第146話 アールクヴィスト領の日常③ダミアンとクリスティの場合

「ふあぁ~」


「ちょっとダミアンさん、食事中にお行儀が悪いですよ」


 朝。使用人や住み込みの従士用の食堂でメイドから受け取った朝食を食べつつ大あくびをしたダミアンに、クリスティがそう注意する。


「ん~、ごめん」


 そう返しつつも、ダミアンの頭の中は新たな開発のことでいっぱいだ。今は長距離狙撃のための発展型クロスボウのこと考えていた。


「また適当に謝って……どうせ別のこと考えてるんでしょう? ほら手が止まってますよ。早く食べてしまわないと工房に行くのも遅くなるし、メイドの皆を困らせちゃうんですから」


「は~い分かってるよ」


 屋敷に住み込みの従士は現在ダミアンとクリスティだけであり、朝食と夕食は大抵この二人で食べることになる。もたもたしているダミアンをクリスティが口うるさく注意するのはよくある光景だった。


 彼女に急かされながらダミアンが朝食を食べ終える頃に、料理担当のロゼッタがやって来る。


「ダミアンさん、今日のお弁当です~」


「どうも~ロゼッタ」


 ダミアンは工房で仕事を始めるとそのまま夜まで屋敷に帰らない(夜になっても帰ろうとせず部下の職人たちに屋敷まで連行されることもある)ので、昼食はこうしてサンドイッチなどを弁当として持たされる。


 と、ロゼッタは同じものをクリスティにも渡す。彼女はこの屋敷が職場だから弁当は必要ないはずだが、今日は仕事でどこかへ行くのだろうか、と思いながらダミアンはそれを横目で見た。


 そして、屋敷の裏口から(正面玄関を使えるのは領主夫婦か客人だけだ)外に出るダミアン。作業道具や資料は全て工房に置いてあるので、手に持っているのは弁当だけだ。


 すると、ダミアンに続いてクリスティも屋敷を出た。彼女は弁当だけでなく仕事道具らしき鞄も持っている。


「さあ、行きましょう」


「……うん?」


 何故わざわざ自分に呼びかけてくるのかは分からないが、やはり彼女も仕事でどこかへ行くらしい、と思いながらダミアンはてれてれ歩いて領都南西の川辺にある工房へと向かう。


 その少し後ろにクリスティが続く。


 ダミアンが歩き、その後ろをクリスティが歩く。


 もうこの先には工房しかない、というタイミングになって、ダミアンは立ち止まって後ろを向いた。


「なあクリスティ、工房になんか用があるのか?」


「はあっ!?」


 ダミアンがそう尋ねると、クリスティは怒りと呆れと驚きをごちゃ混ぜにしたようなリアクションを見せた。彼女がなぜそんな声を上げるのかが分からず、ダミアンは困惑する。


「……もしかしてダミアンさん、今後は私が工房の事務や経理を引き受けるから、私の仕事部屋を確保して資料もそこにまとめておいてくださいって先週言ったの忘れてました? 今日が私の工房への初出勤日だっていうことも伝えてたはずですけど。だから一緒に歩いてるんですけど」


 わなわなと震えながら早口で言うクリスティ。彼女の言葉を聞きながら、やべえ、という顔をするダミアン。


 工房の規模が相当大きくなったのでちゃんと文官を置いた方がいいという話になり、甜菜糖の商品化の仕事がひと段落して手の空いたクリスティがこれから週に数日、工房に出向いて経理や事務を担当することになったのだ。


 当然そのことは工房の責任者であるダミアンにも伝えられていたが、彼の記憶はその後すぐに開発のことで上書きされていた。


「そんなこと言っ……てたかもしれないな」


「かもしれないじゃなくて言ったんです! ……ってことは、私の仕事部屋は準備されてないんですね? 工房にあるこれまでのお金関係の資料も私が自分でかき集めて自分で整理しないといけないんですねっ?」


「そう……です。ごめんなさい」


「はあ~~~」


 がっくりと肩を落とし、うなだれて深い深いため息をつくクリスティ。


 ダミアンは職人としての才能と引き換えに社会生活能力が著しく欠けている。「言葉を話せる魔物かなんかだと思って接した方がいい」とは従士長ユーリの談だ。人間ではなく魔物であるのなら、自分のミスを認めて声に出して謝れるだけ上出来だと言えるだろう。


「……まあ、何となくこうなるんじゃないかとは思ってました。今後こういうことがないように私が派遣されるんですし、今回はもういいです」


 諦めたような顔で再び歩き出したクリスティに並びつつ、ダミアンは彼なりに気を遣って話題を変えようとした。


「そ、それにしても、工房の事務管理はクリスティがやるんだな。俺はてっきりアンナあたりがそのまま引き受けるのかと」


 これまで工房の稼働経費や武器の生産数などは、ダミアンをはじめとした職人たちが簡単に記録をつけたものをもとに、アンナがまとめて管理していた。


「アンナさんは文官の総責任者ですから屋敷を空けるわけにはいきませんし、来月には出産休暇に入るじゃないですか。私は今は大きな仕事も抱えてないし、正式に従士になったから立場的にも新兵器とかの機密情報も扱って問題ないし、ちょうどいいんです」


 領の軍事に関わる仕事となれば、重要な職務を担う者にはそれ相応の立場もあった方がいい。晴れて奴隷身分から解放されて従士になったクリスティは、兵器生産の要となる工房の管理業務を任せるには申し分なかった。


「なるほどぉ。そういえば、クリスティは奴隷のままでマチルダみたいにノエイン様のものにはならなかったんだな。なんかすごく懐いてたから、てっきりそうなりたいのかと」


「……ダミアンさんもそれを言いますか」


 クリスティは同じことをこれまでにも何人かから尋ねられた。その度に同じ答えを返している。


「ノエイン様は私にとってはお仕えすべき偉大な主君で、ノエイン様とアールクヴィスト領のために働くことは私の生きる喜びですけど、その、女として個人的にお慕いしてるわけじゃないんです。そもそもノエイン様がお求めにならないでしょうし」


 かつてノエインから手厳しくも効果的な”教育”を受けた直後には、そういう考えも頭に浮かんだ。こんな偉大で慈悲深い主人と愛し合っているマチルダが羨ましい、自分もいつかそうなれたら幸せだろうと思った。


 だが、彼らの傍で働き、彼らを見ているうちにその考えも変わった。自分の心と体と人生の全てをノエインに捧げるマチルダと、はたから見れば重すぎるその愛を平気な顔で受け止めるノエインを見て、自分ではとてもこの輪に入れないと思った。あの二人は好き合うなどという生易しい関係ではない、真似できないと。


 クリスティに言わせれば、もとは政略結婚だったとはいえあの二人と並び、上手な距離感や自分の立ち位置を見つけて仲睦まじく生きているクラーラは驚異的な存在だ。


 自分は忠実な一家臣として、彼らと彼らの領地に貢献して生きがいを感じているのがちょうどいい。それが今のクリスティの考えである。


「ふーん……じゃあ、クリスティも将来のことを考えないといけないんだな。奴隷じゃなくなったならノエイン様に結婚相手の面倒見てもらうわけにもいかないだろうし」


「まあ、そうですけど……ていうかダミアンさんこそ結婚しないと駄目なんじゃないですか? 今年で三十歳でしょう?」


「そうなんだよなあー、従士ならちゃんと跡継ぎを作ることも領主への忠義だぞーって従士長にも言われちゃったし。ああめんどくさ、いや、ノエイン様に忠義を見せたくないってわけじゃないけどさあ」


 自分なりにノエインへの忠誠心はあるのか、何やら歯切れ悪く喋るダミアン。


 それを横目で見ながらクリスティは思った。以前ノエインから「最近ダミアンと仲がいいらしいね」と尋ねられたが、あれはつまりそういう意味なのだろう。


 ダミアンのことは嫌いではない。彼はまあ……色々と馬鹿だが、毎日顔を合わせる自分とはある程度まともに会話してくれるし、従士同士なので身分的にも申し分ないだろう。ボサボサの髪と雑に剃った髭のせいで気づきにくいが、顔もよく見れば悪くない。


 だが、果たしてこの超絶ド変人の手綱を自分が一生とっていけるだろうか。それはある意味でノエインとマチルダの間に入るくらい難易度の高いことなのではないか。そう思ってしまう。


「ん? どうしたんだよ、深刻そうな顔して」


「……何でもないです」


 とりあえず今は保留しておこう。そう考えてクリスティが短く答えたところで、ちょうど工房に到着した。

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