第253話 出陣

 ベトゥミア共和国との戦いに臨むための出陣の朝。


 アールクヴィスト領としてはかつてない大人数で出発するため、集結場所は領都ノエイナの広場に定められていた。


 領軍兵士も、予備役として招集された者も、従士や魔法使いたちも広場に集い、それぞれ家族と最後になるかもしれない言葉を交わす。出征する者の家族以外にも、早朝にも関わらず多くの領民が見送りに集まっていた。


 これから始まる戦争で、出征する者たちの奮闘で、アールクヴィスト領の運命もまた決まると誰もが理解している。


「……クラーラ。アールクヴィスト領のことは任せるよ」


「あなたの留守は私が必ず守ります。一切のご心配は不要です。どうかご自身のお役目に注力なさってください……そして、どうかご無事で」


 軍装に身を包んだノエインに、貴族夫人としての正装に身を包んだクラーラが力強く答える。クラーラの腕には、まだ少し眠そうなエレオスが抱えられている。


 クラーラの表情には、昨日のような寂しげな様子は見えない。夫が後顧の憂いなく戦えるように、言葉と態度で領主代行としての自信を示すことが、自分にできる最大のサポートだと彼女は考えていた。


 そして、クラーラはノエインの隣、一歩下がって控えるマチルダにも視線を向ける。


「……マチルダさんも」


「はい、クラーラ様」


 二人はそれだけを言うと、互いに微笑んだ。自分たちがそれぞれどのようなかたちでノエインを支えるべきか、マチルダもクラーラも何度も確かめ合っている。今さら言葉はいらない。


「ノエイン様、私たちも全力でクラーラ様をお支えします」


「どうかご安心ください」


 見送りに集まっていた居残り組の従士のうち、アンナとエドガーの夫婦が代表して言った。二人の他にもマイやクリスティ、ダミアン、ザドレク、ケノーゼといった武家以外の従士たちが見送りのために集まっている。


 キンバリーをはじめとした使用人たちも、フィリップやドミトリ、ヴィクター、ダフネなどの商人や職人も、農民の顔役であるボレアスも、医師のセルファースもいた。領地の主要人物が全員集まっている状況だ。


「ありがとう。君たち全員を頼りにしてるよ。クラーラと力を合わせて、頑張ってね」


 内政に関しては彼らのような優秀な人材がいれば問題はないとノエインは信じている。治安維持や防衛面に関しても、数十人の領軍兵士と百人以上の予備役、数人のゴーレム使いが残るので心配はしていない。


 そして、その他の者はこれから戦いに赴く。


 ノエインの護衛兼世話役としてマチルダが。直属の参謀として従士長ユーリが。ノエインの周囲を守る直衛の親衛隊長としてペンスが。その他に士官としてラドレーやリック、ダント、ジェレミーが。さらにグスタフをはじめとしたクレイモアの面々が。そしてノエインの傍付きの通信担当としてコンラートが従軍する。


 軍馬や荷馬の世話係としてヘンリクと他数人の厩番も随行し、リリスをはじめとした数人の医師も、従軍司祭としてハセル司祭まで同行する。


 加えて、アールクヴィスト領から戦場までの物資輸送を御用商人のフィリップが手がけ、その補佐や他領との補給の調整をバートが行う。


 まさに、アールクヴィスト領の総力を以て戦いに臨むことになる。


 多くの者が家族を残して戦場に行き、多くの者が家族の帰りを待つことになる。広場のあちらこちらで言葉が交わされ、愛する者同士が抱き合う光景がくり広げられる。


 中には、意外な会話をしている者もいた。


「なあメアリー、あのさ、実は俺、前からお前のこと可愛いと思ってたんだよ! だからさ、俺が戦争から帰ってきたらさ……俺と結婚してくれ!」


「マジですかアレインさんっ……分かりましたっ。アレインさんがちゃんと活躍して帰ってきたら、私が嫁になってあげますっ!」


 土壇場でそんな恋愛模様をくり広げているのは、クレイモアきっての切り込み隊長アレインと、アールクヴィスト子爵家のメイド長メアリーだ。


「おおっ! よっしゃあ! ベトゥミアをぶちのめして帰ってくるわ!」


「期待して待ってますっ。帰ってきたら一生好きなだけ私を抱かせてやりますっ!」


「マジか!」


 二人だけの賑やかな世界をくり広げるアレインたちを、呆れた目で見ている者もいる。


「……なあ、アレインの奴は大丈夫なのか? 戦争に行く前に結婚の約束なんて縁起悪いだろ」


「はあ? おめえがそれ言うのかよ。五年前の戦争前にロゼッタと結婚の約束してた馬鹿は誰だよ」


 呟くペンスに突っ込みを入れたのはラドレーだ。


「いや、あのときはロゼッタが拗ねてたのもあったから、俺はあの場でああ言うしかなかっただろ。不可抗力だよ」


「けっ、それだってそもそもお前の自業自得だっただろうが」


 二人が言い合っていると、そこへ何やら興奮気味のコンラートが走り寄ってくる。


「どうしたぁコンラート。何かいいことでもあったか?」


「聞いてください! この領に移住してきたときから好きだった幼なじみの子に、さっき結婚を申し入れたんですよ! 僕ももう十四歳になるからそろそろいいだろうと思って、戦争に行く前にけじめをつけたくて、昨日の夜に決意して……そしたら、頷いてくれたんですよ!」


 嬉々として報告するコンラートに、ペンスも、今度はラドレーも少し呆れた表情になる。


「……おお、よかったな」


「めでてえじゃねえか」


「ありがとうございます! ますます従軍に気合が入ります!」


 興奮しながら離れていったコンラートの後ろ姿を見送りながら、二人は呟く。


「……まあ、大丈夫だろ。俺も大丈夫だったし。そもそも俺らみたいな末端の一人二人が結婚の約束したからって戦況が変わるかよ」


「だな。もう縁起もクソもねえ。頑張りゃ死なねえだろ」


 それら一連の光景を、少し離れたところから見ていたのはノエインだ。


「青春だねえ……従士たちが幸せになるのは喜ばしいことだね」


 出征に向けた準備中にも、ダミアンとクリスティ、ヘンリクとキンバリーが夫婦になることを決意していた。それがここにきて滑り込みで二組追加だ。


「やはりそれぞれ思うところがあるんだろう。この戦いに」


 ノエインの言葉に、すでにマイや子どもたちとの別れを済ませたユーリが答える。


「そろそろ出発準備が整う。ノエイン様は出陣の宣言を」


「うん、分かってる……領民たちの注目を集めて」


 そう言って自身の軍馬に騎乗した。ノエインは背が低いが、馬に乗れば視線は高くなり、領民たちを見渡せる。領民たちからもノエインの顔が見える。


「全員静まれ! 領主ノエイン・アールクヴィスト子爵閣下からのお言葉を賜る!」


 広場全体に響き渡るユーリの鋭い声に、領民たちが静まり返り、ノエインの方を見た。数えきれないほど多くの視線を集めながらノエインは口を開く。


「……私は幸福だ」


 それが、最初のひと言だった。


「私は自分がこのアールクヴィスト領の領主であることを、君たちを庇護する領主であることを、心の底から幸福だと感じている。それは君たちが私を愛してくれているからだ。そして、私自身も君たちを愛しているからだ。君たちと共にこの地で暮らせるからこそ、私は幸福だ」


 領民たちは静まり返ったまま、ノエインの言葉を受け取る。


「私はこの幸福を感じるために生きている。そして、この幸福を守るために、これから君たちと共に戦う。これは直接戦場に赴く者たちだけの戦いではない。その帰る場所であるアールクヴィスト領を維持し守る者たちも含めた、アールクヴィスト領に生きる者が全員で臨む戦いだ。私たちの……僕たちの新しい故郷を守るための戦いだ!」


 兵士たちだけでなく、見送りの領民たちをも見渡しながらノエインは語る。


「この戦いでアールクヴィスト領の運命が決まる。アールクヴィスト領の歴史は、僕たちの幸福は、これからも続く。僕が君たちと紡ぐ。誰にも邪魔はさせない。共に戦って、これからも共に幸福に生きよう!」


「「「おおおぉっ!!」」」


 ノエインが高らかに呼びかけると、領民たちは叫んで答えた。広場が、街が震えるほどの声だった。


 この日、総勢およそ二五〇名のアールクヴィスト領軍部隊が、盛大な見送りを受けながら領都ノエイナを発った。


★★★★★★★


ここまでが第十章になります。いつも本作をお読みいただきありがとうございます。

引き続き本作をよろしくお願いいたします!

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