第124話 平和③と報せ
「……そっか。ラドレーから見ても、特に目につくような異常はなしか」
「へい。あくまで俺個人の意見ですが、オークの件に関しては運の悪い偶然としか言いようがねえです。そんなに森の深いところまで調べられたわけじゃありませんが」
5月の中旬。執務室でラドレーから報告を受けているのは、ベゼル大森林の調査結果だ。
ノエインがランセル王国との戦争へと出征している間に、アールクヴィスト領は再びオークの襲来を受けた。ベゼル大森林の浅い部分にオークが現れる頻度としては異常なことであり、森の奥で何かしらの異変が起きているのではないかとノエインは考えたのだ。
そこで、ラドレーに命じて領軍から人員を選ばせ、調査隊を編成して何度か森へとやった。
あまり深入りしてはオークやその他の危険な魔物に遭遇する可能性があるため、無理なく到達できる範囲までで調べてもらった結果、特に異常はなかったという。
「それじゃあ、今後できる対策は……」
「……森の見回りの範囲を広げて、頻度も増やして、これまでよりも念入りに巡回するしかねえでしょう。そうすれば、またオークが近づいてきたとしてもかなり早い段階で気づけます」
「そっか。人員は足りるかな?」
「領軍の規模は前より大きくなってますからね。獣人たちもいるから、問題ねえです」
先の戦争で後遺症が残り、名誉除隊となった領軍兵士も数人出たが、新たに入隊を希望する者も領民の中から現れ、さらに元徴募兵の獣人たちからも志願者が出た。
その結果、アールクヴィスト領軍の規模は70人にまで拡大している。獣人が入ったことで、兵士の能力の幅も広がった。
「それじゃあ、具体的なことはユーリと相談してほしい。決まった結果は一応僕にも報告してもらいたいな」
「へい、分かりやした」
ノエインの指示に頷くと、ラドレーは軽く敬礼して退室していった。
「……マチルダ、オークの件はたまたまだと思う?」
「どうでしょうか……二度目までなら不運な偶然ということもあり得るでしょう。しかし、もし理由があるとしたら……例えば何らかの原因でオークの個体数が増えて、あぶれた個体がこちらへ流れてきている、などでしょうか」
「そうだね。あとは……オークでも逃げ出すような、何か強力な魔物が暴れていて、それが彼らをこっちに追いやってるとか。思いつくのはそんなところかな」
マチルダとそんな会話を交わしながら、ノエインは軽くため息をついた。いくら可能性を語っても、ベゼル大森林の奥に答えを確かめに行く術はないのだ。
大軍や優秀な魔法使いを山のように投入すれば可能かもしれないが、いくら発展著しいアールクヴィスト領でもそんな人的・予算的余裕はない。オークの件をこれ以上考えても、想像の域を出ない。
この件を頭の片隅にしまいこむと、ノエインは再び机を向いて仕事を再開した。
・・・・・
「――それで、ノエイン様の仰られた通りに、甜菜の搾り汁に貝殻を焼いた粉を混ぜたら不純物が沈んで分離できました。それをろ過して、煮詰めた結果がこれです。色もこの通りきれいな白ですし、砂糖としての質も申し分ないと思います」
商品作物の実験担当のクリスティから報告を受けつつ、甜菜を原料に作った砂糖の試作品を受け取るノエイン。
「どれどれ……うん、ちゃんと砂糖だ。マチルダも舐めてみる?」
「はい、失礼します……確かに、これは砂糖ですね」
貴族であるノエインは菓子などで砂糖を口にしたことは何度もあるし、マチルダもその相伴にあずかって砂糖の味を知っている。もともと裕福な商家の生まれだったクリスティも同じくだ。
試作品が売り物になるレベルの砂糖であることをノエイン自らが確認したことで、甜菜からの砂糖製造も一応の成功とみなされた。
「これも、砂糖を作ったあとの搾りかすは飼料として使えるんだよね?」
「ええ。それに、原料になるのは根の部分なので、使わない葉の部分もそのまま飼料になります」
「無駄がなくていいね」
クリスティの言葉に、ノエインは満足げに頷く。
「これをアールクヴィスト領の特産として領外に出荷できるほど生産するには、どれくらい時間がかかるかな?」
「手元にある分の甜菜を増やしていくなら、収穫分をすべて次の作付けに回しても3年はかかるでしょうか……ただ、甜菜はロードベルク王国内でも場所によっては栽培されているので、それを買い集めればもっと早くできると思います」
「分かった。渉外担当のバートや御用商人のフィリップにも伝えて、領外からできるだけ甜菜を集めてもらうよ」
砂糖は超がつく高級品だ。領内で作れるようになれば大きな利益を生むだろう。それを考えれば、多少の金を注ぎ込んで甜菜を集めることなど問題ではない。
「あと、今ある甜菜もできるだけ増やせるように農地に割り振ろう。エドガーにも協力してもらって」
「分かりました」
これで仕事の話は一段落だ。あとは軽く雑談がてら、彼女の近況を確認する。クリスティは目を離すと過労気味になりがちだ。
「他の仕事はどう? 働き過ぎてないかな?」
「ええ、大丈夫です。事務仕事の方は見習い文官たちが少しずつ戦力になってきてますし、油生産も圧搾機が増えて、領軍の名誉除隊者たちが働き手に加わったので前より余裕があります」
ノエインは戦闘で後遺症を負った者たちの働き口として、大豆搾りなど士爵家の事業内の仕事を割り振っている。
「ノエイン様のご出征中、ダミアンさんが圧搾機の製作を忘れてたのは呆れちゃいましたけど、結果的には間に合いましたし」
そう言って笑うクリスティ。
「あはは、ダミアンらしいね……最近、彼とけっこう仲がいいみたいだね?」
「えっ……確かに、仕事で話す機会は多いですし、同じように屋敷住み込みの身なので、仲は悪くない……と思います」
ノエインが指摘するとクリスティは一瞬きょとんとするが、視線を斜め上に向けて考えながら、そう答えた。
「部下が仲良くしてるのは領主としても嬉しいよ」
そう微笑みながら、ノエインは考える。
クリスティは懸命に働いて成果を上げているし、忠誠心も高い。ノエインも彼女の意欲や能力を高く評価している。
しかし、それはあくまで奴隷とその主としての関係だ。男女の仲であるマチルダとは違う。
そう遠くないうちに、クリスティはその働きを受けて奴隷身分から解放されるだろう。その後は、彼女の一個人としての将来も考えてやった方がいいかもしれない。
気が合っているようだし、仕事好きという共通点もあるし、ダミアンは意外といい相手ではないか。あっちはあっちでいい歳の男であるし。
そんなことを考えるノエインだが、今はまだ口には出さない。
・・・・・
5月の中旬、領主と従士たちによる定例会議の日。いつものメンバーがいつもの部屋に集まっているが、時間になっても領主夫妻とマチルダ、そしてペンスが現れない。
「……さすがに遅いですね」
「一度に何人もが会議を忘れてるなんてことはないでしょうが……」
エドガーがやや心配そうに呟き、それに軽く頷きながらバートが言った。
「様子を見に行った方がいいな」
「私、行ってきますね」
ユーリが言うと、アンナが立ち上がって部屋を出ようとする。
と、丁度そのとき、やや急ぎ足でクラーラが入室してきた。その後ろに続いてペンスも到着する。
「あっ、クラーラ様。ちょうど今お呼びするために向かおうかと……」
「おいダミアン、起きろ。クラーラ様がいらした」
「ほあ?」
部屋の扉で出くわすかたちになったアンナが言い、室内ではクラーラの到着を見たラドレーが、隣で居眠りに突入していたダミアンを叩き起こす。
「アンナさん、そして皆さんも、お待たせして申し訳ありません。ノエイン様は急なご用事でもう少し遅れて来られます……王家の遣いの方が先ほど参られて、ご応接中です」
「王家の遣い、ですか?」
アンナが少し驚いたように返し、他の従士たちも多くは疑問を顔に浮かべる。
そんな中で、従士長ユーリは遣いの要件を察して言った。
「……先の戦争の報奨に関する件ですか」
「ええ、そのようです」
「会議の開始時間の少し前に、領都ノエイナに王家の書簡を持った騎士が到着したんでさあ。それで、俺が屋敷まで案内して、さっきノエイン様に対応を引き継いでもらいました。今は応接室で書簡を受け取って、説明を受けてるはずです」
クラーラがそれに頷き、ペンスが詳細を説明した。
「そうか、報奨は王宮で国王陛下から直々に賜るのですよね」
「わざわざ書簡で呼び出しなんて、さすが王家ですね……」
「まあ、権威を示すのも王家の仕事だからな」
エドガーの発言に、奴隷ではあるが報告のために会議に出席するクリスティが呟きを返した。それに答えるようにユーリが言う。
何月何日までに王宮に来いと知らせるだけなら、王家が国内各地に常駐させている対話魔法使いの『遠話』による通信網を使えばいいのだ。それを騎士が文書で伝えに来るあたり、「王が報奨を与えるために臣下を呼び出す」ことの重みが強調されている。
「……戦争の報奨って言うと、やっぱり金ですよね?」
「だと思うぞ。土地を与えられることもあるが、今のノエイン様にとっては新たな領地なんて持て余すだけだろう。王家だってそこは分かってるはずだ」
まだ腕を包帯で吊っているバートの疑問に、再びユーリが答える。
アールクヴィスト領は面積だけなら上級貴族の領地に匹敵する広さがあり、領内はまだ未開拓の森だらけだ。これ以上の土地など不要だった。
「……もしかしたら陞爵もあり得るかもしれませんね」
「そうでしょうな。戦争はもちろん、アールクヴィスト領の発展具合を見ても、ノエイン様は陞爵に値する成果を上げておられますからな」
「それは、ノエイン様が準男爵になられるということですか……」
クラーラの言葉に答えたのはやはりユーリだ。それを聞いたアンナが、驚きと納得の入り混じった声で呟く。
そんな話をしているうちに、遣いの騎士との話を終えたらしいノエインがマチルダを伴ってやって来た。
「みんなお待たせ、事情はクラーラから聞いてるかな?」
「ああ、王家の遣いだったそうだな。報奨の話か?」
ユーリが尋ねると、ノエインは頷きながら微苦笑を浮かべて答えた。
「うん……出世することになったよ。準男爵に陞爵だって」
クラーラとユーリの予想は、見事に的中していた。
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