第309話 帰還とこれから

 当座のことについて王家との会談が終われば、以降は実務レベルのすり合わせが残るだけ。それはノエインが王都におらずとも、王家の官僚がアールクヴィスト領を訪れれば済む。


 なので、ノエインは早々にアールクヴィスト領へと帰ることにした。独立に向けて準備すべきことは領地に帰ってからも山積みだ。あまり悠長に王都に滞在してもいられない。話し合いの数日後には王都を発つ準備を済ませ、出発しようとしていた。


「ではアルノルド様、お手数をおかけしますが、別邸の件はお願いいたします」


 帰り際、ノエインがアルノルドに頼んだのは、アールクヴィスト家の王都別邸を選んでおいてもらう件だ。


 独立して国を興す身となれば、リヒトハーゲンに来るたびにケーニッツ伯爵家の別邸に泊まらせてもらうわけにもいかない。体面のために、自家の別邸を構えておく必要がある。


「ああ、任せろ。小さな屋敷でいいのであれば、そう苦労することもなく君の希望通りの物件が見つかるだろう。南部に領地を得て、王都の住処を引き払った下級の中央貴族が多いからな」


 別邸を探す上でノエインが出した最重要の条件は、「屋敷も敷地も小さい」こと。


 王都からアールクヴィスト領までは既に『遠話』通信網で繋がっている以上、平時も緊急時も連絡を取ることは問題ない。よってアールクヴィスト家の別邸は、本当にただノエインとその家族がリヒトハーゲンを訪れた際の拠点でしかない。


 なのでノエインは、無駄に大きな屋敷を構えるよりも、コンパクトで質の良いものを所有することにした。アルノルドにもその旨を伝え、物件選びは一任している。


「だが、本当に自分で見なくていいのか? 君がいいのなら、頼まれた通り購入の仮契約まで私が代理で済ませてしまうが」


「問題ありません。リヒトハーゲンの別邸を使う機会はそう多くないでしょうし、私はアルノルド様を信頼していますので」


 そう言ってノエインは微笑む。アールクヴィスト家の別邸にはクラーラやエレオスも泊まるのだ。場合によっては長期滞在することもある。愛娘と孫の別邸でもある屋敷を、アルノルドが適当に選ぶとは思っていない。


 こういうこともあろうかと、ノエインは小さな別邸購入の前金になる程度の金は持ってきている。事務手続き上、最終的な契約書だけはいずれノエイン自身が王都に来て署名する必要があるが、屋敷を確保するところまではアルノルドに任せて問題ない。


「ははは。では、義理の息子の信頼に答えねばな。君が納得できる物件を、責任をもって選んでおくから安心してくれ」


「はい、よろしくお願いします……それじゃあグスタフたちも、王都のことはお願いね。何かあったらいつでもこっちに連絡するか、ケーニッツ伯爵閣下のお力をお借りして」


 次にノエインは、王家の創設するゴーレム部隊の指導を務めるために、一年ほど王城に出向するグスタフ以下四人の傀儡魔法使いたちに向く。


 友好国の元首となるアールクヴィスト家の家臣に王家がよからぬことをするとはノエインも思っていないが、もしグスタフたちでは対応しづらいことがあった際は、アールクヴィスト家に近く、伯爵としてそれなりの権力があるアルノルドに助力を頼んでいた。


「承知しました。我ら一同、主家の名を損なわぬ立派な働きを務めて見せます」


「期待してるよ、頑張ってね。それと、別邸が決まったらその住み心地の確認もよろしく」


「……本当によろしいのでしょうか? 閣下よりも先に、我々が別邸に住まわせていただいて」


 遠慮がちに尋ねるグスタフに、ノエインは笑いながら頷く。


「もちろん。うちの別邸は、家臣を含むうちの人間がリヒトハーゲンで寝起きするための場所だからね。むしろ、一年間もリヒトハーゲンにいる君たちが使わないともったいない」


 アールクヴィスト家の別邸が決まり次第、グスタフたち出向組はそこへ居を移す。誰が話を聞いているか分からない王宮で客室に寝泊まりするより、主家の別邸の方がよほど気楽に過ごせるだろうとノエインは考えていた。


 別邸の家事などの管理については、ひとまずケーニッツ伯爵家の別邸に常駐する使用人たちに手間賃を支払って頼むことになる。主人が不在の普段はひどく暇しているという彼らは、この仕事を快く引き受けてくれた。


「かしこまりました。では……汚したり壊したりしないよう、丁寧に住みます」


「あははっ、そうだね。その点は心配してないよ。君たちにとっては久々の王都暮らしだろうから、楽しんで」


 クレイモアの傀儡魔法使いたちは、元は王城に勤めていた王宮魔導士だ。なかでもグスタフは今回、下級の宮廷貴族家出身の妻や、その妻との子供も伴っている。彼にとってこの出向は、自身や妻の実家への凱旋でもある。


「それじゃあ、僕はそろそろ……アルノルド様、お世話になりました。失礼します」


「ああ。道中気をつけてな」


 アルノルドと、グスタフたちに見送られながら、ノエインの一行はケーニッツ伯爵家の王都別邸を発つ。


 ペンス率いる親衛隊が騎馬で前後を固め、ヘンリクが御者を務める領主家の馬車の後ろに荷馬車が続く車列が、王都の大通りをゆっくりと進む。


 先頭の領主家馬車の車内で、ノエインは息を吐きながら隣のマチルダにもたれかかった。家令のキンバリーは今はノエインたちに気を遣って、夫であるヘンリクと共に御者台に座っている。車内には二人きりだ。


「……思った以上に疲れる王都滞在になったね。着いたときと帰るときで状況が違い過ぎて可笑しくなるよ」


「御苦労はお察しします。お疲れ様でした、ノエイン様」


「ありがとう、マチルダ」


 マチルダに頭を撫でてもらい、労いの言葉をかけられる。そのままノエインは彼女の胸に顔を埋める。


「早くアールクヴィスト領に帰り着きたいね。帰ってもやることは多いけど、自分の家にいる方が気分的にはずっと楽だ」


「同感です。リヒトハーゲンは賑やかに栄えた都市ですが、故郷の我が家で得られる安らぎには敵いません」


 大公国建国のための仕事は、むしろアールクヴィスト領に帰ってからが本番だ。だが、王都で国王や官僚たちと顔を突き合わせて話し合っているよりも、自領で見知った者たちに囲まれて仕事をしている方がよほど気楽で楽しい。


「……帰ったらとりあえず、クラーラとエレオスと一緒に独立のお祝いだね」


 ノエインがマチルダの胸から顔を上げ、彼女と鼻先が触れ合うほどの距離で呟くと、マチルダは優しく微笑み、ノエインの口元に自分の唇を寄せた。


・・・・・


 帰りの行程もやはり魔導馬車のおかげで十日ほどに短縮され、十月の初旬にはノエインはアールクヴィスト領へと帰り着く。


 屋敷の前での出迎えは、ノエインがベトゥミア戦争から帰還したときと同程度に気合の入ったものになっていた。クラーラとエレオスに加え、従士と使用人たちが勢ぞろいだ。


「ただいま……王都の社交から帰っただけなのに、豪華だね」


「はい。あなたが偉大な褒賞を得てお帰りになられたのですから。総出でお迎えしないわけにはまいりません……大公としての独立、おめでとうございます、閣下」


 馬車を降りたノエインが言うと、正装に身を包んだクラーラがそう答えて微笑む。


「ありがとう。なんだか凄いことになってしまったよ。これから忙しくなる」


「私もできる限りのお手伝いをさせていただきますわ……ほら、エレオス。お父様に何と言うのでしたか?」


「……ちちうえ、このたびは、おめれとーごじゃます」


 クラーラに促されたエレオスは、舌足らずな口ぶりで、それでも何と言おうとしたのかは分かる奮闘を見せる。そんな我が子にノエインは相好を崩し、しゃがんで彼と視線を合わせ、頭を撫でてやる。


「あはは、ありがとうエレオス。上手に言えたね、偉いよ」


 父に褒められたエレオスは「どうだ」と言わんばかりに自慢げな表情になった。


 家族の再会をひと段落させたところへ、従士長ユーリが歩み寄ってくる。


「閣下。この度は誠におめでとうございます。我ら臣下一同も、深い喜びに包まれております」


「ありがとう、従士長。それに皆も。喜ばしいことだけど、これから独立まで、またしばらく多忙になると思う。君たちの働きにも頼ることになるよ」


「はっ、身命を賭して奮闘いたします」


 ノエインの言葉にユーリ以下武門の従士たちは敬礼を、それ以外の従士や使用人たちは男女それぞれ貴人に対する礼を示した。


「それじゃあユーリ、具体的な話はまた明日に」


「長旅でお疲れでしょう。明日までお休みされなくてよろしいのですか?」


「あまりのんびり休んでもいられないよ。相談しないといけないことがとにかく多いからね……僕の独立に合わせて、君の立場も変わるよ。君も閣下と呼ばれるようになる」


「……では、今後はますます気を引き締めて、立場にふさわしい働きを示さなければなりませんな」


 ノエインの言葉からおおよその意味を察してか、ユーリは小さく眉を上げただけで落ち着いて答えた。


「とりあえず、明日は簡単な話し合いの席を設けよう」


「了解しました。では明日の午後に」


「うん。それじゃあ皆、出迎えご苦労様」


 そう言って、ノエインはマチルダとクラーラ、エレオスと共に屋敷に入り、居間でソファに座ってひと段落する。


 その左隣に、クラーラが嬉しそうな顔で座って腕を寄せた。右隣にはマチルダが静かに腰かけ、さらにエレオスが、ここが自分の席だと言うようにノエインの膝の上によじ登る。


「……あなた、おめでとうございます。大公として一国の主になられるなんて、本当に凄いです」


 そう言って顔を寄せてくるクラーラの表情は、領主夫人ではなく、ただの妻のものだ。


 ノエインも微笑みながら彼女に顔を寄せ、軽くキスをして、答える。


「ありがとう。これで自分の領土の中では好き放題できるようになるよ。それに、僕が独立すれば君も公妃だ」


 ただの大公ではなく、国を持つ大公の妻だ。クラーラは貴族家の夫人ではなく、一国の主の妃という立場になる。


「公妃……ふふふ、素晴らしい響きですね。私が妃と呼ばれるようになるなんて、夢のようです」


 クラーラはノエインの肩に顔をすり寄せながら笑った。子供の頃に「普通の女性が一国のお妃様になる」というおとぎ話に憧れる女性は多い。所詮はおとぎ話であるこの成功譚の主人公の座を、クラーラは現実に掴み取ることになった。


「それにエレオスも、大公家の継嗣だから……公世子か。そう呼ばれるようになるね。言わばうちの国の王子様だ」


「おーじさま?」


 ノエインの言葉の意味を正確には理解できていないエレオスも、聞き覚えのある単語があったからか反応を見せる。


「そうよ。あなたにいつも読み聞かせているおとぎ話の王子様。それと同じような立場に、あなたがなるのよ、エレオス」


 クラーラに言われても、エレオスはきょとんとした表情のままだ。


「あはは、さすがにまだ難しいか。これから成長しながら理解していけばいいよ」


「新しく教えなければならないことも増えますね」


 自身の得た立場の大きさをまだ知らないエレオスは、ノエインに頬をぷにぷにとつつかれながら首をかしげていた。

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