第267話 やるべきこと②

 兵士たちの視線がノエインに集まり、ざわめきが収まる。それを確認してからノエインはまた口を開いた。


「見ての通り、ベトゥミア共和国軍は卑劣にも私たちの同胞であるロードベルク王国民を武力で脅し、私たちの陣を攻撃させようとしている。侵略者たちは自らの手を汚さず、同じ国の民同士に命を奪い合わせようとしている。これは許しがたい残虐な行為だ。諸君らの中には、同胞と殺し合うことに強いためらいを感じている者も多いだろう」


 実際には農民などは生まれてからほとんど村を出たことがないような者も多いので、「同じ国の同胞」という概念を必ずしも全ての兵が理解しているわけではない。


 しかし民も馬鹿ではない。いかにも異国の兵士然とした相手ならともかく、平時の自分たちと変わらない格好をした人間を一方的に殺戮することにためらいを感じないわけがない。疲れきった様子の農民の群れを見て、自分があの立場だったらと感情移入もしているはずだ。


「なので私は、諸君にあの部隊と戦うことを命じない!」


 ノエインの言葉に、再び兵士たちが騒がしくなる。


 ノエインは隣に視線を移した。フレデリックは様子を見るように黙ってノエインの次の言葉を待っている。反対側を振り向くと、ユーリとマチルダはノエインの意図を理解しているらしい表情を見せる。


「ユーリ、兵たちを静かにさせて」


「かしこまりました」


 ユーリは頷くと、また陣の全体に響き渡るように声を張る。


「静まれ! 大将であらせられるアールクヴィスト閣下のお言葉を遮るな!」


 その言葉を聞いて、兵士たちも大将が喋っている途中だったことを思い出し、黙り込む。そしてまたノエインが口を開く。


「同胞との戦いを避けたい者は戦わなくていい。待機することを許可する。そして……諸君の代わりに私が戦う。私は王国一のゴーレム使いだ。二〇〇〇の敵が相手だろうと、一人でも立ち向かって見せる!」


 大将自らが孤軍奮闘してでも前に出るという宣言で、兵士たちの間に緊張が走る。


「他に戦う者がいれば、私の後に続きたい者がいれば続いてほしい。ただし、その者は同胞殺しの罪悪感を背負う必要はない。同胞と戦うと、同胞を殺すと決めたのは私だ。全ての責任は、全ての悪評は、大将であるこの私が負う!」


 昨年の軍議でオスカーが行っていた文言を一部拝借しつつノエインが叫ぶと、西部軍は静寂に包まれた。呆けた顔をしている者もいれば、苦悩の表情を浮かべて考え込んでいる者もいる。


 ノエインは敵軍の方を見て、馬を降りた。奴隷部隊による攻勢は間もなく始まるだろう。


「フレデリックさん、奴隷部隊以外の敵も動いてくるかもしれません。そのときは軍全体の指揮をお願いします」


「……ああ、任せてくれ。君に神の加護があらんことを」


「ありがとうございます。あなたにも」


 フレデリックに言われて、ノエインは先ほど同胞殺しを宣言した者とは思えない穏やかな笑みで頷く。そして、司令部天幕の傍に待機させていた自身のゴーレム二体に魔力を注いで立たせると、戦場の最前線へと歩く。


 その後ろに、無言のマチルダが当たり前のように続く。


「閣下、私もお供いたします」


「俺たちもです。閣下」


 ユーリが、親衛隊を引き連れたペンスが続く。


 陣の中央を通って前に進むノエインたちから、戦う覚悟を決められない農民兵たちが目を逸らす。そんな中で、オッゴレン男爵とヴィキャンデル男爵が自身の手勢を連れて陣の左右から前に進む。


 バリスタ隊の中を通るとき、ノエインはダントと目が合った。敬礼する彼に無言で頷く。


「アールクヴィスト領軍バリスタ隊、全機発射の用意をしろ。『爆炎矢』を使うぞ!」


「「「はっ!!!」」」


 ダントが領軍兵士たちに命じるのを後ろに聞きながら、ノエインは陣の最前列にまで進む。


「クレイモア総員、アールクヴィスト閣下の御手だけを汚させようなんて奴はいないな?」


「そんな恥知らずの馬鹿がいるかよ。なあお前ら!」


「「「おお!」」」


 グスタフの呼びかけに、アレインと他のゴーレム使い全員が応える。


 張りぼても含めたゴーレムの大群を抜け、ノエインは最前列に出た。


 後ろを振り返ると、アールクヴィスト領の従士や兵士、オッゴレン男爵やヴィキャンデル男爵以外にも、総勢で四〇〇人ほどが戦いに臨む覚悟を決めているようだった。その大半は、これを必要な殺しだと割り切れる貴族や従士だろう。


「……十分だね」


 ノエインは小さく笑い、再び前を向く。たとえ他の兵士たちが誰も動かなかったとしても、これだけの人数とゴーレムが戦い、爆炎矢の掩護もあるのなら二〇〇〇人の烏合の衆には十分に勝てる。


 ベトゥミア共和国軍の奴隷部隊が前進を開始した。後ろから正規兵に追い立てられているのか、今や敵となった王国民たちは必死にこちらの陣を目がけて走ってくる。


「……構え!」


 ノエインはそう命じて、自身の前に二体のゴーレムを立たせる。


 クレイモアの面々もそれぞれのゴーレムを立ち上がらせ、ノエインのゴーレムに並べる。これで立っていないゴーレムは張りぼてだと気づかれただろう。


 敵部隊が飛び道具を所持していないからと、ゴーレム使いたちも護衛の盾兵と共に最前列ぎりぎりまで進み出てくる。


 戦うことを決意した貴族とその手勢が剣を抜き、あるいは槍や戦斧、弓を構える。


 半泣きで走ってくる王国民たちの表情が確認できるほどまで距離が縮まり――後方からバリスタの発射音が聞こえるのと同時に、ノエインは言った。


「突撃!」


 瞬間、ノエインのゴーレムたちが敵目がけて駆ける。ノエインもその後に続き、マチルダとユーリ、ペンスたちも続く。


 クレイモアのゴーレム使いたちも、ゴーレムを突撃させつつ前進する。騎士や兵士たちは鬨の声を上げながら走る。


 ノエインの右手側のゴーレムが、おそらくまだノエインより若い農民の泣き顔に拳を叩き込んでその頭を千切り飛ばすのと、敵の隊列後方に大量の爆炎矢が着弾するのはほぼ同時だった。


「ぎゃああああああっ!」


「熱い! 熱いいぃぃ!」


「死にたくねえ! こんなところはもう嫌だあああっ!」


「帰りたい、家族に会いたい……」


「痛えっ! 痛えよおおお!」


 士気などかけらも持ち合わせていない、農具を持っただけの烏合の衆。対するのは覚悟を決めた魔法使いと戦士たち。両者がぶつかり合えばどちらが優勢になるかは明白だ。


 元は同じロードベルク王国民である奴隷部隊の、兵士とも呼べない男たちは、断末魔の叫びを上げながら次々に死んでいく。


 およそ二〇体のゴーレムが大ざっぱに暴れるだけで、後ろから押されて前に進まざるを得ない農民たちが吹き飛ばされ、踏み潰され、手足や頭をもがれて内臓をまき散らす。戦いと呼ぶにはあまりにも一方的な大殺戮だった。


「絶対に突出するな! 無理をせずとも武器を振るい続ければ勝てる! こんな戦闘で死ぬな!」


 凄惨な状況で冷静さを失いそうになった兵士たちにユーリが怒鳴る。言いながらユーリ自身も剣を一閃して、果敢にも鎌を振り上げて突進してきた農民を斬り伏せる。


 ゴーレム操作に集中するノエインを囲み、ペンスと親衛隊兵士たちが次々に敵を殺していく。傭兵式の戦闘術をもとに腕を磨いてきた彼らは、これまでの戦争と日頃の訓練の成果を惜しみなく発揮して主君を守る。


 農民の一人が破れかぶれでノエイン目がけて投げた手斧を、マチルダが小盾で防ぐ。盾に突き立った手斧を抜いて投げ返すと、手斧は元の持ち主である農民の脳天に突き刺さって頭蓋を割った。


 また後方のバリスタから放たれた爆炎矢が、奴隷部隊のど真ん中に着弾。火だるまになってふらふらと歩く農民や体についた火を消そうと転がりまわる農民が続出する。


 地獄を体現したかのような戦場の只中で、ノエインは無心でゴーレムを動かしていた。


 ノエイン自身が素手で相手を殺しているわけでない。しかし、「ゴーレムの動きが障害物に阻まれた」と分かる程度にはノエインの頭の中にも攻撃時の感触が伝わる。


 敵の頭を弾き飛ばすたび、敵の腹を破るたび、重みのある肉の塊にゴーレムをぶつけたのだという感覚が確かにノエインの中に残る。


 農民たちがしゃがみ込んで泣き出そうが、その怯えきった表情が視界に入ろうが、ノエインは全てを無視して殺戮を続ける。


 こんな戦いとも呼べない虐殺をくり広げて、気分がいいわけがない。しかし、アールクヴィスト領に暮らす民を、自身の家族を、自身の幸福を守るためならば、忌避すべきことなどこの世にあるはずもない。


 ノエインは特に苦悶の表情を浮かべるでもなく、ひたすら目の前の人間を殺していく。


 奴隷部隊の残りが半分を切った頃、その後方から一個軍団規模のベトゥミア共和国軍が左右の丘を目指して動き出した。一瞬だけ後方を振り返ると、フレデリックの指示でいくらかの歩兵部隊が丘の防衛部隊を掩護するために森に入っていくのが見えた。


 敵の行動は、おそらく丘の前に配置されたゴーレムまでが張りぼてであることを確認するための威力偵察のようなものだ。最前線以外の指揮はフレデリックに任せておけば問題ない。ノエインは再び前を向いて殺戮を続ける。


 殺して、殺して、殺して、殺して、殺し続けて。ついに奴隷部隊を壊滅させるのとほぼ同時に、左右の丘に入った敵部隊が撤退していくのが見えた。


「……終わったね」


「はい、ノエイン様」


 目の前には農民たちの死体の山と血の海が広がり、その他の敵は退いていく。ノエインたちの勝利だった。


 ノエインは敵の返り血に濡れた前髪をかき分けて、口元に飛んでいた返り血を手で拭う。


 ユーリやペンスたちはまだ息のある敵にとどめを刺して回り、マチルダはノエインのすぐ隣に控える。彼女の黒髪や兎耳もまた返り血に濡れている。


 敵陣を見ると、戦いの模様を間近で観察するためか、フォスター大軍団長が陣の最前まで出てきてこちらを見ていた。ノエインも彼女を見返す。


「……ふふっ」


 フォスター大軍団長から表情まで見えるかは分からないが、ノエインは小さな笑みを漏らした。


 今回の戦いでゴーレムの大半が張りぼてだということを知られてしまったが、それだけだ。


 自分は成すべきことを成しただけ。同胞を、無辜の民を殺したことに罪悪感など覚えていない。自分は何も失っていない。


 王国の民を奴隷兵としてけしかけようが無意味だ。こんな小細工は通用しない。そう思いながらノエインはフォスター大軍団長を見る。


 彼女はしばらくノエインたちの方を観察すると、後方の本陣へと帰っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る