第300話 職人たちの苦心
八月の中旬にさしかかった頃。ノエインは魔導馬車の解析に努めていたダミアンとダフネを領主執務室に呼び、現状の報告を行わせていた。
「えー、正直言うと……色々と難しい部分が出てきてます」
珍しいことに、あまりテンションの高くない声でダミアンが語る。
「やっぱり王国にはない技術が色々と使われてるのかな?」
「そうですね、特に魔力回路の方が問題です」
ノエインの問いに今度はダフネが答えた。表情を見るに、彼女も少し気落ちしているのが分かる。
「えーっと、まずは車軸ですが……こっちは時間さえかければうちの鍛冶工房でも同じようなものは作れそうです。単純に部品数が多い上に金属製なのと、魔道具としての性能を発揮するためにロードベルク王国の馬車にはない機構がいくつかあるので、それを再現する手間がかかるってだけですね。部品を作るための部品を作るところから始めないといけない……っていう、まあそんな感じです。俺の方はそれだけです」
まずダミアンが後ろ頭をかきながら説明を終え、次にダフネが口を開く。
「……それで本題の魔力回路の方ですが、こっちは本当に未知のものとしか言いようがありません」
ダフネはいつも自身のことを「王国の魔道具職人の中でも腕はかなり良い方」だと評している。彼女の作るゴーレムをはじめとした魔道具の質の高さを見るに、その自賛は妥当なものだとノエインも思っている。
その彼女がこのような困った表情を見せるのは、ノエインから見ても珍しいことだ。
「ノエイン様は、魔道具や魔力回路についてはどれくらいご存知でしょうか?」
「えっと、基本的なことになるけど……」
そう前置きして、ノエインは魔道具や魔力回路について、自分が知っている知識を語る。
もともとは古の大国の技術である魔力回路は、具体的な理屈については分かってない部分も多い。
しかし、「魔法塗料で回路を正しく描いて、付与魔法でそれを定着させれば、そこに魔力を送ることでさまざまな現象を発生させられるようになる」ということは経験則から理解されている。回路の図の意味や仕組みについても、十年単位の時間をかけながら地道に解明が進んでいる。
魔道具に魔力を供給するときは、動力源として魔石を埋め込む。ノエインがゴーレムを操るときのように、適切な魔法の才と多くの魔力を有する人間が手ずからに流すことでも動かせる。
また、金属は魔力を通しづらいため、魔力回路を描いても、それを機能させるのに膨大な魔力が必要になる。そのため魔道具は基本的に木製だ。『着火』『沸騰』の魔道具などはその機能もあって部分的に金属が使われているが、機能が単純なわりには高価で、魔石の魔力消費も激しいため、贅沢な道具とされている。
「さすがはノエイン様ですね、仰る通りです。そしてここからは専門的な話になりますが、魔力回路はその図だけでなく、回路の大きさと魔法塗料の原料も重要になります」
魔力回路の効果を引き出すには、「正しい図を、一定以上の大きさで」描かなければならない。図をそのまま縮小させて描いても効果が発揮されないか、極端に落ちる。理屈は不明だがそうなっている。
また、魔法塗料の質は魔力の通りやすさに直結する。より効率よく魔力を通す魔法塗料の開発のため、王家や大貴族家を後ろ盾に資金提供などを受けながら、日々研究を重ねている魔道具職人もいるという。
そうした技術的な事情を、ノエインはダフネから教えられた。
「そして、ベトゥミア共和国の魔導馬車は魔力回路も、魔法塗料も、私の知らないものでした。魔力回路についてはなんとなく見覚えのある部分もありますから、おそらくは古の大国の時代にグランドール大陸と技術が共有されていたのでしょう」
「古の大国の権勢は、遠い海の向こうにまで広がってたらしいからね……こっちの大陸と向こうの大陸で、受け継がれた技術や知識に違いがあるんだろうね」
「ええ、私もそう思います。そして魔法塗料の方ですが……こっちの方が曲者ですね。これは向こうの大陸で独自に開発されたものだと思います。魔力の伝達効率がアドレオン大陸のものとは段違いです。金属製の車軸にあんな小さな魔力回路を描いただけで十分な効果を発動させられるのは、この塗料があるからこそですね」
そう言って、ダフネは苦い表情を見せる。このような顔も、いつも穏やかな雰囲気を放っている彼女にしては珍しいものだ。
「その顔を見るに、一朝一夕で同じ魔法塗料を作れるわけじゃないみたいだね」
「そうですね。軽く調べても、王国の塗料には使われていない原料が何種類も含まれていて、そのひとつはどうやら銀粉らしい……ということがかろうじて分かったくらいです。詳しい原料も、配分も、加工の仕方も謎だらけです。正直言って、もともと研究職ではない私一人では死ぬまで調べ続けても解析できないと思います」
「そっか……ちなみに、王家が抱えるような研究者なら解析に成功する可能性はある?」
「ええ。王家の運営する研究所では、研究専門の職人が潤沢な予算と設備を与えられて働いていると聞きます。そこなら……十年か二十年か、それくらいの時間をかければ、おそらくは似たような魔法塗料を再現できるのではないでしょうか」
「あはは、それでも十年単位か」
当面は王国での魔導馬車の量産が叶わないと知り、ノエインは諦めたように苦笑した。
「一応、工夫すれば劣化版のようなものを作ることもできると思いますが……」
「えっ、本当に?」
「はい。魔導馬車の魔力回路は王国の魔道具と似ている部分もあるので、なんとなくですが、この部分は魔道具としての効果そのものを司る図で、こっちは効果の大きさを決めるもので……という理屈が推測できます。効果の大きさを決める部分を大幅に簡略化して、回路の作動に必要な魔力量を減らせば、おそらくは同じようなものを再現できます」
「そうなんだ、凄いね。さすがダフネだね」
「ふふふ、ありがとうございます」
ノエインの称賛は少しわざとらしかったが、そこに励ましの気持ちが込められていると気づいたのか、ダフネも笑みを作る。
「ですが、それでも魔法塗料の再現ができない分、あれほど小さな魔力回路では同じ効果を発揮できないでしょう。回路を拡大して描くために、多少は車軸が大型化すると思います」
「ということは、大きめの馬車にしか効果を付与できないのか」
「ええ。おそらくは四頭立て以上の馬車に限られますね。それに効果も……ベトゥミア共和国の魔導馬車は、それを牽く馬の負担を四分の一から五分の一ほどにしていると思われます。私が作れるものは負担を二割、せいぜい三割も減らせたら御の字でしょうか。無理にそれ以上を再現しようとすれば、『魔導師ギャレッドの悲劇』が再現されることになるかと」
「……それは困るね」
ダフネの言った『魔導師ギャレッドの悲劇』というのは、今から二百年近く前、ロードベルク王国の歴史の初期に起こった事件だ。
その頃にはすでに古の遺産となっていた攻撃魔法の魔道具を再現する研究の一環として、当時の王国の筆頭魔道具職人が作り上げた試作品の実験が、王国軍の訓練場の一画で行われた。
その実験は、当時の首席王宮魔導士だったギャレッドという火魔法使いが、自身の魔力をその試作品に大量に注ぎ、『火炎弾』の発動を試みるというものだった。
ギャレッドは何分もかけてひたすら試作品に魔力を注ぎ続け、ついに試作品が作動する気配を見せ――いきなり大爆発を起こした。魔道具を手にしていたギャレッドは跡形もなく消し飛び、近くで実験を見守っていた筆頭魔道具職人も死に、同じく見守っていた当時の軍務大臣が足を失う重傷を負った。
王国の歴史書にはその事実とともに「魔道具にあまりにも過度な魔力を供給してはいけない」という教訓が記されている。
「魔道具職人の間では、あの事件は王国の魔力回路や魔法塗料に関する技術の未熟さを突きつけるものとして語られています。もちろん当時と比べると今は魔力回路の研究も進んで、魔法塗料の質も向上していますが……それを踏まえても、魔導馬車についてはベトゥミア共和国のような高性能なものは作れません」
説明を締めると、ダフネは小さなため息をついた。技術不足による不可能を長々と語ることに、一人の職人として悔しさを感じているように見えた。
「それでも、何割か馬の負担を軽減させられる馬車が作れれば、一日当たりの移動距離を伸ばしたり、同じ移動速度で多くの積み荷や人を運べるようになる。十分に画期的なことだよ」
今回の研究から生まれる成果を強調するように言いながら、ノエインは微笑んだ。
「領内だけを見ても、鉱山村キルデとの行き来とか、これからランセル王国との貿易が始まる上でのアスピダ要塞との行き来とか、開拓村からの作物の運搬とか、色々な面で効果が期待できる。ものすごく大きな成果だ。ダミアンもダフネもよくやってくれたね、ありがとう」
「……では、この件についてはこのまま進めても?」
「もちろんお願いするよ。二人とも必要なものがあれば何でも言って。予算をできるだけ優先的に回すから。ただ、他の仕事も忙しいだろうからくれぐれも無理はせずにね。特にダミアン、ちゃんと食事と睡眠はとらなきゃ駄目だよ?」
開発の継続許可が出て表情が明るくなったダミアンに、ノエインは苦笑しながら声をかける。
「もちろんですよ! 今はクリスティに色々と管理されてるんで生活面は大丈夫です! できるだけ早く、あの高性能な車軸の複製を実現して見せます!」
「あはは。まあクリスティが面倒を見てくれてるなら問題ないだろうけど、あんまり彼女に負担をかけて困らせても駄目だよ? 奥さんを愛してるなら大事にしなきゃ」
ノエインの言葉に、ダミアンが照れながら頭をかいた。
「ダフネも、工房の運営もあるだろうから成果を急ぎ過ぎないようにね。君の職人としての能力は宝だ。君はアールクヴィスト領に不可欠な人材だ」
「ええ、ありがとうございます。着実に成果を出せるよう努めますね」
その後は今後の細かな見通しを軽く話し合い、アールクヴィスト領製の魔導馬車については、半年後までに最初の試作品を完成させることを目標にすると決まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます