第221話 助け合い
三月下旬。この凶作の年を乗り越えるためにアールクヴィスト領全体で食糧増産に努めている春の只中、ノエインは隣人領主であるアルノルト・ケーニッツ子爵に呼び出された。
いつものごとくレトヴィクのケーニッツ子爵家の屋敷に招かれ、応接室に通されたノエインは、義父でもあるアルノルドと対面する。
「急に呼び立てて済まないな、ノエインよ。そちらも忙しいだろうに、よく来てくれた」
「いえ、他ならぬアルノルド様がお呼びとあらば、隣人としても義理の息子としてもすぐに馳せ参じますよ」
答えながら、ノエインはいつにも増して穏やかな笑みを浮かべるアルノルドを少し不気味に思う。義理の親子になって以来、アルノルドとは気安い関係になって久しいが、今日の彼は以前のように貴族然とした作り笑いをしているように感じられた。
「ようやく春らしく暖かくなって一安心だなあ」などとわざとらしい世間話で場の空気を和ませようとするあたりがますます怪しい。
「それでアルノルド様、お話というのは?」
「ん? ……そうだな、君も忙しかろう。早いところ本題に移ろうか」
ノエインが切り出すと、アルノルドの笑みがいっそう穏やかに、胡散臭くなる。
「確認するまでもないことだが、この年明けは王国中を、いや大陸南部全体を猛烈な寒波と大雪が襲った。アールクヴィスト領も大層苦労したことだろう?」
「……ええ、そうですね。本当に大変でした。今もまだ混乱が続いています。ケーニッツ子爵領についても、さぞ御苦労があったこととお察しします」
「ああ、互いに大変だったな。それでだ……寒波や積雪自体の被害はもちろん、我が領ではもうひとつ大きな影響が出た。麦の不作、いや凶作だ。大凶作と言っていい。もちろん、我が領に限った話ではないだろうが」
「きっと王国全土や、隣国でも同じような凶作に陥っているでしょうね。私のアールクヴィスト領とて例外ではありませんし」
おおよそ予想通りの展開だな、とノエインは思う。こうなると次に言われるのはおそらく――
「そうだろうな……だが、アールクヴィスト領はあのジャガイモの栽培方法を確立し、いち早く普及させた地だ。麦が凶作でも、きっと他領ほど苦労しないのではないか? いや、もしかしたらこの状況でも余剰の食糧が出るのかもしれないな。もしそうだとしたら……それを私に買わせてくれないだろうか? 決して悪い商売にはならないと約束する」
ほらきた、やっぱり食糧買い取りの相談だ。とノエインは思った。
「……その件につきましては、私も検討の余地はあるかと思います」
「そうか、では――」
「ですが、その前にひとつお願いがあります」
ノエインは厳しい顔でぴしりと言って、それから小さなため息をついた。
「……その気持ち悪い作り笑いと猫なで声を止めて、普通に話してくれませんか、義父上。そんな態度をとらなくても、ご相談について悪いようにはしません。あなたはクラーラの父であり、エレオスの祖父であるのですから」
今までさんざん素の表情で会話してきたのに、今さらこんな営業スマイルでの貴族トークなど勘弁してほしい。鳥肌が立つ。
「……そうだな、私が悪かった」
指摘されたアルノルドも、苦笑しながら素の声で言った。
「それで、食糧を買いたいというお話ですが……ケーニッツ子爵領もジャガイモが普及して久しいはずですが、それでも厳しいんですか?」
「アールクヴィスト領とは人口も、普及度も、そもそも普及のさせ方も全く違うからな……考えてみてくれ。農民たちはこの地で200年以上にわたって、先祖代々麦を育ててきたんだ。いきなりジャガイモという見たこともない作物が導入されたとして、それが数年で領の人口12000人を食わせられるほど広まると思うか?」
「……そう簡単にはいかないでしょうね」
ノエインも納得して頷く。アールクヴィスト領は最初からジャガイモを主食のひとつとして生活に組み込み、ジャガイモがある前提で発展した特殊な地だ。他の領地もそれと同じようにとはいかないだろう。
「そういうわけだ。これでもできる限りジャガイモの普及には努めてきたんだがな……どんなに食糧節約と増産に努めたとしても、ケーニッツ子爵領は次の冬には餓死者が出るだろう」
そう語るアルノルドの顔は暗い。民を思ってのことか、民からの自分の評判が下がるのを気にしてのことか。
「なので早急に、食糧を増やす手を考えなければならん。ノエインよ、どうにか頼らせてくれないだろうか?」
「……まだ確約はできませんが、ご助力できると思います」
アルノルドの懇願に、ノエインは少し考えてそう答える。
「我が領は今、全力で食糧の増産に努めています。もともと食べるつもりだったジャガイモまで一旦種芋に回し、油の原料にする予定だった大豆も食用にするために増やしています。順調にいけば、我が領の民を食わせた上でケーニッツ子爵領にそれなりの量の食糧をお売りすることも十分に可能でしょう」
「そうか、余裕があるのか……では」
「ですが、まだ輸出の確約はできません。まずは我が領の民が飢えずに済むと分かってからでないと輸出はできません。春先に作付した分を初夏に収穫し、そこから領内での消費分や今年二度目の作付に必要な分、予備の備蓄分を引いた後で、余剰分をお売りすることしかできません。分かっていただけますね?」
「……ああ。もっともな話だ」
有無を言わせぬ口調でノエインが言うと、アルノルドも頷く。
「お売りしたものはそのまま食用として消費するのではなく、作付に回してください。夏に植えれば秋の後半には何十倍にもなって収穫できるでしょう。その方が冬を越すための足しになるはずです」
「分かった、そうさせてもらう……義父として、そして一領主貴族として、心より感謝する」
言葉だけでなく、アルノルドは頭を下げることで謝意を示した。同じ子爵とはいえ家の格も領地規模も当主の年齢も上で、おまけに義父の立場にありながら、頭を下げた。
「確かに、謝意を受け取りました。どうかお顔を上げてください……僕としても、クラーラの生まれ故郷に悲惨なことにはなってほしくありませんから」
そう言ってノエインは微笑む。
もちろん親族を助けるという義理もあるが、それだけで領の貴重な食糧輸出を決めたりはしない。もともとノエインは、食糧を輸出して助けるならまずはケーニッツ子爵領だと決めていた。
アールクヴィスト領はケーニッツ領以外の貴族領と領境を接していない。輸出入の要所であるケーニッツ子爵領が飢饉で荒れれば、アールクヴィスト領も否応なしにその余波を受ける。それを防ぐには、ケーニッツ領に健在でいてもらわなければならないのだ。
それに、ケーニッツ領が無事なら、付近の領地で飢饉による混乱が起きても自然と盾になってもらえる。そこまで考えて計算した上で、ノエインはこの話し合いに臨んでいた。
「……それにしても、今年は一体どうなるんでしょうね。僕たちは良くても、他の貴族領はどこも悲惨なことになるでしょう」
話がひと段落したところで、ノエインは少し力を抜いて応接室のソファにもたれかかり、テーブルに出されているお茶をひと口飲む。
「そうだな……北西部の貴族領はどこも程度の差はあれジャガイモを普及させているから、他の地域よりは遥かにマシなはずだ。餓死者が皆無というわけにはいかないかもしれないが、崩壊するような領地はそうそうないだろう」
同じようにお茶に口をつけてアルノルドが答えた。
「だが、おそらく他の地域は悲惨だ。下手をすればこの夏からでも餓死者が出る。派閥内で剣を交えることさえあるかもしれんな。無事で済むのは王領と、備蓄が豊富なごく一部の金持ち領地くらいではないか?」
「……どうしようもありませんが、悲しいことですね」
他地域の民に同情を感じながらノエインは呟いた。
おそらく貧民や老人、次男以下の子どもなど、立場の弱い者から飢えて死ぬのだろう。可哀想ではあるがどうしようもない。自分は愛する家族や部下、民を守るだけで精一杯だ。
不謹慎かもしれないが、自分たちだけは無事にこの危機を乗り越えられそうで本当によかったと、ノエインは内心で安堵していた。
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