第324話 建国式③

 王歴二二〇年の八月二十日、ノエイン・アールクヴィストへの大公位授与式は、今日から公都となるノエイナの教会で厳かに執り行われた。そして今は、ミレオン聖教伝道会の伝統に則る形式で、ノエインの地位を神の名のもとに認める儀式が行われていた。


 政治的にはロードベルク王国であまり力を持たない伝道会だが、各種の儀式の場では、一定の威厳と格式を生むためにある程度は重要視されている。大公位と共に独立の権利を手にするノエインへにも、この威厳と格式が、一種の正当性として必要だった。


「――大空の父、そして大地の母たる唯一絶対の神は、この敬虔な信徒であるノエイン・アールクヴィストの足元を、巡る世界の中に在りしこの者の国を光で照らすであろう。神の御手はこの者の背を支え、この者の行くべき道を指し示し――」


 この儀式は、ロードベルク王家の王位継承式とほぼ同じ形式がとられている。ノエインはミレオン聖教の信徒としての正装である白装束に身を包み、魔法陣の描かれた床に両膝をついて座り、胸に両の手を当てて目を閉じ、心の中で祈りの言葉を唱える。


 この地の信仰を守るハセル司教の補佐のもとで儀式を執り行うのは、ミレオン聖教伝道会の総主教であるサルマン・セネヴォア伯爵。アドレオン大陸南部では珍しい純粋なエルフで、既に二百歳近い彼は、およそ八十年に渡って総主教の地位につき、これまでにオスカーを含む四人の王の王位継承を見届けてきたという。


 教会の中ではクラーラやエレオス、マチルダ、そして貴族級の臣下たちが参列者として儀式を見届けている。まだ幼いエレオスも、魔法の演出に彩られた厳かな空気に飲まれて今は静かに父の儀式を見守っている。


 そして当然、先ほどノエインに大公位を授与したオスカー・ロードベルク三世や、王妃イングリット、王女マルグレーテ、その他の客人たちもいる。彼らはノエインが大公の地位について神の祝福を得る様を、その場に立ち会って見届ける証人でもある。


「――信徒ノエイン・アールクヴィストよ。汝は永久の信仰心を以て、唯一絶対の神に己の地位への祝福を求めるか?」


「私は永久の信仰心を以て、神に私の地位への祝福を求めます」


「よろしい。今ここに神の光が降り注ぎ、神の庇護が与えられんことを宣言する。この場に集いし全ての者がその証人である。証人たちよ、血の味を以てこの祝福を己の記憶に留めたまえ」


 セネヴォア伯爵の言葉に従い、参列者たちは手にした青銅製の杯に注がれたワインを飲んだ。これも儀式の一環である。大昔はここで本当に動物の生き血を飲んでいたというが、今はワインを血の代替とするのが一般的になっている。


 そして、儀式の場の隅には、この儀式を行っていない者もいる。アンリエッタ・ランセル女王と他数人の、ランセル王国側の参列者だ。


 ミレオン聖教伝道会は他宗教にも比較的寛容で、こうした儀式の場に信仰を異にする客人が参列することも許す。そのため、土着信仰の発展した多神教であるアルバラン教を信ずるアンリエッタたちも、儀式には参加しないが証人としてその場に立ち会うことができる。


 アンリエッタたちの足元にはまた別の魔法陣が敷かれ、伝道会の教えでは「この魔法陣の上に立つ者は、枠外から儀式を見守る者である」ということになっている。


 これがロードベルク王家の王位継承式ともなれば周辺国から多くの「異教徒」の客人が参列するが、今回はアンリエッタたちだけだ。


「――これを以て、ノエイン・アールクヴィストは唯一絶対の神によってその地位を祝福され、アールクヴィスト家は神による庇護を得た。願わくばその祝福が、その庇護が、永久のものとなるよう……」


 セネヴォア伯爵が、ミレオン聖教伝道会で最も重要な神具であるという杖をノエインの頭上に掲げ、そこから光が放たれる。


「……以上で、神による祝福はアールクヴィスト閣下に授けられました。これからも常に、閣下の御心のお傍に神の慈愛はございます」


「心より感謝いたします、総主教猊下」


 ノエインは静かに立ち上がり、セネヴォア伯爵に信徒の礼をとる。伯爵はそれに頷き、オスカーの方を向いた。


「それでは陛下、本日の私の役目はこれにて終わりました」


「ご苦労であった、セネヴォア伯爵……アールクヴィスト大公ノエイン、後はアールクヴィスト大公国の独立を、民の前で宣言するだけだな」


 オスカーの言葉に、ノエインは小さな笑みを浮かべた。教会の外では、大公国民がノエインの宣言を待っている。


・・・・・


 当初から計画的な都市開発によって発展を遂げてきたノエイナは、中央広場から四本の大通りが伸び、それを軸に道が形成されている。


 大通りの一本は都市の北東側にある教会の傍まで続いており、その通りの沿道には民がひしめいていた。


 彼らの目的は、神の祝福を受けて正式に大公位と独立の権利を得たノエインが、独立の証である石碑を中央広場の中心まで運び、それを立てて建国を宣言する様を一目見ることだ。


 民のざわめく声が通りの方から聞こえてくる中で、教会での儀式を終えて軍装に着替えたノエインは、儀礼用のゴーレムに魔力を注ぐ。


「……っ」


 重い上半身を支えるために下半身を通常よりも強靭にしたゴーレムは、最終的に三メートルを少し超えた。異様な大きさと重さのゴーレムを、ノエインは少しばかり難儀そうに立ち上がらせ、この日のために高名な石工に作らせた石碑を持ち上げさせる。


「おぉ……」


「こいつは……」


「さすがに……」


「驚きましたわ……」


「……」


「すごーい! 父上、かっこいい!」


 平屋の建物であれば上回るほどの背丈のゴーレムが、大きな石碑を抱えて歩き出す様は誰が見ても圧巻だ。実用性皆無の華美な装甲も、その威容をさらに引き立てる。


 臣下たちもクラーラも口々に驚きを示し、マチルダは無言でゴーレムを見上げる。エレオスは自身の体を逸らさなければ頭まで見えないほど大きなゴーレムに怯えるでもなく、むしろはしゃぎながら、それを動かす父に尊敬の眼差しを向けていた。


「あはは、凄いでしょ? ……それじゃあ、行こうか」


 先頭に石碑を抱えたゴーレムを立たせ、その後ろにノエインと家族が、その左右に護衛の親衛隊が、後ろに貴族位を得た臣下たちが続く並び順で、一行は中央広場に向けて出発した。


 堂々と先頭に立つゴーレムは、教会から続く道を進み、やがて大通りに入る。


 その威容を見た民は皆、言葉を失った。ざわめいていた群衆は、巨大なゴーレムが視界に入った順に静まり返った。


「……何だありゃあ」


「ゴーレム? でも、大きすぎない?」


「ノエイン様が動かしてるのか?」


「でかすぎて……ちょっと怖いな」


 ゴーレムはダフネとダミアンによって秘密裏に製造され、式典の数日前、深夜のうちに分解されて教会に運び込まれていた。そのため、ノエインと家族、臣下と領軍兵士たち以外は、巨大ゴーレムの存在そのものを今初めて知ったことになる。


「いいかお前たち、よく目に焼きつけておけ。あれが俺たちの祖国を治め、俺たちを庇護してくださるアールクヴィスト閣下のお力だ」


 ゴーレムを見上げながら唖然とする民たちに、警備責任者として沿道を回っている従士ダントが言葉をかけていく。民たちは学のある者も、ない者も、それぞれ自分なりにかけられた言葉の意味を考え、ノエインの威光を記憶に留めていった。


 ゴーレムを先頭にしたノエインたちの一行は、そして中央広場に辿り着く。


 先に広場に移動していたオスカーやアンリエッタたちも、巨大なゴーレムが石碑を抱えて歩いてきた光景に目を見開き、あるいは口を押さえて驚いていた。このゴーレムの件はオスカーたちにも事前に伝えていない。


 賓客たちを横切る際、ノエインはオスカーと目が合った。よくも驚かせてくれたな、と表情で語るオスカーに、ノエインは不敵な笑みを返した。


 広場にはカルロス率いる大公立ノエイナ劇団の役者たちが控えており、魔道具で声を拡声させながら聖歌を斉唱している。男性の低音から女性の高音までが綺麗に重なって神聖な詞を歌い上げるその響きは、広場に幻想的な雰囲気をもたらしていた。


 そして、民と賓客が見守る中で、ノエインのゴーレムは広場の中心にあらかじめ用意された穴へと石碑を挿し込む。巨大なゴーレムが石碑を支えている間に、広場に控えていたセシリア率いるクレイモアの一個小隊が穴に土を流し込み、踏み固めた。


 作業が終わり、あとには地面からの高さが三メートル近い石碑が立つ。後に根元はもっとしっかりと固められ、石畳に囲われることとなるが、今はひとまず石碑が自立すれば問題ない。


 今日の役目を終えた巨大なゴーレムは、ノエインに向かって片膝をつき、動きを止める。もちろんノエイン自身が操作してとらせた姿勢だが、見方によっては恐ろしくもある巨大なゴーレムが小柄なアールクヴィスト大公にひれ伏す様は、見る者に強烈な印象を残す。


 そしてノエインは、ちょうど石碑の前に用意されていた壇上に上がった。それを確認したカルロスが合図を出し、聖歌の斉唱が止まる。一気にその場から音が消えたことで、空気はより厳かに張り詰めた。


 その空気の中で、ノエインは『拡声』の魔道具の前に立ち――深呼吸をして、集まる民を、賓客を、臣下を、家族を見渡す。


「……今このとき、アールクヴィスト大公ノエインの名のもとに、そして唯一絶対なる神の祝福のもとに、アールクヴィスト大公国の建国を宣言する!」


 ノエインの高らかな宣言は、魔道具によって拡散され、公都ノエイナの隅々まで響き渡る。


 そして、アールクヴィスト大公国の空気を震わせたその余韻は、新たな祖国の誕生に熱狂する民の歓声に覆い尽くされた。


 アールクヴィスト大公国、万歳。


 そう連呼する無数の声に包まれながら、ノエインは目を閉じる。この熱狂こそが、民が心から発する歓喜の叫びこそが、自身の築き上げた理想郷の産声だ。


 王歴二二〇年、そして公歴元年、その八月二十日。広大なベゼル大森林の一画に、アールクヴィスト大公国は誕生した。


・・・・・


 建国の熱気もようやく落ち着き、新たな日常が始まった九月の上旬。アールクヴィスト大公家の屋敷の会議室には、元首であるノエインと公妃クラーラ、従者マチルダ、そして大公国貴族をはじめとした重臣たちが集っていた。


「ではこれより、第一回アールクヴィスト大公国会議を始める」


 進行役としてそう宣言したのは、ノエインの側近であり、大公国の重鎮の中の重鎮であるユーリ・グラナート準男爵だ。彼の言葉に臣下たちは姿勢を正し、表情を引き締める。


「って言っても、やることは今までの定例会議と変わらないんだけどね」


「……閣下」


 気の抜けた声でそこに水を差したのは、他ならぬノエイン・アールクヴィスト大公その人だ。


 何故わざわざこの雰囲気を崩すんだと不満げな表情のユーリが突っ込む傍らで、臣下たちの間には先ほどまでとは一転して弛緩した空気が漂う。何人かの苦笑も聞こえる。


「ごめんごめん。だけど、いつもみたいな雰囲気の方が話しやすいからさ、僕が」


「……まあ、それもそうですよね」


「大公閣下がそう仰るなら従うべきでさぁ」


「そうね、大事なのは会議の形式より話し合いの内容ですし」


 内務長官アンナ・ロイシュナー士爵夫人、親衛隊長ペンス・シェーンベルク士爵、婦人会長マイ・グラナート準男爵夫人が口々に主君への同意を示し、そしてユーリは諦念を交えたため息をついた。


「では、そういうことにして会議を進めます」


「うん。よろしく頼むよ」


 アールクヴィスト領は、新たにアールクヴィスト大公国となった。新たな時代が始まり、新たな社会が、法が、文化が道を歩み始めた。ノエインたちを取り巻く環境も少し変わり、今も尚少しずつ変わっていく。


 しかし、いきなり何もかもが別物へと変化するわけではない。この会議も今までと同じように進み、それ以外の仕事も、日々の生活も、今までと同じように積み重ねられていく。


 そして、それが歴史になっていく。


 故郷にアールクヴィスト大公国という新たな名前を冠したノエインたちの人生は、これからも一日一日と続いていく。


★★★★★★★


ここまでが第十二章となります。お読みいただきありがとうございました。

次回からは自分たちの国を得たノエインたちの物語が始まります。引き続きお付き合いいただけますと幸いです。

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