第268話 偵察隊①

「よし、一旦ここで休憩を挟もう」


 ロムロス小山脈の山道を北に抜け、山脈の麓を覆う森の出口にさしかかった辺りで、ジェレミーは周囲の兵士たちにそう言った。


「もう休むんですかい?」


「ああ、今日中に西部軍の陣地まで帰りたいからな。今休んで、このあと一気に残りの道を進んだ方がいい。そうすれば日暮れ前までに到着できる」


 怪訝な表情を見せた兵士も、ジェレミーの言葉を聞いて納得した様子でその場に座り込む。


「ジェレミーさん、どうぞ」


「ああ、ありがとうセシリア」


 適当な倒木を椅子代わりに座ったジェレミーは、傀儡魔法使いでアールクヴィスト家の名誉従士でもあるセシリアから小さな砂糖粒を受け取る。敵に見つからないよう険しい道を選んで長距離を行軍する偵察隊に与えられた、気力回復用の貴重な甘味だ。


 セシリアが他の兵士たちにも砂糖粒を配り、総勢六人の偵察隊は車座になって休息を取る。近くの枝葉が集められ、わずかだが火魔法の才を持つジェレミーがそこに火を点け、お湯が沸かされてお茶が淹れられる。


 ランセル王国兵だった頃から偵察をこなしていたジェレミーを隊長に、荷物持ち兼護衛としてクレイモアの中でも最も器用にゴーレム操作ができるセシリア、加えて他領の兵士四人から成るこの偵察隊。


 今はロムロス小山脈の山道を抜けた先で敵後方の動きを確認した後、本隊の陣地に向けて帰還している最中だった。西部軍には他にもジェレミーたちのように兵士五人、魔法使い一人の偵察隊が複数組まれて、交代で敵陣後方の様子を探っている。


「……皆、休憩しながら聞いてくれ。今日の昼前にコンラートから届いた報告についてだ」


 セシリアと兵士たちは、お茶を飲んだり砂糖粒を口に含んだりしながらジェレミーの方を見た。ジェレミーは偵察隊の隊長として、『遠話』の通信範囲内にいる際はコンラートから定期的に報告を受けている。


「三日前に私たちが確認した敵の増援部隊、あれは昨日の戦闘で西部軍本隊が撃滅したそうだ……その部隊は、南部のロードベルク王国民を力づくで徴用した奴隷兵の集まりだったらしい。祖国を同じくする無辜の民と無理やり戦わされたわけだ」


「そんな、酷い……」


 セシリアが口を手で覆って呟く。他の兵士たちも唖然としたり、顔をしかめたりと反応を見せる。


「ああ、まったくだ。だがアールクヴィスト閣下は毅然として卑劣な敵の攻勢に立ち向かい、自ら先頭に立って過酷な戦いを制したそうだ。敵もこちらが同胞をけしかけられても怖気づかないと分かったから、もう同じ手は使わないだろう」


「……じゃあ、結果的にノエイン様はもっと多くのロードベルク王国民を救ったことになるのかもしれませんね」


「そうだな。もしかしたら、閣下もそこまで見越したうえで――北西方向に人影!」


 誰かが森の奥からこちらを見ていることに気づき、ジェレミーは叫んで剣を抜く。兵士たちが飛び上がるように立ち、三人は指示された方向を、一人は逆方向を見張る。セシリアもゴーレムと共に立ち上がって北西を見る。


「あれは……子どもか?」


「男の子、みたいですね」


 やや離れた藪の後ろから顔を出してこちらを伺っているのは、どうやら子どものようだった。他に人影はなく、その子どもも敵対的な様子は見えないので、ジェレミーたちは警戒を緩める。


「にしても、なんでこんなところに子どもが?」


「……もしかして、お化けですか?」


 自分で呟いておいて怖くなったのか、セシリアが身を震わせる。


「怖がるほどか? 今に限っては幽霊の類より敵兵と出くわす方が怖いだろう」


「まあ、そう言ってしまえばそうですけど……」


 平時は森に関する怪談話が恐怖の対象になることもあるが、戦時は物理的に殺しに来る敵の方がよほどの脅威だ。セシリアもジェレミーの言葉に納得する。


「それでジェレミーさん、どうしますか?」


「……捕まえよう。どうしてこんな森の中に一人でいるのか聞く必要がある。ほぼあり得ないだろうが、敵に徴用された奴隷兵という可能性もないわけじゃない」


「じゃあ、私が行ってもいいですか? 私は女だし小柄なので、あの子も逃げないかも」


「いや、魔法使いの君にそんな役目は……せめて、私も一緒に行くよ」


 ジェレミーは剣を収めると、他の四人の兵士に待機を命じてセシリアとともに子どもの方へと近づく。怖がらせる可能性を考慮して、ゴーレムはその場に待機させたままだ。


「……ほら、こっちへおいで。私たちは軍人よ。悪い人じゃないし、怖い人でもないわ」


 セシリアが優しげな声をかける。ジェレミーも極力穏やかな表情を見せつつ、もし子どもが妙な動きをしたり、他に伏兵がいたりした場合に備えて剣の柄に手をかけたままにする。


「森は危ないわ。私たちと一緒に――あっ」


 セシリアの説得もむなしく、子どもは踵を返して逃げ出す。その行動を予想していたジェレミーは勢いよく駆け出して子どもを追った。


 見た目十歳に満たない少年と、職業軍人であるジェレミーではまともな追いかけっこにもならない。ものの数秒でジェレミーは子どもに追いつき、後ろから抱え上げた。


「ひゃああっ!」


「ほら、大人しくしてくれ」


 言いながら、ジェレミーは少年が武器を持っていないことを確認し、抱えたままセシリアの方に戻る。


「ジェレミーさん!」


「大丈夫、無事に保護したよ……さて」


 子どもを地面に下ろし、立ったまま見下ろしながらジェレミーは尋ねる。


「君は一体誰だ? どうしてこんなところに一人で?」


 しかし、子どもは怯えた表情のまま答えない。次はセシリアが、しゃがんで子どもと目線を合わせながら問いかける。


「あなたのお名前は?」


「……ぱ、パウロ」


 セシリアの声と表情に多少は安心したのか、その子ども――パウロはようやくまともに答えた。


「どうして森の中にいたの?」


「……と、父ちゃんが森に隠れてろって」


「そのお父さんはどこに?」


「……去年の夏に、食べ物を探してくるって言ってどこかに出かけていった」


 パウロの言葉を聞いたセシリアは絶句した。その言葉が本当なら、彼は半年以上この森で生き抜いていたことになる。


 同じく驚いた様子のジェレミーと目を見合わせて、セシリアは再びパウロに向き直る。


「お父さんのお仕事は? このバラッセン子爵領の人?」


「決まった住み家はなかった。父ちゃんは傭兵で、去年はきょうさく? のせいで仕事が全然なくて、父ちゃんの仲間たちと一緒に仕事を探して動いてたんだ。でも途中でお金も食べ物もなくなって、父ちゃんたちが探しに行って……誰も帰ってこなかった」


 そう話すパウロの目に少し涙が滲む。


「父ちゃんは、一か月経っても誰も帰ってこなかったら皆死んだと思えって言ってた。森を出て、入れてもらえる村か街を探せって。だけどここは知らない場所だし、どこに行けばいいか分からなくて……火の熾し方も狩りの仕方も習ってたから、森の浅いところにいた方が生きられると思ってずっといた」


 話し終えても、パウロは声を上げて泣くことはしなかった。


 セシリアは立ち上がり、またジェレミーと顔を見合わせる。


「……驚きましたね」


「ああ。運が良かったのもあるんだろうが、こんな子どもがよくたった一人で生き抜いたものだよ。いくら傭兵仕込みの生存術があったとしてもだ」


「どうしますか? このまま置いて行くなんて……」


「大丈夫、そんなことはしないさ。保護して連れて行こう。陣の後方で雑用係くらいはできるだろう」


 西部軍の陣地には兵士だけでなく、飯炊きや洗濯などをこなす軍属の労働者や奴隷もいる。下級貴族や従士の子弟で、修行のために雑用係として従軍している子どもも多い。パウロの年でもこなせる仕事はいくらでもあった。


「……私たちと一緒に行きましょう? お金を稼げる仕事も、きっと引き取り先もあるわ」


「ほ、ほんとに?」


「ああ、もちろんだ。君もずっと森の中で暮らすわけにもいかないだろう。悪いことは言わないから、一緒に来い」


「……わ、分かった。連れて行って」


 少し考え込み、意を決したように言うパウロ。それを見てセシリアが微笑み、ジェレミーも小さく笑った。


「このあたりは戦争中で、私たちは今から王国の軍隊の陣地に戻るの。もうそろそろ移動するから、あなたもこれから――」


「敵襲!」


 そのとき、待機を命じていた兵士たちの方から声が上がる。


「っ! ジェレミーさん!」


「パウロ、君はここに隠れていてくれ。敵を倒したらすぐに戻ってくる……セシリア、行こう!」


 ジェレミーは剣を抜いて駆けだし、その後ろにセシリアが続いた。

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