第255話 布陣

 司令部の天幕に主要な貴族たちが全て集められ、天幕内の机上に地図が広げられ、軍議が始まる。


「まず、ロードベルク王国西部軍の総兵力はおよそ六〇〇〇で間違いありませんね?」


「はっ。各貴族家からこの野営地に送られた先触れから確認はとっています。既に五〇〇〇は集結し、残る一〇〇〇も一週間もあれば揃うはずです」


 ノエインの質問に答えたのは、王国南部との境界に領地を持つ貴族として、冬の前からこの地での防衛線構築に参加していたノア・ヴィキャンデル男爵だ。公の軍議の場ということもあり、口調はノエインの立場と爵位を立てたものになっている。


 各貴族の動員兵力のうち最も多いのがケーニッツ子爵領からの軍勢六〇〇。他にアールクヴィスト領から二五〇、オッゴレン男爵領から三〇〇、ヴィキャンデル男爵領から二五〇、バラッセン子爵領から五〇〇、ロズブローク男爵領から八〇、さらにその他の貴族領の軍勢が並ぶ。


 王家の目として王国西端に置かれている公爵領も、人口自体は五〇〇〇人ほどの中規模領地でありながら、四〇〇の兵力を寄越してくれていた。その代表は公爵の嫡男が務めているが、王家の親戚と地方貴族たちとのバランス取りのため、その立場は他の貴族と変わらない。


「分かりました。では次に、我々西部軍の主な戦場と定める場所と、戦い方を説明します。バラッセン子爵領の南東あたり……ヴァレリアン街道が丘に挟まれるこの部分に我々は陣を張ります」


 ノエインは地図上のヴァレリアン街道の一点を指す。


「ここに防衛線を築き、敵を迎え撃ちます。街道上に布陣すれば敵もこちらを無視することはできず、この地点は左右を丘に囲まれているので一度に大軍と真正面からぶつからずに済むでしょう。丘は森に覆われているので、側面に回り込まれる心配も少ないはずです。弓とクロスボウ、そしてバリスタによる射撃部隊を前衛として中央に置き、その後方と左右に歩兵部隊を配置して白兵戦に備えます」


 淀みなく説明を続けるノエイン。これは事前にフレデリックやユーリの助言も受けながら考え出した作戦だが、ノエイン自身が堂々とした態度で説明することで、六〇〇〇という大軍の大将を務める器であることを示す狙いがあった。


「この場にいる皆さんは既に聞いていると思いますが、こちらの基本的な戦略は『天使の蜜』で敵に後遺症を与えることです。敵の攻勢に耐え、一人でも多くの敵を麻痺させることでベトゥミア共和国を撤退に追い込みます」


 ノエインの言葉に、貴族たちの半数以上はやはり複雑そうな顔を見せた。中には露骨にノエインを睨む者もいる。


 ノエインはそれを全く意に介さず、言葉を続ける。


「これはロードベルク王国が唯一ベトゥミア共和国の侵略を退けられる方法として、オスカー・ロードベルク三世陛下もお認めに……いえ、陛下が実行を命じられた策です。従わない者は私の西部軍大将の権限のもと、身分を問わず処刑します」


 口調は穏やかに、しかし氷のように冷たい視線で天幕の中を見回しながらノエインは言った。貴族たちが緊張に包まれ、先ほどノエインを睨みつけた数人の貴族などは物理的に一歩退く。


「……アールクヴィスト閣下」


「はい、何でしょうオッゴレン卿?」


 こちらも他の貴族の手前ノエインを「閣下」と呼ぶトビアスに、ノエインはすぐさま応える。


「ここに布陣する利点は理解できます……しかし、王国西部における敵の主力は二万以上と聞いています。敵の総数を考えると、その気になれば後方から増援を呼ぶこともできるのでしょう。対するこちらは六〇〇〇。これだけの戦力差では、いずれ力押しで防衛線を破られるのでは?」


 これはあらかじめ口裏を合わせた上での質問だ。おそらく他の者も抱いているであろうことを、他の者に先んじてトビアスに尋ねさせる。こうすればノエインは答えやすいし、いわゆる「アールクヴィスト閥」の存在感を大きく見せることもできる。


「その通りです。敵の力押しで陣を崩される前に敵に撤退を決意させることが我々の勝利の条件。いかに長く耐え、敵の負傷者を増やすかが鍵となります。なので、敵の意表を突いて戦線を長く維持するための策もいくつも考えています。例えば――」


 ノエインは用意してきた策を二、三ほど披露した。それに対する貴族たちの反応は、ノエインの発想力への感心から、悪賢さへの呆れまで様々だ。


「こうした策以外にも、王国南部に入り込んで敵の後方を錯乱するための小部隊の存在もあります。彼らの活躍にも期待させてもらいましょう」


 中央と東部、西部の軍勢を合わせると四五〇〇〇ほど。残る五〇〇〇ほどの兵力は、数人から数十人ずつの小部隊に分かれて街道以外のルートから王国南部に浸透し、ゲリラ戦を展開することになる。この小部隊は各貴族家が抱える手練れの戦士や魔法使いなどが主力となる。小規模な遊撃戦では、こうした実力者たちの個人的な戦闘力がより活きるためだ。


 これらの小部隊がベトゥミアの斥候や補給部隊、略奪部隊など少人数で行動する兵士を襲い、戦線を混乱させつつ負傷者を増やすことも今回の戦いの重要な戦略だった。また、南部の生き残りと接触してこちらの策を伝え、可能なら『天使の蜜』を分けることもこの小部隊の任務となっている。


「ただ、小部隊は主要な街道を大きく迂回しながら、敵に見つからないよう進軍することになります。彼らが戦果を挙げ始めるまで数週間はかかるでしょうから……それまでが我々の踏ん張りどころになるでしょう」


「……あのぅ、その小部隊の進軍について、私からひとつ提案をさせていただきたいのだが」


 おずおずと切り出したのは、この場の南西部貴族の代表者であるバラッセン子爵だ。


「これはオッゴレン卿やヴィキャンデル卿にはお伝えしたが、このバラッセン子爵領の南部にあるロムロス小山脈。この中を通れば、ヴァレリアン街道からあまり離れず小部隊を後方に送り込めるのだ」


 ロムロス小山脈はバラッセン子爵領南部から、他の大小の貴族領をいくつか貫通するように南に伸びる山脈だ。ここにある銀鉱脈がバラッセン子爵家の富の源にもなっている。


「ロムロス小山脈の中を、ですか? いくら規模が大きくないとはいえ、山脈のど真ん中を移動するのは危険もあるように思えますが」


「いや、それが……実は、この山脈の中には秘密の山道があるのだ。王国の建国前から存在する道で、山脈の北端と南端に位置するごく一部の貴族家しか知らない。貴族領をまたぐ際の通行税を節約するため、子飼いの商人に利用させているのだ」


「……なるほど」


 バラッセン子爵の言葉にノエインは苦笑いで返した。


 関所で通行税を払うのが嫌だからと、危険を承知で街道を逸れて領境を越える者は少なくない。なかには交通の要所なのをいいことに過剰な通行税をかけて私腹を肥やすような貴族もいるので、一概に否定できる行為でもない。


 が、貴族自身がそれを推奨し、子飼いの商人に得をさせるというのは控えめに言ってもかなり行儀が悪い。通行税を徴収し損ねた貴族との訴訟や抗争に発展してもおかしくない。だからこそ、バラッセン子爵も気まずそうに話すのだろうが。


「あまり大人数を移動させていてはさすがに敵の目につくでしょうが、小規模な部隊を行き来させる程度なら問題なく利用できる山道です。我々もこれまでの偵察などで役立てさせてもらいました」


 バラッセン子爵の言葉が事実であることを証明するようにノアが補足する。


「そういうことなら、今後も小部隊や斥候を送り込むのに活用させてもらいましょう。バラッセン子爵閣下、せっかくの秘密の山道をよく明かしてくれました。感謝します。山道を隠していたことであなたが不利にならないよう、戦後は各方面に僕からできる口添えをしましょう」


「あぁ、いえ、そんな……」


 ノエインが最後の方は冗談めかして言うと、バラッセン子爵は額に汗しながら頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る