第六章 因縁の再会と出世

第122話 平和①

 王歴214年5月。少しずつ夏の気配が漂い始める中で、アールクヴィスト領は発展期を謳歌していた。


 領主ノエインと側近たち、そして領軍の半数が出征している間にも戦争難民を中心に移民が増え続け、さらに戦後は元徴募兵の獣人たちとその家族が集団移住したことで、人口は一気に1,000人の大台に乗っている。


 人口急増に併せて市域も広がり、人手が増えたことで開墾も加速して農地も広がり、領民の需要を満たすために新たに酒場や商店、宿屋なども増える。


 領主直轄の鍛冶工房だけでなく領民相手に商売を行う民間の工房も建ち、その他にも仕立て屋や家具工房、薬屋など、民の生活を支える店も開かれ始めた。


 最早アールクヴィスト領は森の中の小村などではなく、王国の北西端を支える都市と呼んで差し支えない。


 人口が1,000を超えたことを受けて、ノエインはついに「移民に無条件で家と農地を与える」という特例措置を終了した。


 戦争の影響が後を引いているため新移民は日に日に増えるが、彼らに対しては当面の借家の手配が行われるか住居を建てるための小さな土地が割り振られ、一定期間の税が免除されるだけだ。それだけでも移民への措置としては優しい方だが、これまでの移住者とは明確に対応が区別されている。


 これは今後の移民の増加ペースを考えると全員に家と農地を与えるのが難しくなる、という理由の他に、ノエインへの忠誠が厚い古参の領民たちに自作農として力をつけさせ、自身の領主としての支持を盤石にする狙いもあった。


 古参領民たちはこの数年で地主として力をつけ始めており、働き手の小作農を欲している者も多い。そうした需要を新移民たちが満たすことで、アールクヴィスト領の社会は健全に階層化されていくだろう。


 もちろん、新移民とて子どもを学校にやって学を身に着けさせるなり、真面目に働いて金を貯めて自分の畑を持つなり、より裕福になる道はいくつも開かれている。税が軽く、金になる商品作物が多いアールクヴィスト領は、移住するに足る希望に未だ溢れている。


「ノエイン様、失礼します」


 その日、いつものように執務室で仕事をしていたノエインのもとに、アンナがやって来た。


「戦争の影響による食糧価格の変化も踏まえて、増加した人口を支えるために必要な出費の概算をまとめました……やっぱり負担は少なくないものになりそうです」


 そう言いながら、彼女はノエインの執務机に書類を置く。


「ご苦労様、見させてもらうね」


 アンナに労いの言葉をかけ、ノエインは書類を手に取る。彼の補佐を務めていたマチルダも斜め後ろに立ち、同じく書類に目を通した。


 いきなり領の人口が倍増したため、税として徴収した作物を放出するなり、場合によっては不足する分の食糧を領外から買い込んだりと、来年の収穫期まで領民たちの食い扶持を負担しなければならない。アンナにはその費用の試算を頼んでいたのだ。


「……うん、国内で食料価格が高騰してるとはいえ、まあ予想の範囲内だよ。これで士爵家の資金が厳しくなることはないよね?」


「はい、鉱山開発事業が順調に発展してますので……鉄や銅の相場も上がってますから、その点で賄えると思います」


「それならよかった。王家から戦争の報奨も出るだろうし、最終的に見れば今回の戦争は黒字になるんじゃないかな」


 軍役は貴族の義務なので、装備を整えたり移動したりで発生した費用は自腹だ。さらに、250人もの獣人を引き取ったことによる負担もある。


 しかし、戦争の影響で鉱山開発の利益が増し、さらに功労者として褒美をもらえることを考えると、損はしなくて済みそうだった。


 ノエインとしては民を消耗させる戦争などない方がいいと思っているし、あまり損得で考えたいことではないが、領地を持つ身としては金のことを気にしないわけにはいかないのだ。


「それでは、この額の負担が出る前提で予算の管理をしていきますね」


「うん、よろしくね……ところで、見習い文官たちの仕事ぶりはその後どうかな?」


 クラーラの運営する学校で一定の知識を身に着けて卒業となった子どもたちの進路は様々だ。スキナー商会をはじめとした各商会に就職する者もいれば、文官として屋敷で働き始めた者もいる。領の発展に伴って事務方が不足し出していたので、優秀な卒業生を数名、ノエインが雇い入れたのだ。


「皆優秀ですよ。私が彼らくらいの年だった頃よりも計算が速いと思います。きっとクラーラ様は勉学を教える才能もおありなんですね」


「クラーラに伝えるよ、きっと喜ぶと思う……卒業生たちがちゃんと部下として戦力になってるなら良かった。学校への投資にも意味があることが証明されたね」


 教養は偉大だと、書物の知識をもとに生き抜いてきたノエインは考えている。学校で学んだ者がこれから増えていけば、アールクヴィスト領の社会はより合理的に、より活発に発展していくだろう。


「ええ、本当に……この調子なら、私が出産でお休みをいただくまでに経理や事務の仕事も回るようになりそうです」


「何よりだよ。領主としても、従士としての貢献著しいアンナとエドガーには幸せな家庭を持ってほしいからね」


 まだほとんど変化の見えないお腹をさするアンナに、ノエインも微笑んで答えた。彼女は最近懐妊したと聞いている。


 これまではアンナがいなければ領の書類仕事が回らなかったので、彼女には子作りのタイミングに気を遣わせてしまっていたのだ。優秀な文官が増える見込みとなったことで、ようやく自分の家庭のことまで考えてもらえるようになった。


「ありがとうございます。子どもが生まれたら、二世従士としてしっかり教育していきますね」


「それはちょっと気が早いんじゃないかな?」


 意気込むアンナに苦笑しながら、ノエインは自分と妻クラーラの子どもについても考えていた。


 出征前はノエインが死ぬかもしれないからと懸命に励んでみたものの、クラーラの月のものタイミングもあって妊娠には至らなかったようだった。


 ノエインが生きて帰った今となっては再び焦る必要もなくなり、クラーラも学校運営や少しずつ手をつけ始めた歴史探求に忙しいようなので、無理に急ごうとは思っていない。


 仕事や開拓が落ち着くであろう20歳頃がちょうどいい時期ではないかとノエインは考えている。


・・・・・


 執務室での机仕事をひと段落させたノエインは、マチルダを伴って領内の視察にくり出した。


 これは個人的な息抜きの意味もあるが、領民たちと触れ合い、領の空気を直に感じ取るためのものでもある。さらに、まだまだ戦争の記憶が生々しく残るノエインにとって「日常に帰ってきたのだ」という手応えを感じる意味もあった。


「やあケノーゼ、調子はどうかな?」


 これまでの市域の西側に建設されつつある新市街地で、ノエインは元徴募兵の獣人たちを率いて家屋建設に励むケノーゼを呼び止めた。


「これはノエイン様! おかげさまで、順調に生活の基盤を固められつつあります。これも全てノエイン様にお慈悲をいただいたおかげです」


「それはよかった。僕だけじゃなく、君たち自身の努力もあってこそだよ。ご苦労様」


「私たちには勿体ないお言葉です……ありがとうございます」


 彼らがアールクヴィスト領の領民となっておよそ一か月半。250人分の家造りはさすがにドミトリの建設業商会だけでは手が足りなかったので、獣人たち自身も人夫として労働力を提供している。


 平民の家は基本的に簡素な造りで、完成するのも早い。すでに形を成している家も多く、住宅地らしい様相となっていた。


「皆が元気で建設も順調ならよかった。今後も体に気をつけながら頑張って」


 自分の気まぐれな視察にあまり付き合わせても悪いだろう。そう思って、ノエインは早々にその場を立ち去る。


 次に向かったのは、建設中の住宅地のさらに西。森林を切り開いて平地を増やす開拓作業の現場だ。


 そこではボレアスをはじめとした獅子人や牛人などの大柄な獣人たちが、木の伐採や石の除去などの力仕事に励んでいた。森の中ということもあり、槍とクロスボウで武装した領軍兵士の護衛つきだ。


「お疲れさま。だいぶ進んだみたいだね」


「ああ、ノエイン様……そろそろ西の川が見えるくれえまで広げました」


 ノエインが声をかけると、ボレアスは誇らしげに作業現場の西端を指差した。


「たった一か月半でここまで……凄いね。さすが力自慢ぞろいだ。君たちが来てくれてよかったよ」


「獣人が大勢で移り住んだのにそう言っていただけるなんて、南西部じゃあり得ねえ話です。ありがとうございます」


 筋力や体力に優れた者が多い獣人たちは、働き手としてただただ頼もしい。彼らへの差別感情がないノエインとしては歓迎しないはずがなかった。


 それでいて、「生活の場や仕事を用意してくれる、差別しない領主様」として彼らの支持も得られるのだから楽なものである。


「今年中に目指す開拓面積を考えても、作業の進行具合には十分な余裕があるから……くれぐれも無理はしないようにね。農作業だってあるだろうし」


「はい、気をつけます」


 移住した獣人たちは領軍に入った者もいれば、手っ取り早く稼げる鉱山夫になった者もいるが、多くは以前のように農民として生きることを選んだ。開拓作業はその合間の仕事として、ノエインから支給される食糧と引き換えにこなしているのだ。


 健康な領民は領主にとって大切な財産でもある。ボレアスたちを労いつつ、ノエインは視察を切り上げて屋敷に戻った。

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