第194話 前線視察
国王と二人の大臣との会談を終えたノエインは、その数日後にはアールクヴィスト領への帰路に就いた。
せっかく久しぶりに王都に来たが、あまりのんびり滞在を楽しむわけにもいかないのだ。領地に帰ってこなすべき仕事はいくらでもある。王領からの移民を迎える準備も早く始めたい。
何を置いても全速力で帰らなければならないというほど急ぎではないが、早く帰還するに越したことはない。
そんなわけで、できるだけ急いでアールクヴィスト領へ帰り着き、少し落ち着いた八月中旬。この日ノエインは、馬の背に揺られていた。
向かっているのは領都ノエイナからさらに西にある前線基地。王国軍と北部貴族の連合軍が駐留し、現在は砦の建設が進められている場所だ。今日はその視察をする日だった。
「今の砦の完成度は三割くらいだったかな?」
「はっ。おおよそ基礎を固め、少しずつ建物としての形を成していると報告を受けています。冬前には砦としてある程度の体を成し、冬明けには完成する見込みです」
視察の顔ぶれはノエインとマチルダ、従士長ユーリ、護衛に騎兵数人。ノエインが隣のユーリに尋ねると、一応は軍務中で場所も屋外であるため、ユーリは家臣としての口調で返した。
「そうか、順調みたいで何よりだよ……砦までの道も綺麗に出来上がったね」
敵侵攻部隊の元野営地を前線基地として運用するにあたり、真っ先に進められたのが道の整備だ。敵が作った林道は領都ノエイナの遥か手前で途切れていたので、それをさらに開拓してノエイナまでの道を通していた。なので、今ではいちいち森に入って移動せずともよくなっている。
道の整備は敵に逆利用される危険もあるが、今回に関してはこちらから砦に急行できる態勢を優先したかたちだ。
「……そろそろ到着しますな」
ユーリの言葉通り、緩やかなカーブになっている道を進むと、その先が開けて前線基地となっている地点が見えた。
駐留軍や彼らのために物資を運び込む酒保商人、その隊商を護衛する傭兵など、1000人強の人間が集まる前線基地は、ある程度遠くからでも分かる程度に騒々しい。
宿舎や食堂、倉庫など用途ごとに作られた天幕が並ぶ奥には、建設中の砦の基礎と思しきものも見える。
「へえ、こっちに来るのは久しぶりだけど、前とはずいぶん様子が違うね」
「駐留軍が来てもう四か月ほど経ちますからな」
ノエインが最後に前線基地を訪れたのは、駐留軍の視察や指揮官たちとの話し合いをした初夏のことだ。久々に見る基地は、もはやちょっとした街のようになっている。
そんな前線基地に進み入ると、最初に出迎えたのは指揮官たちだ。王国軍第九軍団からの派遣部隊をまとめる副軍団長と、北西部連合軍をまとめるマルツェル伯爵がノエインのもとに近づいてくる。
「アールクヴィスト子爵閣下、ようこそ前線基地へ」
「……アールクヴィスト卿、よく来たな」
「副軍団長殿、マルツェル閣下、お出迎え感謝します」
敬礼しながらごく普通に挨拶をくれる副軍団長と、若干複雑そうな顔で歓迎してくれるマルツェル伯爵に、ノエインも馬から降りて答礼する。
マルツェル伯爵は北西部連合軍の実務上のトップとして、ほぼ常に前線基地にいた。彼もランセル王国への逆侵攻の功績でノエインとともに王都の式典と晩餐会に出席したはずなのに、その翌日には爆速で帰って軍務に復帰するという熱心さだ、さすがは北西部一の武人である。
今や上級貴族となったノエインに表向きは敬意を示してくれるが、やはり個人的にはノエインが好きではないらしい。
「国境も堅固に守られ、砦の建設も順調に進んでいると聞き及んでおります。お二方には感謝するばかりです」
「礼には及びません。これが我々の務めですので」
「ああ、私も王国貴族としての役目を果たしているだけだからな」
笑顔の副軍団長とは反対に、マルツェル伯爵の言葉には「別にお前のためじゃないんだからね」という気持ちが見え隠れしている。
「アールクヴィスト閣下、さっそく砦の方をご覧になりますか? まだあまり建造物としてのかたちは成していませんが」
「ありがとうございます。ただ、できれば先に私の領軍の部下たちに会いたいのですが……」
駐留軍への協力、という名目で、アールクヴィスト領軍からも部隊が派遣されている。規模は20人ほどで駐留軍本隊とは比較にもならないが、自領の防衛のためにノエインも軍を出しているという事実そのものが大切であり、さらに前線基地の様子を常に見張る目が必要であることからも、派遣の意味は大きい。
「これは失礼。確かにそうでしょうな……アールクヴィスト領軍の宿舎は基地中央より少し北側にあります。ご案内しましょう」
駐留軍の指揮はマルツェル伯爵が受け持ち、副軍団長が自らノエインを案内してくれる。付いて行った先には、アールクヴィスト領軍の派遣部隊の姿が見えた。
「それでは私はこれで。また後ほど」と言って、気を利かせてくれたらしい副軍団長がノエインたちから離れる。彼に礼を伝えて、ノエインは派遣部隊の隊長を務めているラドレーの方に近づいた。
ラドレーの方もすぐに気づき、周囲の士官や兵士に呼びかける。
「おうお前ら、アールクヴィスト閣下だ、並べ……閣下、ご視察ご苦労様です」
素早く整列した派遣部隊の面々と共に、綺麗な敬礼を見せるラドレー。
「君たちもご苦労。駐留軍とは仲良くやっているかな?」
「へい、問題なくやってます」
ノエインの前に並ぶのは隊長のラドレーと、派遣部隊の中核であるバリスタ・狙撃用クロスボウ隊を指揮するリック。そして今はラドレーの補佐に付けてあるジェレミーだ。さらに、領都ノエイナへの連絡役として対話魔法使いコンラートの姿もある。彼にとっては父リックと揃っての駐留だ。
「それは何よりだ。先の戦闘で英雄的な働きをした君たちにあまり休暇も与えてやれず、領都から長期間離れる任務を強いて済まないね」
「いえ、従士として当たり前の仕事をしてるだけですんで」
「こうしてお役目をいただけることを嬉しく思う所存です」
「私も、まだまだ働きを以て忠誠を示していきたいと思っていますので……」
ノエインの言葉に、ラドレーもリックもジェレミーも従士や士官としての意思を示す。他の兵士たちも同意するように頷く。
「君たちのような軍人を部下に持つことができて、僕も領主として誇らしく思う……名誉従士コンラートも、まだ若い身でありながら多大な貢献に感謝するよ」
「閣下とアールクヴィスト領のお役に立てることこそが、私の誇りです!」
元気に答えるコンラートは、前線基地が領都と比べると決して安全とは言えないのを承知の上で、自ら志願して駐在している。
貴重な魔法使いで、まだ11歳の彼を最前線に置くことにノエインは少し悩んだが、非常時にタイムラグなく前線基地の情報が伝わるメリットがとても大きいこと、コンラート自身がようやく大きな役割を持てると意気込んでいること、彼の父であるリックも基地に駐留することなどを考えて許可したのだった。
「さて、それじゃあ……ラドレー、前線基地の様子について、少し詳細な報告を聞きたい」
「はっ。ではこっちの天幕に。一応アールクヴィスト領軍の指揮所ってことになってますんで……リック、ジェレミー、天幕の周りに領外の奴が近づかないか見張れ」
「「了解」」
ラドレーが入っていった天幕の中に、ノエインとユーリ、マチルダも続く。周囲の目がなくなって身内だけになったことで、全員ようやく気を緩めた。
「それで……駐留軍の様子はどうかな? 特に北部貴族連合軍の方は」
下級貴族の手勢が領内の治安を乱さないかを最も心配しているノエインだ。ラドレーから駐留軍の状況について詳細な報告を受けるのが、今回の視察のある意味で本命の目的である。
「マルツェル閣下は規律にも厳しい指揮官ですから、勝手に領都ノエイナや近くの開拓村までふらついて問題を起こすような奴は出てません……今後も多分、領民の女が襲われるような心配はねえでしょう。兵士たちにはある程度の発散もさせてるみてえですし」
「発散?」
「前線基地の入り口に近いところに、赤っぽい色の天幕が並んでませんでしたか? あれ、酒保商人どもが作った簡易の娼館です」
「……ああ、なんかそんなのあったねー」
基地に入ったときの光景を思い出しながらノエインは呟いた。
自前の輜重部隊を持つ王国軍はともかく、貴族領軍の大部隊には酒保商人が引っ付く。彼らは食糧や消耗品、嗜好品、ときには娼婦までを軍隊のもとに届け、商売を行うのだ。
兵士の多くは男なので、娼婦の需要は大きい。さらに兵士たちは戦場であまり使いどころのない給金も持っている。高い値で自分を買わせて手早く稼げるからと、酒保商人に随行したがる娼婦は意外と多いのだという。
「まあ、需要と供給が健全に成り立ってるのはいいことだね。ラドレーも利用してるの?」
「ぎゃはははっ、冗談きついですぜ。俺あもう一生ジーナしか抱かねえって決めてるんで」
ノエインが冗談めかして尋ねると、ラドレーは膝を叩いて笑いながら答えた。
「あはは、夫の鑑だね……とりあえず、そっちに関して今後も問題が起きそうにないならよかった」
春を売ることを生業と決めた人々が正当な対価を稼げているのならそれに越したことはない。ノエインとしては、女に飢えた兵士が非番の日に領都や開拓村までふらっと現れて、若い娘に襲いかかるようなことがないのならそれでいい。
「その心配はしなくていいとしても……小さな盗みや喧嘩なんかは起こるかもしれねえです。何日か前も、基地内で下級貴族の手勢が酒保商人の護衛傭兵に喧嘩吹っかけた事件がありました。きっと鬱憤が溜まってるんでしょう」
「ああ……そういうので領民が被害に遭うのは嫌だな」
ノエインは少し眉を顰める。気が立った兵士に難癖をつけられて領民が怪我でもしたら心が痛いし、そういう軍隊を駐留させている領主の、領民からの評価が下がらないとも限らない。
「でも僕はもう子爵だし、何かあったら大抵の貴族家には面と向かって抗議できるからね」
こういうときに上級貴族の立場があるのは便利だとノエインは思う。王家や大貴族とのコネクションをちらつかせながら「おたくの兵士がうちの領民に怪我させたんだけど、どうしてくれんの?」と言えば、下級貴族など一瞬で頭を下げてくるだろう。
「とりあえず予防措置として……『アールクヴィスト閣下は上級貴族になったから、その領民に手を出した兵士は主君とも恨みを買うかも』みたいな噂を軽く流してもらっていいかな?」
「分かりやした。ちょっとでかい声でそういう話をしてりゃすぐに広まるでしょう。ここじゃ噂話も兵士の貴重な娯楽ですんで」
ノエインがいたずらっぽい笑みを浮かべて言うと、ラドレーも笑いながら頷いた。
自分の軽率な行動で罰せられるだけでなく、主君も揃って恥をかくとなれば、アールクヴィスト領民に下手なことをする兵士はほぼいないだろう。
駐留軍の様子確認という、ある意味で一番重要な仕事を済ませ、内心でほっとするノエインだった。
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