第263話 中央部の戦い

 王歴二一九年、一月も終わりに差し掛かった頃。王都リヒトハーゲンは窮地に陥っていた。


「……さすがに今回ばかりは持たんだろうな」


「というより、今までよく持ったと言うべきでしょう」


 南側に面した、王都で最も大きな城門。その見張り塔からベトゥミア共和国軍を見下ろしながらアレキサンダーが呟くと、副官が少々皮肉な笑みを浮かべて答える。


 貧民から募った志願兵を口減らしのために玉砕させ、城壁の守りにわざと綻びを作って敵の攻撃を誘いつつ食い止めるような真似もして、貴重な王宮魔導士の精鋭たちを何人も使い潰した。年寄りや未成年まで動員し、ぎりぎりのところで防衛を成し遂げた。


 だが、それももう限界だった。次に大規模な攻勢をかけられれば、今度こそ王都は敵の手に落ちる。それほどまでアレキサンダーたちは追い詰められていた。


 数日前、北部に避難したオスカーから「あと数日で援軍を連れて駆けつける」と『遠話』による連絡があったものの、万単位の軍勢を動かすのであればその「数日」の幅は広くなる。


 今日にも到着するのか、あと三、四日かかるのかは分からない。アレキサンダーたちとしては、運に恵まれることを期待するしかなかった。


 そして、こういうときの期待は外れるのが世の常。アレキサンダーたちは今、大攻勢の準備を整えた敵軍と対峙している。


 なかなか王都が落ちないことで業を煮やしたのか、敵は王都攻略の部隊を六五〇〇〇ほどまで増やしている。ロードベルク王国の国力では揃えきれない大軍が並ぶ様はいっそ圧巻だった。


 対する王都防衛部隊は、数こそ二〇〇〇〇近くを揃えているが、大半は素人の民を動員した徴募兵。正規軍人は三〇〇〇に満たない。誰もが疲れ切っていて、士気はかつてないほどに低い。


 それを察しているからこそ、敵も小細工なしで城門を真正面から攻めるつもりなのだろう。練度も士気も低い脆弱な部隊では、とても耐えきれない。


「……嘆いても仕方がないな。やれることはやった。そして、最後までやるだけだ」


 自らの死も覚悟の上で、アレキサンダーが絶望的な防衛線に臨もうとしていると――二人の伝令兵が同時に塔を駆け上がってきて、アレキサンダーの前で膝をついた。


「報告です! 対話魔法使いより、間もなく国王陛下が率いられる救援が到着するとのことです!」


「報告! 北の街道より、王家の旗を掲げた軍勢が接近してきます! 国王陛下の救援と思われます! 数はおよそ三万!」


「おお! 間に合ったのか!」


「やったぞ! これで助かる!」


 二つのルートから届いた久々の朗報に、ようやく見えた希望に、その場に居合わせた士官や兵士たちが明るい声を上げる。


「……神よ」


 そんな中で、アレキサンダーは静かにそう呟いた。


・・・・・


「アレキサンダー・ロードベルク第二軍団長より伝令です! 『救援に感謝する。王都の西側に回り込み、陣を置かれたし。我々もそちらと連携し、南から打って出ることで敵を牽制する』とのことです」


 国王傍付きの対話魔法使いが『遠話』を経由して行った報告に、オスカー・ロードベルク三世は頷く。


「そうか。ではその言葉通り、西に布陣するとしよう。ノルトリンゲン伯爵とベヒトルスハイム侯爵にも伝えよ!」


 敵の王都攻略部隊に対峙するロードベルク王国中央軍はおよそ三万。そのうち左翼の一万を北東部貴族のノルトリンゲン伯爵が、右翼の一万を北西部盟主のジークフリート・ベヒトルスハイム侯爵が率い、中央の一万はブルクハルト伯爵を参謀に据えてオスカーが自ら率いている。


「それと、もうひとつアレキサンダー殿下からのお言葉が」


「なんだ?」


「それが……『待ちくたびれたぞ兄上』と」


 少し言いにくそうな表情で言葉にした対話魔法使いを見て、オスカーは小さく吹き出した。


「ははは、そうだろうな……ではあいつに伝えろ。弟ばかりに割を食わせた分、今度は兄が汗をかいてやるとな」


 オスカーとしては、これでも全速力で軍の編成を終えて駆けつけたつもりだ。


 実際、わずか二か月程度で各貴族領との調整を済ませて三万もの兵力を王都に辿り着かせ、大ざっぱにだが補給線の構築まで完了させた。王国の歴史に残るほどの超高速での戦争準備だ。


「……見えたな」


「敵も主にこちらに対応してくるようですな」


 軍を移動させながら、南を見据えたオスカーはブルクハルト伯爵と話す。


 王都の城門を攻めようとしていたらしいベトゥミア共和国軍も、新手の登場に攻勢を中止して王都の西側へと移動を開始していた。さすがに三万もの軍勢を放っておくことはできなかったようだ。


 オスカーたちの中央軍と対峙するベトゥミア共和国軍は、こちらの倍はあろうかという圧倒的な大兵力。まともにぶつかれば勝ち目はない。


 だからこそ、オスカーはこの戦いの基本戦略を兵士や士官たちに共有させるためにも、布陣を終えた三万の軍勢を前に声を張る。


「聞け! ロードベルク王国の戦士たちよ!」


 国王が自ら発する言葉に、三万人の注意が向く。


「見ての通り、敵は強大だ! 正面から撃滅することは難しかろう! だが、我々は敵を打ち倒さずとも勝利できる!」


 作戦の概要は百人隊長以上の士官将官にしか説明されていない。農民上がりの兵では、そもそも正確に理解もできないだろう。貴族位を持つ士官の中には、非道とも言える戦略に不満を持つ者もいるだろう。


 だが、それでも戦いに支障はないとオスカーは確信している。


 右翼を任せたベヒトルスハイム侯爵は派閥盟主だ。一万の兵の統率も問題なくこなせる。左翼のノルトリンゲン伯爵は、個人的な感情はともかく、王がやると決めたことに私情で逆らう人間ではない。将としての優秀さは疑いようもないので、こちらも問題ない。


「敵を翻弄しろ! 敵に苦しみを与えろ! そして……死ぬな! 一秒でも長く生き、一人でも多くの敵を苦しみで侵せ! それがお前たちの家族を、家を、土地を、そして明日を守ることに繋がる!」


 即位して以来、王としての威厳を保つことに苦心してきたオスカーだ。今となっては本気で演説をすれば、その迫力で兵たちの気分を否応なしに高揚させることも、木っ端貴族たちの多少の不満を忘れさせることもできる。


「ロードベルク王国の明日のために! 王国に生きる全ての者の未来のために! 私と共に戦うのだ!」


 オスカーの呼びかけに、兵士たちは地を揺らすほどの爆発的な叫びで答えた。


・・・・・


「おうおうおう、良く吠えるな、蛮族どもが」


 軽薄な笑みを浮かべるベトゥミア共和国軍のスティーブ・バーレル将軍は、王都包囲部隊の指揮官を任されている。総司令官であるチャールズ・ハミルトン将軍よりは格下になるが、この男もまた将軍の階級を持っている


 また、スティーブは政治的野心も強く、富国派の議員たちとも深く結びついていた。まだ四十代半ばで、実力的な評価が必ずしも高いわけではないが、次代のベトゥミア共和国軍最高指揮官の地位は固いとされている。


「おい、こっちの布陣はまだなのか!」


「はっ! もう間もなく完了いたします」


「早くしろ! 蛮族どもに遅れを取るな!」


 敵と味方では兵数が倍ほども違うので、陣を整えるのにかかる時間も違う。それが分かっていながら、スティーブは高ぶる気持ちを発散するために部下に怒鳴る。


 それから少し経ち、スティーブはようやく隊列を組み終えた兵士たちに対して命令を下した。


「敵は限界まで兵力を動員してもあの程度だ! こちらの半数にも満たない! ひねり潰してしまえ……前進!」


 スティーブの号令で、ベトゥミア共和国軍は進軍を開始する。スティーブたちのいる本陣を守る五〇〇〇と、後方の野営地を守る五〇〇〇を除く五五〇〇〇の兵力が前進していく。


 対するロードベルク王国軍はその場に留まったまま迎え撃つ――ように見せかけて、いきなり後退し始めた。背中を向けて一斉に退いた。


「あぁん? とんだ腰抜けじゃないか。期待外れだな……一気に突撃しろ! 敵の背中に斬り込んでやれ!」


 その命令で兵士たちが走り始める。逃げる敵を数の暴力で飲み込むかに見えたが、その前に伝令兵が本陣へと飛び込んできた。


「お、王都の城門から敵が打って出てきました! 騎兵がおよそ二五〇〇です!」


「はあ!? ふざけるな!」


 スティーブは目を剥いて声を上げる。城門の方向、スティーブたちのいる本陣から見て南東の方向を振り向くと、確かに騎馬の集団が次々に城門を出て迫ってきていた。


 軍馬ばかりではない。荷馬や農耕馬もいるようだ。しかしそれでも、二五〇〇の騎馬の塊は脅威になり得る。歩兵を中心に五〇〇〇しかいない本陣が壊滅しかねない。


「兵を戻せ! 一〇〇〇〇を戻して本陣の守りに充てろ!」


 スティーブの命令が伝えられ、突撃の最中に二割近い兵を引き抜かれることになった本隊の勢いが鈍る。


 敵はその隙を逃してはくれなかった。


「正面の敵の陣から大量の矢が放たれました! あれは……弩砲によるものと思われます!」


 スティーブが正面を向くと、退いていく敵のさらに後方から一斉に放たれた矢が空に上がる。矢の太さや射程を見ても、確かに弩砲によるものらしい。


 前衛が後退して見せ、ベトゥミア共和国軍を弩砲の射程圏内に引き入れたところで攻撃する策だったようだ。


「数は一〇〇もないだろう、狼狽えるな! あの程度で――」


 スティーブが叫んでいる最中に、弩砲から放たれた矢が空中で散らばった。極めて細い矢を束ねて射出していたらしい。散らばった後の矢は、数で言えば五〇倍以上になっただろうか。


 数千もの矢によって構成される鉄の雨が、鈍い突撃を続けていたベトゥミア共和国軍の前衛の頭上に降り注いだ。


「そ、それでも被害はたかが知れている! あんな細い矢が当たったところで、どれほどの傷になるというんだ! そのまま突撃を――」


「正面の敵が後退を中断して、再び前進してきます!」


 兵力の引き抜きと不意打ちの矢で混乱に陥った四五〇〇〇の軍勢に、ロードベルク王国軍が反転攻勢をかけてくる。


「敵の騎兵部隊が王都に戻っていきます!」


 再び南東方向を見ると、二五〇〇の騎兵は突撃を止めて転進し、王都の城門へと帰っていくところだった。本陣へと戻した兵も併せて一五〇〇〇で迎え撃てば撃滅できただろうが、敵もそれが分かっているからこそ退いたのだろう。


 これでは、突撃の勢いを殺してまで一〇〇〇〇の兵を戻した意味がない。


「ああああ! クソ蛮族どもが!」


 平原の三万と、王都の数千。合計してもこちらの半分程度の兵力で、まるで互いの思考を知り尽くした兄弟のような連携を見せて翻弄してくるロードベルク王国の二つの軍勢。


 その連携の前に何ひとつ思い通りにいかず、スティーブは口汚く叫んだ。

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