第329話 新たな国交②

「なるほど、貿易ですか……我が国はロードベルク王国とランセル王国の貿易において、中継を担うことで発展し始めました。そこへ、新たな共栄の友としてレーヴラント王国が加わることは、この国の主として喜ばしく思います」


 まずノエインは、ベーヴェルシュタムの語ったガブリエル・レーヴラント国王の意向に前向きな姿勢を見せる。


「ですが正直に言いますと、少し驚きました。これまでレーヴラント王国は、アドレオン大陸南部とほとんど関わりを持っていなかったと聞いていますが」


 アドレオン大陸北部には獣人の王が治める国も少なくないが、そういった国々はあまりロードベルク王国やランセル王国と関わりたがらない。大陸南部で獣人が迫害されがちなのは彼らも知っており、自分たちの国が低く見られるのを嫌がるためだ。


 実際にそうした獣人の王家を戴く国を「下等な国家」と見なし、あからさまに馬鹿にしたり軽んじたりする貴族も多い。その結果、レスティオ山地を越えて大陸南部と貿易を行うのは、普人や亜人が治める国に限られてきたという。


 そんな歴史を考えれば、虎人の王が治めるレーヴラント王国が、大陸南部の国家であるアールクヴィスト大公国との国交を求めてきたのはやや奇妙なことだ。


「閣下が疑問に思われるのも無理のないことと存じます。レーヴラント王家は虎人の一族であるため、対等でない扱いを受けることを懸念し、大陸南部との関わりは避けてきました。しかし、先代国王の逝去を受けて五年前に王位を継承したガブリエル陛下は、さらなる富国のため、方針の転換を行うことを決意されました」


 そう語りながら、ベーヴェルシュタムはノエインの後ろに立つマチルダに一瞬目を向ける。


「また、アールクヴィスト閣下は獣人に対して開放的なお考えをお持ちの方であるという話もこちらに聞こえております。閣下がロードベルク王国からの独立を成され、完全なる主権を以て治められるアールクヴィスト大公国であれば、レーヴラント王国も真の友好を結ぶことができるのではないか。それが我が主君のお考えです」


 実質的には遠い異国であるレーヴラント王国にまで、自身の噂が伝わっていたことにノエインは少し驚く。そんな反応を見て、ベーヴェルシュタムは静かに微笑んだ。


 小さいとはいえ相手も独立した国家。大陸南部の情報はある程度は収集しているということか。そう考えて、ノエインも微笑みで応える。


「なるほど、そういうことでしたか……私の獣人への考え方については、ご期待の通りだと思います。私の従者は奴隷身分の獣人ですが同時に名誉士爵位も持ち、我が国では獣人とそれ以外の種族に社会的な地位の差はほぼありません。故に、貴国の王家の種族を理由に、態度を変えることもいたしません」


「閣下よりいただいたご理解に、我が主君もお喜びになることと存じます」


 そう言って、ベーヴェルシュタムは静かに一礼する。


「それで、貿易を望むとのことですが、我が国の産業についてはご存知で?」


「畏れながら、我が国は小国ゆえ、噂程度の話しか存じませんが……貴石であるラピスラズリとその加工品、そしてジャガイモと砂糖がアールクヴィスト大公国の特産物であると聞き及んでおります。また、ロードベルク王国とランセル王国との貿易により、様々な品が行き来するようになっているとも」


 相手の情報収集力を試す意図もあって尋ねたノエインに、ベーヴェルシュタムは答えた。


 それを聞くに、相手側が知らなかったのは大豆から作られる油くらいだ。なかなかの情報の精度に内心で感心する。


「その中でも我が国が今最も欲しているのが、ジャガイモです」


「……なるほど。それは先ほど言っていた富国のためですか?」


 ラピスラズリや砂糖などの高価な品ではなく、効率的な農作物であるジャガイモを真っ先に求める。その背景にあるのは、国力を土台から向上させる意図に間違いない。


「閣下の仰る通りにございます。我が国の国土は広さこそそれなりですが、地勢の多くは山がちです。より安定的に多くの食料を生産し、国を強く豊かにするために、大陸北部でも少しずつ輸入が始まったジャガイモを、我が主君は強く求めておられます」


 ロードベルク王国全土にジャガイモが広まった今、もはや密輸による流出を完全には防ぐ術がないと判断したロードベルク王家は、昨年に友好国への輸出を解禁した。堂々と貿易上の武器にして、輸出と引き換えに大きな利益を国に流れ込ませた方が得だと考えたのだ。


 なので、ノエインがレーヴラント王国にジャガイモを売ることも問題はない。しかし、見合う対価は必要だ。


「ガブリエル国王のお考えは、同じく国を治める身としてよく理解できます。しかし、貿易とは相互の利益によって成り立ち、互いを幸福にするもの。私としては、貴国にとってのジャガイモと同じ程度に、我が国にとって喜ばしい品の輸入が叶えばと思いますが……」


「閣下の仰ることはご尤もです。我が国からも、閣下にお喜びいただけるであろう輸出物を考えて参りました。資源としては鉄、錫、銅などが。貴石では柘榴石ざくろいしが。農業ではライ麦が。また湖がいくつかあるため、魚も多くとれます。グロースリザードを家畜化していますので、その革を用いた製品はしなやかで防水性や耐久性が高く、有用かと思います」


 ベーヴェルシュタムが羅列して語る品は、どれも決め手には欠けるが確かに有用なものではあった。


「そして、数年前に国内で岩塩鉱が発見されたので、塩の輸出も叶います。我が国は人口もあまり多くないため、産業としての規模はまだ発展途上ですが……それでも数千人分の量であれば輸出も可能です」


 それを聞いた瞬間、ノエインは身を乗り出しそうになるのを全力で堪えた。なんとか感情を表に出さず、微笑みを維持した。


 横目でそっとユーリの方を確認するが、さすがというべきか、彼は表情を全く変えず、微動だにしていない。


 塩。それはノエインが何としても欲しい物資だ。


 アールクヴィスト大公国は小国なので完全な自給自足を成し遂げるのは難しいが、それでもある程度のものは自給できるように開発がなされている。


 食料は余裕を持って全国民を食わせる量を作り出せる。油も作れる。鉄も産出される。石材も山から切り出せるし、木材にも困らない。


 だが、塩だけは遠方からの輸入に頼らなければ手に入らない。いくつもの貴族領を介して値の上がった塩を買うしかない。情勢によってはまったく輸入できなくなる可能性も常にある。一貴族領であった頃ならともかく、独立国となった現在は、この点が大きな弱点でもあった。


 そんな塩を、今までより圧倒的に容易く輸入できるのは相当に大きな強みだ。国としての安定感が段違いになる。


「さすがは歴史ある国家ですね。魅力的な品ばかりです。特に我が国でとれない錫や、大陸南部には棲息しないグロースリザードの革製品、それに塩には魅力を感じます」


 そういつまでも隠せるわけではないと知りつつ、ノエインは今は塩への強い欲求を悟られないように振る舞う。


 そして、隣のユーリの手元に何気なく視線を向ける。


 ユーリから見てベーヴェルシュタムが嘘を言っていると思われる場合、手を組むふりをしてノエインだけに見えるように片手で合図をする手筈になっている。しかし、その合図はない。


 それを確認し、ノエインはベーヴェルシュタムの話を信用しても問題ないと判断した。


「是非ともレーヴラント王国との貿易関係を築いていきたい。交易路の開通や、貴国の商人の受け入れについて、積極的に協力させてもらいます」


「それはそれは、使者の私としても何より嬉しいお言葉にございます。我が主君もアールクヴィスト閣下に深く感謝の意を持たれることでしょう」


 ベーヴェルシュタムはそう言いながら、声に安堵を滲ませた。そんな反応もまた、今回のレーヴラント王国の提案が純粋な友好目的のものだという信用を深める。


 亜人は長命ゆえに容姿から年齢が分かりづらいが、彼女は意外とまだ若いのかもしれない。素直な反応を受けながら、ノエインはそう思う。


「では閣下、今後の交易路開通に向けて、具体的なお話をさせていただきたく存じます」


「ええ、よろしくお願いします」


 交易路についてはレーヴラント王国が昨年から調査を進めており、比較的安全なルートを既に考えている……という話を、ベーヴェルシュタムはノエインに語る。


 今後進めなければならないのは、交易路の要所要所に築く野営地点(余裕を持って進むなら、レスティオ山地の縦断には片道二週間ほどかかるという)の整備や、どうしても避けられない何か所かの危険地帯の整備など。


 そのうち南側半分について、道案内はレーヴラント王国側が用立てるので、アールクヴィスト大公国が整備を手がけてほしい、というのが相手側の要望だった。


 ノエインはそれを了承し、実務面ではユーリの助言も受けながら、翌日まで時間をかけてベーヴェルシュタムと協議の内容を詰める。


 その結果、年内の貿易開始を目指し、協力して交易路整備を行っていくことで同意が成され、ベーヴェルシュタムはレーヴラント王国へと帰っていった。

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