第379話 暴君の最期

 六人の親衛隊が稼いだ時間はごく僅かだった。


 カドネとイヴェットの二人を乗せて走り続ける馬の体力は限界だ。イヴェットがどれほど急がせようとしても、疲労によって馬の足は目に見えて遅くなっていく。


 一方で、レーヴラント王国の騎兵部隊は未だ勢いが衰えず、十分な速度を保っている。馬よりも持久力のあるグロースリザードを駆っている上に、その扱い方も上手いのだろう。カドネたちと敵との距離は着実に縮まっており、間もなく追いつかれるのは明らかだった。


「あっ!」


 そのとき、二人の乗る馬が地面の窪みに足をとられ、前のめりに倒れた。イヴェットとカドネは投げ出され、地を転がる。


 それでも猫人のイヴェットは俊敏に立ち上がり、足が動かないために立ち上がれないカドネに駆け寄る。


「陛下! ご無事ですか!?」


「ああ、俺は大丈夫だ……イヴェット、お前は?」


「私も大きな怪我はしていません。ですが……馬が、もう」


 イヴェットに支えられて身を起こしたカドネが馬の方を振り返ると、馬は窪みにとられた足が折れていた。横たわった状態で苦しげに身をよじらせており、どう見てももう走ることはできない。


 そして、騎兵を相手にイヴェットがカドネを抱えて逃げ切ることなど到底叶わない。


 すなわち、ここで終わりだった。


「ああぁ、敵が来る、敵がここに来る……あんな勢いで、俺を仕留めに来る……殺される、怖い、怖いぃ……」


 そう呟くカドネは、目に涙を浮かべて震えていた。


 かつての親征とランセル王国内での紛争を経て、カドネは敵に追われることを極端に恐れるようになった。敵の害意のかたちをした死が自身の身に迫って来る体験は、カドネのトラウマになっている。


 そして、敵が自分を生かしてくれるとは到底思えない。自分がノエイン・アールクヴィストだったら、今後の安心のためにも厄介な敵は確実に仕留める。


 カドネは敵に背を向け、イヴェットの方を向いた。


「すまないイヴェット、俺のせいだ、俺はもう駄目だ……お前は逃げろ。猫人のお前なら、お前一人なら、街道を外れれば逃げきれるかもしれない。だから、」


「それはできません、陛下」


 イヴェットは微笑みを浮かべて首を横に振った。


「私は最後まで陛下のお傍におります。陛下が今日ここでアルバランの神々の御許に召されるのであれば、私もそれにお供いたします」


 そう言って、イヴェットはカドネを抱き締める。


「私は陛下のお傍で生きることができて幸せでした。どうか最後の瞬間まで、お傍にいさせてください。我が儘をお許しください」


「イヴェット……すまない、俺を許してくれ」


 カドネはイヴェットにしがみつき、彼女の肩に顔を伏せて泣いた。


 そして顔を上げ、一度は目を逸らした敵の方を振り向く。


「さ、最後は男らしく、ランセル王国の王らしく死にたい。自分の足で立って、敵の方を向いて死にたい」


「かしこまりました、陛下」


 イヴェットはカドネの背中側から両脇に腕を回し、彼を立たせる。イヴェットに体重を預けながら、カドネは見た目の上では自身の足で立ち、迫りくる騎兵部隊を見据えた。


 そして、腰の短剣を抜いて前に向けた。


「お、俺はランセル王国の王だった。王として生きた」


「仰る通りです、陛下」


「俺は戦ったんだ。国をさらに強く大きくしようとしたんだ。偉大な国の偉大な王になろうとしたんだ」


「あなたは勇敢で偉大な王でした。ランセル王国の歴史に残る王でした、陛下」


 耳に心地よいイヴェットの言葉に慰められながら、その間にも敵は迫りくる。もう目前まで来ている。


「俺は……ああ、くそ、やっぱり怖いな……イヴェット、俺はどこで間違った。どうすればよかった。何を間違ったんだ、俺は何を間違った」


 騎兵部隊の先頭、大柄な牛人の騎士が槍を前に掲げ、疾走の勢いそのままに全身で突き込んでくる。


「陛下、あなたは何も間違っておりません」


 カドネの耳元に口を寄せるイヴェットのその言葉が、カドネがこの世で最後に聞いた言葉だった。


 自身を後ろで支えるイヴェットとともに槍で心臓を貫かれ、カドネは死んだ。


・・・・・


 数時間前まで壮絶な戦闘がくり広げられたフィオルーヴィキ峡谷の砦は、今は別の喧騒に包まれていた。


 ヴィルゴア王国の軍勢は壊滅した。四千数百のうち半数ほどが北へと壊走し、千人以上が死亡あるいは負傷し、残りは投降して無抵抗となった。


 戦いが終われば、その後処理が始まる。死体を回収し、負傷者の手当てをし、捕虜は身分ごとに分けて集め、監視することになる。


 痛手を被ったのはレーヴラント王国側も同じだ。敵味方合わせて数百人に及ぶ負傷者の治療には、捕らわれたヴィルゴア王国側の医者も動員されている。このままでは後処理の人手が明らかに足りないため、ガブリエルは王都クルタヴェスキの方に手伝いを呼ぶための伝令を送っていた。


 そして、ノエインは自身の天幕に一度戻り、休息をとっていた。一時間以上に及ぶ戦いでゴーレムを激しく動かし続けた疲れは相当なものだ。寝台に寝転がり、マチルダの膝を枕に身体と心を休めていた。


 ある程度は疲労感が落ち着いた頃、天幕の外からペンスに呼ばれる。ノエインが起き上がって許可を出すと、ペンスは天幕の中に入って来て敬礼し、口を開いた。


「報告します。アールクヴィスト大公国軍に死者はなし。重傷者は五、軽傷者は……まあ、前線で戦った兵士たちは皆、擦り傷や切り傷程度は負ってます。重傷者のうち二人は物見台や防壁の足場から跳び下りて骨折した奴で、残りの三人は傀儡魔法使いを守るために敵の矢や剣を受けた奴ですね。うちが持ち込んだ魔法薬を使って、レーヴラント王国の治癒魔法使いの手当ても受けたので、全員が完治する見込みです」


「そうか……死者がいなかったのは何よりだよ。報告ありがとう」


 ノエインは安堵の息をついて答えた。


 大公国軍は基本的に支援の立場をとっていた今回の戦いだが、それでも別動隊として動いたグスタフたちの方には犠牲者が出ることを覚悟していた。


 カイア・ヴィルゴアがタイミングよく本陣を離れてくれなかったら。初撃の前に敵本陣に奇襲を察知されていたら。敵本陣の兵が思った以上に勇敢に戦ったら。敵主力の後衛の兵士や魔法使いたちが予想以上に攻撃的だったら。不確定要素はいくつもあった。


 それらを全て打ち破り、グスタフたちは役目を果たした。指揮系統が崩れた敵の脆弱さに助けられた部分もあったが、アールクヴィスト大公国としては最良に近いかたちで戦いを終えたと言っていいだろう。


「うちは良かったけど、レーヴラント王国軍はこれから大変だろうね」


「ですね。死者だけで百人以上、負傷者はその三倍近く。勝てただけ御の字かもしれませんが、この国の人口でこの死傷者数だと、後がきついでしょう」


 レーヴラント王国の人口二万人のうち、力仕事の担い手となる仮成人以上の男子は八千人程度だ。単純計算でも、主な肉体労働力の二十人に一人が一時的に欠けることになる。


「この様子だと、戦後もしばらくはうちが援助することになるかな……言い方は悪いけど、ここからさらに恩を売る余地があるね」


 国内の戦後の安定はもちろん、北のデール侯国の後処理や、ヴィルゴア王国をはじめとした敵国群との交渉など、レーヴラント王国がやるべきことは山積みだ。事を順調に進めるためには相手に舐められないための軍事力や、人と物を動かすための金が要る。


 アールクヴィスト大公国はそこでもレーヴラント王国に助力する。対価はまた柘榴石などの資源で受け取るか、単純に現金を利息付きで返してもらうことになるだろう。


「あとは、カドネを仕留められたかどうかだけど……」


「ハッカライネン候が騎兵二十で追ったんです。カドネがあの身体で逃げ切れるとは思えません。今日中にも死体が運ばれてくるんじゃないですかね?」


 ペンスがそう答えたとき、天幕の外からノエインを呼ぶ声が聞こえた。


 天幕の外に顔を出したペンスが、その兵士と言葉を交わし、ノエインの方を振り向く。


「噂をすれば、です。ハッカライネン候が無事にカドネを仕留めて、遺体を持ち帰ったそうで。閣下にもご確認いただきたいと」


「…………分かった、行くよ」


 ノエインは少しの間黙り込み、小さく息を吐いて立ち上がった。

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