第185話 大出世
「それでは、国王陛下よりお預かりした御言葉をお伝えします」
屋敷の応接室で、王家からの使者の騎士が書簡を広げて言う。
それに対してノエインはソファに座ったまま、右手を左胸に当てて視線を下げる簡易の礼をした。王の言葉ともなれば、たとえそれを発するのが使者でもこれくらいの礼儀は必要だ。ノエインの隣ではクラーラも同じく視線を下げる。
「……ロードベルク王国国王オスカー・ロードベルク3世が告げる。アールクヴィスト準男爵ノエイン、汝は隣国ランセル王国の卑劣な侵攻を受けながら、臆することなく立ち向かい、単独でこれを退けた。この功績は王国の歴史を見ても類まれなるものであり――」
要するに、ノエインの素晴らしい働きを褒める。という内容の言葉が続く。
「――よって、汝の功に報いるため、汝に子爵の称号を与えるものとする。正式な叙爵は王歴216年、7月15日の叙爵式を以て成されるものとし、汝はこの当日に王城に参上し――」
「っ!?」
使者の言葉を聞いて、ノエインは思わず声を上げそうになったのを何とかこらえる。この読み上げを遮るのは王の言葉を遮るのと同じくらいの無礼にあたるからだ。
だが、内心では動揺せずにはいられない。使者は今、国王がノエインに子爵の称号を与えると言った。子爵だ。おそらくまた陞爵されるだろうとは思っていたが、まさか男爵位を飛ばして子爵に任ぜられるとは。
ノエインは視線を下げたまま目を隣に向ける。クラーラも驚愕の表情でノエインを見返してきた。さらに後ろではマチルダとユーリが立ったまま、しかしわずかに身じろいだのが分かった。
この場でまったく動じなかったのは、王家からの使者だけだ。書簡には封蠟がされていたから彼もこの場で初めて内容を知ったはずで、飛び級の陞爵がどれほど異例のことかも分かっているだろうに、大したプロ意識である。
「――今後も汝がロードベルク王家の忠実なる臣として領地を治め、国境を守り、この爵位に足る働きを示すことを期待する。そのために王家もできる限りの支援を約束しよう。 ……以上が、国王陛下からの御言葉です」
「……確かに、賜りました」
応えながら、ノエインはこの書簡からオスカー国王のおおよその意図を察した。要するにオスカーは、ノエインに急いでもっと領地を発展させろと言っているのだ。
アールクヴィスト領は僻地の小領から王国の要所になった。その要所が小規模な下級貴族領のままというのは心許ない。
領地を没収して王家直轄にでもすれば楽だろうが、それでは単独で敵国の侵攻を退けるという大戦果を挙げた貴族に対してあまりにも不義理だ。そんなことをすれば王家の信用は地に堕ちる。ノエインは領地を取り上げられるどころか、大きな褒美を与えられるべき立場にあるのだから。
なのでオスカーは破格の褒美としてノエインを一気に子爵に陞爵させ、領地発展のための王家の手助けを約束する代わりに、それに見合う力を身につけろと言っているのだ。
「それと、こちらは正式な文書とは別の個人的なお手紙だそうです……どうぞお開きください」
使者は次にそう言って、こちらも封蝋のされた手紙を渡してくる。私信ということで、こちらは羊皮紙ではなく普通の紙だ。
そこに書いてあったのは――ざっくり言えば「頑張って人口を増やせ。そして領軍をでかくしろ。そのために国王の俺に手伝ってほしいことがあればなるべく何でも聞いてやるから王都に来るまでに考えをまとめておけ」という話だった。
公式に残る文書ではないので、かなり明け透けな内容だ。陞爵の裏にある王の本心の説明が省かれているのは、ノエインであれば勝手に察するだろうと考えてのことか。
最後に「読んだら保管せずに燃やせ」とあるのは、この手紙が明確に王家が特定の地方貴族に肩入れすることに言及しているためだろう。
領主貴族は独力でその地を治められるからこそ王から支配権を認められているわけで、逆に言えば、王の援助がなければ十分に役目を果たせないのは貴族として無能ということになる。もちろん今回のように特殊な事情があれば例外となるが、かといってひいきの証拠が文書で残るのはよろしくない。
「……こちらも、確かに受け取りました」
「おめでとうございます、アールクヴィスト卿。下級貴族からいきなり子爵に陞爵されるなど、ロードベルク王国の歴史を見ても滅多にないことです……とはいえ、これも卿のご功績を考えれば当然かもしれませんね」
「ははは、ありがとうございます」
王から貴族への使者はある程度の格を求められることから、この使者自身も宮廷貴族の準男爵なのだという。そんな使者から祝いの言葉を投げられて、ノエインは作り笑顔で返した。
おめでとうと言われても、ノエインとしては素直に喜ぶべきか微妙なところだ。これで王家の確かな後ろ盾を得る代わりに、厄介で多忙な立場を手にしてしまうことになる。領地が発展し、自分と領民がさらに豊かになる可能性を得られるが、しばらくはマイペースでのどかな開拓の日々とはいかなくなるだろう。
だが、今さら言っても仕方ない。ランセル王国と繋がる道はすでに切り開かれてしまったのだ。
長旅をして書簡を届けてくれた使者をメイドのキンバリーに客室へと案内させ、身内だけになったところでノエインはだらしなくソファにもたれかかった。立っていたマチルダとユーリも、ノエインとクラーラの向かいのソファに腰かける。
「思わぬ大出世だね……正直ちょっとめんどくさいけど」
「子爵位と王家からの手助けは相当凄いだろう。喜んでいいんじゃないか?」
「だってさー、いいことばっかりじゃないよ。そりゃあ悪いことばっかりでもないけどさ」
子爵ともなれば、社交だろうと商談だろうと王国社会の大抵の場面でそれなりに大きな顔ができる。その格は下級貴族とは比較にならない。おまけにノエインは国王のお気に入りだ。領地発展のための行動であれば、王家を後ろ盾にしてかなりの自由が利くだろう。
一方で、ぽっと出の新興貴族で、数年前までは最下級の士爵だった若造があれよあれよという間に子爵になったのだ。他貴族からの面倒くさい敵意も好意も集めることになる。
特に他派閥の貴族などは、ノエインを妬む者も多くなるだろう。国王に目をかけられているノエインを物理的に攻撃する馬鹿はいないだろうが、貴族社会で陰口や、下手をすれば根も葉もない噂を囁かれることくらいは覚悟しなければならない。
また、ノエインと仲良くなって利益のおこぼれにありつこうとする者もおそらく増える。それをあしらうのもなかなか面倒だ。
「……あっという間にあなたとお父様が同格になってしまいましたね。やっぱりあなたは凄い方です」
感慨深そうに言ったのはクラーラだ。
「ああそっか、アルノルド様と爵位が同じになるんだよね。なんか変な感じ」
ノエインも苦笑いしながらそう返す。開拓初期は圧倒的に上の立場だと感じていたアルノルドが、爵位だけとはいえ同格になるのだから、つくづく自身の大出世を実感する。
「……上級貴族になるなら準備することも多いだろうし、また忙しくなるだろうなー」
「そう嘆くな。俺たち従士も全員で手伝う」
「私も、全身全霊でノエイン様をお支えします」
「もちろん私もです。あなたのご負担を軽くするために、できることは何でもいたします」
ユーリもマチルダもクラーラも、しっかりノエインの方を見て言った。
「……ありがとう。そう言われたら領主の僕が頑張らないわけにはいかないか」
観念したようにノエインは笑う。状況が大きく変わってしまった以上、この現実の中で自身と領民たちの幸福を得るために奮闘するしかない。
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