第236話 続報

 従士たちが集合した頃合いを見計らって、ノエインはマチルダとユーリ、さらに妻のクラーラも伴って会議室に向かう。クラーラにはすでに状況を説明済みだ。


 最初にユーリとマチルダが会議室に入り、その時点で従士たちは領主の入室を迎えるために一斉に立ち上がる。入ってきたノエインを見て軍人は敬礼を、それ以外の者は右手を左胸に当てる礼をとる。


「ご苦労、皆座って。楽にして」


 入室して自分の席に歩きながらノエインが言うと、全員が礼の姿勢を解いて着席する。


 会議室には、ラドレーと交代でアスピダ要塞の指揮をとるために要塞に駐留しているリックと、職務で領外に出ているバート以外の従士が勢ぞろいしていた。


 全ての従士が招集される時点でただ事ではないと感じていた一同は、表情の硬いノエインやクラーラを見て、皆それぞれ一層緊張した面持ちになる。


 会議室の正面に置かれた三つの席の真ん中に立ち、両隣にクラーラとマチルダが来てから、ノエインは口を開いた。


「……今日、王都からの緊急報告と、オスカー・ロードベルク3世陛下の王命が届いた。ベトゥミア共和国がロードベルク王国に対して宣戦布告。それとほぼ同時に共和国軍が王国南東部のキヴィレフト伯爵領ラーデンに上陸したらしい」


「なっ!」


「嘘でしょ……」


「何てことだ……」


 従士たちの間にどよめきが起こる。無理もないだろう。


「静かに!」


 ユーリが声を張ると、そのどよめきもすぐに収まった。


「南東部貴族については既に招集命令が出てるけど、その他の地域の貴族は出陣の用意をしつつ、以降の指示に備えろ、という話だった。この王命を受けて、僕も王国貴族として出征の準備を整える」


 そこまで言って、ノエインは緊張した面持ちの従士たちを見回して苦笑した。


「……って言っても、具体的な動きはまだ何ひとつ決まってないんだけどね。敵の規模も、上陸地点のキヴィレフト伯爵領がどうなってるのかも分からないし。ただ、アールクヴィスト領全体で戦時体制に入ることになるのは間違いない。ひとまず皆には大規模な戦争が始まったことを理解しておいてもらいたい。今はそれだけだよ」


 そう言われて、従士たちも少し落ち着いた様子になった。今すぐ何かしなければならないわけではないと知って、浮き足立ったような空気は収まる。


「僕たちにできるのは、領外から届く続報を待って、出陣の王命に応えられるように準備をすることだけだ。王命が下ったら、この国を、この地を守るために戦うだけだ。武家の従士たちは今後、僕と具体的なことを話し合おう。それ以外の従士たちは、アールクヴィスト領の社会の維持にこれまで通り努めてほしい……何か質問は?」


 ノエインが尋ねると、ラドレーが手を上げた。


「出陣するとしたら、いつ頃になりやすか?」


「んー、どうかな。今日報告が来たばかりで、多分王家でさえ敵の規模も分かってないような状況だから、少なくとも……どのくらいかな?」


 ノエインがユーリの方を見ると、話の補足のためにユーリが口を開く。


「どれほど早くても二週間、普通はおそらく一か月は先かと。状況把握をして本格的な反撃の計画を立て、貴族たちの準備が完了するのを待っていれば、それくらいは経つでしょう。上陸はされてしまったようですが、敵だって異国でいきなり大軍をそうそう動かせないはずですから」


「……だそうだよ」


「了解です」


 ユーリの具体的な予想を聞いて、ラドレーは頷いた。


 次に手を上げたのはアンナだ。その顔色は非常に悪い。


「あの、アールクヴィスト領はベトゥミア共和国に金属資源を売って、その代金を今年の領地運営予算に充てる予定でしたが、それは……」


「……あー、それもあったね」


 財務担当としての大きな懸念について尋ねるアンナに、ノエインもたった今思い出したような表情で答えた。


「そうだった。開戦の報告を受けて、これからの戦争のことで頭がいっぱいで忘れてた……貿易で見込んでた利益がパアだ」


「元々ベトゥミアは金属や馬を買うために港に集めさせてたって話ですよね?」


「ああ。港の占領と同時に軍需物資として接収して、そのまま侵攻のために使うつもりだったんだろうな。ラーデンが陥落したら、ベトゥミアの思惑通りになるわけだ」


 ノエインがアンナと同じくらい青い顔で頭を抱え出す一方で、ペンスの質問にユーリが答える。


「……ベトゥミアめ。この僕を騙してアールクヴィスト領産の鉱石を勝手に持ち去るなんて生意気すぎるね……たっぷり利息をつけて返してもらわないと」


 明らかに強がりの冗談だったが、ノエインの言葉に従士たちは小さく笑う。開戦を告げられた直後の重苦しい空気も、このときにはだいぶ和らいでいた。


「他に質問はあるかな? ……ないか。それじゃあ、とりあえず今日は解散。ああ、武家の従士たちと、あとダミアンも残って。動員する兵力とか装備について少し具体的な話し合いをしておきたいから」


・・・・・


 急に始まった戦争とはいえ、数日で状況が大きく動くようなことは少ない。万を超える軍勢を動かすのなら、通常は週単位、月単位の時間がかかるものだ。


 それがロードベルク王国に、アドレオン大陸南部における戦争の常識だった。しかし、ベトゥミア共和国軍の動向に関する続報は、そんな常識をことごとく覆した。


 9月30日、キヴィレフト伯爵領ラーデンが完全に陥落。領主であるキヴィレフト伯爵とその一族は行方不明。


 10月3日、ベトゥミア共和国軍がキヴィレフト伯爵領全土を制圧し、周辺の貴族領へと侵攻開始。


 10月5日、斥候と、未だラーデン近郊に潜伏する対話魔法使いの報告を照らし合わせた結果、上陸したベトゥミア共和国軍は総勢7万以上に及ぶと判明。


 10月6日、王国南西部では最大の港を有するアハッツ伯爵領領都にベトゥミア共和国軍の新たな部隊が上陸。


 10月10日、アハッツ伯爵領領都が陥落。ベトゥミアがこの地にも侵攻してくることを想定して近隣の領主貴族も集結し、可能な限りの防衛態勢を整えていたものの、わずか4日しか持たなかったという。


 10月14日、キヴィレフト伯爵領ラーデンにベトゥミア共和国軍のさらなる増援が到来。第一陣と併せた規模は十万を超えると思われる。この日を最後に、ラーデン近郊に潜伏していた対話魔法使いからの報告が途絶する。


 10月20日、南東部から上陸していたベトゥミア共和国軍の侵攻部隊が南東部の中心地ビッテンフェルト侯爵領に到達。領都は防衛戦に突入。


 10月23日、南西部から上陸していたベトゥミア共和国軍の侵攻部隊が南西部ガルドウィン侯爵領に到達。領都は防衛戦に突入。


 これらの情報が『遠話』通信網によって王国内を巡り、毎日のように届く新たな凶報の数々は王国貴族たちを震撼させた。


 当然ながら、アールクヴィスト領の領主であるノエインも、震撼する貴族の一人だ。


 10月28日。ノエインは領主執務室に従士長ユーリと副長ペンスを呼び、これまでに『遠話』で届いた情報について考察していた。


「……まずいね」


「ああ、ベトゥミア共和国軍の侵攻の速さが想像以上だ」


「まさか一か月足らずで、南東部と南西部それぞれの中心都市まで敵が届くとは思いませんでしたね」


 ノエインの言葉にユーリもペンスも頷く。


「だね……まあ、さすがに派閥盟主の領都だけあって今のところ持ちこたえてるらしいけど。それももう一週間前の情報だからなあ」


 当初こそ、王家が国内に張り巡らせていた『遠話』通信網である程度詳しい南部の状況が報告されていたが、一週間ほど前からそれが途切れていた。ベトゥミア共和国軍の小部隊が南部の街や村を荒らしまわっており、その過程で『遠話』の中継地点にいる対話魔法使いが死亡したり捕縛されたりしたためと考えられている。


「にしても、南東部と南西部のベトゥミア共和国軍を合わせたら総勢二十万ですか……常識外れの規模でさあ」


「今回の戦争は常識が通用しないことばっかりだね……冬に入るまでに敵の侵攻をどこまで抑えられるかな」


 いくら国力と技術でロードベルク王国の上を行くベトゥミア共和国軍とはいえ、所詮は人と馬による軍隊。真冬に入れば侵攻ペースもさすがに鈍るはず。というより、鈍ってくれないと困る。


 ロードベルク王国側はその隙に態勢を立て直し、軍をまとめて反撃に出るしか勝つ道はないというのが、王国貴族たちに共有されている考えだ。


「おそらく今ベトゥミアが王国南部の侵略を急いでいるのも、冬までにできるだけ支配域を広げておきたいからだろう。いくら本国からの補給があるとはいえ、大軍をこんな速さで延々と動かし続けられるわけがない」


「そう信じたいよ。冬に入れば敵の本国からの補給だって今より――」


「き、緊急報告! 緊急報告です!」


 そのとき、領主執務室にまたコンラートが報告を届けに来る。


 今では緊急報告の場合は許可を求めず入室していいとされているコンラートは、いきなり扉を開けて部屋に飛び込むと息を切らしながら話し始めた。


「お、王国中央部の南方に、ベトゥミア共和国軍が接近……このままでは王都陥落の可能性もあるため、オスカー陛下は王都を脱出されました!」


「……そんな馬鹿な」


 あまりにも衝撃的な内容に、ノエインは絶句する。


「……上陸から一か月で敵が中央部に接近だと? いくら何でも速すぎるだろう」


「ですね。部隊編成や行軍の時間を考えても、普通は間に合わないでしょう」


 ユーリとペンスも険しい表情で言った。軍隊は数が多くなるほど編成も行軍も遅くなるものだ。王国中央部に侵攻するほどの大軍勢なら編成準備だけでそれなりの日数が要るし、一日の行軍距離もたがか知れている。日数の計算が合わない。


 だが、今さら報告が誤報というのも考えづらい。


 コンラートは少し息を整え、報告を続ける。


「……そ、それと、王国北部の上級貴族は、王国北端のハルスベルク公爵領に集結するよう王命が下りました。できれば当主が、難しければ軍務を務められる名代が来いと……そこで反撃のための軍議を行うそうです」

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