第244話 覚悟

 ノエインの声で、広間がまた静まり返る。


 罵声を発していた貴族たちも、まさか目の前の小僧がこれほどの剣幕で言い返してくるとは思ってもみなかった、という表情を浮かべて黙る。


「貴族の誇り? 責任感? 戦の矜持? ふざけるな。あなた方こそ王国貴族の義務を、貴族家の当主の義務をなんだと思っている」


 一転して静かに、しかし声に底冷えするような怒りを孕んでノエインは語る。言い返そうとした貴族が、ノエインに睨みつけられて開きかけた口を閉じる。


「……私はアールクヴィスト子爵家の当主であり、アールクヴィスト領の領主だ。一人の女性の夫であり、一人の赤ん坊の父親だ。領主貴族になってからまだ十年と経っていないが、自分がどのような責任を負っているか身をもって理解してきた」


 ノエインはこれまでに多くの民を領地に迎え入れ、庇護した。自身の幸福のためとはいえ、民の人生に責任を持つと決めた。民を守るために多くの敵を殺した。ときには力及ばず民を死なせた。領主としてだけでなく、ひとつの貴族家の当主としても妻を持ち、子を持ち、一人の人間として成長してきた。それらを以て、自らの心に刻むようにして学んだ。


「領主貴族が何のためにあるか? 民を庇護し慈しみ、民により良い人生を送らせるためだ。当主として家族を庇護し、血筋を保つためだ。貴族が何のために戦うのか? 迫りくる外敵から民や家族を守るためだ。私の言っていることが間違っているというのなら、そう言ってみせてください」


 ノエインが語ったのは、建前とはいえ模範的とされる貴族の在り方だ。国王も見ている公の場で否定できる者はいない。


「民を守り、社会を守るからこそ領主貴族は支配者たり得る。そのために全力を尽くすからこそ貴族家当主は領地の頂点に立つ資格がある。私はそれが真理だと信じて疑っていない。そして……そのような領主としての責任を果たすためならどんな手段でも選ぶ覚悟がある。覚悟をした上で今日この場に、王国の運命を決する場に来た」


 室内を見回し、誰からも目を逸らさずにノエインは語る。


「私は自領の民を守り、アールクヴィスト家を守りたい。そのためなら何でもする。悪魔と罵られることで責務を果たせるなら喜んで悪魔になる。異国の何万もの人間に地獄を与えることも厭わない。それで民と領地を守れるのなら安いものだ」


 言いながら、ノエインは拳を強く握りしめる。


「民を守れずして何が貴族か。自分の貴族としての誇りのために割を食って死ねと、生活を破壊されて侵略者の奴隷になれと民に言うなど、私は断じてできない。そんなものは誇りではない。ただの自己満足だ。そんなもののために勝利の可能性を捨てる者たちと同じ貴族の列に並ぶなど、こちらから願い下げだ!」


 はっきりと、ノエインは言い切った。


「……黙って聞いていれば知ったような口を聞きやがって! 貴様のような奴が貴族の誇りを、何百年と受け継がれてきた貴族の誇りを語るな!」


 一瞬の沈黙の後、ノルトリンゲン伯爵がそう叫ぶ。その言葉を聞いたノエインも頭に血が上る。


「これだけ言って何故分からない! 国と領地なくして貴族の誇りもクソもあるか!」


「うるさい! 黙れ! かくなる上はこの場で切り伏……絞め殺してやる!」


 感情でノエインの案を受け入れられないノルトリンゲン伯爵が、もはや逆ギレに近いかたちで叫ぶ。「絞め殺す」と少々格好の悪い言い方になったのは、国王のいる場ということで貴族たちの誰も武器を携帯していないためだ。


「感情でしか考えられない馬鹿が! やれるものならやってみろ!」


 ノエインも激昂して怒鳴り返す。互いに会議机に身を乗り上げて掴みかからんばかりに怒りをぶつけ合う。さすがに止めねばならないと考えたベヒトルスハイム侯爵とアルノルドがノエインを引っ張って下がらせ、ノルトリンゲン伯爵の周囲の貴族たちも伯爵を抑えにかかる。


「そこまでだ! 国王陛下の御前であるぞ! いい加減にしろ!」


 このブルクハルト伯爵の一声で、室内が冷静さに包まれた。


 果たしてノエインの提案を、オスカー・ロードベルク3世はどのように捉え、考えたのか。貴族たちの視線が広間の前方正面に向く。


 視線を受けながら、オスカーはしばし沈黙し、長考して見せた末に――


「……ノエイン・アールクヴィスト子爵の提案は、今のロードベルク王国を救うための最も有効な策だろう。アールクヴィスト子爵の提案を受け入れる」


 と言った。


「陛下! 何を仰っているのですか!」


「先ほどのノルトリンゲン閣下は言い過ぎですが、我々とて貴族の誇りを捨て去るような策を受け入れることは到底できません!」


「このような卑劣な策を取れば、王家の権威までもが地に落ちますぞ!」


 それに対して、一部の貴族たちが劇的な反応を見せる。


 今までの王国の価値観からすれば卑劣きわまりない戦略をオスカーが選んだことがよほど衝撃だったらしい。なかには諦めたような表情で沈黙を守る者もいる一方で、主に先ほどノエインを罵倒した武闘派の貴族たちが口々にオスカーに抗議する。


 見かねたブルクハルト伯爵が注意しようとしたところで――それを制して、オスカー自らが口を開いた。


「諸君!」


 抗議していた貴族たちも黙り込む。さすがに王の言葉を遮る無礼までは誰も働こうとしなかった。


「私は無能な王だ。過去の歴史のみを見てベトゥミアの侵略など起こらないと油断し、実際に侵略を受けてからはここまで何ひとつ有効な手を打てないまま、王国の北端まで逃げて来た。そして今、王としての誇りさえ投げ捨てて卑劣とも言える策に縋ろうとしている!」


 貴族たちは目を見開いてオスカーを見る。


「だが、私には王であるからこそできることがある。責任を取ることだ。先ほどアールクヴィスト子爵が語った貴族の矜持は、領地を国に置き換えればそのまま私にも当てはまろう。しかし一つだけ違う点がある。王である私には、お前たち王国貴族を、お前たちの誇りをも守る責任があるということだ」


 そう言って――オスカーは面前の貴族たちに頭を下げた。国王が、臣下に対して頭を下げた。


「この策を選び、諸君に実行を命じるのは私だ。全ての責任は、全ての悪評は、この私が負う。私は王として、どのような評価も甘んじて受け入れよう。諸君の誇りが傷つけられることはない。だからどうか私に命じられてはくれまいか。ロードベルク王国の存続のために、貴族にあるまじき戦いに身を投じてはくれまいか」


「へ、陛下!」


「我々は何もそのようなつもりでは……」


「どうか御顔を上げてください!」


 狼狽えながら貴族たちが口々に言うと、オスカーは頭を上げて室内を見渡した。そして――おもむろに剣を抜いた。


 王の予想外の行動に貴族たちがぎょっとする前で、オスカーはその刃先を自分に向けながら会議机の上に剣を置く。


「それでも私の王命を受け入れられぬという者がいるのなら……この場で私を斬ってくれ」


 その言葉に、オスカーの横にいたブルクハルト伯爵も、ここまで冷静さを保っていたベヒトルスハイム侯爵やシュタウフェンベルク侯爵も、アルノルドも、作戦の言い出しっぺであるノエインでさえも、全員が目を見開いて驚く。


「宣言する! この場にいる全員が証人だ! 今この場で私を斬ってもその者の罪は一切問わない! その者が新たな策を提示して、私の代わりにベトゥミアとの戦いを指揮することを認める! 勝利の後にはその者が王太子ルーカスの後見人となることを認める! その上で、諸君らの決断を問う!」


 言い切ったオスカーを前に、その壮絶な覚悟を前に、全員が黙り込む。


 重苦しい沈黙が漂う中で、一人が片膝をついた。


「……陛下の命に忠実に従い、身命を賭して戦うことを誓います」


 膝をついて言ったのは、エドムント・マルツェル伯爵だった。


 王国北西部でも随一の武人であり、本来ならこのような策に真っ先に反対しそうなマルツェル伯爵がそう宣言したことに、多くの者が驚いた表情を見せる。


「私も、陛下の忠実なる臣として御王命に従い、全身全霊を以て戦うことをここに誓います」


 次に、ジークフリート・ベヒトルスハイム侯爵が片膝をついて宣言する。


 続いてシュタウフェンベルク侯爵が、アルノルド・ケーニッツ子爵が、臣下の礼を取って誓いを口にする。さらにアントン・シュヴァロフ伯爵をはじめとした派閥の重鎮クラスが続く。


 一人また一人と後に続き、ついにノルトリンゲン伯爵までが膝をつく。


「…………誇り高き王国貴族の一人として、陛下の命を忠実に守り、戦うことを誓います」


 感情を押し殺すように言った伯爵。これでノエイン以外のすべての貴族が誓ったことになる。


 オスカーから視線を向けられて、ノエインも頷いて臣下の礼を取った。


「私ノエイン・アールクヴィスト子爵も、陛下の御王命を遂行し、王国を守るために命を賭して戦うことを固く誓います」


 全ての貴族が頭を垂れる前で、オスカーは厳かに言った。


「……ロードベルク王国の王として、諸君の忠節と献身に心より感謝する。ここからは反撃の時である。侵略者どもに報いを受けさせ、王国を守り抜こう」

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