つ頃。ノエインの人生の行く末を決める報せが舞い込む。

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