第138話 お屋敷拡大とメイドたちの奮闘
アールクヴィスト領の行政の中心であり、アールクヴィスト準男爵ことノエインの居所でもある領主屋敷。
ノエインの陞爵に併せて、この屋敷もまた大きく変化していた。
開拓一年目、アールクヴィスト領の人口がわずか50人ほどの頃に建造されたここは、領の発展を見据えて造られたこともあり、士爵の屋敷としてはそれなりに立派なものであった。
そんな屋敷も、領の人口が1000人を超えてさらに増えていく見込みであり、それに伴って領地運営業務やそれを担う文官の数も増え、また準男爵という爵位に見合う権勢を示さなければならないことを考えると、手狭になったと言わざるを得ない。
そのためノエインは、自身の陞爵が確定した時点で建築業商会の長であるドミトリに依頼し、屋敷の増築に踏み切った。
初夏に始まった増築工事は、ノエインが気前よく金を積んだこともあって秋の半ばには完了する。居住性や働きやすさを重視しているため派手な装飾などはないものの、広さは上級貴族の屋敷と比べても引けを取らないほどになった。
その後、ある日の朝。
「んおっ?」
「どうされましたか、ノエイン様?」
マチルダとクラーラとともに寝室を出たノエインは、これまで数年に渡って見てきた廊下と新たな廊下の違いに一瞬驚いた。
「……ああそっか、増築したんだった。寝起きだとまだ慣れない廊下に驚いちゃうね」
「ふふっ、あなたは朝が少し弱いですからね」
マチルダに尋ねられたノエインは、照れながらそう答えた。それにクラーラがクスッと笑いながら言葉を返し、マチルダも小さく微笑んでノエインを見る。
これまで上空から見ると横向きの長方形を成していたアールクヴィスト家の屋敷は、左右が増築されてコの字型に拡大していた。かつて裏庭とされていた部分が、今はコの字に囲まれた中庭となっている。
それに伴って領主の寝室も、警備上の理由もあって屋敷の新たな最奥部へと移動した。朝、まだ脳が覚醒していないノエインが、突き当りで右へと折れ曲がる真新しい廊下に一瞬驚くのは、もう何度目とも知れない光景だった。
「まあ、新しい寝室に移ってまだ一週間だし」
「もう一週間、ですよ。この屋敷の主なのに少しおっちょこちょいですわ。マチルダさんもそう思うわよね?」
「わ、私はその……私も慣れずに少し戸惑うときがありますので」
「……ありがとう、マチルダ」
ノエインの護衛でもあるマチルダは屋敷の新たな構造をしっかり把握して見慣れているはずで、そもそも彼女は寝起きがいい方だ。今さら真新しい廊下に戸惑うわけがない。
それなのに嘘までついて庇ってくれたマチルダに感謝しつつも、ノエインは自分がいつまでもぼんやりしていることに少し恥ずかしくなるのだった。
・・・・・
「ノエイン様、失礼いたします」
「ありがとうキンバリー」
顔を洗って髪を整え、着替えを済ませたノエインは、同じく身支度を済ませたクラーラとマチルダとともに朝食の席につく。
いつも給仕を務めてくれるキンバリーが、きびきびとノエインの前に食事の皿を置いてくれる。
「クラーラ様、し、失礼いたします」
「はい、ありがとう」
「マチルダさん、どうぞ」
「ありがとうございます」
さらに、一緒に席につくクラーラとマチルダの前に、まだ若い(キンバリーも十分に若いが、それよりもさらに若い)メイドたちが皿を置いていく。
朝食はロゼッタが早朝から出勤して作ってくれたものだ。ペンスと結婚してからは通いで働くようになった彼女だが、いつもノエインたちが起きたときには厨房でパタパタと忙しく立ち回る音が聞こえることからも、どれほど早起きして朝食作りをしてくれているかが分かる。
パンと卵とスープに加えて、以前はつかなかった副菜として茹で野菜サラダがついている。ロゼッタが料理担当の部下を持ち、人手に余裕ができたからメニューが増えたのだろう。
「さあっ、今日も掃除を頑張りますよっ!」
「「「はいっ、メアリー様っ!」」」
ノエインたちが朝食を食べ進めていると、外の廊下からそんな大声が響く。食堂にいてもこれだけ聞こえるのだ。もし間近にいたらさぞ迫力があることだろう。
「……はぁ。騒がしくて申し訳ございません。後ほど注意しておきます」
「あはは、まあ元気なのはいいことだから」
小さくため息をついて謝罪したキンバリーに、ノエインは笑って答えた。
屋敷の増築に伴って、ノエインは雇い入れるメイドの人数も増やしている。忠誠心の確かな古参領民の家から計六人。一人がロゼッタの、二人がキンバリーの、そして三人がメアリーの部下となり、見習いメイドとして修行中だ。
その全員が住み込みであり、増築された使用人の居住スペースに二人ずつ部屋を与えられている。住人が増えたことで、屋敷は以前よりも賑やかさを増していた。
・・・・・
「……ふう、これで全部確認おしまい」
「お疲れ様でした、ノエイン様」
アールクヴィスト領の人口増加に伴って、税収や支出の管理などノエインが確認すべき事項も増えた。アンナから渡されていた何枚もの書類を読み、確認済みを意味する署名を終えたノエインは、それらをマチルダに預けつつ伸びをする。
「あとは……今日は定例会議の日だったね」
「はい。ですがもう少し時間があります。ご休憩されては?」
領主執務室の壁に据えられた時計の魔道具を見て、マチルダがそう提案する。
「そうだね、ちょっと休もうかな」
「では、お茶をお淹れしましょう」
そう言って部屋を出ていったマチルダは、間もなくお茶の注がれたカップを二つと、クッキーのようなものを盆に乗せて戻ってくる。やけに早い。
「マチルダ、早かったね?」
「……そろそろノエイン様がご休憩に入られるだろうとキンバリーが見越して、あらかじめ茶葉とカップとポッドと湯沸かしの魔道具を準備してくれていました。ロゼッタに軽食を用意するよう指示もしていたそうです」
「それは……さすがメイド長だね」
ノエインたちの身の回りの世話だけでなく、メイド長としてメイド全体の管理もしているキンバリー。そのずば抜けた優秀さが垣間見える一幕だ。
「会議室の準備もすでに整っているそうです。いつでも入れます」
「あはは、そっか。凄いなあキンバリーは」
以前は部下たちの執務室を会議室代わりにしていたが、屋敷の増築の際に、会議専用の部屋が新たに作られていた。定例会議の日程を把握し、その会議室も掃除が済んで机や椅子も綺麗に並べ終えているというから、キンバリーの有能ぶりに感服するばかりだ。
「……それと、今日の夕食はノエイン様のお好きなポークステーキのベリーソースがけだと、ロゼッタから伝えてほしいと頼まれました。楽しみにしていただきたいと」
美味しく作りますね~といつもの間延びした声で言うロゼッタが、ふとノエインの頭の中に思い浮かぶ。
「あははっ、そっかそっか。それじゃあ美味しく食べるためにも会議を頑張らなきゃね」
キンバリーだけでなく、食事作りを手がけるロゼッタや、広くなった屋敷内の掃除を指揮するメアリー、そして三人のもとで修行に励む新人メイドたちの働きももちろん大きい。
領主ノエインが、その副官のマチルダが、そして屋敷に出入りする従士や文官たちが仕事をスムーズに進め、領地運営の業務を滞りなく回している裏には、こうしたメイドたちの奮闘がある。
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