第282話 無様
「くそっ……もう帰りてえ……なんで俺がこんなところに……国に帰りてえよ……」
自身が寝起きするテントの中で将にあるまじき弱音を吐いているのは、王都包囲部隊の指揮官であるスティーブ・バーレル将軍だ。この一か月半の戦闘で、スティーブも、王都包囲部隊も憔悴しきっていた。
そもそも、もはや部隊の名称からして正しくない。スティーブたちは王都を包囲できてなどいないのだから。
ロードベルク王国の主力と思われる三万の軍勢と、未だ王都内にいる防衛部隊の連携の上手さは異常だった。対話魔法使いを通じて連絡をとっているにしても、あまりにも巧みだ。
その連携にいいように翻弄され、スティーブはろくな戦果を挙げていない。むしろ失態が続いている。
主力の方を攻めようとすれば王都の敵から不意を突かれ、開き直って王都を攻めようとすれば主力に接近されて慌てて防御を固める羽目になる。
部隊を分けて同時に攻略しようにも、万単位の軍の指揮を務められる者がスティーブ以外にいない。スティーブは曲がりなりにも将軍として及第点の能力を持つが、周囲の士官はスティーブにとって都合のいい進言しかしない者――つまりは上官に媚を売ることしかできない無能で固めてしまっている。それがここで仇になった。
こちらが上手く動けないのをいいことに、敵は王都の西門に仮設の橋を立て直して王都内への補給まで始めてしまった。その補給隊を襲おうにも、もし攻勢をかけたら背後を突かれる絶妙な位置に敵主力が陣取ってしまうため叶わない。
この雁字搦めの状況で小競り合いのような戦いをくり返し、王都包囲部隊には着実に死傷者が増えていた。
人体に麻痺を残す妙な毒を敵が多用するせいで厄介な負傷者を多く抱え、それを後方に移送するために補給線も混乱。さらに、敵が南部に入り込ませた遊撃戦部隊が好き勝手に後方部隊を襲うため、負傷者と交代で送られた補充兵が往路で麻痺させられてそのままとんぼ返りするような事態も発生している。
補給が滞れば、数が膨れ上がっている王都包囲部隊は飢える心配をしなければならなくなる。食料確保のために周囲の村や都市を襲い、それでも足りなければ森で狩りを行う有り様だ。食料集めに出た部隊がまた敵の遊撃戦部隊に襲われたりと、二次被害も起きている。
敵主力の数が限られているために逆攻勢こそ受けないものの、こちらも決定打を与えられず、ずるずると戦線が硬直。この数週間はほとんど身動きがとれず、ただ野営地に留まって体力と気力を消耗しているだけだ。
あらゆる方向から邪魔が入り、何をしても上手くいかず、スティーブは精神的に追い詰められていた。
「バーレル将軍閣下! 緊急連絡です!」
「くそっ! 今度は何だ!?」
伝令兵から呼びかけられ、スティーブは苛立ちながらテントを出る。
「言えっ! 何の連絡だ!」
「後方の侵略軍本部より退却命令が下りました! 王都包囲部隊だけでなく、東部侵攻部隊にも退却命令が出ています! 予想以上に侵攻が遅れ、被害も拡大しており、さらにパラス皇国が国境で不穏な動きを見せているため、一度キヴィレフト伯爵領に集結して態勢を立て直すとのことです!」
「そ、そうか……よかった」
「? 閣下?」
「い、いや、何でもない! 報告は以上か?」
「……司令官からのご指示として、死傷者をできる限り増やさないことを最優先に考えて退却しろとのことでした。以上です」
「そうか、ご苦労だった! 下がれ!」
思わず喜びの言葉を口にしてしまったスティーブは、慌てて発言を誤魔化し、伝令兵を下がらせた。
「総司令官閣下のご命令なら仕方がない! 大変惜しいところではあるが、退却の準備をしなければな! 軍団長たちを招集しろ!」
安堵を隠すように勇ましい口調で周囲の兵士たちに指示を飛ばし、司令部の天幕へと移動するスティーブ。そこに駆け寄ってきたのは自身の副官だ。
「バーレル閣下……」
「おう、聞いたな。ついに退却できるぞ。今後どうなるか分からんが、後方の本部まで戻れば後はなんとかなるだろ……何でそんな暗い顔をしている?」
自身の取り巻きの中では最も賢く、だからこそ副官に任命している若い士官の絶望的な表情を見て、スティーブは不安を覚えた。
「現状をご覧ください……疲弊した兵士と、後遺症を抱えた負傷者をこんなに大勢連れて、三万の敵の追撃を受けながら退却するのがどれほど大変か。私は想像するだけで恐ろしいです」
「っ!!」
副官の言葉を聞いたスティーブは固まる。今まで大国の将として、攻めの戦いしか経験してこなかったから言われるまで気づかなかった。
「ほ、本当だ。確かにこんな後退戦は無茶だ……くそ! 上層部は侵攻部隊が退却するときはどうやって移動させるつもりだったんだ!」
「上層部は侵攻部隊が苦戦するなんて考えてなかったと思いますよ……全ての戦いで勝って、前進し続けて、ロードベルク王国全土を占領して敵がいなくなってから国に戻る。それ以外の退却なんて端から計画してないでしょう」
「お前はそれが分かっていたならなんで俺に進言しなかった!」
「そ、そう言われましても……開戦前にそんな弱気なこと、一士官の立場でとても言えないですよ……左遷されてしまうかもしれないのに。そんなことにはならないだろうと私も思ってましたし」
「くうううっ!」
スティーブは頭を抱えてかきむしる。今さら副官に八つ当たりを続けてもどうしようもないことは分かっているので、現状を切り抜ける方法を考える。
「そうだ!」
ふと妙案が浮かび、表情を輝かせて立ち上がる。
「敵と停戦を結んでしまえばいい! 敵から見て俺たちの兵数はまだまだ脅威のはずだ。俺たちはこれ以上の攻撃行動をしない。その代わりあの蛮族どもも退却する俺たちを攻撃しない。あいつらにとっても悪い話じゃないはずだ!」
「ですが閣下、勝手にそんな約束を敵と交わして大丈夫なんですか? 退却して部隊を再編して、また攻めるなんてことになったら……」
「だから、あくまで今だけの話だよ。敵だって一時だけでもこっちの攻勢が止むなら喜ぶはずだ! ほら、お前も馬に乗れ! 敵将と交渉しに行くぞ!」
スティーブは副官と側近クラスの軍団長を数人、そして護衛に精鋭兵を三十人ほど連れて敵主力部隊のもとに向かう。
敵兵に声が届く程度の位置まで近づくと、大声で呼びかけた。
「私は王都包囲部隊の指揮官、ベトゥミア共和国軍のスティーブ・バレル将軍だ! そちらの指揮官と話したい! 我々には交渉の用意がある!」
何度かそう叫んだことでスティーブの用件が届いたのか、敵の中から指揮官が――オスカー・ロードベルク三世が姿を現す。
側近らしき貴族を何人も連れ、いかにも手練れらしい武人や魔法使いに囲まれながら、叫ばなくてもスティーブと会話できる程度の位置まで接近してくる。
「ロードベルク王国軍総大将、オスカー・ロードベルク三世だ。卿の交渉とやらを聞きに来た」
「おお! 国王自らお出でいただき感謝する!」
話し合いの場で、敵とはいえ一国の王を前に下馬すらせず、そんな自身の無礼に気づかないままスティーブは答える。その態度にオスカーを囲む何人かが眉を顰めるが、スティーブはそれにも気づかない。
「私は王都包囲部隊の指揮官として、貴殿の軍との停戦を提案させていただく! 我々はこれより王都の包囲を解き、後方へと退却する。貴殿の居所たる都にこれ以上の攻撃はしない。なので、貴殿の軍も我々への攻撃を停止してほしい。いかがかな? 双方にとって悪い話ではないと――」
「それはつまり、両部隊の指揮官同士で交わす停戦ということか? ロードベルク王国とベトゥミア共和国の正式な停戦ではなく?」
「……そ、そういうことになる」
口調は激しいものではないが、それでも確かな迫力のあるオスカーの声に言葉を遮られ、スティーブは怯んだ。
オスカーはしばしスティーブの目を見据え、周囲の側近たちを顔を見合わせると――明らかにスティーブを馬鹿にしたように笑った。
「論外だな。私はこの国の王だ。そしてこれは二つの国による戦争だ。私は貴国そのものとしか停戦を結ばん。卿には貴国の政治的な決定を下す権限があるか?」
「……」
言葉を返せないスティーブを、オスカーはまた小馬鹿にするように鼻で笑う。
「あるわけもないな。いくら大部隊を率いているとはいえ、たかが前線指揮官だ。国どころか軍全体の意向を決める権限さえ持たないだろう。それが王に対して停戦交渉とは……要するに、尻尾を巻いて逃げる間に、尻を蹴られたくないから見逃してくれと言っているだけではないか!」
その言葉に反応して、オスカーを囲む側近たち、さらには護衛までもが大きな笑い声をあげた。
「くっ……私はお互いのためを思って提案したのだ! 兵力は未だこちらの方が上だ! こちらを怒らせていいのか!?」
スティーブが羞恥と怒りで顔を赤くして反論すると、オスカーの横に控える男が、その耳元に何かを囁いた。それを受けてオスカーは不敵な笑みをスティーブに向ける。
「ならば何故、その兵力を活用せずに卿の方から交渉などと言ってきたのだ? なるべく戦わずに退却したい都合があったのだろう? おそらくは……これ以上死傷者を増やさず、兵力を温存しながら後方のキヴィレフト伯爵領まで戻れ。そのような命令を受けたのであろう。もし目立つ損害を負えば卿の汚点になるというわけか」
「っ!!」
スティーブは露骨に目を見開いて驚愕した。その直後に自身の反応がまずかったと思ったが、もう遅い。図星だと言ったも同然だ。
「ははは、分かりやすい顔だな。これ以上話すのは時間の無駄だ。卿は自陣に帰られよ」
「い、いや、国王殿! いえ国王陛下! どうにか交渉の余地が――」
「くどい!」
初めてオスカーが怒りを見せる。スティーブは「ひっ」と情けない声を漏らす。
「交渉の余地などないと言っている! 我が国から撤退するためではなく、後方で態勢を立て直すための退却を何故こちらが手放しで見送らねばならんのだ! 舐めるのもいい加減にしろ! これ以上ごたごたと抜かすなら、今この場でお前を殺してくれる!」
その言葉を合図に護衛の騎士たちが剣を抜き、魔法使いたちがいつでも攻撃魔法を放てるように手を構える。
スティーブも数十人の護衛を連れているが、もしこの場で乱戦にでもなればただでは済まない。
「くそっ! 蛮族の親玉が! 覚えてやがれっ!」
「はははっ! 皆聞いたか!? 『覚えてやがれ』だそうだ! 奴は今日の無様な姿を我々に覚えておいてほしいそうだ! 逃げていく様をよく目に焼き付けてやろうじゃないか!」
オスカーと側近たちの嘲笑を受けながら、スティーブは逃げるように自陣に戻った。
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