第340話 ワイバーン討伐③

『天使の蜜』の原液の効果もあって動きが鈍り始めたワイバーンに、ノエインの操る巨大ゴーレムが片腕で殴りかかる。


 自分の身体の様子がおかしいことはワイバーンも理解しているのか、迫ってくる巨大ゴーレムを警戒して意識を向け――自らもゴーレムに向かって体当たりを敢行した。


 全長十数メートル、尾を除いても七メートル以上はあるワイバーンと、身長三メートル以上のゴーレムが激突する。こんな場でもなければまず拝めない、冗談のような迫力だ。


 大きさで言えばワイバーンに分があるが、空を飛ぶ生き物は概して見た目の大きさのわりに体重が軽い。質量の高い木製であるが故に見た目以上に重いゴーレムとはいい勝負だ。ぶつかり合った瞬間こそ巨大ゴーレムが足元の地面を抉りながら後ろに押されたが、すぐに力は拮抗する。


 と、巨大ゴーレムの右手がワイバーンの頭、とさかのように生えた何本もの角の一本を掴む。そして、それをそのまま力任せにへし折る。


「ギャアアアアッ!」


 やはり身体の一部を損壊されると痛いのか、ワイバーンは半身を振り乱して巨大ゴーレムを突き飛ばし、距離をとる。


 背が高い上に片腕をもがれているゴーレムの操作は、ノエイン自身も左腕に強い違和感を覚えているためにバランスがとりづらい。振りほどかれた巨大ゴーレムはそのまま背中から倒れる。


 しかし、また時間が経ったためか、それとも今の格闘で『天使の蜜』の原液がさらに体内に回ったのか、ワイバーンの動きが一層鈍る。


「今だ! 囲め! 死角から襲え!」


 ユーリの指示が飛び、傀儡魔法使いたちのゴーレムが動く。ワイバーンの目が潰れて死角となっている左側にいるゴーレムたちが接近しにかかる。


 それが分かっているのか、ワイバーンはその場で動き回りながら翼と尾を振り回す。いくら動きが鈍っているとはいえ、大きな翼や太い尾の直撃を受ければゴーレムもただでは済まない。傀儡魔法使いたちは果敢にワイバーンの体にゴーレムを取りつかせようとするが、なかなか上手くいかない。


「もう片方の目も潰します! 援護を!」


 そう叫んだのはレーンだ。ワイバーンの顔の右側が見える位置に移動した彼女を守るために、ゴーレムが三体寄り集まって壁を作る。その後方ではレーンの護衛役のケーニッツ伯爵領軍兵士たちがさらに壁を作り、その後ろ、陣形の最後方からレーンが右手を突き出す。


 ワイバーンの顔を狙うのであれば、手は斜め上に伸ばすかたちになる。壁役の兵士やゴーレムが射線上の障害になることはない。


 突き出されたレーンの右腕の手首に、赤い魔法陣が浮かぶ。その大きさはゴーレムを操るクレイモアの傀儡魔法使いの誰と比べても、ノエインの手首に浮かぶ魔法陣と比べても倍は大きい。どれほどの魔力が込められているかがうかがい知れる。


「ゴアアッ! ガゴアアッ!」


 ワイバーンはそんなレーンを目下の脅威と見なしたのか、彼女に襲いかかろうとする。しかし、壁役のゴーレム三体が振り下ろされた翼を受け止める。


 そうして稼がれた時間はわずか数秒。しかし、レーンはその短時間で精神集中を終わらせ、その腕の先が光を纏った。


「っ!!」


 そこから放たれたのは――炎の矢だ。それも一本だけではない。何本もの炎の矢が、まさに矢継ぎ早にワイバーンの目元へと飛翔する。


 目を狙われていると気づいたワイバーンは翼と繋がった右腕で顔を覆うが、炎の矢は何本かがワイバーンの指の隙間を縫って顔に当たる。


 けん制にはなるが、都合よく目に直撃する確率は低いだろう。その前におそらくレーンの魔力が尽きる。誰もがそう思ったとき、ラドレーが陣形の最前面に出ながらレーンを振り返った。


 彼の意図を察したレーンが頷き、その腕から最後の一発が飛ぶ。それはワイバーンの腕に着弾した瞬間、ただ火の粉を散らして消えるのではなく、広範囲に及ぶ爆炎を生んだ。


 炎の矢に紛れさせて最後の一発だけを火炎弾に変えるという、凄まじい離れ技だ。


 さすがに魔力と集中力を消耗し過ぎたのか、レーンの身体がふらついて姿勢が崩れる。護衛の兵士たちが彼女を抱えて森の傍まで下がる。


 一方で最前面、ワイバーンのすぐ傍では、腕で顔を庇ったまま爆炎に怯むワイバーンの、その右の翼を足場にしてラドレーが駆け上がった。


「でやああああっ!」


 爆炎が晴れる前に、その中に飛び込むような勢いで槍を構えて突っ込むラドレー。炎が霧散したときにはワイバーンの顔のすぐ横、腕の上まで到達し――そのまま右目に向けて刺突をくり出し、自身はその勢いを利用して槍を手放しながら飛び下がる。


「ギャオオオオオッ!」


 クロスボウの矢でも貫通した眼球が、手練れであるラドレーの全力の攻撃に耐えられるはずもない。槍はワイバーンの右目に突き立ち、またもやワイバーンの絶叫が上がる。


 苦し紛れにワイバーンが腕を振るい、その爪の先端がラドレーの頭に迫る。しかし、間一髪でラドレーの離脱の方が速かった。爪の先がかすり、兜を弾き飛ばされながらも、ラドレーは地面に転がり落ちてそのままワイバーンから距離をとり、退避する。


「……相変わらず化け物じみてますね、あの戦闘馬鹿は」


「さすがだけど、もうやらないでほしいね。ジーナが今のを見たら卒倒するよ」


 生身でワイバーンの身体を駆けのぼって片目を潰すという人間離れした技に感心と呆れの入り混じった感情を抱きながら、ノエインはペンスと言葉を交わす。


 凄いのは間違いないが、生身でワイバーンに肉薄するのは見ていてぞっとしない光景だ。ノエインたちでさえヒヤッとしたのだ。ラドレーの家族にはとても見せられない。


「グウウウッ、グオオオオンッ」


 凄腕の魔法使いと戦士による即席の連携で残る目まで潰されたワイバーンは、『天使の蜜』がさらに回ったのもあっていよいよ勢いを失う。


「今だ! 取りつけ! 翼と足だ!」


 ユーリの命令でクレイモアが一斉に動く。ゴーレムがワイバーンの翼と足に殺到する。


 ワイバーンは両目を潰されても尚、翼や尾を振り回して抵抗する。左足に取りつこうとしたゴーレムが尾に叩き潰され、右の翼に取りつこうとしたゴーレムが翼で振り払われる。


 それでも、残りのゴーレムたちがワイバーンの抵抗を潜り抜けて飛びかかる。翼にしがみついて膜の部分を力任せに引き裂く。あるいは足にしがみついて関節を逆方向に引っ張る。


「アレイン! 尾をやるぞ!」


「おう!」


 グスタフが呼びかけ、森に隠してあった予備のゴーレムを持ち出して戦列に復帰したアレインがそれに応える。


 ワイバーンが鞭のようにしならせる尾の一撃をグスタフのゴーレムが躱し、その先端を鷲掴み、押さえつける。動きを阻まれた尾の根元部分にアレインのゴーレムが飛びつき、鱗を何枚か無理やり引き剝がして傷口に腕を突っ込み、肉を抉る。


 どこかの神経を傷つけられたのか、暴れ狂っていた尾の動きが目に見えて鈍くなる。


「ガアアアアアッ! ゴアアッ、グオオン!」


 こうなると最早なぶり殺しだ。『天使の蜜』に全身を蝕まれ、翼も足も尾もずたずたに傷つけられたワイバーンは断末魔の叫びを上げながらのたうち回る。


 その悪あがきの暴れ方でも巻き込まれれば危険なのは変わりないが、それでも最初の危険度とは比べるべくもない。人間は距離をとりながら、ゴーレムを近づかせて少しずつ生命力を削り取るだけだ。


 ゴーレムを破壊された他の傀儡魔法使いたちも、それぞれ森に隠されていた予備を持ち出す。予備は四体しかないので手持ち無沙汰になる者も出てくるが、それでも弱り切ったワイバーンを袋叩きにするには十分な数が残っている。


「……終わりだね」


 最早自分が手を下すまでもないだろう。そう思いながらノエインは呟く。


 誰がどう見てもワイバーンは満身創痍だ。そのボロボロの四肢に、現在進行形でゴーレムたちの攻撃が叩きこまれている。指を千切り、翼の膜を千切り、骨を折り、鱗を剥がす一撃一撃がワイバーンの命を終わりへと引きずっていく。


 やがて、ワイバーンはじたばたと悪あがきすることさえできなくなり、その巨体が地面に倒れ伏した。


 その振動で地面が揺れ、周囲の木々が揺れ、やがて沈黙が広がる。


「やったかな?」


 ノエインが言葉を零した瞬間、すぐ近くにいたペンスと、『遠話』を繋ぎっぱなしのユーリが顔を強張らせて振り向いてきた。


『閣下……』


「今それは禁句で――」


 その瞬間。


「グゴガアアアアアアアアアアッ!」


 一度は息絶えたかに見えたワイバーンが、その場の全てを震わすほどの雄叫びを上げる。どこにこれほどの生命力が残っていたのかと思うほどの、憤怒の叫びだ。


 ワイバーンは再び起き上がる。膝が砕け、爪が剥がれ、指が欠損し、翼はボロ布のようになっているのに、それでも無理やり身体を起こす。


 そして、既に光を失っているはずの目で、矢と槍が突き立った顔でノエインの方を向く。周辺の魔力でも感じているのか、あるいは本能的な勘か、ノエインに狙いを定め、爆発的な勢いで前進する。


 地面を跳ねるようにして迫ってくるワイバーンを前に、しかしノエインは今は冷静だった。


 自身の前に立たせていた巨大ゴーレムを操り、まだ残っている右腕を振りかぶらせる。


「ガアアアアアアアッ!」


 絶叫しながら突っ込んでくるワイバーンの、その大きく開いた口の中に、ノエインはゴーレムの拳を叩き込んだ。


「グボオオッ」


 ゴーレムの太く長い腕がワイバーンの口に飛び込み、そのまま喉に突き刺さる。


 その光景を見ながらノエインが右の手のひらを握りこむと、ワイバーンの身体がビクッと震える。


 そして、ノエインが右腕を下げると、ゴーレムも右腕をワイバーンの口から引き抜いた。その手につかまれた肉やら内臓やら血管やらが混ざり合ったものが引きずり出される。


 ワイバーンの身体が弛緩し、また地面に頽れた。その全身から目に見えない生気とも魔力ともとれない何かが流れ出し、霧散するのが、ノエインたちにも分かった。


 今度こそ本当に、ワイバーンは死んだ。

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