第380話 往く道

 カドネの遺体は、他の敵将兵の遺体とは別の場所、喧騒から離れた天幕の中に置かれていた。


 そこへ、ノエインはマチルダだけを連れて訪れた。


 兵士に案内されて着いた天幕の前には、カドネを仕留めたスルホ・ハッカライネン候が待っていた。ハッカライネン候はノエインを見て一礼し、天幕の入り口を開ける。


「こちらです」


 天幕の中に入ったノエインは、カドネの遺体と対面する。


 特注と思われる黄金色の鎧を身に纏い、しかし麻痺して長く歩いていない足は筋肉が衰えて細い。それは確かにカドネだった。


 そういえば、こうして間近で彼の顔を見るのは初めてだ、とノエインは思った。


 南西部国境の大戦で。ベゼルの戦いで。そして今回の戦いで。ノエインはカドネの巻き起こした戦乱に三度も巻き込まれたが、今までノエインの中で、カドネは「戦乱の元凶」という概念的な存在だった。姿は遠目に見たことがあるだけで、顔立ちはおぼろげにしか知らなかった。


 ノエインのみならず多くの者を争乱に巻き込んだカドネだが、いざ目の前にしてみると何ということはない。ただの男だ。ノエインより一回り年上で、ノエインより一回り背が高い、それだけの普通の男だ。今は物言わぬ死体だ。


「……この女性は?」


 カドネの遺体には、猫人の女性の遺体が絡みついていた。カドネを後ろから抱きかかえるようにして死んでいた。それを見てノエインは尋ねる。


「カドネはこの女に抱きかかえられ、剣を抜いて立ったまま私に刺し貫かれました。結果的にこの女も共に殺すことになり……カドネと最期まで一緒だったということはそれなりの立場の者かと思い、こうして一緒に運び込んでおります。死んでもなおカドネを異常に強く抱いていたので、引き剥がすのが手間だったというのもありますが」


「なるほど、そうだったんですか」


 カドネがどのような配下を連れてランセル王国から北へ逃げたのか、今回の戦いに際してノエインもランセル王国側からおおよその情報を得ていた。カドネの一行の中に、彼が溺愛していた獣人の愛玩奴隷が一人いたという話も聞いている。


 それがこの女性なのだろう。首の後ろを見ると、ランセル王国の奴隷印の上から重ねて印が刻まれていた。解放奴隷の証拠だ。


「俺は何を間違った、と最期に言っていたようです」


 ハッカライネン候の言葉を聞いて、ノエインは振り返った。


「カドネが、ですか?」


「はい。騎乗突撃の最中だったのではっきりとは聞き取れませんでしたが、どうやらそのようなことを口にしていました。一国の王だった男の、最期の言葉がそんな泣き言とは、何とも無様なものです」


「……ええ、そうですね」


 ノエインは微苦笑を浮かべて答えた。カドネの遺体に視線を戻し、また口を開く。


「遺体は首を壺に収めて塩に漬けてください。この猫人の女性の分もお願いします。私が大陸南部に持ち帰り、ランセル王国に届けますので」


「了解いたしました」


「それと、少し一人にしてもらってもいいですか? 彼とはそれなりに因縁が深いもので。こうして遺体と向き合う時間は今しかないでしょうから」


「……はっ。それでは、私は失礼いたします」


 ハッカライネン候は一礼し、天幕から出て行った。


 ノエインが「一人になりたい」と思うとき、マチルダは遠ざけたい他者に含まれない。なので、天幕にはノエインとマチルダだけが残る。


「まったく、嫌な死に方をしてくれたね」


 光の失われた虚ろな目で中空を見つめるカドネの遺体に、ノエインは語りかける。


 今回の出征前に、ノエインはランセル王国側からあらためてカドネの情報をもらっていた。カドネが大陸北部へと連れていった主な配下を聞くにあたり、この獣人女性についても聞き、その過程でカドネの生い立ちも知った。


 彼の生い立ちは、妙に自分と似ている部分が多いと思った。獣人女性を愛し、傍に置いていることまで同じだ。


 最期はその獣人女性のみを傍に連れ、その女性と共に刺し貫かれて死んだ。おまけに今際の際に言った言葉が「俺は何を間違った」だ。


 これではまるで、このカドネの姿が、往く道を誤った自分の成れの果てのようだ。カドネを抱いて死んだ獣人女性の姿が、道を誤ったノエインにそれでも付き従ったマチルダの成れの果てのようだ。


 もし生き方を誤っていたら。不幸な境遇に生まれたことへの復讐の成し方を誤っていたら。こうして後悔に呑まれながら死んだのは、自分だったかもしれない。愛する従者を死なせたのは自分だったかもしれない。


 そう思わずにはいられなかった。


「……君が別の生き方を選んでいたら、違う場所で、違う形で会えたかもしれないね」


 もしもカドネが暴君に成り果てなかったら。周囲を不幸にしながら覇道を進む人間にならなかったら。ノエインとカドネは、因縁を抱えて戦わなくてもよかったのかもしれない。違う出会い方をすれば、友人にさえなれたのかもしれない。


 だが、それも今更だ。カドネは自身の選んだ生き方の果てに死んだ。彼は多くの人間を苦しめ、多くの犠牲を生んだ果てに、彼自身も虚しく死んだ。


 エドガーの父をはじめ国境紛争で死んだ者たち。ジノッゼをはじめ南西部国境の大戦で死んだ者たち。ベゼルの戦いで死んだノエインの配下たち。ジェレミーの最初の妻と子をはじめとした、ランセル王国の無辜の民。今回の戦いで死んだデール侯国やレーヴラント王国の民。カドネのせいで数千数万の人間が犠牲になった。それはもう変わらない。


 だから、ノエインはカドネを可哀想だとは思わない。彼に同情はしない。


「……」


 自分と同じ復讐者で、自分とは違う生き方を歩んだ男に、ノエインは心の中で別れを告げて天幕を出た。


 しばらく歩き、人気のない物資置き場の隅で座り込み、ため息を吐く。


「……ノエイン様」


 マチルダもノエインの隣に座り、ノエインの肩に優しく手を回した。ノエインはそんなマチルダに寄りかかり、彼女の肩に頭を預ける。


「……少し、怖くなったよ」


 自嘲気味に笑いながら、ノエインは呟いた。


「僕は周りの人間と愛し合って幸福に生きることで、自分の境遇への復讐を成そうとしてきた。それが良い生き方だと信じてやってきて、実際に臣下や民からの愛を得て、幸福を得てる。だけど……手を血で汚してきたし、嘘もついてきたし、敵も作ってきた。守り切れなかったものや救えなかったものもある。何が正しくて良い生き方なのか、本当のところは分からない」


 そして、不安げな表情でマチルダの顔を見る。


「ねえマチルダ、僕は正しく生きることができてるのかな? 僕は何か間違いを、取り返しのつかない大きな間違いを犯してないかな?」


「ノエイン様は何も間違っておりません」


 ノエインの問いかけに、マチルダは一切の迷いなく答える。


「私は誰よりも長く、誰よりも近くでノエイン様を見てきました。ノエイン様は誰よりも素晴らしい君主であり、夫であり、父親です。それは微塵も疑いようのない事実です。私にとっても、ノエイン様は他の誰とも比べようのないほど素晴らしい主人です。私の命にかけて断言できます」


 マチルダはノエインの頬に手を添え、鼻先が触れ合うほど近くに顔を寄せる。


「あなた様が正しいと、最も近くであなた様の庇護をいただいてきた私が生涯をかけて証明します。あなた様が素晴らしいお方だと、アールクヴィスト大公国が、そこに生きる全ての者がこれから証明していきます。だから、どうかご安心ください」


「……ありがとう、マチルダ。救われたよ。気持ちが楽になった。君は僕の心の支えだ」


 ノエインは安堵の笑みを浮かべて言うと、マチルダと軽く口づけを交わした。




 その会話を、少し離れたところでヘルガ・レーヴラントが偶然に聞いていた。


 徴募兵たちを再び奮起させるときに気力を使い果たしてしまった上に、戦場慣れしていない彼女は、戦場の後処理の現場ではやはり役に立たなかった。邪魔にならないようにと慌ただしい現場を離れ、人気のない物資置き場の隅に座っていたら、物資の山を挟んで反対側にノエインたちがやって来た。


 そのままノエインたちがヘルガの存在に気づかずに話し始めたので、ヘルガは意図せず彼らの会話を聞くことになってしまったのだ。


 盗み聞きのようなかたちになって悪いと思いつつ、しかし今更動くこともできず、やがて話を終えたノエインとマチルダが去っていく足音が聞こえてほっと息をつく。


 そして、先ほどノエインが吐露していた言葉を思い出す。


「……」


 ここしばらくの出来事を経て、ヘルガはノエイン・アールクヴィストが強い君主だと思うようになった。過酷な現実と対峙してなお、怯むことも怖気づくこともなく力を振るう、強い人物だと感じた。臣下や兵からも慕われ、信頼される良き為政者なのだと思った。


 そのノエインでさえも、悩み苦悩するのだ。弱音を吐露することがあるのだ。他者に縋ることがあるのだ。


 そして、ノエインが密かに弱音を零すのはあの兎人の女性なのだ。本来ヘルガが知るはずのなかったノエインの一面を知って、それに対するあの兎人の女性の言葉を聞いて、その上で、あのやり取りの中に、あの二人の間に愛がないなどとどうして言えようか。


 ヘルガはノエインと出会った初日に自分が言った言葉を恥じた。偉そうに弁舌を振るった自分がいかに驕っていたかを自覚して、どうしようもない羞恥を覚えた。


 自分の大きな間違いを、これからどう改めればいいのか、何から始めればいいのか、まだ想像もつかない。


 これから立派な君主になるために、どれほど学び努力すればいいのか。途方もない道のりを想像しながら、ヘルガは呆けた顔で空を見上げていた。

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