第156話 新たな魔法使い②

 大抵の貴族の屋敷がそうであるように、アールクヴィスト準男爵家の屋敷には、客人と会うための応接室がある。


 その応接室の中、テーブルを挟んで向かい合うように置かれたソファの片方に、リックとコンラートは並んで座っていた。


「ノエイン様は優しい方だから、緊張しなくて大丈夫だ。ノエイン様がいらっしゃったら、立ち上がって俺の真似をして礼をすればいい。分かったな?」


「う、うん。大丈夫だよ、父さん」


 そう言いつつも、コンラートは誰が見ても分かるほど緊張しきっていた。


 いかにも高そうなテーブルやソファ、壁にかけられた青を基調とした絵画、部屋の隅の机に飾られたラピスラズリ原石の置き物などにきょろきょろと目を向け、メイドがテーブルにお茶を置いてくれると、必要以上にぺこぺこと頭を下げている。はっきり言って挙動不審だ。


 無理もないか、とリックは小さくため息をついた。


 一般の領民にとって、領主とは雲の上の存在だ。ノエインは視察と称して領都ノエイナの中をよく歩き回り、気さくに振る舞ってはいるが、それでもノエインと面と向かって話せと言われたら畏れを感じない領民はいないだろう。


 従士になってからノエインと直接会う機会の増えた自分でさえ、今も少しは緊張するのだ。まだ十歳のコンラートがこの状況で平然としていたらその方が怖い。


 と、そのとき、応接室の奥の扉が開いた。その音にコンラートがびくっと小さく跳び上がる。


 ノエインが入室してくるのを見てリックは立ち上がり、コンラートも少し遅れて父に倣った。


「待たせたねリック、それに息子くんも」


「いえ。今日はこうしてお時間をいただき感謝します、ノエイン様」


「か、感謝します!」


 父を真似て返事をするも、必要以上に声に力が入っているコンラート。ノエインはそれを気にするでもなく、緊張した様子の彼に微笑んだ。


「とりあえず座って。そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」


 促されて着席した二人の向かいにノエインも座り、さらにその横には従士長ユーリも同席する。そして、ノエインの後ろにはマチルダが控える。


「えっと、コンラートくんだったね……まずはおめでとう。魔法の才を、それも魔法使いを名乗れるほどの才を授かれる者は本当に僅かだ。おまけに特に希少な対話魔法の才を得るなんて、幸運だったね」


 魔法の才は血筋的に貴族の方が授かりやすくはあるが、平民や奴隷でもこうして大きな才に恵まれる者もいる。人生を一変させるほどの幸運を手にしたコンラートに、ノエインはまず祝福の言葉をかけた。


「は、はい、ありがとうございます!」


 そう応えるコンラートは、ノエインの優しい口調を受けてようやく落ち着いてきたのか、ぎこちないながらも笑顔を浮かべる。


「そしてリックも、おめでとう。父親は優秀な従士で息子は将来有望な魔法使いなんて、すごい親子だね」


「ありがとうございます、恐縮です」


 おそらくは子どもの前でリックを立てる意味もあって、わざわざ「優秀な従士」と言ってくれたノエインにリックも笑って礼を述べる。


「さて、それで本題だけど……コンラートくん。もうお父さんからも言われたと思うけど、対話魔法使いになった君には多くの選択肢がある。この領で働きたいのであれば僕が領主として喜んで君を雇うし、もっと大きな領地に行って大貴族に仕える道もある。王家に仕えたいと思えば、それもきっと叶うだろうね」


 貴族であれば誰でも、そして王家も、有望な魔法使いを抱えたい。ノエインとてそれは例外ではないからこそ、こうしてコンラートを呼んで領主自ら話をしている。


「王家に仕えれば破格の高給を与えられるだろうし、それどころか名誉士爵位くらいもらえると思う……正直言って、準男爵の僕にはそれほどの待遇は与えてあげられない」


 彼がこの領を出たいというのであればそれはノエインにも止められない。より高みを、広い世界を望む者を力づくでアールクヴィスト領に閉じ込めたところで、忠節を以て仕えてもらえるわけがない。


 何より、ここでノエインがコンラートの自由を自身の勝手な都合で奪ったら、憎き父と同じになってしまう。だからこそノエインは、あえて自分に不利になる情報も与えてコンラートに選択肢を示した。


「それを踏まえて……君はこれからどんな道を選びたい? 魔法使いになった君には、神に選ばれた君には将来を自分で決める自由がある」


 ノエインに正面から見据えられ、そう問われたコンラートは、少し不安げな表情で隣の父を見た。


 息子の視線を受けたリックは、無言で彼を見返して頷く。こればかりは息子にしか決められないからと、家でも「お前の将来はお前が選びなさい」とだけ伝えてその決断はまだ聞いていない。コンラートがノエインになんと答えるか、リックもまだ知らない。


 コンラートは父に頷き返し、目を瞑って息を整えると、ノエインに視線を返して言った。


「……ぼ、僕は、アールクヴィスト領でノエイン様にお仕えしたいと思っています!」


 その言葉を聞いて、室内が一瞬静まり返る。


 ノエインも、その横に座るユーリも、少し驚いたように眉を上げる。マチルダは表情こそ微動だにしないものの、一瞬だけピクッと耳を揺らした。


 そして息子の方を向くリックは、驚きと喜びが合わさったような表情で大きく目を見開く。


「へえ、意外な答えだったね、ユーリ?」


「おそらく王家のもとへ行きたいと言うだろうと予想していましたからね」


 ノエインが笑いながら隣を向くと、コンラートの手前もあってユーリが家臣としての態度で答える。


「そっか、うちに仕えたいと思ってくれてるのか……理由を聞いてもいいかな?」


 そう言って再びコンラートの方を向くノエイン。その表情は相変わらず柔和だが、その目にはコンラートの本心を見定めるような鋭さが浮かぶ。


「王家のもとに行けばきっと名誉貴族になれるよ? ものすごく厚遇してもらえるよ? それなのにアールクヴィスト領で、僕が言うのもなんだけどこんな小領でいいの?」


 露骨に揺さぶりをかけるノエインから、しかしコンラートは目を逸らさなかった。


「ぼ、僕が生き延びることができたのは、故郷をなくした僕たちをノエイン様が移民として受け入れてくださったからです。父さ……父からそう教えられて育ちました。僕はここが好きです。アールクヴィスト領のために、ノエイン様のために働きたいです」


 おそらくは事前にある程度考えていたのであろう理由を、コンラートはところどころつかえながらも語る。


「そうか。君にそう思ってもらえて、僕も領主として嬉しいし、誇らしいよ……だけど、本当にいいの? 名声を得たいとは思わない? 名誉貴族様って崇められて、大勢の人にちやほやされて尊敬されたいとは思わない? そういう欲求はないのかな?」


「……欲求は、あります。名声が欲しいと、周りから凄いって言われたいと思います。だけど、」


 その先を言おうとして、少しためらうような表情を見せるコンラート。


「だけど? いいよ、正直に言って。今はどんな発言も咎めないと約束するから」


「……どうせ褒められて、ち、ちやほやされるなら、遠いところの知らない人たちよりも、この街の、よく知ってる人たちに言われたいです。お、幼馴染の女の子とかに……」


 なんとも可愛らしい理由を聞いて、笑いながらうんうんと頷くノエイン。


「そ、それに……王宮魔導士になったら僕はたくさんいる対話魔法使いの一人として見られちゃうけど、アールクヴィスト領はまだ小さいところだから、ここでなら僕はこの能力を持った唯一の重要人物になれるから。その方が……特別感があっていいかな、って思いました!」


 そう言い終わり、コンラートはやり切った表情を見せた。


 しかし、ノエインの横に座る従士長が困ったような参ったような顔をしていて、さらに自分の隣に座る父リックが顔を青くしているのを見て、自分が何か駄目なことを言ったのだと察する。


 まず、従士長ユーリも一応は対話魔法使いであるのに彼を差し置いて自分を「この能力を持った唯一の重要人物」と言ったのがよろしくない。そして、領主のノエインが言うならともかく一領民のコンラートが「アールクヴィスト領はまだ小さい」などと言うのもまずい。


 しかし、緊張で気持ちが高ぶっているコンラートは自分の発言のどこが駄目だったのか気づけない。


「面白い、気に入った!」


 と、沈黙を破って手をパチンと叩き、大きな声で言ったのはノエインだ。


「の、ノエイン様!? ……その、よろしいのでしょうか? 息子は今、とても失礼なことを」


「どんな発言も咎めないって言ったのは僕だからね。こういう本音を話してほしかったんだ。ねえ、気にしてないよねユーリ?」


「閣下がそう仰られるのであれば、私は何も言いません」


 ノエインに話を振られて、ユーリは肩を竦めながらそう返す。対話魔法使いとしては存在しないことにされてしまった彼も、まだ十歳の子どもの悪気ない失言など別に気にしてはいない。


「アールクヴィスト領だからこそ得られる幸せが欲しいだなんて、結構なことじゃないか。ほんとに気に入ったよ」


 幸福とは相対的なものだとノエインは考えている。自分は幸せだと思って生きる田舎の農奴もいれば、自分は不幸だと考える大都会の金持ちもいる。何を幸福と感じるかは人それぞれだ。


 だからこそ、人は自分の境遇や考えに合った幸福のかたちを見つけ、それを求めるべきだとノエインは思っている。


 そんなノエインにとって、王家のもとで大勢の中の一人になるより辺境のオンリーワンになることで自分なりの最大の幸福を得ようとするコンラートの言葉は、不愉快どころかむしろ好ましいものだった。


「僕はアールクヴィスト領の領主として君を部下に迎え入れるよ、コンラート。できる限りの給金と立場で君を遇する。君の決断に報いるためにも、この領をもっと大きくして君の活躍の場を作れるよう努力するよ。これからよろしくね」


 子どもに優しく語りかける柔和な笑みではなく、部下によく見せる不敵な笑みでノエインは言った。

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