第132話 晩餐会を終えて
夜も更け、晩餐会を終えてケーニッツ子爵家の別邸へと帰ると、ノエインは妻と義父母とともに軽くもう一杯飲みながら今宵の社交について語らう。
「いやあ、僕がキヴィレフト閣下のご長男を褒めてるときのジュリアン殿の表情はと、とても嬉しそうでしたねぶふふっ」
「その調子で笑ってうっかりワインを吹き出さんでくれよ……ぐふっ」
笑いをこらえきれずに話すノエインにそう返しつつ、アルノルドは自身も小さく吹き出す。
「あらあら。あまり笑わないあなたが吹き出すなんて、一体何があったの?」
「私も聞きたいですわ」
アルノルドの珍しい顔を見た妻と娘がそう尋ねるので、彼に代わってノエインが晩餐会での一幕を語って聞かせた。
「まあ、それは、うふ、ふふははっ」
「でも、それは気がつかなくても仕方ないかもしれませうふふふっ」
ノエインが自分で自分を褒め称えるのに併せてなぜかジュリアンが有頂天になっていく滑稽な様を想像して、エレオノールとクラーラまでもが耐えられずに笑う。
ノエインの横では、普段は無表情のマチルダでさえ一瞬だけ顔を背けて表情を隠した。思い出し笑いだろう。
「でもあなた、そんなにキヴィレフト閣下を、その……煽って大丈夫ですの? 恨みを買って何か攻撃されるようなことがあるのでは?」
「ああ、その点は大丈夫だよクラーラ。だってほら、陛下にクロスボウとかジャガイモとかを献上するときの話し合いでさ、」
「あら、そういえばそうでしたわね」
ノエインも、何も対策をとらずにマクシミリアンを馬鹿にしたら復讐される懸念があることは分かっている。
だからこそ、事前に策を講じてから晩餐会でおちょくってやったのだ。数日中にもその策が効果を発揮するだろう。
・・・・・
「はあー、今日は楽しかったなあ」
滞在している客室に戻ったノエインは、そう言いながらベッドに飛び込んだ。
「勘違いしてるジュリアンを見てるときの、あの父上の顔……ぶふうっ。今思い出しても、け、傑作だったねへへえっ」
晩餐会から既に何時間も経っているが、ノエインはまだ笑う。これだけ愉快なことがあったのだから、当分は思い出し笑いのネタに困らないだろう。
「うふふ、あなたはよく笑う人ですけど、ここまで楽しそうな顔を見たのは初めてかもしれませんね」
そんなノエインを見ながらクラーラは苦笑する。自分の夫にひねくれた一面があるのはもう分かっているのだ。今のクラーラから見れば、ノエインのこんな一面も可愛らしい。
「まあ、念願の復讐をひとつ具体的なかたちで果たせたわけだからね、僕にとっては人生の一区切りだよ」
ノエインの「幸せに生きる」という復讐は一生続くが、今回こうして、自身が幸せであることをマクシミリアンに面と向かって見せつけた意味は大きい。モヤモヤとした憎しみがひとつ取り払われたかのような清々しい心地だった。
「……いい気味だったね、マチルダ」
「はい、ノエイン様。キヴィレフト伯爵の歪んだ顔は傑作でした。伯爵家の屋敷でいつも偉そうに振る舞っていた彼とは大違いでした」
寝転がったままノエインがマチルダに顔を向けると、そう答えながら彼女も微笑む。
「あらまあ、マチルダさんまで……よかったですわね、二人とも」
愛する夫と唯一無二の親友が、気持ちをひとつにして喜んでいる。その光景は、クラーラにとってこれ以上なく喜ばしいものだった。たとえその背景にあるのが「憎き父親への復讐」という物騒なものであったとしても。
・・・・・
「おのれえっ! あのクソガキがあっ! 成人するまで食わせてやった恩を忘れたかあっ!」
キヴィレフト伯爵家の王都別邸に帰り、使用人たちを遠ざけて居間で妻と嫡男と三人きりになると、マクシミリアンはそう怒鳴りながら机に両の拳を叩きつけた。
自身がマクシミリアンの庶子であることこそ安易に吹聴しなかったノエインだが、逆にマクシミリアンの方もノエインに強く出られないのをいいことに、好き放題に馬鹿にしてきたのだ。
今思い出しても、はらわたが煮えくりかえるほどにあの庶子が憎らしい。
「ああっ! ちょっとでもいい奴だなんて思わなければよかった! 卑しい平民の血を引くノエインめっ! 姑息で陰湿なクズ野郎めっ!」
「うるさい! 私に恥をかかせたという意味ではお前も同罪だぞ! この馬鹿息子がああっ!」
「ひいいぃっ!」
父親を真似て怒鳴り散らかしたジュリアンは、その父から手近にあった花瓶を投げつけられて情けない悲鳴を上げる。
マクシミリアンも最低限の理性をはたらかせて息子に直撃はしないよう投げたので、花瓶は誰もいない壁に飛ぶと粉々に砕け散った。
「なぜ少しは頭を働かせて振る舞えんのだ! 庶子に馬鹿にされながら喜ぶ嫡男を目の前にして、私がどれだけ情けなかったと思っている!」
「ち、父上、どうかお許しを! お許しをおぉっ!」
馬鹿な嫡男に近づいて拳を振り上げたマクシミリアンだったが、その嫡男が半泣きで座り込んで許しを乞うのを見て、拳を静かに下ろすと深いため息をついた。
どんなに愚かでも、ジュリアンは正妻との間に生まれた大事な息子だ。マクシミリアンにとっては唯一の、作ろうと思って作った正統な息子だ。
庶子と嫡男の頭の出来が逆ならどんなによかったかと思っても、この愚か者が自分の嫡男なのだ。泣いて怯えているのを殴る気にはなれない。
「まったく情けないわ! あの薄汚い雌豚の子どもにいいようにやられて帰ってくるなんて!」
「言うなディートリンデ!」
「何が言うなよ偉っそうに!」
マクシミリアンに負けず劣らず怒り狂っているのは、妻のディートリンデ・キヴィレフトだ。北東部のとある伯爵家から嫁いできたディートリンデはマクシミリアンより二歳年上で、とてつもなく気が強い。
「私がちょっと離れていたらこのざまですか!? あなたは一体何年キヴィレフト伯爵家の当主をやっているのよ!」
反論しようにも、彼女の言うように自分が情けない様を晒したのは事実である以上、マクシミリアンも言い返す言葉がない。
9年前、ノエインを抹殺しないのなら離れに軟禁しておけと最初に言ったのはディートリンデだ。存在を思い出すのも不愉快な妾の子に、夫と息子がこけにされたと知って苛立たないはずもない。
「ぼ、僕のせいですうぅ。母上、ごめんなさいぃ……」
「あらジュリアン、あなたが泣いて謝ることなんてないわよぉ、さぞ悔しかったでしょうねえ、可哀想に……」
怒り叫ぶ母を見てジュリアンがまためそめそと泣き出すと、ディートリンデは甘い声でそう言った。
ディートリンデの身体の事情もあって、マクシミリアンと彼女の間にはジュリアンしか子がいない。だからこそ彼女はたった一人の息子を溺愛してきた。しかし、そのこともジュリアンが愚か者に育った一因となっている。
「あなた、このままこの子を馬鹿にされて、うちの家名に泥を塗られて引き下がるなんて許しませんよ。軽率な挑発をしたこと、徹底的に後悔させておやりなさいな!」
「お前に言われずとも分かっている! あ奴には今夜のことを後悔させてやるとも! あ奴が泣いて謝ってくるほどにな!」
一方的に馬鹿にされて、こちらが黙っているとは思わないことだ、とマクシミリアンはノエインの顔を思い浮かべる。
いくらノエインが領主貴族として少しばかりの成功を収めたとはいえ、キヴィレフト伯爵家の力とは比較にもなるまい。
直接ノエインを害さずとも、やり返す手立てはあるのだ。例えばノエインの領地運営を邪魔するなり、部下や領民を害するなり……ノエインがいつも大事そうに連れている女奴隷を害するなり。
どのように痛い目に遭わせてやろうかと、想像を巡らせるマクシミリアンだった。
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