第368話 フィオルーヴィキ峡谷の戦い 緒戦②
惨い有り様になりながら迫ってくる隣国の無辜の民に、レーヴラント王国の兵士、特に徴募兵たちが動揺を見せる。
そこへ向けて、ガブリエルは関所の屋上から叫んだ。
「レーヴラント王国の誇り高き戦士たちよ! 迷うな! 祖国を、家を、家族を救うために戦うのだ! 武器を構えよ! 敵を討て! 今日ここで戦うお前たちは、生き残る者も死に行く者も全員が、我が国の英雄として永遠に語り継がれる!」
拳を突き上げるガブリエルの声に応え、王国貴族たちが、続いて正規兵たちが鬨の声を上げた。徴募兵たちもその後に続き、やけくそのように声を張る。
一方で敵側の徴集兵たちは防壁の真下まで到達し、ここまで抱えてきた梯子をかける。
そこへ最初の攻撃を加えたのは、またもやゴーレムだった。
「浴びせろおぉ!」
叫んだのはゴーレム四体編成の班を率いるアレインだ。敵から見て防壁の裏、丸太を組んで作られた丈夫な足場の上に立つゴーレムたちは、本来なら湯浴みなどに使われる大桶を抱えていた。
そしてそれを、今まさに梯子を上って防壁上へと迫る敵兵に向けてひっくり返した。
その中に入っていたのは、沸騰するまで沸かされた湯だ。先陣を切って梯子を上っていた勇敢な徴集兵たちは、それを頭から被ってしまう。
「ぎいぃやああああぁぁ!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
全身が焼けただれた徴集兵たちの、身の毛もよだつような断末魔の叫びが響く。正視に耐えない姿となった彼らが転げ落ちると、空いたその梯子を上ることを、他の徴集兵たちは躊躇する。
しかし、四体のゴーレムだけで防壁の全てを守ることは到底叶わない。防壁の他の位置にも次々と梯子がかけられ、それぞれ徴集兵たちが上り始める。
梯子の総数は数十本にも及び、おまけに悪い意味で長さが絶妙だ。敵側は梯子を上りきれば防壁を乗り越えられるが、こちらからは防壁上から手を伸ばしても梯子を倒すことが難しい。
槍で引っかけて外せればいいが、まだ防壁に迫っていない敵兵は防壁目がけて石などを投げつけてくる。身を乗り出すようにして梯子を外しにかかった兵士の中には、その石を顔に食らって倒れる者も出る。
それでも、防壁上に立つレーヴラント王国の兵士たちは懸命に槍や剣を振るい、梯子を上って来る敵を突き、刺し、下に落とす。
一方で、防壁の後ろに並ぶ味方も、防壁越しに敵徴集兵に応戦する。ゴーレムは引き続き人間の半身ほどもある大きな石を、レーヴラント王国の徴募兵たちも投石紐や、腕力のある者は己の腕で石を放る。人数は少ないが、弓の心得のある正規兵や狩人出身の徴募兵などは矢を曲射する。
防壁越しであるが故に投擲武器を使った泥臭い戦いで、被害が大きいのは無防備な敵徴集兵の方だ。
五百人に満たない徴集兵たちは、既に二百人近くが戦闘不能に陥っていた。
・・・・・
「……そろそろ頃合いか?」
丘の上の本陣。損耗が激しいデール候国民の徴集兵部隊を見て、カイアが呟く。
「でしょうな。農民の群れではあれ以上の成果は上がりますまい。敵方の攻撃方法をあらかた見ることができて、梯子をかけることも叶った。奴らの果たす役割としては十分です」
それに溌溂とした声で頷いたのは、狼人の将軍ガジエフ・タタリノフだ。
「そうか。では、いよいよ本番といこう。本隊に攻撃を開始させ、徴集兵は下げさせる。言うことを聞いて働きを示したのだ。奴ら全員に報奨金を与え、家族の安全を保障し、負傷者は治療もしてやれ」
「カイア、本格攻勢を始める前に、隊の配置を変えた方がいい。敵は防壁の正面に炎の壺や投石の攻撃を集中させている。正面から攻める隊はどうしても損害が大きくなるだろう」
カイアの隣からカドネが言葉を挟んだ。それを聞いたカイアは僅かに考える素振りを見せ、傍らのガジエフを向く。
「ガジエフ。今の隊形は主力のヴィルゴア王国軍が中央で、左右に属国や友好国の兵を置いていたな?」
「はっ。御命令とあらば、すぐに配置を動かしますが」
「では、カドネの助言に従うとしよう。左右の部隊を砦の正面にぶつけよ。戦果を上げた国は、ヴィルゴア王国への格別の忠誠心があることを認めると言ってな。その後、中央本隊を左右に分け、正面部隊の両翼から砦の中に向けて矢や魔法を打ち込ませ、援護させるのだ」
「御意!」
カイアの命令をガジエフが伝令兵たちに伝え、伝令は陣の左右の部隊へと馬を走らせる。
それから間もなく軍が動き出した。左右の部隊、合計およそ千六百がそれぞれ斜め前に進み出ていき、両横が空いてから中央にいたヴィルゴア王国軍が左右に分かれていく。
一方で、最前で戦っていた徴集兵たちは、目付け役の正規兵たちが撤退の合図の鐘を鳴らすと、後方へ退却を始める。我先に走って逃げる者もいるが、勇敢な者はまだ息のある負傷者に肩を貸し、あるいは背に抱えて砦から離れる。
何か指示が出されているのか、退却する徴集兵に対しては砦側の攻撃は飛ばなかった。
人数を半分以下に減らして退く徴集兵と入れ替わって、次に攻勢を仕掛けるのは属国と友好国の国軍、そして各国の貴族やその従士たちだ。戦いを本分とする千六百の戦士たちが鬨の声を上げながら砦に突き進む様は、徴集兵による攻撃とは比較にならない迫力があった。
砦の中から飛んだバリスタの斉射による炎にも、大小無数の石や矢による攻撃にも怯むことなく、属国と友好国の部隊は砦の足元に取りつく。徴集兵たちが血と命を対価に立てかけた梯子を上り、倒されていた梯子は再び防壁にかける。
さらに、左右に分かれて砦の脇に接近した本隊から、弓兵や、魔法の心得のある者たちが砦に狙いを定める。各々攻撃を放とうとして――
そのとき、砦側から魔法の発動を示すいくつもの光が放たれた。
・・・・・
「主力のおでましか。やっぱり徴集兵は、こっちの手の内を探ってレーヴラント王国軍の動揺を誘うための捨て駒だったみたいだね」
「そのようです。ついでにできるだけ多くの梯子をかける役目もあったのでしょう」
関所の屋上から戦場を見下ろしながら、ノエインはユーリとそんな言葉を交わす。
ヴィルゴア王国の軍勢は左右に配置されていた部隊が砦に迫り、逆に中央にいた部隊は左右に分かれ、前面の部隊を援護するような位置を取っていた。
それを見るに、これから損耗が大きくなるであろう前面に出てきた部隊が属国などの軍勢で、左右に分かれたのがヴィルゴア王国の本隊なのだろう。
「……ユーリ。コンラートを介したバリスタ隊への指示を任せるよ。それと、魔道具部隊にはレーヴラント王国の魔法使いたちと連携して敵を牽制させて。何かあったら『遠話』で教えて」
「了解いたしました」
大公国軍の各隊の指揮権をユーリに預けると、ノエインはガブリエルの方に歩み寄る。
「陛下、私もこれよりゴーレムを使って防衛戦に参加してまいります」
「そうか。くれぐれも気をつけてな」
「ありがとうございます。私には優秀な護衛がいるので大丈夫です。陛下も流れ矢などにはどうかお気をつけください」
そう言い残して関所の屋上を降りたノエインは、投石陣地の一角に陣取るグスタフたちと合流する。
「アールクヴィスト閣下!」
「皆ご苦労様。僕も参戦させてもらうよ」
砦の後方から敵陣へ向けてバリスタの攻撃が飛んでいく下で、ノエインはグスタフを含む四人のクレイモアと、それぞれの護衛の大盾兵に出迎えられた。彼らに応えながら、陣地の隅に座り込んでいた自身のゴーレム二体を起動させる。
そして、砦の防壁を――その向こうに迫っているであろう敵を見据えた。ノエインの周囲はマチルダと、ペンスたち親衛隊が守っている。
ノエインがゴーレムに抱えさせるのは、大木の幹を切り出した丸太だ。長さ二メートル程度に切り分けられたその丸太の両端をゴーレムたちに抱えさせる。
そのとき、防壁裏の足場の上と、二つの物見台、そして関所の屋上から、合計で十ほどの光が瞬いた。
それはレーヴラント王国の魔法使いと、アールクヴィスト大公国軍の攻撃魔法の魔道具による魔法発動の光だ。それと共に放たれた『火炎弾』『氷弾』『風刃』『土槍』などの攻撃魔法が、今ノエインたちがいる場所からは見えないが敵兵を屠る。
それに対抗するように、敵側からもいくつかの攻撃魔法が飛んだ。
物見台を狙ったらしきものは的を外れて後方の空へと飛んでいき、防壁を狙ったらしきものは表面を土で固められた分厚い丸太壁に当たって霧散する。位置取りの関係で、敵の攻撃魔法はよほど威力が強いか狙いが正確でない限りは、効果を成さない。
続いて、散発的ながら矢が砦の中に飛び込んでくる。大盾兵が傀儡魔法使いを、マチルダと親衛隊がノエインを盾で守り、専属護衛などいないレーヴラント王国の投石兵たちの中から運悪く矢を食らう者が出る。
『閣下、敵部隊が防壁近くまで到達しました。投石を再開されてください』
そのとき、関所屋上のユーリから『遠話』で報告が入った。
「分かった……グスタフ、投石再開だ」
「はっ。皆聞いたな! 攻撃を再開しろ!」
投石部隊の指揮権を預けられているグスタフが命じると、傀儡魔法使いと投石兵たちは再び防壁の向こうへと石を投げ始めた。
ノエインもマチルダとペンスたちに守られながら、二体のゴーレムを操る。
いかに怪力のゴーレムとはいえ、これだけの丸太を遠く放るとなれば、二体がかりでなければ叶わない。それも、二体が息をぴったり合わせて腕を振り、勢いをつけてから放り投げる必要がある。二体のゴーレムを一人で操れるノエインでなければできない芸当だ。
振り子のようにゴーレムの腕を振り、十分な勢いが生まれてから、ノエインは丸太を防壁の向こうへ放った。
大柄な成人男性より一回りも大きな丸太は防壁の向こうへと消え、それが落ちて地を揺らす音さえ微かに聞こえる。その重厚な円柱は何人もの敵兵を引き潰し、石一つよりも遥かに大きな損害を与えていることだろう。
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